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2016年1月30日 (土)

冬の北海道

大人の休日倶楽部パスを利用して冬の北海道に来ている。今回の旅行の最大の目的は前から行きたかった冬の知床でスノーハイキングを楽しむことだが、初日の今日は東京を始発の新幹線で発って、延々と深夜まで列車を乗り継いで網走まで足を伸ばすという強行軍である。今日の目的としては、旭川と網走を結ぶ石北本線の未乗車区間である上川〜遠軽を乗車することであるが、1日でこんなに長距離の路線を乗り継ぐのは初めてである。以前に東京から稚内まで乗り継いだことがあったが、札幌〜稚内は夜行列車だったので2日がかりということで1日では札幌までということになる。

週末は太平洋側を低気圧が通過するということで全国的に悪天が続くという予報であったが、低気圧から遠い北海道は比較的好天にめぐまれそうだ。先週だったら北海道は大荒れだったろうからラッキーだ。東京地方も午前中から崩れるということだったが、夜明け前に家を出たので濡れずにすんだ。

新青森で在来線に乗り換えでスーパー白鳥に乗車する。3月末に函館までの新幹線が開通したら、在来線の特急は廃止されるだろうから今回が乗り納めになるだろう。
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函館の乗り換え時間が短かったので心配だったが、同じホームの反対番線だったので問題はなかった。北海道新幹線は札幌までの延伸を睨んで函館の北方に新設される駅までしか来ないので、函館駅での乗り継ぎはこれが最後となるだろう。北海道新幹線の開業は函館の観光にとっては歓迎であることは間違いないが、函館で下車しない客も出てくるという側面もあるかもしれない。

函館までの列車は自由席でも空席が目立っていたが、函館からは超満員となってしまい、たかをくくって指定席を取らなかったために札幌まで立ちっぱなしとなってしまった。ただ長万部までの線路沿いの道は5年前のこの時期に宗谷岬を目指して歩いた所なので、沿線の町も懐かしく退屈することはなかった。

約4時間立ちっぱなしで12分遅れで札幌に着いた。札幌では元々1時間半の乗り継ぎ時間があるので、多少遅れても問題はないのだ。札幌では待ち時間を利用して地下鉄のうち南北線の乗り残した北半分を乗るのに使い、まだ時間が余ったので大通りから札幌駅まで市内散策と洒落こんだ。雪まつりも近いというのに、街路にはたいした雪はない。もっとも雪まつりの雪は自衛隊が他所から運んでくるのだろうが
冬の北海道

札幌から終点の網走までは五時間半の長丁場である。車内販売はないということなので、名物の駅弁である「あったかかきめし」とビールを買いこんで長旅に備える。
冬の北海道

外はとっぷりと暮れ景色も見ることができないので、持参した「メルトダウン」という本読んで時間を潰す。3.11のフクイチ(福島第一原発)事故のドキュメンタリーであるが、この本を持ってきたのにはわけがある。5年前の冬に3回に分けて北海道を徒歩縦断したが、最後の留萌から宗谷岬まで歩いた際に大震災に遭遇し、一日中ラジオを着けっばなしにして歩きながら、フクイチの緊迫した状況に胸がつぶれる思いをしたことを、今回また冬の北海道に来たのを機会に追体験したかったからである。この本を読んでいると、あの日のことが昨日のように甦ってくる。そして一歩間違えば、日本(少なくとも東京)壊滅にもなりかねなかった危機を乗り越えられたのは本当に幸運だったんだなあというのが正直な実感である。政府も東電もたくさんの間違いを犯したが、それでも最悪の事態を避けられた一因としては、吉田所長以下の社員たちが、免震重要棟という最後の砦があってそこで奮闘してくれたことがあげられるが、そのような免震重要棟もない原発が次々
と再稼働されようとする狂気の沙汰に背筋が凍りつく思いである。この本の副題にもある「戦後最大の危機」を経験しながら、そこから教訓を得ようとせずに、フクイチはなかったこととして、原発推進を推し進めようとする安部政権に対しては腹の底からの怒りを感じずにはいられない。

11時過ぎに網走に着き、すぐにホテルに入る。別に疲れはないが、長い1日だった。

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