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2016年1月

2016年1月31日 (日)

釧路湿原から富良野までの北海道大横断

今日は初日とは逆方向への北海道大横断てある。民宿の近くにもバス停はあるが、時間もあることだしとターミナルまで行ってみることにした。ところが一本道を取り違えてキャンプ場の方に行ってしまい、途中で気づいて戻ったが、危うくバスに乗り損なうところであった。バスは中国の観光客でいっぱいでターミナル以外から乗ったとしたら座れないところであった。

知床斜里で乗り継いだJRも中国人でいっぱいである。というか車両の中で日本人は自分1人ではないかと思えてきた。中国を旅行しているならともかく、日本国内でこんな気持ちを味わうとは思いもよらなかった。自分は中国人に対して偏見は持ってないつもりなのに、この息苦しさは何なのだろう。

さしあたっての問題は、この中国の巨大集団がこのまま釧路まで、この列車で先に行ってくれるのか、それとも私と同じように途中の標茶で下車して後続の標茶発のストーブ列車に乗り換えるかである。ストーブ列車は発売1ヶ月前に売り切れてしまう人気列車で、これだけの数の中国人が座席を確保できるとは思えないのだが。

標茶では乗客の半分くらいが下車したが、駅前で待機していた観光バスに乗っていった客もかなりいたので、すべてがストーブ列車に乗るわけでもないらしい。なお今までストーブ列車と言ってきたが、正式名はSL釧路湿原号である。

人気列車だから満席で出発するのかと思ったら、結構空席のあるままスタートする。ただ途中の停車駅からそこそこ乗客が乗り込んでくる。列車はやがて釧路湿原のへりを縫うように進んでいく。丹頂鶴が見られるかと期待したが、結局見られたのは放牧されていた馬だけであった。釧路湿原の一角に足を踏み入れたのはこれで3回目である。1回目は家族で旅行した際に、展望台から湿原全体を眺望し、2回目は1人で湿原内の遊歩道をヒグマに怯えながら自転車でツーリングをしたものであるが、今回が一番湿原の中に深く入りこんだような気がする。
釧路湿原から富良野までの北海道大横断

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釧路湿原駅から乗り込んで来た乗客で車内は満席となったが、これより列車は湿原を徐々に離れて一路、釧路に向かって進んでいく。

釧路からは札幌行きの特急に乗り換えるが、未乗車区間を埋めていくために新得で乗り換えて富良野に向かう。新得から富良野までの区間は、数年前に家内と富良野に向かう際に本来は乗っていたはずなのだが、JR北海道が台風接近に怯えて必要もない運休措置をとったがために、家内はバスで、私は自転車でトマムから富良野まで行く羽目になったがために未乗車区間として残ってしまったので、今回乗車することになったものである。その場合でも、トマムから根室本線に接続する区間、距離にするとわずかに五キロ程度に過ぎない区間が未乗車として残ってしまうことになるので、これは次回の次回の宿題となる。

なお、前回富良野に自転車で行った際にキャンプ場のある上富良野までは自転車で行き、そこから先はJRを利用したので、富良野〜上富良野往復も今回しておかなければならなくなった。ただし、これによる時間ロスは1時間程度とたいしたことはない。

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2016年1月30日 (土)

知床ハイキング

いよいよ待望の冬の知床探訪の日である。網走から知床斜里行きの列車の本数は少なく早朝の次の始発は10時過ぎとなってしまうので、朝はゆっくりと寝ててもよいので楽である。そうは行っても枕が変わると熟睡できない神経質な性質?なので7時前には目が覚めてしまう。カーテンを開けるとちょうどオホーツク海から日が上がる時であった。流氷が接岸していれば海岸で写真をとりたいところであるが、今年の接岸は遅いようで流氷はまだはるか沖合いである。

ホテルには食事なしで予約しており、駅近くで食事するつもりだったが、コンビニくらいしかないようだったので、ホテルの朝食を利用することに変更した。バイキングはなかなか豪勢でこれで4900円とはお値打ちである。駅前に並んでいる全国チェーンのホテルに比べて多少歩かなければならないが(と言っても5、6分程度に過ぎないが)、北海ホテルというこのホテルはおすすめである。お陰で食後もホテルでゆっくりくつろぐことができた。

多少、早めに駅について見ると、乗ろうと思った列車の20分ほど後にノロッコ号という列車があり自由席の車両もあって、これに乗っても予定のバスにはぎりぎりで間に合うことがわかって一瞬心が動いたが、もしバスの乗り継ぎに間に合わないことにでもなると大変だし、ストーブ列車は明日の釧路湿原でも乗ることだしと予定の列車で行くことにした。その代わりに入線してきたノロッコ号の写真だけは撮っておいた。
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列車は入れ代わりに網走駅を出発し、トンネルをくぐるとオホーツク海が広がって後は海岸沿いを進んでいく。見渡しても流氷は全く見られない。今回は天候には恵まれたが、流氷には縁がなかったようである。もっとも以前に流氷船に乗ったことはあるので、今回は許してやろう。途中で夏の終わりにツーリングした時に仮眠したことがある駅を通過して懐かしかった。

知床斜里で下車してウトロ行きのバスに乗り換える。ウトロで下車して予約した民宿を探すが見つからないので電話をしようと思ったら、通りがかりの親切な人が一緒に探してくれるというので電話をかけそびれる。結局見つからずに電話をすると、道の駅まで迎えに来てくれることになった。

車に乗せてもらって民宿に直行するつもりだったが、私がフレッペの滝に行くつもりだといったら、登り口まで連れて行ってくれることになった。歩けば1時間以上かかる道のりなので大助かりである。

フレッペの滝までの道は良く踏まれているので、靴のまま歩いてももぐらない。フレッペの滝の展望台が見えてきたが、なにやら多数の人がいるように見える。さらに近づくと人と見ま違えたのは鹿であった。20頭以上はいるであろうか、最初は放牧でもされているのかと思ったが、やはり野生である。その割には警戒心の薄い鹿である。展望台には人がよく来るので慣れっこになっているのだろうか
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肝心のフレッペの滝は上部こそ凍っているものの、下部はジャージャー流れていて残念である。それでもオホーツク海に面した断崖にかかる滝の威容は壮観である。
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駐車場まで戻っても、まだ時間は余っていたので、森林コースのスノーハイキングをやってみる。こちらも道は踏まれてはいるものの多少はもぐるので、せっかく持って来たのだからと、かんじきをつける。知床の林間コースだからといって、他の雪山と特に違いはないし、シマフクロウやオジロワシが見られるわけではないが、知床のスノーハイキングをしているという喜びが涌いてくる。
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コース半ばまで来た頃にちょっと心配なことがでてきた。と言うのは帰りにプユニ岬からの日没を見るのを楽しみにしていたのだが、きょうの日没時間である四時半が迫ってきたからである。頑張ってコースを終え、プユニ岬になんとか日没時間までに着いたが、肝心の日没は水平線に雲がでていたために残念ながら見られなかった。
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その代わりにというか、午前中は見られなかった知床連山をくっきりと見ることができたのでよしとしましょう。
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民宿には夕食までには付くことができた。民宿の夕食はいままで経験したことがないくらいの豪勢なもので久しぶりの満腹を味わった。
知床ハイキング

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冬の北海道

大人の休日倶楽部パスを利用して冬の北海道に来ている。今回の旅行の最大の目的は前から行きたかった冬の知床でスノーハイキングを楽しむことだが、初日の今日は東京を始発の新幹線で発って、延々と深夜まで列車を乗り継いで網走まで足を伸ばすという強行軍である。今日の目的としては、旭川と網走を結ぶ石北本線の未乗車区間である上川〜遠軽を乗車することであるが、1日でこんなに長距離の路線を乗り継ぐのは初めてである。以前に東京から稚内まで乗り継いだことがあったが、札幌〜稚内は夜行列車だったので2日がかりということで1日では札幌までということになる。

週末は太平洋側を低気圧が通過するということで全国的に悪天が続くという予報であったが、低気圧から遠い北海道は比較的好天にめぐまれそうだ。先週だったら北海道は大荒れだったろうからラッキーだ。東京地方も午前中から崩れるということだったが、夜明け前に家を出たので濡れずにすんだ。

新青森で在来線に乗り換えでスーパー白鳥に乗車する。3月末に函館までの新幹線が開通したら、在来線の特急は廃止されるだろうから今回が乗り納めになるだろう。
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函館の乗り換え時間が短かったので心配だったが、同じホームの反対番線だったので問題はなかった。北海道新幹線は札幌までの延伸を睨んで函館の北方に新設される駅までしか来ないので、函館駅での乗り継ぎはこれが最後となるだろう。北海道新幹線の開業は函館の観光にとっては歓迎であることは間違いないが、函館で下車しない客も出てくるという側面もあるかもしれない。

函館までの列車は自由席でも空席が目立っていたが、函館からは超満員となってしまい、たかをくくって指定席を取らなかったために札幌まで立ちっぱなしとなってしまった。ただ長万部までの線路沿いの道は5年前のこの時期に宗谷岬を目指して歩いた所なので、沿線の町も懐かしく退屈することはなかった。

約4時間立ちっぱなしで12分遅れで札幌に着いた。札幌では元々1時間半の乗り継ぎ時間があるので、多少遅れても問題はないのだ。札幌では待ち時間を利用して地下鉄のうち南北線の乗り残した北半分を乗るのに使い、まだ時間が余ったので大通りから札幌駅まで市内散策と洒落こんだ。雪まつりも近いというのに、街路にはたいした雪はない。もっとも雪まつりの雪は自衛隊が他所から運んでくるのだろうが
冬の北海道

札幌から終点の網走までは五時間半の長丁場である。車内販売はないということなので、名物の駅弁である「あったかかきめし」とビールを買いこんで長旅に備える。
冬の北海道

外はとっぷりと暮れ景色も見ることができないので、持参した「メルトダウン」という本読んで時間を潰す。3.11のフクイチ(福島第一原発)事故のドキュメンタリーであるが、この本を持ってきたのにはわけがある。5年前の冬に3回に分けて北海道を徒歩縦断したが、最後の留萌から宗谷岬まで歩いた際に大震災に遭遇し、一日中ラジオを着けっばなしにして歩きながら、フクイチの緊迫した状況に胸がつぶれる思いをしたことを、今回また冬の北海道に来たのを機会に追体験したかったからである。この本を読んでいると、あの日のことが昨日のように甦ってくる。そして一歩間違えば、日本(少なくとも東京)壊滅にもなりかねなかった危機を乗り越えられたのは本当に幸運だったんだなあというのが正直な実感である。政府も東電もたくさんの間違いを犯したが、それでも最悪の事態を避けられた一因としては、吉田所長以下の社員たちが、免震重要棟という最後の砦があってそこで奮闘してくれたことがあげられるが、そのような免震重要棟もない原発が次々
と再稼働されようとする狂気の沙汰に背筋が凍りつく思いである。この本の副題にもある「戦後最大の危機」を経験しながら、そこから教訓を得ようとせずに、フクイチはなかったこととして、原発推進を推し進めようとする安部政権に対しては腹の底からの怒りを感じずにはいられない。

11時過ぎに網走に着き、すぐにホテルに入る。別に疲れはないが、長い1日だった。

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2016年1月28日 (木)

久々のジム

久々のジム
半年振りにジムに行ってボルダリングをしてきた。肩の調子が全治とは言えない状態なので、恐々の慣らし運転だったが、幸い肩の方は案ずることもなかったが、半年でこうまで技術が衰えてしまうのかと愕然とした。

 

手始めに以前なら触ることもなかった初級者向けの7級の課題から始める。登れるには登れたが、思いがけず苦労してしまう。次に6級の課題をやってみる。以前はアップに1〜2本をサクッと登ったものであるが、これが今の自分の限界グレードらしく登れたり登れなかったりである。

 

今までも、海外登山やケガで1、2か月ブランクがあったことは珍しくはないが、さほどブランクを感じずに登れていたものだ。半年のブランクというのは確かに大きいが、加齢の影響もあるのだろう。肩の調子と相談しながらある程度登りこめば、調子を取り戻すことができるかもしれないが、なによりも問題はそれだけのモチベーションが保てるかどうかである。

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2016年1月27日 (水)

関電支社前抗議行動

関電支社前抗議行動
日比谷にある関電東京支社前での抗議集会に参加してきた。1月29日に予定されている高浜原発の再稼働に抗議する関電本社に対する抗議行動に連帯するもので100人以上の参加者があった。前回、四国電力東京支社前の時は数十人だったから危機感は高まっているのだろう。

私の考え方は可能な限り早期の脱原発というもので、再生可能エネルギーが主力となるまでの過渡期においての原発再稼働を全面的に排除するものではない。しかし、そのためには、ここまで安全性に配慮されているのであれば誰しもが稼働やむなしと思えるということが大前提となる。これに対して高浜原発は事故発生時に最後の砦となる免震重要棟がなく、避難計画も不十分といった欠陥だらけの再稼働であり、この再稼働を認めてしまえば、日本全国で次々と欠陥だらけの原発再稼働が行われてしまうことになりかねない。なお、ここで注意しなければならないのは、原子力規制委員会の審査を合格したら安全であるという保証は全くないのである。委員会が審査するのは安全性そのものではなく、基準に合致しているかどうかに過ぎないからである。

戦争法廃止も辺野古埋立阻止も棘の道であるが、未来を信じて自分ができる範囲内で頑張っていくしかあるまい。

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2016年1月24日 (日)

痛恨の宜野湾市長選結果

痛恨の宜野湾市長選結果
宜野湾市長選挙当日の今日、新宿駅周辺で行われた辺野古新基地反対の集会とデモに参加した。途中、埋立工事を請け負っている大成建設が入っているビルの前で抗議を行ったりしながら駅の周りを回って解散した。参加人数は650人ということで戦争法廃止の集会時の10分の1程度しか集まらなかったが、これはどうしたことか?辺野古も戦争法も民意や民主主義を踏みにじっている点では根っ子は繋がっているはずなのだが、「沖縄は自分には関係ない」という他人の痛みを感じようとしないエゴの意識が、民主主義を大事に思っているであろう「意識の高い」人の間にもはびこっているのだとしたら嘆かわしいことである。

今日の宜野湾市長選挙でオール沖縄のシムラ候補がよもやの敗北を喫してしまった。選挙前の調査では「辺野古移設反対」と「争点は辺野古移設問題」という回答が過半数を得ていたので勝利を疑がわなかったのだが、どうしたことだろう。首長選における現職2期目有利のジンクス、辺野古移設を争点から外した作戦の成功等がマスコミで取り上げられるだろうが、それ以外に、宜野湾市民の中に「普天間基地さへなくなるのであれば辺野古に移ろうがしったことではない」という利己的な考えが少なからずあったことが、勝敗を左右したように思えてならない。それは戦争法には反対するが、沖縄には関心を持とうとしない人と共通するものである。

この選挙の結果を受けて、新基地建設の攻勢は強まるだろうが、辺野古の闘いはそれを跳ね返すことを信じている。そして、今日の選挙で現職に投票した人は沖縄県民及び日本の民主主義を願う人達に対して大きな過ちをおこなってしまったということを声を大にして言いたい。

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久々の山

山登りにはしばらくご無沙汰していたが、翌週は北海道に出かけるので寒さに慣れておく必要もあって、通いなれた曇取山に日帰りで行ってみることにした。若い頃によく登った時は奥多摩駅から石尾根経由で行くのが常だったが、今の体力では日帰りではとても行けそうにないので、鴨沢からの最短路をとることにした。

奥多摩の始発バスは6時だが、私の乗ったのは8時半発で鴨沢には9時過ぎに着いたので、標高差1500メートルの山を日帰りで往復するには少々遅い時間たが、途中で引き返すことも覚悟の上で出発する。

歩き出すとすぐに雪が現れるが、大した量ではないし、氷っているところも少ないので、アイゼンなしでも歩行に支障はない。2時間ほど登ったところで早目の昼食を取ってから再び登り出す。

当初は1時になったら登頂できなくても下山するつもりだったが、山頂が間近に見えるものなので、1時を過ぎてもまだ前進してしまう。やがて頂上直下の小屋に到着し、頂上まで30分の地点に達したが、時間は1時半となり、タイムアップとなる。最終の快速ホリデーに接続するバスの鴨沢の発車時間まで2時間半しかなく、ここまでの登りで4時間ちょっとかかったので、果たしてまにあうかどうか微妙なところである。スピーディーに下るためにアイゼンを装着する。
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1時間ほど降りたところで、同じバスに乗ってきた7〜8人のパーティーとすれ違う。随分とゆっくりしたパーティーだが、小屋泊まりだろうから明るいうちにはなんとか小屋には辿り着くだろう。この後は、もう登ってくるパーティーもないし、降りてくる登山者もいないだろうと思っていたら、背後に人影を感じたので振り返ると、若い登山者が迫っていた。道を譲るとあっという間に先に進んでたちまち見えなくなってしまったので、もう追いつくこともあるまいと思っていたら、しばらくすると前方で先ほどの若者が立ち止まっている。アイゼンに不具合が生じたのかもしれないが、林道に降りてくるまで若者は追いついてこなかった。

林道に降りついた時は4時を過ぎており、乗ろうと思っていたバスの発車時間となってしまった。その後のバスの発車時間は調べてなかったが、あるとしても1時間以上は後たろうからと休憩していると先ほどの若者も降りてきた。彼もコンロを出して休憩に入ったので、私はアイゼンを外して先にバス停に向かって降りだした。バス停に着くと、最終バスはあるにはあったが2時間も後である。弱ったなと思っていたら、先ほどの若者が降りてきて一緒にタクシーを呼んで帰ることになったので、最悪の事態は免れた。

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2016年1月19日 (火)

鳥取出張

鳥取出張
鳥取出張
珍しく地方出張があり、最近はもっぱらプライベートばかりで利用している飛行機に仕事で乗ることなったが、そんな時に限って東京は大雪となり、北海道方面のフライトは欠航がかなり出ていた。私の向かう米子空港も強風による天候調査のためにチェックインが一時停止され、その確認終了後に定刻通りに出発できることとなったものの、現地の状況次第では東京に戻ることもありうるという条件付きのもので一抹の不安をもっての出発となった。

アンラッキーな出発ではあったが、唯一のラッキーは寒気が入り込んでいるためか眼下の夜景がくっきりと眺められたことである。


米子空港には無事に降りられることになりホッとする。定刻よりも30分遅れの到着となったが、今晩は別に予定もないことだし、到着さへできれば、御の字である。

空港からタクシーで皆気温泉に向かい、温泉で冷えた体を暖める。天気予報では山陰地方は明日からは冬型で大荒れとのことで明日無事に帰れるかどうかが気がかりとなってくる。

翌朝目覚めると、ホテルの窓からは列風が吹き荒れる日本海が眺められる。帰りの心配はひとまず置いといて、まずは目前の仕事に全力投球しなければならない。

幸い仕事の方は予定より早く終わり、さほど天気が悪くなる前に帰れることになりそうになってラッキーであった。

羽田空港には日が暮れる前に到着できた。このまま帰宅してもよいのだが、まだ一仕事残っている。というのは、今日19日はちょうど4か月前に戦争法が強行採決により成立したことに抗議して国会周辺で抗議行動を行う日になっているからである。最初の予定では仕事の関係で集会の終わりくらいしか参加できないと思っていたのが、早めに帰れることになったので、集会の頭から参加可能となったのはラッキーであった。最近は辺野古に関わることが多くなってしまったが、自分にとっては、あくまで戦争法廃止の運動が本命である。

国会議事堂前には厳しい冷え込みにもかかわらず六千人近い参加者があつまった。これ自体は素晴らしいことだが、人数が毎回一万人に届かず、どうもメンバーが固定化しているような気がすることと若い人が少ないことが気がかりである。昨年8月30日の国会前を12万人で埋め尽くした時はSEALSの活動に刺激されたのかどうかは知らないが、若い人もたくさん参加していたように思う。あの時の熱気を再現したいものである。14531913543450


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2016年1月17日 (日)

宜野湾市長選応援

熟睡してしまい、目覚めたのは6時を回っていた。慌てて朝食を済ませて宿を出てバス停に向かう。バス停には発車10分前に着いたが、昨日も予定時刻よりもかなり前の時間で運行されていたので、この時間でも早すぎることはない。なにしろ午前中1本しかないバスでこれを逃すと1時間近く歩かなければならないのだ。 ほぼ定刻通りに着いた名護行きのバスに乗り、二見入口で那覇行きに乗り換える。いつもは騒然としている基地ゲート前も今朝は静まりかえっている。途中の普天間で下車して宜野湾市長選のシムラ陣営の選挙事務所を捜す。運よくシムラ候補の出発式に間に合い、選挙カーで出陣するシムラ候補を多数の応援者とともに見送った。 選挙事務所で各戸に配るチラシを渡されるというので行ってみると、支援者が大勢のために締切となり仕事にあぶれてしまう。しょうがないのでシムラ候補の追っかけで街頭演説のギャラリーとなる。 その後に選挙事務所に戻ってみると、ノボリを持った一行が出て行くところだったので、後についていき候補者名を連呼しなから市内を練り歩いて午前中は終わった。 午後は帰りの飛行機のこともあるので、短時間の仕事があれば手伝おうと思っていたが、たくさんのグループに別れて市内を練り歩くということであり、飛行機に間に合うバスの出発時間までには帰れるかどうか不明だったので、少々時間は早かったが、那覇に戻ることにした。 那覇までのバス路線はいろいろあるが、最短である高速バスに当初は乗るつもりだったので、何の疑いもなく高速バスのバス停に向かって歩き出す。ところが、そのバス停がどこにあるのかわからないのである。1時間近く探し回ったが見つからず、傘を初日にバスの中に忘れてしまったためにカッパだけでは強い雨を完全に防ぎきれずに少々辛い行程となってきたので元に戻ることにした。 選挙事務所近くまで戻ると、シムラ陣営のノボリを持った一行とスレ違う。この時間もまだ運動中と言うことは、もし自分が参加していれば、この後にバス停探しの道迷いの時間も加算されるわけで、時間的にもかなりきつくなることになりそうだし、濡れたものを乾かす時間もなく飛行機に乗り込まなければならなくなっぢろうから、午後の運動参加を中止したのは正解であった。 那覇空港には2時間以上前に着き、余裕を持って行動することができた。選挙運動参加は中途半端に終わってしまったが、最低限のことはできたし、参院選の練習と考えればヨシとしよう。 14530941643591_2

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辺野古に再び

辺野古に再び
辺野古に再び
辺野古に再び
辺野古に再び
朝5時過ぎにホテルを出て一月ぶりの辺野古に向かう。さすがにこの時間だと参加者もまばらだったが、ぼちぼちと集まってくる。それでも100人に満たない人数だが、対する機動隊は何を血迷ったのか300人という大部隊で排除に乗り出してくる。多勢に無勢であっという間に蹴散らされていく。なんとか踏みとどまろうと頑張るつもりだったが、屈強な機動隊二人に背後から強い力で抱き抱えられると、腕の骨が折れるのではないかと思うほどの圧力がかかって、たまらずに歩かされてしまった。

資材搬入時の参加者こそ少なかったが、その後は弁護士グループ60人を初め、九州からの市長選の応援団など、いずれも短時間の滞在ながらも千客万来でにぎやかだった。さらには歌や躍りの演芸大会や地元に伝わる邪気(この場合の鬼はもちろん機動隊や日米政府だが)を追い払う儀式が行われて餅が振る舞われるといった盛りだくさんの行事が続いて午前中はあっという間に過ぎていった。

集会自体は4時まで行われるが、午後は資材搬入もなく、これといった行事もないので、集会から離脱して、まずは今夜の宿探しから始める。前回はゲート前のテント村に泊まったのだが、時間をもて余してしまったので、今回は集会参加者も利用しているという大浦湾の民宿に泊まるつもりで電話すると、空きはあるということなので、30分ほど歩いたところにある飲食店で腹ごしらえを行う。

予約した民宿では食事は頼めないとのことなので、民宿の近く(と言っても歩いて30分強の距離だが)にある飲食店で夕食をとるつことにし、念のために飲食店に電話して営業時間を確認してみる。すると昼しか営業していないとのことでガーンである。やむを得ず、近くのコンビニで弁当を買って民宿に向かうことにした。

民宿では1ヶ月近く辺野古で闘っている人と同宿し、戦術論を闘わせることになったが、大論争となってしまった。久し振りのことで楽しかった。その晩は論争で疲れたせいか、泡盛を飲み過ぎたためかでばたんきゅーで眠ってしまった。

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2016年1月15日 (金)

ひめゆりの塔

5時に目覚ましをセットしておいたのであるが、4時にチェックイン開始のアナウンスがあり騒々しくなってきたので起きてしまった。LCCはターミナルまでは少し遠いが、搭乗口までは近いので便利である。

那覇は台北よりも暑く感じた。天気予報で雨を覚悟していたが、まずまずの天気となりラッキーであった。空港からはひめゆりの塔に直行する。10数年前の那覇マラソンの際に横を素通りするだけで参拝がかなわなかったことがずっとひっかかっていて、なにか負債を背負っているような気がしていたので、今回ぜひとも行っておきたかったのである’。

資料館にはたくさんの写真と手記が陳列されていたが、直視するのが辛くて断片的にしか見ることができなかった。人間をここまで悲惨な状態に追い込んでしまう戦争の惨たらしさに憤り、あらためて非戦の思いこみ思いを強くした。

次に向かう平和記念公園行きのバスまで1時間程度の待ち時間があったが、距離は4キロ弱なので、歩いた方が早いと歩き出す。沖縄戦で逃げ回った人たちも歩いた道かもしれないと思いを馳せながら歩き続けた。

平和記念公園は日本全国各地の戦没者の碑が建てられているが、何故この地になったのかについてはわからずじまいであった。こちらにも資料館があり、沖縄の歴史が紹介されていたが、沖縄戦のウェートが高いのは当然としても、95年の少女暴行に対する抗議行動で終わっていて辺野古に関する記述が全くないのは納得できない。紛争中の事案に関しては難しい問題があるのはわかるが、両論並記となってもよいからなんらかの記述をすべきだったのではないだみる。事故後半年近くクライミングをやってなかったので、軽めのボルダリングでお茶を濁したが、この分ではまだクライミングができるかなという気が
してきた。その後は名護のホテルに直行し、明日の座り込みに備えて鋭気を養った。Dsc_0363


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2016年1月14日 (木)

千葉寺参拝後に千葉駅近辺で旧交を暖める

千葉寺参拝後に千葉駅近辺で旧交を暖める
先月に引き続いての沖縄訪問であるが、これからも沖縄には足しげく通うことになるであろうから、経費節約のためにLCCを使うことにしたので、今回は羽田ではなく成田から出発することとなった。

わざわざ成田まで行くのであれば、ほかの目的も引っ掻けてやろうと、まずは乗り鉄の旅として松戸を経由して新京成に乗ることにした。新京成は鎌ヶ谷あたりは以前に仕事で行った記憶があるが、全線乗車はしてないはずなので、この際に完全トレースをしておくつもりだ。津田沼から先は京成電鉄となるが(兄弟会社なのかな?)、ちはら線も未乗車なのでそのまま乗り続ける。

終点まで行かずに千葉寺駅で下車して坂東三十三札所のうちまだ参拝していない29番札所の千葉寺を暗くなる前に参拝することにした。ネットで調べた所では駅から徒歩5分とあったが、実際にはその倍以上はかかってしまった(不動産屋の宣伝文句みたいだな)。さらにはまだ5時前だというのに山門は閉じられてしまっている。隙間から体をすり抜けさしてなんとか境内に侵入して参拝はすませるが、こんな犯罪まがいのことをして御利益はないかな。

駅に戻ってさらにちはら線の旅を続けて終点のちはら駅まで行き、そこから折り返して千葉駅に戻る。千葉駅を通る千葉モノレールも乗ったことがないので乗りたいところであるが、終点の千城台まで往復するとなると千葉に戻ってくるのが7時直前となってしまう。実は7時に千葉駅で人と会う約束をしており、ぎりぎりとなってしまうとリスクがあるのでどうしたものかと思ったところ、途中の都賀という駅ではJRと接続しているので、今回は都賀で引き返すこととし、終点までの区間は、次回に成田まで行くときにでも、途中の都賀から往復するというグッドアイデアを思いついた。

千葉駅には7時10分前に戻り、無事、千葉在住の昔の先輩には会うことができた。2時間ばかり酒を飲みながら歓談し、楽しい時間を過ごすことができた。現在の政治情勢についての認識は平行線をたどったままであったが、価値観、世界観の溝はお互いの人格形成の違いに由来するものであり、一朝一夕に乗り越えられるものではないので、いかんともしがたいものであろう。

成田空港には11時前には着き、LCC専用の第三ターミナルに移って仮眠の体勢に入る。この前の羽田空港の時よりは快適に寝られそうである。

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2016年1月11日 (月)

帰国

帰国
今日は午後帰国するということで、午前中は近場ならば観光できないこともたいのだが、市内のめぼしい所はだいたい行ってしまったし、天気も芳しくないので、ホテルでぶらぶら過ごすことにする。

朝飯前に一昨日、夜市見物をした市林市場までジョギングで出掛けてみる。片道4キロぐらいなので、往復走ると朝食開始時間前でも帰ることが難しくなりそうなのっ、帰りは地下鉄で帰ることにする。

海外旅行で朝走ることはよくあり、街が目覚めていく様子を眺められるのが楽しいものなのだが、台北の街の朝は遅く、市林市場も人影はなかった。

朝食開始時間にはなんとかホテルまでに戻ることができ、朝食を食べてしまうと後はやることがない、日本のテレビ局の一部が視聴できたので、テレビを見ながら時間を潰し、昼前にホテル近くの大衆食堂で早めの昼食をとってからホテルに戻り、送迎バスで空港に向かえば、今回の旅行もピリオドとなる。短い旅行の割にはいろいろなことがあったような気もする。

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2016年1月10日 (日)

台湾旅行 二日目(故宮と市内観光)

今日は今回の旅行の目的である故宮博物館の訪問である。台北にある故宮博物館に陳列されてある宝物は元々は清朝の都である北京の紫禁城にあったものだが、蒋介石率いる国民党が共産党に破れて台湾に脱出した時に主要な物を持ち出し台北にも故宮博物館をつくって陳列したものである。そのため北京の故宮博物館は広さの割には内容で見劣りしているそうである。以前に北京を観光した時に故宮博物館を訪問したかどうかは定かでないが、いずれにしても台北の故宮博物館に行かないことには故宮博物館に行ったことにならないのは確かなようである。

故宮博物館の中は撮影禁止なので外観の写真だけで我慢してもらうしかない。展示を丁寧に観賞していると、数日を要すると言われているので、丸1日はあてるつもりだったが、家内が見たがっていたいくつかの展示が台南の博物館に移されてしまったこともあって午前中で全見終わってしまった。余った時間をどうするか。最初は新幹線を利用して台南の博物館に行くことも考えたが、準備不足のため諦めて、市内をのんびりと観光することにした。
おかげで今夜は7時前にはホテルに帰ることができた。14524151975980

 

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台湾旅行 初日(九分と士林夜市)

久しぶりの家内との海外旅行だが、孫が発熱等で保育園を休まなければならない時に面倒を見なくてはならないため、二人で同時に出かけられるのは、カレンダー通りの休日だけということで、三連休で行ける場所として二人とも行ったことがない台湾に行くことにした。

午後に台北に到着して出迎えの車でホテルに着いて荷物を置いた後、旅行社のバスで九分に向かう。今日はツアーに従って行動ずるだけなので楽チンだ。先ずは台湾料理で腹ごしらしてから観光をする。九分というのは宮崎駿監督の千と千尋の神隠しで有名になった所で観光客はほとんどが日本人、しかも大半が女性である。急な階段の両側には店が立ち並んでいるが、どの店も女性が喜びそうなものばかり売っている。

ひととおり観光をしてから台北市内に戻る。 直接ホテルには戻らず、士林市場で解散する。士林市場は大きなバザールだが、お祭りの縁日のような遊技的なものもたくさんあり、台湾人のエネルギーが凝縮している場所である。今日は短時間ではあったが、中身の濃い時間を過ごせた。
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2016年1月 4日 (月)

国会初詣?

通常国会初日の日に戦争法廃止等の集会が開かれ、4千人弱が参加した。自民党のだれかが、「反対派ももちを食ったら忘れる」とうそぶいたそうだが、もちを食っても忘れないぞという意気込みを見せるためでもある。
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その後に各地で街宣活動を行うために別れていったが、私はお茶の水駅前で1時間ばかりビラ配りをした。今年も頑張らなくっちや!

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2016年1月 3日 (日)

川崎大師初詣

川崎大師に初詣に行ってきた。
初詣は神社派と寺院派に別れているのか、それともそんな区別をしない節操のない連中が多いのかは知らないが、自分は寺院派である。
というのは神社は私の忌む嫌う天皇制と結び付いているからである。かって深い考えもなく明治神宮に初詣をしてしまったことを今も悔いている。

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2016年1月 1日 (金)

本年の誓い

年賀状代わりの「新年の願い」はアップした通りであるが、あくまで願望であり実現できる保証はない。これに対して絶対にやり遂げたいのは次のことである。

1。安部政権打倒のための選挙運動参加

7月は参院選で場合によってはダブル選挙となる可能性もあるが、その選挙に際して野党統一候補が擁立された場合にはその候補を、そうでない場合には野党の中で最も有力な候補者を当選させるためにボランティアとして選挙運動に参加するつもりである。

また選挙公示前においては戦争法制に賛成した自民公明の地元の議員を落選させる運動を行っていきたい。落選運動は野党統一候補が擁立された場合等には、その候補を当選させる目的があるものとして公職選挙法の対象となりうるが、そうでない場合には選挙運動とは扱われずに公示前でも自由に行うことができるので、誹謗中傷する名誉毀損にあたらないように注意さへすればよいということになる。日本において落選運動が本格的におこなわれた事例はないが、今年は参院選を前に活発化する可能性があり、その一翼を担いたい。目的はもちろん戦争法を廃止に追い込むための与野党逆転であるが、仮にそれが実現できない場合でも自公に大阪維新を加えた改憲勢力に3分の2以上の議席を与えるような事態は絶対に避けなければならない。

2。辺野古埋立阻止行動の定例化

辺野古埋立阻止は本土でも連帯して行動することはもちろん必要だが、それだけでは限界があり、沖縄での運動がさらに盛り上がらないと実現は難しいという結論に至ったので、足しげく沖縄に通うことにしたが、その理由は次の通りである。

本土では沖縄に対する見方は冷たく、戦争法や原発の反対運動ほどの共感はなかなか得られないが、仮に得られたとしても、安部政権の頑迷な態度を変えさせるのは容易なことではないと思われる。

これに対して沖縄においては、運動がさらに盛り上がれば、アメリカが辺野古移転を諦める可能性が多分にあるだろう。というのは、アメリカの極東戦略において嘉手納基地は要としての重要性を有しているが、沖縄の海兵隊は現状では極めて中途半端な存在なのである。なぜなら海兵隊を敵前に上陸させるための艦船が沖縄にはなく、佐世保に停泊している艦船の到着を待たなければならないという作戦遂行上の欠陥をもっているからである。現に沖縄返還の際にアメリカは海兵隊を沖縄から引き上げる方針であったところ、日本側の引き留めにより駐留を継続させたという事実がアメリカの公文書で公開されているほどである。

アメリカが最も怖れているのは基地反対運動の矛先が嘉手納基地にまで及ぶことである。その危険を感じた場合には辺野古移転なしでの普天間基地返還は十分可能性のあることなのだ。安部政権が言うような「辺野古移転が唯一の解決策」などということは決してアメリカの本心ではない。

アメリカに辺野古移転を諦めさせるためには沖縄県民の運動の一層の盛り上がりが必要であるが、本土の人間もそれに協力する義務がある。なぜならば、沖縄県民の犠牲の上に本土の人間は安保条約上の負担なしに平和を享受できてきたのだから

3。ネパール地震復旧ツアー

昨年の地震で壊滅的な被害を受けたネパールに対しては、自分もお世話になった土地だけにいくばくかの寄付を行ってきたが、なんといっても観光で成り立っている国だけに観光客を呼び戻すことが最大の復興策になるに違いない。そこで少しでも多くの人に声をかけて山岳地帯へのツアーを実施すれば、一次的には現地に現金を落とすことができるだけでなく、二次的には帰国後に記録を発表することによりネパールへの観光客を呼び戻すために多少なりとも役に立つことができるだろう。

目的地は震源地に近いランタン谷である。世界で一番美しい谷と言われた所であるが、ネパールで地震の被害が最も大きかったこの地でも活動が十分可能なことが明らかになれば、観光客を取り戻すことにもつながるかもしれない。


ここまで読まれた皆さんの中には原発はどうなったという声もあるかもしれません。原発をめぐる状況は非常に厳しいとしかいいようがありません。原発を重要なベースロード電源と位置付ける安部政権の下で再稼働は着々と進んでおり、先日の高浜原発の差止めに対する福井地裁の判断に見られるように司法も国の原発行政に追随しているとしか思えない。さらに悪いことには、COP21の合意により原発に依存する空気が一層高まることが懸念される。

唯一の希望は自民党以外は程度の差はあれなんらかの脱原発の政策を採用しているので、与野党逆転が実現されれば安部政権よりも少しはましな原発政策が期待できるのだが、民主党政権下でも脱原発の政策は満足しうるものではなかっただけに多くは期待できないであろう。

結局、自分にできることは、経産省や各電力会社への抗議行動くらいしか思いつかないが、今年から消費者が電力会社を選択することができるようになるのて、たとえ電気代が高くても再生可能エネルギーのウェートの高い電力会社の選択はしていきたい。

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新年の願い

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

新年の願いは次の通りです。
2016





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