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2016年2月

2016年2月29日 (月)

さらば区民農園

2年間利用させてもらった区民農園も期限がきたので終了となった。
最初は物珍しさもあって熱をいれたが、畑が家から遠いこともあり、最近は負担を感じるようになったので、新規申込は行わなかった。

期限は3月までだったので、2月の終わりにゴミの回収に出かけたところ2月15日までにゴミを回収するようにとの札がかかっていて、きれいに清掃と整地がされていた。今年になってからほとんど行ってなかったので、こんなに早く回収をしなければいけないとは知らずに申し訳けないことをしてしまった。

長らく通った道も今日が最後かと思うと、少し寂しい気持ちもしてきた。我が家の庭は日当たりが悪く家庭菜園は無理だが、将来、郊外の日当たりの良いところにでも引っ越すことができれば別だが、とりあえずはベランダでプランターでも取り組んでみようか

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2016年2月22日 (月)

自転車+雪山のための靴ゲット

今年のGWは福島・栃木県境の山腹を自転車で走りながら、途中で主要な山をいくつか登ることを計画している。もともとは関東県境尾根縦走ということですこしづつ距離を伸ばし、立入禁止の浅間山山頂付近を除き、福島以外の県境はクリアしてきたが、福島県境のうち、茨城県境は記録を読んでも明確な稜線部分は少なく、およそ縦走という概念とはかけ離れているようなので山腹を自転車で走って最高峰の八溝山登頂のみをしたのが数年前のことだった。これに対して栃木県境は残雪期であれば稜線歩きが可能ということで、数年がかりで踏破するつもりであった。ところが、ここにきて体力の衰えを自覚して、重荷を背負って連日の行動は無理と判断し、茨城県と同じ方式でインチキをすることになってしまった。

雪のない時期にやるのであれば問題はないのであるが、GWに行くとなると、山腹に雪はなくても稜線には雪はあるのだから、運動靴というわけにはいかない。かといって登山靴で自転車を漕ぐのは効率が悪いし、登山靴を自転車の荷物にしてしまうと荷物が多すぎてしまう。どうしたものかと思っていたら写真の優れものを見つけたので、早速購入した。
P1040676
一見したところ、普通のランニングシューズだが、靴底はビブラム底で登山靴と同じなうえ、ゴアテックス仕様なので、ある程度防水性もあるだろうから、残雪期の湿った雪でも使える気がする。さすがに防寒性はないので冬山では無理であるが、残雪期の短い間の歩行では問題はないと思われる。しかも定価から3割引きの特価品だからお買い得であった。本番前に自転車と雪山の両方で試してみよう。

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2016年2月21日 (日)

2,21辺野古埋立阻止国会包囲抗議行動

2,21辺野古埋立阻止国会包囲抗議行動
一昨日の戦争法廃止に引き続いての国会前における集会に参加してきた。今回は辺野古埋立阻止国会包囲抗議行動である。沖縄関係の都内での集会に今まで参加してきても、参加者が少ないことが残念だったが、今日はどうだろうか。国会包囲を謳っているが、本当に包囲しているのかを確認するために国会の周りをひとまわりしてみると、ややまばらなところはあったものの包囲するだけの参加者が集まっているのには驚いた。主催者発表で2万8千人と一昨日の約4倍、久々の一万人を越える集会だった。参議院選挙を間近にしてこれからも参加者が増えることを期待したい。私も来月はまた辺野古に行ってみよう。

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権現山〜扇山

中央線沿線の低山は不遇の山が多い。不遇というのはあまり人が来ないということだが、本格的な冬山からは足を洗って、この時期は低山しか登れなくなってしまった人間にとって、手近に静かな山があるというのはありがたい。そんな不遇の山の中で前から気になっていた権現山〜扇山のコースを登ってみることにした。

山行を予定していた土曜日は1週間前から雨マークがでていた。1日くらいは予報がずれるだろうと期待したが、前日になっても予報は変わらなかった。日曜日に予定を変えればいいのだが、日曜は辺野古埋立反対の国会包囲の集会があり、今月は辺野古ゲート前の座り込みに参加できないこともあり、沖縄に連帯するために日曜日の集会には参加したかったので、雨を承知で出かけることにした。

中央道の談合坂近くから林道を登り出すのだが、そこまでは高速バスが利用できることがわかった。最初は新宿まで出て乗車しようと思ったが、相模湖のバス停はJR相模湖駅から5、6分で行けることがわかったので、最短経路で行くことにした。

高速を野田尻で下車して高速の下をくぐってしばらく行くと旧甲州街道の野田尻宿に出る。
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甲州街道を歩いた時に通っているかもしれないが記憶にないので、もしかしたら新道を通ってしまったのかもしれない。道はしばらくすると甲州街道と別れて山のなかに入っていく。予定ではこのまま林道を西に進んで権現山と扇山の間の赤坂峠に上がるつもりだったが、峠に上がる道は見つからずに、道は大きく迂回して東に進んでしまう。やがて尾根を大きく回り込む所に登山道があって、その道は権現山から東に延びる尾根に突き上げているようだ。

登山道を登りだしてしばらくすると雨がポツリと降ってきた。段々と本降りになってきたので、主稜線と合流する所で、荷物を下ろして雨具を出していると背後から声が聞こえてくる。主稜線を登ってくる5、6人のパーティーが通り過ぎる間にザックカバーもつけて完全装備をしたので、もうどんな暴風雨がきても大丈夫だ。

先行パーティーを追って登り続けると、山頂直下の小屋で雨宿りをしていた先行パーティーは空身で頂上を目指していく。頂上直下で彼らとすれ違う時に行き先を問われたので、扇山を越えていくことを告げると羨ましがられた。
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誰もいない山頂は視界ゼロで楽しみにしていた笹尾根方面の展望はなかった。ザックも下ろさずに先を急ぐ。下りついた浅川峠にある標識には、今朝登ってきた林道方面へのものはなく、踏み跡まなかった。ちずにある峠道は廃道になってしまったのだろうか

  • 峠からは200メートルばかりの登りで扇山に着く。
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    山頂に富岳12景の案内板があるように天気が良ければ大展望が楽しめるらしいが、今日は全くの視界ゼロなので、すぐに鳥沢駅に向かって急坂を降りていく。舗装道路に降りると、ゴルフ場を大きく回り込んで鳥沢の駅につく。なんとかたいした雨にも逢わずにすんだが、2時間ほど電車に乗って家に帰る頃にはどしゃ降りとなっていた。

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2016年2月17日 (水)

大河の遡行 水源から河口まで

私が大河の遡行(水源から河口まで)に興味を持ったのはマラソンや駅伝で多摩川や荒川の流域を走るようになって以来である。まずは手始めに多摩川と荒川を自分の足だけで踏破してみた。レースで走った部分以外は細切れで走り、源頭部分だけは歩いて山頂に達した。なお河口部分はどの大河もそうであるが、立入禁止というか歩いていける道はないので、海が間近に見えればそれでゴールとし、水源部分はその特定が難しいので、源流近くの稜線に達すれば良しとし、自転車以外の文明の利器は使用しないというのがルールである。また河口から水源に向かうのがベストだが、その逆でも両方が混じっても構わないこととしている。

まずは三大河川といわれる信濃川、利根川、石狩川を遡行したが、文句なしなのは信濃川だけで、利根川は源流で本流ではなく支流を登ってしまったし、石狩川も本来の水源の山(石狩岳)ではなく、隣の山(トムラウシ)を登ってしまったことや、源流部を除き遡上ではなく下降するというインチキを行っていることを白状する。これに対して信濃川を河口から一気に(細切れでなく)遡上し、水源の碑を越えて甲武信岳まで登っているので、文句のつけようがないと思う。

国土庁の資料で川の長さのランキングが発表されていたので、末尾にコピーしてみた。これを見るとベスト10は全て東日本と北海道であるのがわかる。木曽川は河口は愛知と三重の境なので東日本といえるか疑問だが、源流部は長野県なので、まあ東日本といってよいだろう。なお木曽川は上流から河口まで踏破はしているが、源頭の山である鉢盛山には登っておらず、その尾根続きの峠えを越えているので、ぜひ木曽川からの鉢盛山登山もしておきたい。この山は300名山にも選ばれているが、木曽川からの登山は朝日村の役場の許可が必要だそうだが、トライする価値はありそうだ。その他の10位以内の大河としては、9位の天竜川には今春に行く予定である。水源は諏訪湖とされていて源流の山に登る必要がないので、短期間で行ってこれそうである。

末尾の国土庁のランキングには若干疑問がある。それは10位の阿賀野川についてである。河口は新潟県であるが、福島県に入ると阿野川と名前が変わり、会津若松付近で只見川と合流するが、本流よりもはるかに長い只見川ではなく、荒海山を水源とする本流で川の長さが測られているからである。只見川で測ればもっと上位にランクされるはずであるが、本流支流の区別はなんなのか。川の名前で決めるのであれば、一位の信濃川は千曲川と変わる部分までしか測れないのではないか。また北上川はわすかの差で5位に甘んじているが、おそらく一般的に北上川の水源とされている弓弭の泉から計測しているのだと思うが、それよりも10キロほど西方の七時雨山の近くまで水流は続いており、水源の特定は困難ではあるものの本来は4位とすべきものであるし、流域面積では天塩川の倍近くはあるのである。さらに長さが160キロ近くある暴れ川として名高い大井川が本来は15,6位に入るはずなのに入ってないのもおかしい。外すべき理由も考えられないので、単なる洩れだろうが、大井川は自分が踏破している川だけにランキングに入ってないのが悔しい。

まあどうでもいいことを書き綴ったが、ああでもないこうでもないと考えながらいろいろと計画するのは楽しいものである。

Photo

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2016年2月14日 (日)

坂東三十三箇所札所巡りの仕上げ 二日目 結願

天気予報どおりに春一番が吹いてホテルの窓から見える太平洋は大荒れである。
朝食後にホテルのバスで駅に向かうが、強風のために本日の特急はすべて運休である。だが館山行きの各駅停車は動いているので、それに乗っていく。館山から先も各駅停車は動いているので隣の那古船形で下車して那古寺に向かう。

那古寺は駅から歩いて15分くらいで行けて三十三箇所の中では浅草寺に次いでアプローチの便利な札所である。結願の寺のせいか参拝者も結構大勢みられた。
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最初の予定では、このままJRで戻らずに金谷からフェリーで三浦半島に渡って、鎌倉の一番札所に結願の報告をしてから帰るつもりだったが、ネットで調べるとフェリーは本日欠航とのこと。ダメもとで浜金谷で下車してフェリー乗り場まで行ってみて、食事をしながら運行再開を待つが、波の勢いは衰えず、本日の乗船はあきらめて、他日を期すこととなった。

四国八十八、秩父三十四、坂東三十三の札所巡りを終え、これに西国三十三を加えると百八十八となって一段落するらしいのだが、西国はまだ十一しか参拝しておらず、気安く行けるところでもないので、気長に巡ってみよう。

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2016年2月13日 (土)

坂東三十三箇所札所巡りの仕上げ 初日 房総半島横断

昨年の5月から始めた坂東三十三箇所札所巡りもいよいよ最後の仕上げということで、途中不参加となってしまった家内も再び参加することになった。

今回のもうひとつの目的は五井から大原までの間を小湊鉄道といすみ鉄道を乗り継いで房総半島を横断するというかなり前からやってみた計画を実現することである。二つの鉄道は超ローカルな路線で鉄道ファンには人気があるようである。そして冬の期間限定だが、二つの鉄道を通して乗れる割引切符があり、しかも指定された店で使える680円のお買い物券までついているというたいへんなお買い得である。

五井から小湊鉄道に乗り込むと人気鉄道だけあって、たくさんの鉄ちゃんが乗り込んでいる。三十一番札所の笠森寺近くに向かうバスに向かうために安房鶴舞で下車したが、他に降りる人はいなかったので、札所人気は今一つのようである。

バス停から笠森寺入口までは20分ほどの歩きである。実は笠森寺入口にもバス停があって、牛久駅からのバスがあるのだが、私が調べた時にはいい時間のバスがなかったように思ったので、安房鶴舞から遠回りして来たのだが、笠森寺入口に着いてみると、ちょうど牛久方面からのバスとすれ違ったので、私の調べ方が間違っていたのかもしれない。まあいずれにしても笠森寺入口に到着する時間は同じことだし、早春の田園風景を楽しみながら散策できたのでよしとしましょう。

笠森寺は坂東三十三箇所札所の中でも上位5位以内に入るくらいの参拝者の多いお寺である。急な階段を登りつめたところにある本堂は、(後でわかったことだが)バスツアーで巡礼している参拝者の集団に「占拠」されていて、一般な参拝者は参拝することもためらわれるほどであった。

小湊鉄道に戻り、安房中島でいすみ鉄道に乗り換え、そのまま安房鴨川のホテルに向かう家内と別れて国吉で下車し、32番札所の清水寺に向かう。バスはなく、歩くと片道1時間以上かかってしまい、ホテルの夕食に間に合わなくなってしまう可能性がある。ネットの情報では、売店が営業している時ならば、自転車を借りられるらしいので聞いてみると、無料で借りることができた。ただなので文句は言えないが相当ボロい自転車である。それ以上に問題は、前輪に十分空気が入ってないことだった。果たして戻ってくるまで空気が持ってくれるか心配しながら札所に向かう。途中から風雨が強くなるが、雨具とザックカバーで完全武装しているので問題はない。

札所に近づくにつれて雨も止んでくる。札所手前の急坂は自転車を置いて歩いて進む。たどり着いた清水寺は笠森寺と異なり参拝者の少ない静かなところであった。参拝を終えて駅に戻るが、通ってきた道なので迷うこともなく、予定時間内に帰ることができ、今日の予定を終える。いよいよ残された札所はあと1箇所のみとなった。
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2016年2月12日 (金)

電力自由化のもたらすもの

本年4月からの電力自由化により再生可能エネルギーを電源とする電力を選択できることを期待していたが、どうもその実現可能性は乏しいようだ。というのは送電線を所有、管理もしている発電会社が太陽光発電からの接続を制限しているため、専用線でも敷かない限り、大量の再生可能エネルギー電力を利用することは不可能らしい。接続を制限する理由が技術的な問題というのだが、素人考えながらも、原発を温存するためにやっているとしか思えないし、国もその制限を認めているとなると、またぞろ原子力村の悪だくみと疑ってしまう。さらにはそういった事情をわかっていながら、ソフトバンクが再生可能エネルギーを電源とする電力の利用がまもなく可能とするようなアナウンスをしているのは、自分の陣営に顧客を囲いこむための一種の詐欺まがいな商法と思えてくる。

では電力自由化によってなにが変わるかといえば、市場の競争激化によって、電力会社は電力のコストダウンをめざすこととなり、手っ取り早い方法としては原発再稼働の流れが加速されることになるだろう。もちろん廃炉費用、使用済み燃料の処理費用、事故関連費用を考えると、原発による電力はきわめて高コストなのだが、そのようなコストは従来どおり無視し続けるつもりなのだろう。

2020年の発送電分離の時にはどうなるかはわからないが、今回の電力自由化には再生可能エネルギー普及の効果は乏しく、唯一の変化として一時的な電気代の低減は見られるかもしれないが、その背後には原発依存度の回復という危険な「いつか来た道」が待ち受けていることを忘れてはならない。

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2016年2月 6日 (土)

カウントダウン・メルトダウン

北海道旅行の際に読んだ「カウントダウン・メルトダウン」上巻に続いて下巻も読んだ。この本を読もうと思ったのは、再稼働が雪崩を打っように行われようとしている現在、百歩譲って限定的に再稼働を認めるという立場に立った場合でも、福島の事故の教訓をどのように生かすべきかという点と、憲法改正(悪)事項の一つとして急に取り沙汰されるようになった「緊急事態条項」(実質は戒厳令)につき、大震災や原発事故等の収拾に際しての必要性が声高に叫ばれているが、実際の原発事故において、そのような必要性が果たして認められたのかどうかということを確認したかったからである。

災害対策の基本はまずは最悪の事態を想定し、その中で確率や経済性を考慮して、どこまでの対策を行うべきかを考えるべきであるのに対して、最初から経済性第一の企業の論理が優先して、本来取るべき対策をとらなかったことが事故の最大原因である。なぜそうなったかと言えば、無責任体制の東電と経産省による原子力村が作りあげた安全神話が正常な思考回路を失わせてしまったからであろう。

地震・津波直後においては福島第一だけでなく、第二や女川も電源喪失という同様の危機状態にあったが、第一においては初動対応を誤ったため重大事故に至ってしまったようである。ただそれが東日本壊滅という破局状態までには至らなかったのは、吉田所長以下の現場職員の復旧作業や自衛隊等の放水活動もさることながら、4号機のプールに水が残っていたという幸運によることが大きく、破滅状態になるかどうかは本当に紙一重であったことにあらためて戦慄する思いである。

現在の原発の再稼働(予定分を含む)に際しての対策で福島の教訓を生かしてないと思われる最大のものは免震重要搭の存在が軽視されていることである。福島原発事故の一応の収束(いまだ完全ではないが)は免震重要搭の存在なしには絶対に不可能であったことは間違いない。ただ福島の免震重要搭にも問題がなかったわけではない。地震のダメージを受けることなく、復旧作業にあたれるという意味では、免震重要搭は機能したが、放射能に対する備えが十分でなく、さらに放射能が高まれば撤退も余儀なくされかねない状態であったし、免震重要搭内の作業環境は劣悪なガダルカナル状態であり、補給ルートや交代要員の確保も不十分な状況がさらに続いた場合には復旧作業に支障をきたしたことに疑う余地がない。

一方、「緊急事態条項」により、基本的人権を広範に制限しなければならない事態は原発事故後においては発生しなかったと言うのが真相のようだ。避難命令のような一見、基本的人権に抵触しかねない事項も、原発事故対策の特別法を活用すれば対応可能であるのに、なぜ憲法改正(悪)という話がでてくるのか全く理解できない。ただし、放水活動を行う際に地方自治体に属する警察や消防と国家機関である自衛隊との間で指揮命令系統の統一がとれないという問題があったが、これも憲法云々の問題ではなく、特別法によって解決しうる問題である。

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2016年2月 2日 (火)

旅の終わり

旅の終わり
最後の乗車となるであろう急行はまなすが函館駅に停車した時に目覚める。前2回の時は長万部から乗車したために寝入った直後で起きられなかったが、今回は苫小牧から乗車して一眠りした後なので自然と目が覚めた。ここで進行方向が逆になるために機関車の付け替えをするのでホームに出てみる。今まで先頭だった青い機関車が切り離され、新たに前方となる客車の前に赤い機関車が接続される。両方を見ようとホームでは大勢の鉄ちゃんが右往左往している。
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私も両方を見てから青森までに一寝入りしようと自分の席に戻ろうと自由席車両を通ると、こちらはがら空きでワンボックスがそのまま独り占めできてしまう。満席状態の指定席よりよっぽどいいやと青森まで寝ていくことにした。

まだ暗い時間に青森に着くと最後の急行はまなすの旅も終わりである。下車時に隣の車両が横になれるカーペット車両だったので覗いてみる。1両しかなく、販売直後に売り切れるという超人気指定券で、今回は最後のチャンスということで1ヶ月前の朝から駅で並んだのだが(この列車はえきネットの対象外)、三番の予約券でもダメだった。

青森駅から新青森駅までの乗り換えは毎度不便であるが、これも今回が最後となるだろう。新青森駅では北海道で買い損ねたお土産を買う。北海道旅行で青森の土産というのも妙なものだがやむをえない。ここから後は新幹線に乗って帰るだけだ。午前中に東京に着くので、途中で寄り道も可能なのだが、鉄道はもう乗り飽きたというのが正直なところである。

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2016年2月 1日 (月)

引き続き北海道乗り鉄の旅

富良野から始発で滝川に向かう。駅前にはコンビニがなく、通りのコンビニまで往復して弁当を買ってくるのに30分近くかかってしまったが、時間潰しにはちょうどよかった。滝川まで来れば今日中に余裕をもって帰れるのであるが、学園線、室蘭本線北半分乗車と夕張立ち寄りのためにもう1日道央をうろつくことにしている。

滝川で札幌行きの特急を待っていると5分遅れのアナウンスがあった。これはマズイ。札幌で乗り換えようとしている札沼線(通称、学園線)とは5分しか乗り継ぎ時間がなく、遅れてくる特急を待ってくれる保証はないからである。なにしろ学園線というのは途中まではともかくも、最後の区間は1日3本しか運行されず、乗り継ぎ失敗は致命的になってしまうのだ。ここでハッと閃いたのは学園線の終点の新十津川はここ滝川からは四キロぐらいしか離れていないのでタクシーで移動して学園線を逆方向から札幌に向かえないかということで、携帯で検索してみると、ちょうど40分くらい後に学園線の始発があることがわかり、これはラッキーとタクシーで新十津川に向かう。

両駅間の距離は短いにもかかわらず、滝川の人が新十津川駅を利用することはほとんどないようで、タクシーの運転手も行ったことがないと言って電話で道を聞いていた。

新十津川駅に着くと、そこは超ローカルな駅で、待合室に置かれてあるノートの記述によると連日鉄ちゃんが訪問している「聖地」のようなところらしい。しかも3月のダイヤ改正後は1日一本に減便されるとのことで今回来ることができてラッキーであった。

折り返しの電車がやってきて数人の乗客が降りたが、全員が鉄ちゃんのようであった。地元の子供たちが歓迎の出迎えをして絵はがきを渡していたが、全員がそのまま折り返しの列車に乗ってしまった。
引き続き北海道乗り鉄の旅

学園線自体は順調に運行し、札幌駅では2時間以上の待ち時間となるので、サッポロラーメンを食べて土産を買ってから時間が余れば完成間近であろう雪まつりでも見に行こうかなと思っていたら、終点の札幌近くになって千歳付近で雪のために電車が止まっているというアナウンスがあった。自分は反対方向の岩見沢に向かうのだからと関係ないとタカをくくっていたが、札幌駅構内の表示では岩見沢方面の列車が軒並み運休となっており、発車間近の宗谷行きの特急には運休の表示はなかった。そこで考えもせずに宗谷行きに乗り込んだのだが、他の列車の運休の影響か、指定席車両のデッキも人でいっぱいである。

よく考えれば、運休の列車は千歳空港からの直通のために運休になったものだろうから、札幌始発の列車だったら、後の列車でも動いていたかもしれない。

列車が岩見沢に近づくにつれて雪が激しくなってくる。岩見沢で下車すると、列車の遅れがなくても数分の差で乗れないはずの室蘭行きの列車が隣のホームで止まっている。ラッキーと乗り込んだが、悪天のためか一向に動き出す気配がない。ただ発車時間がわからないので駅の外に出るわけにもいかず、やむをえないので今日の昼食は知床ハイキング用に買った非常食となってしまった(サッポロラーメンを食いたかった!)。非常食がこんな所で役に立つとは思わなかったが、雪山のビバークで食べることを思えば、暖かい車内は天国である。

これからの行程が全く読めなくなってしまったが、まあなるようにしかならないと腹をくくる。まもなく列車が動き出したが、南に向かうに従って雪も止み、晴れ間も出てきたので希望がもてるようになってきた。
列車は順調に進み、追分で下車するが、ここからの夕張行き列車は予定よりも一本早いのに乗れることとなった。岩見沢での雪のためによる室蘭本線の遅れが、結果的にはプラスに働いたようで、こんなこともあるんだと喜んだ。

追分駅で1時間ほど待ってから夕張行きに乗り込む。夕張に近づくにつれて、また雪が降りだしてきた。夕張駅前はコンビニ一軒と屋台村がある以外はお店もなく閑散としていたが、スキー客向けの大きなリゾートホテルが場違いのように聳えていた。

日没前の時間でまだ明るかったので市役所に向かって「幹線」道路を歩いてみる。夕張市の財政破綻が注目されてから久しいが、これは夕張市だけの問題でなく、他の地方都市の多くが今後迎えざるをえない姿を先取りしたものと言われている。市財政破綻の一番大きな影響は行政サービスの低下だろうが、こればかりは通りすがりの旅行者にはなかなかわかりづらいところであろう。市役所のまわりをまわったかぎりではこれといった変わった点は見られない。市役所の中に入ってみようと思ったが、閉庁間近のためか市民は誰もおらず、職員とおぼしき人物がひとりいるだけだった。こんな時間に訪問すると用件を聞かれかねないので市役所を後にして生活道路を駅まで歩いて戻ることにする。店のガレージはほとんど降りていて街が寂れていることは実感できるが、これは多くの地方都市に共通していることで夕張に限ったことではない。

駅前の屋台村で生ビールと黒い麺の夕張ラーメンを注文して喉と腹を満たしてから夕張を後にする。追分駅で1時間ほど待って苫小牧行きに乗り込めば室蘭本線も完乗することになり、この旅の目的は達成される。3月のダイヤ改正で姿を消す青森までの急行はまなすの最後の乗車(通算では3回目)はおまけのようなものである。

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