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2016年2月 6日 (土)

カウントダウン・メルトダウン

北海道旅行の際に読んだ「カウントダウン・メルトダウン」上巻に続いて下巻も読んだ。この本を読もうと思ったのは、再稼働が雪崩を打っように行われようとしている現在、百歩譲って限定的に再稼働を認めるという立場に立った場合でも、福島の事故の教訓をどのように生かすべきかという点と、憲法改正(悪)事項の一つとして急に取り沙汰されるようになった「緊急事態条項」(実質は戒厳令)につき、大震災や原発事故等の収拾に際しての必要性が声高に叫ばれているが、実際の原発事故において、そのような必要性が果たして認められたのかどうかということを確認したかったからである。

災害対策の基本はまずは最悪の事態を想定し、その中で確率や経済性を考慮して、どこまでの対策を行うべきかを考えるべきであるのに対して、最初から経済性第一の企業の論理が優先して、本来取るべき対策をとらなかったことが事故の最大原因である。なぜそうなったかと言えば、無責任体制の東電と経産省による原子力村が作りあげた安全神話が正常な思考回路を失わせてしまったからであろう。

地震・津波直後においては福島第一だけでなく、第二や女川も電源喪失という同様の危機状態にあったが、第一においては初動対応を誤ったため重大事故に至ってしまったようである。ただそれが東日本壊滅という破局状態までには至らなかったのは、吉田所長以下の現場職員の復旧作業や自衛隊等の放水活動もさることながら、4号機のプールに水が残っていたという幸運によることが大きく、破滅状態になるかどうかは本当に紙一重であったことにあらためて戦慄する思いである。

現在の原発の再稼働(予定分を含む)に際しての対策で福島の教訓を生かしてないと思われる最大のものは免震重要搭の存在が軽視されていることである。福島原発事故の一応の収束(いまだ完全ではないが)は免震重要搭の存在なしには絶対に不可能であったことは間違いない。ただ福島の免震重要搭にも問題がなかったわけではない。地震のダメージを受けることなく、復旧作業にあたれるという意味では、免震重要搭は機能したが、放射能に対する備えが十分でなく、さらに放射能が高まれば撤退も余儀なくされかねない状態であったし、免震重要搭内の作業環境は劣悪なガダルカナル状態であり、補給ルートや交代要員の確保も不十分な状況がさらに続いた場合には復旧作業に支障をきたしたことに疑う余地がない。

一方、「緊急事態条項」により、基本的人権を広範に制限しなければならない事態は原発事故後においては発生しなかったと言うのが真相のようだ。避難命令のような一見、基本的人権に抵触しかねない事項も、原発事故対策の特別法を活用すれば対応可能であるのに、なぜ憲法改正(悪)という話がでてくるのか全く理解できない。ただし、放水活動を行う際に地方自治体に属する警察や消防と国家機関である自衛隊との間で指揮命令系統の統一がとれないという問題があったが、これも憲法云々の問題ではなく、特別法によって解決しうる問題である。

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