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2015年12月23日 (水)

只見線「全線」乗車

新潟県の小出から福島県の会津若松までをつないでいる只見線はかなり昔、浅草岳を登るために新潟側から入って、只見駅の1つ手前の今は廃止となってしまった田子倉駅までは乗ったことがあるが、福島県内はほとんどが未乗車のままであった。その後、2011年の豪雨で只見〜会津川口が不通となって代行バスが運行されているが、赤字路線のため、鉄道自体の復旧の可能性はほとんどないまま現在に至っている。今春、北海道からの帰りに乗車を試みたが、只見のひとつ手前の大白川まで行ったところ、雪崩の危険性のために只見までは不通となっていて行かれず、今回はそのリベンジとなる。

只見発の代行バスは午後は一本だけで、これに乗るためにはさほど早く家を出る必要はないのだが、今回はもうひとつ目的をがあって早朝に家を出た。それは太平洋と日本海をつなぐ日本列島横断を行うために土樽から越後湯沢までの約10キロを走ることにしているからである。日本列島横断は親不知から静岡までの日本アルプス稜線は歩いて(山脈間は走って) 繋げたし、奥秩父中央の甲武信岳の東面を水源とする荒川はほとんどを走って踏破し、西面を水源とする信濃川はほとんどを自転車で走破しているのだが(いずれも山頂付近は歩き)、今回は太平洋側は水上までは利根川沿いに自転車で走破しており、そこから先は走りと歩きで国境尾根を越えて土樽までは達している。一方、土樽から北は、すでに自転車で走破している信濃川との合流点である越後川口までは60キロ弱なので、自転車で走破することは困難ではない。ただし、今回は代行バスを利用するので、持ち込みができるかどうかがわからない自転車を使うわけにはいかない。また以前に巻機山を登る
際に始発電車に間に合わせるために越後湯沢から石打まで走ったことがあるので、せっかく走った距離を生かすためにも、土樽から越後湯沢までは走らざるをえないのだ。

高崎、水上と乗り継いで土樽には10時過ぎに着く。山の中の人家もない駅である。越後湯沢までは10キロ弱だが、2時間ちょっとの時間があるので、急ぎ足で歩いても間に合うし、走力の衰えた自分でも余裕で行けそうだ。

走り出して30分ほどした頃にGPSで現在地を確認すると、ナビの経路よりも少しずれている。GPSの誤差の範囲内だろうときにしなかったが、しばらくすると舗装道路は終わっており、細い踏みあとが続いているだけであった。GPSの地図を拡大してみると、予定していた道と平行している小道の上にいることがわかったが、予定していた道との間には川があり、膝くらいまでの徒渉をしないと渡れそうもないように思えた。山ならばいざ知らず、徒渉は論外なので道を戻ることも考えたが、かなり戻らなければならす、予定していた電車に間に合わなくなる可能性も出てくるので少々焦ってくる。そこで拡大した地図の小道の先を追ってみると、予定していた道がしばらく先で川を越えて今進んでいる小道と合流することがわかりホッとする。

越後湯沢には予定していた電車の発車時間の20分前には着き、食事する時間も取ることができた(と言っても立ち食いソバだが)

越後湯沢を出発すると間もなく右手に雪をいただいた越後三山が見えてくる。景色を飽かずに眺めていると小出駅に着き、只見線に乗り換える。前回は乗車してすぐに代行バスがない旨のアナウンスがあり、大慌てとなったが、今日は「只見線と代行バスは冬季は遅れて時刻表どおりには運行しない」とのアナウンスがあった。今回は18切符を利用した各駅停車の旅で、最終近くに帰京予定なので、間に合わなくなる可能性もあるかなと少し心配になったが、その時は新幹線に乗って帰ればいいだけの話だ。

只見駅には予定時刻に到着し、代行バスに乗り換える。
Dsc_0299
マイクロバスは八割方の乗車率であるが、ほとんどが18切符の利用者のようだ。運転手は女性であるが、えらく愛想の良い人で、行き交う人には通行人、ダンプの運転手、工事現場の作業員と誰かを問わず会釈して手を振っていた。こんな人は初めてみた。

代行バスがは只見線に沿って走るが、しばらくは外見上は線路に損傷は見られず、なぜ不通になっているのかと思われたが、会津川口が近づくと、鉄橋の橋桁が落ちている所が何ヵ所か見られ、復旧費用に見合うだけの経済効果をJRは見いだしてないのだろうなと思われた。
Dsc_0298_3

会津川口からは再び只見線に乗車する。ここまでは予定時刻どおり来ており、沿線にも雪はほとんどないので、ダイヤの遅れはないのかなと思ったが、先週末から3月いっぱいはスピードを落として運行するので会津若松には20分近く遅れて到着するとのことで、そんなに杓子定規にやらなくてもと気がしないこともなかったが、元々会津若松では乗り換え時間を十分にとってあったので、行程には特に支障は生じない見込みである。

結局、会津若松には15分遅れで到着したため乗り換え時間もさほど短くはならずに済んだが、ゆっくり食事するほどの時間はなかったので弁当と酒を買い込んで磐越西線に乗り込み、只見線全線乗車の旅は終わった。後は退屈な各駅停車の旅を続けて帰宅するだけだ。

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