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2015年11月24日 (火)

高野山町石道と西国三十三札所


現代の高野山を訪れる人のほとんどは鉄道、バス、マイカーを利用するが、本来の参詣道は九度山から大門に通ずる町石道であった。
7時に宿坊でのお経のお勤めと食事を終えて出発する。金剛峯寺、壇上伽藍をお参りしてから大門をくぐって町石道の下降を開始する。石道と言うからてっきり石畳の道なのかと思ったら、道自体は普通の山道で、全部で180の石塔が1町(約109メートル)ごとに立っているのが名前の由来である。石塔には上から順に番号が書いてある(不鮮明なものも多いが)ので、地図と照らし合わせれば現在位置が確認できて便利である。
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最初のうちはどんどん下って行くので、意外と早くつけるかなと思ったが、そのうちにアップダウンの連続となってきたので行程がはかどらなくなってくる。コースタイムでは登り7時間となっていたので、下りなら5時間くらいかなと思ったが、今のベースではその時間は難しいので少しピッチを上げる。下から登ってくる人が私のペースが早いのでびっくりしていた。今日は連休明けなので、誰も登ってこないかと思ったら5、6パーティーは登ってきたようだ。

石塔の番号が150番で残りが30番となったところで予定の電車の発車時間まで30分となって赤信号が灯る。次の電車となってしまっても構わないのだが、とりあえずギアを切り替えてペースアップする。やがて舗装道路があらわれるが、160番の石塔を見たのを最後に石塔が出てこなくなる。道を間違えたのに気付いたが、今さら戻るわけにもいかないので、そのままかけ下る。やっと下の道路に出たが、どうも予定よりもだいぶ左(西)の方におりてしまったようである。しょうがないので、次の電車で行くことにして、走るのはやめて、九度山駅には1時間遅れて着く。

九度山という地名は来年の大河ドラマの主人公である真田幸村が関ヶ原の戦いで敗れた後に幽閉され、大阪の陣の直前に脱出して大阪方に加わったことで有名だが、この地名には次のような由来があるそうだ。弘法大師が高野山に篭っていた時に母親が会いにきたが、当時は女人禁制であったため麓で待ってもらい、月に九度会いにきたことから名付けられたそうである。

行程が1時間遅れてしまったため、予定していた西国三十三札所の三ヶ所(奈良市と京都南部二ヶ所)に寄る時間があるかどうか怪しくなってきたが、なかなか来れないところなので行けるところまで行くことにした。まずは奈良駅近くにある九番の興福寺である。急ぎ足で着いた時には暗くなりかけていたが、有名な寺だけにまだ何人かの参拝者が見られた。

次の三室戸寺は駅から駆け足でいったにもかかわらず、門が閉まってしまい中に入れず外からお参りせざるをえなかった。さすがに京都の寺だけあって札所では珍しく拝観料500円をとるようなので、受付がいなくなった時間は門を閉めざるをえないのだろう。門の外からお参りをしても御利益はないぞと言われそうだが、今回はあちこちお参りしてたくさん功徳を積んできたので問題ないのである。

最後は醍醐の花見で有名で豊臣家とも縁の深い醍醐寺に行く。どうせまた門が閉められているのだろうと思って近づくと、やけに寺全体が明るい。さらに近づくと、たくさんの参拝客がおり、夜店まででている。なんでも開創900年を記念して夜間拝観を実施しているそうである。ライトアップされた五重の塔や日本庭園はすばらしかったし、本堂での多数の僧侶による読経も壮観であった。拝観料は千円とられたが、なにか特をしたような気分であった(これも功徳の成果かな)。
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醍醐寺でだいぶ時間を潰したため、京都駅では遅めの夕食を慌ただしく食べて新幹線に乗り込んだ。今回は盛りだくさんの計画にもかかわらず、ほぼ完璧に消化でき満足すべき四日間であった。

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