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2016年3月

2016年3月31日 (木)

天竜川下降 一日目(諏訪湖から飯田まで)

静岡県の大河は大井川、富士川、安倍川については源流から河口まで踏破済みであるが、残された天竜川は日本第七位の大河でもある。天竜川が他の大河と異なるのは水源が山の中ではなく諏訪湖という盆地の中にあるということで水源を求めて山奥深く分けいって行く必要がないことだ。もっとも諏訪湖の水は四方の山から流れ込んだものなのだが、それはどの山からだとは特定できないので無視するしかあるまい。

岡谷で下車後、すぐに伊那路には向かわずに、諏訪湖方面に向かう。諏訪湖の西端には水門があり、そこから天竜川が流れ出ているので、天竜川下降の出発点としてはそこ以外には考えられない。
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天竜川沿いの伊那路はしばらくは交通量の多い国道を行くが、やがて国道は山側に進路を変えるので、天竜川沿いの道は交通量の少ない快適なサイクリングとなる。西側には中央アルプス、東側には南アルプスが望める素晴らしいロケーションである。
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飯田が近づいてくると、中央アルプスは前山に遮られて視界から消えるが、南アルプスの白い峰々は遠くの谷間にまだ望めることができる。

飯田には5時頃に着き、駅近くの中華料理店で夕食をとってからホテルに向かう。遅い時間に宿に着くのが常である自分にとって、まだ明るいうちに宿に着くなどということは珍しいことである。そのお陰で古舘伊知郎の報道ステーションの最終回も見ることができた。はっきり言うと、元々はあまり好きなキャラではなかったけど、多少は見直したかな?とまれ12年間ご苦労様でした。

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2016年3月30日 (水)

満身の怒りを込めて国会前へ

昨年9月にインチキ採決で安部政権が憲法違反の戦争法制を成立させたと主張してから約半年たった今日未明に戦争法制は施行されてしまった。国民の過半数が反対していたにもかかわらず強行したことについて、安倍晋三は国民に理解が得られるように丁寧に説明していくと言っていたが、この半年間、どんな説明をしたというのか?実体のない新3本の矢や時代錯誤の1億総活躍社会といったごまかしで国民の目をそらし、その裏で着々と既成事実を積み重ねて、施行にまでもちこんでしまったことに対して満身の怒りを込めて国会前にかけつけたのだった。

国会前に集まった市民は3万7千人と昨年の9月以来の規模となった。嬉しかったのは若者の参加がおおかったことである。シールズも主催者に加わっていたこともあるのだろうが
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総がかり実行委員会主催の集会は7時半で終わり、その後はシールズと学者の会に主催者が変わる。参加者はかなり帰り始めたが、今しばらくは留まることにした。シールズ主催の集会はシュプレヒコールの連続となるので疲れる。9時半になった時点で帰ることにした。もうしばらくは留まってもいいのだが、一体いつまでやるのかわからないからた。強行採決前夜に徹夜で抗議行動した時は、委員会の審議に圧力をかけるという意味があったが、今日はこれ以上とどまろうというモチベーションも全くない。帰り際に集会の参加者を確認すると千人程度に減少しており、大半が若者だった。

帰ってからニュースをつけたら、まだ集会は続いていた。帰宅してすぐにニュースを見たのには訳がある。TBSの23時のニュースの岸井キャスターが政府の圧力もあって先週で降板となり、今日から新キャスター登場となるので、安保法制をめぐってどのような報道をするのか関心があったからである。番組では自民党と民進党の論客による討論会という形をとっていたが、時間的にも十分でなく、消化不良のままに終わってしまった。一見公平な番組編成方針のようにも見えるが、前任者のような権力の監視役としての姿勢は全く見られず、TBSは権力に屈してしまったとの印象を拭うことはできなかった。

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2016年3月28日 (月)

太陽光発電の電力会社に契約変更

4月からの電力自由化を控えて各社から様々なプランが提供されているが、ここで注意しなければならないのは、安さだけに目を奪われてはいけないということである。以前にブログでも書いたことだが、既存電力会社はシェアを確保するために(廃炉費用等を無視した)当座のコスト低減を図るべく原発再稼働に一層シフトする可能性が高いということである。また東京ガスのように石炭火力発電を電源とするものはCO2を大量に発生させるものなので、地球温暖化対策上は問題外である。残された選択肢は太陽光発電等の再生可能エネルギーを電源とする電力会社しかないのである。

ただ再生可能エネルギーの電力会社を選択する場合でも問題がないわけではない。ひとつには再生可能エネルギーを電源とする電力会社は圧倒的に少なく、住んでいる地域によっては現状では利用できない場合もある。ソフトバンクのような資本力のある会社が再生可能エネルギーに踏み出せば状況はある程度変わってくるかもしれないが、同社の再生可能エネルギーを電源とするプランもアナウンスこそされながら、一向に実施される目処がたたないのは後述する原子力村の壁があるためからだろうか

他の障害としては、電気代が多少は上がる可能性が考えられることである。もっとも、再生可能エネルギーを選択したいと考えている人にとっては多少の電気代アップはほとんど障害にはならないのではないか。

ただ再生可能エネルギーの電力会社を選択したからといって、それでその人が原子力発電と縁が切れるわけではない。第一には専用線を通って電気がくるわけはないので、従来と同じ電源構成の電気を使い続けなければならないことであり、第二には発送電分離がされてない現状では、送電線を所有している既存電力会社が再生可能エネルギーの電力供給に制限を加えているため、再生可能エネルギーの電力会社と契約した分だけ再生可能エネルギーによる電力供給がふえるわけではないからである。電力会社は再生可能エネルギーによる電力供給を制限する理由として、天候による供給の不安定が停電を招く畏れがあることをあげており、国もその制限を認めているが、どう考えても原子力村による既得権維持のためとしか思えてならない。にもかかわらず、唯一、再生可能エネルギーの電力会社と契約する意義としては次のようなものである。もし、再生可能エネルギーの電力会社が契約数が奮わすに破綻をすれば、再生可能エネルギー事業そのものが萎んでしまう危険がある一方、希望者が多
くて契約できない人が多数になった場合には、電力会社が行っている再生可能エネルギー電力の供給制限に風穴を開けられるかもしれないだろう

以上のような消極的な意義しかないことをわかった上で電力会社を再生可能エネルギーの電力会社に切り替えることにした。手続きはいたって簡単でWEB上で10分もかからずに完了する。なおスマートメーターがついていない場合には事前に契約している電力会社につけてもらう必要があるが、これは1時間もかからない簡単な工事で費用は無料である。肝心の電気代であるが、私の場合はシミュレーションによれば、若干ではあるが安くなりそうである。

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2016年3月27日 (日)

マラソン応援と辺野古埋立反対デモ

息子がハーフマラソンに出るというので応援に行く。去年は一緒に青梅30キロにでたものだが、そのレースで自分の限界を悟り応援に専念することにしたのだ。

6キロ過ぎの環八と目白通りが交差する地点はここから豊島園を往復する9キロ地点にもなっていて応援するには絶好の地点である。早めに着いて待っていると、先頭切って走ってきたのは市民ランナーの星であるあの川内選手であった。さすがに後続を早くも大きく引き離していた。

しばらくすると大勢のランナーが団子状になってやってくるようになる。こうなると息子を探すのもむずかしくなってくる。だんだんとランナーもまばらになってくる。いくら何でもこんな後方にはいないだろうと、豊島園から戻ってくるランナーを見る場所に位置を変えるが、既に通りすぎてしまったのか、息子を発見することはできなかった。

早々とリタイヤしてしまったのではないかという心配もあったが、とにかく18キロ地点まで行ってみようと自転車を走らせる。早いランナーは既に通過してしまったが、運良く息子の通過には間に合って声をかける。慌てて写真も撮ったが、前からは間に合わず後ろ姿となってしまった。
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ゴールにも行ってみたのだが、既にゴールしてしまったのか、姿は見付からなかったので、諦めて帰宅する。

家に戻ってしばらく休んだ後、新宿のアルタ前で開かれる辺野古埋立反対の集会に向かう。昨日の反原発集会の最後に挨拶に立った辺野古埋立反対運動リーダーの山城さんが沖縄から駆けつけるのだからさぞかし大勢の参加者があるだろうと思ったのだが、あにはからんや、昨日の参加者の10分の1以下だった。きっと昨日の集会に参加した人は疲れて今日はお休みしている人が多いのだろう(両方の集会に参加する人はほとんど重複しているだろうから)。

集会の方は山城さんのパフォーマンスあふれる挨拶で大いに盛り上がる。山城さんが東京の集会に参加できるのも安部政権の和解受け入れで辺野古が一時休戦になったためだが、参院選が終わったら安部政権が本性をむき出しにして工事再開を行うのは目に見えているのだから、また厳しい闘いが始まるのだろう。
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集会後のデモは新宿駅のまわりの一週するのだが、途中の大成建設が入っているビルの前では毎度のことであるが、抗議の声をあげる。というのは辺野古埋立工事を請け負っているのが大成建設だからだ。

沿道の通行人が無関心なのは毎度のことではあるが、国に対して声をあげるのはけっして無駄ではない。今回の国の和解受け入れも参院選対策という一面があるのも事実ではあるが、沖縄での闘いとそれに連帯する全国の闘いがなければ絶対に実現できなかったのであるから

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お墓参りと反原発集会

お彼岸は沖縄旅行だったので、1週間遅れのお墓参りに家内と行ってきた。途中にある森林研究所の敷地が有料で開放されており、早咲きの桜もあるということなので入ってみる。ソメイヨシノは全然咲いてなかったが、彼岸桜は七分ほどは咲いていた。
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墓参りを済ませて、土日は運行するバスで駅まで戻るつもりだったが、待時間がだいぶありそうだったので、結局歩いて帰る。

高尾駅近くのお店で定番となっている高尾わっぱを食べてから、京王線で新宿まで出て乗り換えて原宿で下車する。代々木公園で開かれる反原発の集会に向かうのだが、めずらしく家内も同行することになった。。
集会は三万五千人の参加者と盛況だった。最後の挨拶が沖縄から駆けつけた辺野古の闘いのリーダーである山城さんの番となったときは盛り上りは最高潮に達した。

集会後は渋谷駅近辺のデモに移る。戦争法や辺野古埋立反対に比べれば共感が得られやすいはずなのだが、沿道の反応は鈍い。デモ参加者は中高年、沿道の歩行者は若者と対照的である。業を煮やして、交差点で待っている若者の目の前にプラカードを突き出してみたが、暖簾に腕押しであった。
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原宿駅の手前でデモは解散となったが、原宿駅は竹下通りからやって来る若者で溢れて全く入場ができない。そこで隣の代々木駅まで歩くことにしたが、後ろを歩いている若者が「代替手段がない以上は、現状のままいくしかない」と反原発を批判しているかのようであった。「ドイツがエネルギー政策を原発から再生可能エネルギーに舵を切れたのだから、日本ができないはずがない。もっと勉強してから物を言え!」とどやしつけてやりたかったが、家内もいたのでやめておいた。それにしても、体制側の意見を無批判に受け入れてしまう若者の風潮は嘆かわしいことである。

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2016年3月21日 (月)

美ら海水族館

辺野古埋立反対の座り込みに参加するつもりで、早割の航空券を予約しておいたのだが、参院選のためなら何でもありの安倍晋三が想定外の和解に応じて現地は休戦状態となったため、当面沖縄に行く必要はなくなったものの、早割航空券はキャンセルできないため、家内と美ら海水族館に行くことになってしまった。
初日は名護に行くだけなので午後の便でゆっくり行くことにする。鉄道のない沖縄県内の公共交通機関は那覇のモノレールを除くとバスのみであるが、沖縄唯一の自動車道を行く高速バスに乗っても名護までは2時間近くかかってしまう。名護に行くたびに思うが、名護ははるかにとお〜いのだ。

翌日は美ら海水族館、今帰仁城址といった観光地をめぐる半島一週の旅である。美ら海水族館は三連休ということもあって物凄い人手である。家族連れが多かったが、大人も結構楽しめる内容であった。
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今帰仁城址はバス停から登り坂を1キロ歩かなければならない。他には誰も歩いている人などおらず、世界遺産とはなっているが、寂れているのかと思ったら、着いてみたら観光客でいっぱいだった。みな車で来ているようで、駐車場はわナンバーで溢れていた。

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今帰仁城址は一見の価値があるところで、石組の城址はどこかインかの遺跡を思わせるものであった。ここを見終わって、これで今日は終わりにしてもよいのだが、まだ時間があったので、一度名護に戻ってからひとつ山を越えた大浦湾まで足を延ばすことにした。

大浦で下車して、お目当てのマングローブの森を見に行こうとしたが、なぜか遊歩道が立ち入り禁止となっていた。対岸の道路沿いに行けばマングローブの森まで行けそうな気がしたので、行ってみると、規模は小さいがマングローブの森を見ることができたので、ここまで来た甲斐かあったというものである。
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名護に戻るバスの時間までしばらくあったので、もう少し、大浦湾沿いに歩いてみる。やがて大浦湾の全容が見えてくる。正面には米軍のキャンプシュワブが望め、そこから辺野古埋立のための海上に張り巡らしたフェンスが大浦湾全体を押し潰すかのように広がっており、これには家内も憤慨していたが、これが自然破壊でなくてなんであろうか。辺野古埋立の実際を家内にも見てもらったことも大浦湾まで来た成果であった。
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最終日は早朝に名護城址までジョギングをする。前日の今帰仁城址と違って特に見るべきものはない。今日は東京に戻るだけであるが、せっかく来たのだからと、名護から高速バスには乗らずに辺野古で下車して、一時休戦となっている攻防の地も家内に見てもらうことにした。休戦状態のゲート付近は機動隊もおらず、反対の市民が少数たむろしているだけで、以前のような緊迫感がウソのように静まり返っていた。この静寂がいつまで続いてくれるだろうか

辺野古から路線バスと高速バスを乗り継いで那覇空港に着き、LCCで成田空港に向かう。せっかく早い時間に成田に着いたのだからと、以前から訪問する機会を探していた成田山をお参りして、今回の旅にピリオドを打った。
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2016年3月19日 (土)

緊急事態条項

自民党の「日本国憲法改正草案」(以下、草案という)にある緊急事態条項について報道ステーションで古舘伊知郎がドイツのワイマールに飛んで、ナチスの独裁を生み出した危険な条項であることをアピールするというので、木曜日に放送開始直後にチャンネルを切り替えたが、清原釈放のニュースを延々と放映し、その後も他のニュースを流すのみで終わってしまった。これは自民党から圧力がかかって放映中止においこまれたのではあるまいかと、ツイッターで調べてみると、本日は重大ニュースが多かったので、特集は翌日に延期とのこと。清原釈放がそんなに重大ニュースかよと思ったが、やむをえず仕切り直しとなった。

翌日は20分くらいの通常ニュースの後、特集に移った。番組の内容は民主主義に基づく理想的な憲法と言われるワイマール憲法の今回の緊急事態条項と同様な規定を使って、ヒットラーが合法的に独裁国家を作り出したという前例を紹介して、緊急事態条項がいかに危険なものであるかを訴えるというものである。日本においてもナチスと同じようなことが起きるかどうかについては様々な意見もあるだろうが、少なくともその可能性が皆無ではない以上、災害対策の特別立法で対処可能であるにも関わらず、憲法で規定する必要性は全くないのである。すなわち、特別立法で対処する場合であれば、そのことによって憲法で認められている国民の権利が侵害された場合には、憲法違反として是正される可能性が高いが、憲法自体に規定された場合には、それに基づく法律の違憲性を問うのは困難となるからである。

今月末で政権に批判的な報道をすると見られたキャスターの何人かが番組を降りざるをえなくなったが、その一人である古舘伊知郎の置き土産として企画された今回の番組は国民の95%以上が知らないであろう緊急事態条項の内容とその危険性について知らしめたという意味では有意義なものといえよう。政府による言論統制が強まっている中にあっては降板覚悟でなければできない番組だったかもしれない。

このブログでも以前に緊急事態条項が不要であることを述べたことがあるが、それとともに草案は現行憲法の三大特色である①国民主権、②平和主義、③基本的人権の尊重を危うくするものであるということを説明した文章を戦争法廃止署名に続くお友達作戦第二弾として50通近く配布した。

当初の文案では最後に次の選挙での野党への投票依頼とあったものを「野党の躍進を願う」と変更した。当初の文案でも特定の政党や候補者への投票の依頼をしているわけではないので、公職選挙法上の問題はないのであるが、公職選挙法違反の事前運動に該当するのではないかという無用の誤解を招かないためにあえて修正したものである。修正後も野党への投票依頼という私の気持ちは伝わっていると信じているし、選挙で安部政権に打撃を与えることに少しでも役立てれば、これほど嬉しいことはない。

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2016年3月13日 (日)

原発被災地帯を行く

東日本大震災の被災地を語る時は三陸の津波とともに福島の原発事故を忘れてはならない。もちろん原発被災地は立ち入りできないが、国道六号線を代行バスが通っているので通過だけなら可能だ。昨年もこの代行バスには乗っているので、また乗る必要はないのだが、今日は帰り道として乗らざるをえない。今回は放射線線量計を持参したので、途中の線量も測るつもりだ。乗車1時間ほどで受ける線量はレントゲン撮影1回分程度とたいしたことはないのだが。

代行バスは1日2便しかなく、原ノ町からの始発は6時50分と早い。泊まったホテルが駅前なので6時起床でも余裕である。

6時半にバス停に着くが他のバス待ち客はいない。駅からホームを見ると、東京方面は放射能汚染、仙台方面は津波による線路喪失で行き場を失ったスーパーひたちが薄汚れた車体を晒してた。
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暇なので線量を計ってみると0.13マイクロシーベル/時である。昨晩部屋の中で計った時の倍近くではあるが、まだ安全レベルである。やがて来たバスに乗車するが、発車時間までに乗客は5、6人乗り込んでくる。

発車してしばらくは線量は上がったり下がったりしていたが、小高に近づくと線量は0.2マイクロシーベル/時に上がる。バスの中での測定だから外はこの1.5〜2倍はあるだろう。居住制限区域なので昼間の立ち入りは可能なのだが、人影は全くない。浪江に近づくと線量は1マイクロシーベル/時を超える。間もなく立ち入り禁止区域となり、車以外は通過できなくなる。線量はその後も増加し、水素爆発時に放射能が飛散したと言われる原発の北西部を通過する時には2マイクロシーベル/時を超えてしまう。その後は一時線量が下がるが、第一原発の至近距離(数キロ程度)に達すると最高で4.3マイクロシーベル/時を記録した。外はこの倍くらいあるとすると、短時間滞在しただけでも体に何らかの影響があるかもしれないレベルである。

その後はだんだんと線量は低下して、終点の竜田では出発地の原ノ町と同じ0.1マイクロシーベル/時となる。ここからはそのまま帰ってしまってもよいのだが、海側から立ち入り禁止区域近くまで行ってみることにした。

海側の道はわかりづらく、適当に北方向に進んでいたら、大きな通りに出た。どちらに行くべきかとキョロキョロしていたら右側には検問所がある。左に行くしかないと思ったが、検問所の写真を遠くから撮ったところ、警備のお巡りがすっ飛んできた。なんでもここは東電の私有地で建物の撮影禁止の要請が東電から出ているので、先程の写真は削除してもらわないといけないという。憎っくき東電が何をぬかすかとは思ったが、私有地ならばしかたがないと削除に応じる。身分証明書の提示も求められたがキッパリと断って反対側に進む。
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しばらくして常磐線の踏切にでたので線路沿いに北上しようと思ったが、東西いずれの道も途中で行き止まりとなるので、踏切まで戻って少し西に進むと先程の代行バスに乗ってきた国道に出る。

最初は国道を立ち入り禁止区域の手前まで行こうかと思ったが、さきほど通過した所にまた行ってもしょうがない気がしたので、海が見える地点まで出た所で引き返すことにした。

ここから5年前に来た久ノ浜までは20キロ位で楽勝だとノンビリムードで行く。代行バスに乗っている時は気がつかなかったが、警察の車が頻繁に行き交っている。原発に対するテロの警戒なのか、それとも反原発の運動を警戒してのことなのか。少し先に第二原発の案内があって、先程の検問が第二原発に向かう道のものだと気づく。第二原発は福島県民にかけた迷惑の大きさからすれば、廃炉以外には選択はないと思われるが、東電は廃炉を明言しておらず、東電にとっても第二原発はきわめてデリケートな存在であるゆえに厳重な警備をとらざるをえないのかもしれない。

竜田駅近くまて戻ったときに前輪に異常を感じ、パンクしたことに気付く。昨日の原ノ町に向かう夜道の時でなくて良かったとおもむろにチューブ交換を始める。ところが何年もチューブ交換などやっていなかったので、やり方を完全に忘れてしまい、記憶を呼び起こしながらやってみたもののにっちもさっちもいかなくなってしまった。そこでチューブが入っていた袋に印刷されている説明を見ながらやったらなんとかできたので、やれ安心と空気を入れようとしたが、どうしても入らない。ポンプが壊れてしまったのだろうか。とうとうあきらめ、幸い竜田駅がすぐ近くであったこともあり、駅まで自転車を押して行く。久ノ浜までの17キロは走破せずに終わってしまった。まあ原ノ町までの40キロの道は私が元気なうちには自転車で通行することは不可能だろうから久ノ浜まで走破できなくても五十歩百歩ではあるのだが

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2016年3月12日 (土)

宮城福島海岸線ツーリング

朝8時前に松島駅に着いて自転車を回収してからツーリングを再開する。途中、松島海岸に立ち寄って以前の景観が損なわれていないかを確認する。サアーっと見た限りでは地震や津波の影響は特に受けていないようである。隣の東松島か壊滅的な被害を受けたにもかかわらず無償で済んだのは、深い入江が津波の勢いを削いだのであろうか?リアス式海岸では複雑な入江が津波の勢いを増幅させたとも聞いているが、松島の場合は地形が有利に働いたようだ。また復興の象徴でもある宮城県の海岸線をくまなく覆って陸からの海の視界を奪っている巨大な防潮堤がなかったのも良かった。景観上の理由なのか、津波被害の心配がないことが立証されたからかどうかは知らないが
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塩釜の先で仙台に向かう道と別れて海側を行く。このあたりは若林区と言って津波で壊滅的な被害を受けた所である。ポツボツと建っている家がみな新しいのは震災後に建てられたからだろう。

名取から仙台空港に伸びるアクセス線と交差するところで空港と名取を往復しておく。仙台空港を利用することはまずないだろうし、名取に行く機会も乏しいだろうから、この際に乗車しておくことにした。

乗車後に再びツーリングを再開する。できるだけ海側を通っていったため、ほとんど復興現場の真ん中を通っていくようになってしまった。工事のほとんどは地盤改良やかさ上げのようであったが、本当に需要に見あった工事をしているんだろうかという疑問がぬぐい切れなかった。

復興現場を通っていると、道が途中で不明瞭になったりして効率が悪いので、途中から内陸部に移動したら、行程が捗るようになった。
今日のゴールの南相馬には到着直前に携帯の電池切れとなってGPS地図が見られなくなったが、電池を入れ換えるのも面倒なため、カンで進んだらとんでもない方に行ってしまったため、バッテリーを入れ換えてようやくゴールに辿り着くことができた。

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2016年3月11日 (金)

あれから5年、今また石巻へ

5年前のあの日、私は日本列島徒歩縦断中で宗谷岬を目指して歩いていた。片時も離さずに聞いていたラジオからは各地の津波の惨状、それ以上に衝撃的だった原発事故の恐怖が伝えられて居ても立ってもいられない気持ちであった。こんな時にこんな所を歩いていいのかと自問自答を繰り返していたが、家族の無事を確認できた現在、慌てて帰ってもしょうがなかったし、だいいち急遽帰る手段があるかどうかもわからなかった。そこで思ったのは、今は予定どおり宗谷岬までの行程を完歩し、東京に戻ってから罪滅ぼしの意味も含めてボランティアとして現地におもむこうということであった。

東京に戻ってからもしばらくは現地の受け入れ体制が整わず、都庁での救援物質搬出作業のボランティアが続いたが、4月になってようやく現地の受け入れ体制が整ってからは、宮城県内を中心に延べで一月ほどのボランティアを行なってきた。なかでも石巻は1週間ほど寝泊まりした自分にとっては思い出深い土地なので、震災5年目の節目にぜひ訪れたいとずっと思っていた。

石巻は震災後もなんどか訪れているが、駅前周辺は目立った変化はない。というのは町全体が壊滅的な被害を受けた南三陸町などと違い、駅周辺は高台にあるため浸水こそあったものの、被害は比較的軽微であったのである。それに比べて沿岸部は壊滅的な被害を受け、同じ町でありながら全く対照的な状況であった。石巻での記念式典は震災のあった午後となるので、それまでは牡鹿半島方面に行ってみる。牡鹿半島は仙石線が復旧した際に東側を女川原発の少し先まで行ってみたので、今回は西側を行くことにした。半島先端の金華山が見える所まで行ってみたいが、式典に間に合うことを考えるとちょっと難しそうなので、行けるところまで行って引き返すつもりだ。

牡鹿半島の道は前回行った東側と同様に西側もアップダウンが激しく行程が捗らない。おまけに先週の櫛形山の登山口までの時と同様に登り坂ですぐバテてしまう。年のせいかな?こんな調子ではとても半島先端までは無理と判断して早めに石巻に向けて引き返す。

石巻に戻り、さてどこで黙祷をしようかと思案する。石巻市主催の祈念式典は河北という市街地からはだいぶ遠い所でやるので、自転車だと行き帰りが大変だ。近場で適当な所と考えたらハッと閃いた。そうだ!日和山しかない。ここは海を正面にした高さ70メートルくらいの展望のよい所で、震災の際には大勢の市民が必死の思いで避難したそうで、私もボランティアの時を含めて何回か行ったことがある。

日和山を目指して坂道を自転車で登っていると何人もの人を追い抜く。みんな日和山を目指しているようである。日和山に着くと人でいっぱいだった。肉親や大切な人をなくした人も多いのだろう。海の見える所にはたくさんの花がそえられていた。あの日はここから津波に荒れ狂う海を見て恐れおののいただろうし、愛する人を失って悲歎にくれただろうと思うと胸が痛む。今日は海も穏やかだし、5年の歳月がたち、心なしか表情にも落ち着きを取り戻しているようにも思える。

災害の広報が「地震発生時に慰霊のサイレンを鳴らすが災害発生と間違わないように」と盛んにアナウンスしている。だんだんとその時間が近づいてくると、みな姿勢を正して黙祷の準備にとりかかる。テレビカメラや新聞のカメラマンがシャッターチャンスを狙う。やがてその時間がやってくる。ん?サイレンがならないではないか。あたりはざわざわとし始める。5分経過した時点ではかなりの人が帰ってしまった。10分経過した時点で再び災害の広報のアナウンスがあり、「さきほどはサイレンが鳴らなくて申し訳ありませんでした」だとさ。オイオイである。まあ津波のサイレンが鳴らなかったわけじゃないんでいいんだけど、担当者の大失態でなんともしまらないセレモニーとなってしまった。
あれから5年、今また石巻へ

石巻でのセレモニーを終えた後はもうひとつの計画を実行する。それは宮城県から福島県までの海岸線近くを自転車で走破することである。実は5年前の1月にいわき市の少し北までは自転車で海岸線を走破しており、春になったら宮城県までの海岸線を走破しようと思っていたら震災のために行かずじまいとなってしまった。その後石巻以北の三陸海岸は走破したが、空白となってしまった区間をこの際に終わらせてしまおうというものである。

予定では塩釜まで行って駅前に駐輪し、身軽になって仙台に移動して宿泊し、翌日また塩釜に戻ってツーリングを続けるつもりであった。ところが、例によって道に迷ったりしたため、手前の松島で暗くなってしまったため、松島駅前の駐輪場に自転車を置いていくことにした。松島から塩釜までは30分くらいなので今日中に行くことは可能なのだが、松島の景観が震災と津波でどうなったかがきがかりだったので、暗くてはわからない今日は止めて、明日の朝出直すことにしたというわけである。なお仙台に足を伸ばしたのは、自転車の行動に不向きな夜間に仙台近辺のJRや地下鉄の未乗車区間をのり潰しておこうという魂胆からである。

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2016年3月 6日 (日)

櫛形山

櫛形山
南アルプス前衛の山はアプローチが不便な山が多い。200名山にも選ばれている櫛形山も同様なため、車が利用できない自分は自転車を利用することにした。出発点となる身延線小井川駅から登山口の県民の森までは14キロ程度だが、後半は登りとなるので一時間半くらいかかるかなと思ったのが甘かった。後半6.5キロからの標高差は約600メートル近くあり、勾配率10%近い急坂が延々と続く。県民の森で昼食をとろうと何も食べずに進んだせいもあり、しゃりばて状態となってしまい、山に登る前に動けなくなってしまっては何にもならないので、素直に自転車を降りて引いて行くことにした。

結局、県民の森までは予定の倍以上かかって2時前にようやく到着する。行程が遅れ気味なので菓子類を少し口に入れただけですぐに出発する。ここから山頂までは標高差は1200メートルあるが、毎時500メートルの高度を稼ぐペースで行けば四時半には登頂できるだろうと目論む。期待した南アルプス方面の展望は深い樹木に阻まれて全くない単調な道を黙々と登る。今回は山頂への最短路である中尾根を利用しているのだが、山頂へは遠回りとなる北尾根の途中にあるアヤメ平の表示がやけに多い。アヤメのシーズン中はかなりの見物者で賑わうらしい。もっとも最近は鹿の食害もあって昔の見事さは見る影もないらしいが。

前半は順調に高度を稼いだが、後半になって無理したツケがでたのか、両太ももに痙攣が走るようになり、雪も現れてところどころ潜ったりもしたのでペースが落ちてくる。予定の登頂時間である四時半は難しくなってきたが、帰りの最終電車を調べると5時登頂でも間に合いそうだったので、5時をタイムリミットとして歩き続ける。

5時は回ってしまったが、GPSで調べると頂上は目前だったので、ここまで来ながら引き返すのは悔しいと登り続けて、タイムリミットを多少オーバーして山頂に達する。南アルプス方面の眺めが樹木に遮られているのは相変わらずであるが、富士山が望めたのは救いであった。

登山口まではノンストップで降りるつもりだったので、食料と水分を補給してから下山を開始する。山頂付近には雪はなく、踏みあとも判然としてなかったが、登ってきた道だからと遠くの赤布を目指して踏みあとも探さずにどんどん下って行った。ところが、赤布も途中でなくなってしまい、あたりには踏みあとも皆無である。GPSで調べた現在位置もおかしい。道を間違えてしまったのは明らかだった。夜の帳が降りる前に正しい道に戻らないと厄介なことになる。ここは下手に動き回るよりも、遠回りとなるが、頂上に戻るのが得策であると判断して登り出す。もう登りはないと気を緩めていたのに、また急な登りとなって太ももの痙攣が再発する。だましだまし頂上まで戻って、今度は慎重に踏みあとを探しながら下っていく。やがて雪が現れるようになると踏みあとも明瞭になってくる。

しばらくは問題なく下って行ったが、無人小屋のところまで降りてくると雪がなくなり、踏みあとも判然としなくなってくるので進路を悩むようになる。ただ足元には市街地の灯りが見えてくるようになったので、ついそちらに引きずりこまれてしまったが、GPSで確認すると、先程の小屋のところからコースは90度屈曲して北に向かっていることがわかったので、左手に見える尾根を登っていくと、雪の中に踏みあとが見えたのでホッとする。山頂付近での道迷いと合わせて1時間程度は時間をロスしたようだ。

ここから先は道に迷うようなこともなく、特に中間点付近の林道を横切る所まで来れば、後は雪も消えて道もしっかりしたものになることはわかっていたので、気楽にかけ下っていく。8時ジャストに登山口に降り立ち、大急ぎで自転車で下る準備をする。行きはストックをザック取り付けたのだが、時間を節約するために背負ったザックと背中の間に差していく。

最終電車まで1時間ちょっとだが、前半は下りオンリーなのでなんとか間に合いそうに思えた。もっとも夜間での転倒を怖れてブレーキをかけっぱなしにしたためさほどスピードは出せなかった。それでもコースの半分ほどはノンストップで来ることができたが、赤信号で停車した時に現在位置を確認すると、道を間違えていることが判明した。

車の場合はGPS地図を見ながら運転出来るが、自転車の場合は停車して確認しなければならないので、なかなか選択経路通りに進むことが難しい。また選択された経路が富士川を渡るルートは徒歩ルートにもかかわらず自動車専用道路となっている。行きは大きく迂回して一般道を通ったが、帰りは時間の余裕がないので迂回路を利用したくないため、自動車専用道路でも自転車が通行可能な道があるはずと探してみると、橋のたもとに階段があって橋の両脇に自転車と歩行者用の道があることがわかった。階段横のスロープを自転車を降りて登り下りしたが、どうもその際に背中に差したストックを落としてしまったようだ。ストックを破損したりなくしたりしたのはこれで三本目でどうもストックとの相性はよくないようだ。

橋を渡り終われば小井川駅は間近なのだが、最終電車の時間までは5分しかなくなってしまった。自転車をを分解して袋に収納する時間を考えるともう無理だと判断して甲府駅の最終電車にターゲットを切り替える。こちらの方も最初は十分間に合うと思ったのだが、道を間違えたり、工事区間で長時間待たされたりして、甲府駅に着いたのは最終電車の発車時間と同時であった。自転車を輪行して改札口に向かうと、次は大月行きの最終で、大月から先への接続はないということである。この電車に乗ってしまうと大月に着くのはだいぶ遅くなりそうだし、ホテルを探すなら甲府の方が好都合ということで、甲府駅の近くのホテルに泊まることにした。その晩は疲れすぎたせいか熟睡はできなかった。

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2016年3月 5日 (土)

辺野古和解に思う

辺野古和解案に対して、国が想定外とも見える受け入れを表明したことは反対運動の一定の成果と肯定的に評価できる側面がある一方、受け入れに至った安部政権の真意を十分に考えなければならない。

「辺野古移設が唯一の解決策という方針に変わりはない」という安倍晋三の発言からみて和解が問題の先送りであることは明白だが、安部政権が唐突に和解受け入れを行ったのは、一定期間の工事中断により反対運動の盛り上がりに水を差したいという側面もあるだろうが、最大の狙いは参院選(場合によってはダブル選)で改憲に必要な三分の二以上の議席を確保するためにはマイナス材料を隠しておきたいからにほかならない。

安部政権の最近の動きを見ていると、外堀内堀を埋めながら改憲の障害を減らしていっているように思える。党内や財務省の反対を押しきって消費税の軽減税率導入を決めたのも、公明党の改憲勢力としての地位強化にほかならないし、今回の和解はそれに続くものである。そして極めつけは消費税率10%引き上げの先送りではないかと思われる。

安倍晋三は改憲を選挙の争点とすることを明言したが、選挙の争点とすることについては国民の反発を恐れる党内からは反対の声も上がっている。そこで中国経済の減速や原油価格低下によるオイルマネーの縮小といった外的要因による日本経済の低迷(本当はアベノミックス失敗によるものなのだが)に対処するために消費税率10%引き上げの先送りを改憲と抱き合わせで国民に信を問うという戦略は極めて巧妙なものだと思う。

改憲には消極的だが、消費税率10%引き上げの先送りには賛成だという有権者も結構いると思う。その有権者の相当部分が自民党に投票する事態になれば、改憲勢力が両院で三分の二を確保するということになってしまう。そうならないためには、先日のブログで紹介した自民党の改憲草案がいかに危険なものであるかを広く国民にしらしめなければならない。私も個人的にできることはなんでもやって、改憲を絶対に阻止しなければならない。

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2016年3月 3日 (木)

0SIMスタート

0SIMスタート
何年か前に携帯をなくした時に(結果的にはだいぶ後になって見つかったのだが)、買い替えに際してスマホにするかどうか悩んだが、結局は携帯にしてしまった。直接的な理由としてはパソコンにバックアップしていた携帯のアドレス帳がスマホでは使えない(携帯からスマホには移動できるのだが、携帯自体が行方不明)と言われたためであるが、それ以前に本体のみを格安で入手したスマホに携帯のSIMを挿して試したところ、音声通話が携帯と比べてやりづらいことも一因だった。

その後、Xperiaというタブレットを買い、無線LANの使えるところではネットを使用していたが、使用頻度はさほど高くはなかった。と言うのは、携帯のIモードでもほとんど用が足りていたからで、自分は一生スマホを使うこともあるまいと思っていた。

ところがタブレットにアプリを入れすぎてメモリ不足になったためかどうかはわからないが、山で地図ロイドというソフトを使っていると、電気節約のためにスリーブした後に再開してもGPSが効かなくなり、再起動を余儀なくされていた。そこで、あまりアプリをインストールしていないスマホで地図ロイドを使うことになり、未使用状態のスマホが再び日の目を見ることになった。

そんな時にso-netから基本料金なしで使える0SIMというデータ通信専用SIMが発売されていることを知り、早速契約してスマホで使ってみることにした。契約時には3000円の加入料が必要だが、月500メガまでは無料で、それ以上使用すると課金されるが、5ギガ1600円が上限で、それ以上使用すると追加の課金がない代わりに接続スピードが落ちるというものである。ただし、3ヶ月アクセスしないと契約が自動解除されてしまうのは要注意である。まあ私が使うのは無線LANが使えない環境でIモードに対応してないサイトにアクセスしなければならないといった限られた場合なので、ピッタリしているのではないかと思う。

送られてきたSIMをスロットに差し込むところでつまづいてしまった。表裏上下と4通りでやっても、いずれもカチッと入るにもかかわらず、スマホを起動するとSIMが挿入されていないというメッセージがでてしまうのである。なんど入れ替えをしてもメッセージはでてしまうので、メッセージは無視して設定をしたところ、正解の入れ方をした時の設定でネットにつながり一件落着となった。たったこれだけのことで随分と時間を空費してしまった。まだ使用感を報告できるほど使っていないが、気づいたことがあったら報告していきたい。

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2016年3月 2日 (水)

自民党憲法改正草案を読む

安部政権がいよいよ本性をあらわにして憲法改正を前面に打ち出してきた。自民党の憲法改正案については断片的に知るのみであったが、まずは敵を知ることが大事であると、自民党の憲法改正草案をじっくりと読み、その問題点を整理してみた。草案原文は以下を参照されたい。

https://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf

9条関係では当然のことながら(?)、集団的自衛権が規定されているが、このために戦争放棄条項は完全にお飾りとなり、もはや平和主義とは呼べないものとなっている。

国民主権という言葉自体は残されているか、常に元首である天皇と並列的に記載されているため、真の主権者が誰であるかは明確となっていない。

基本的人権や表現の自由の尊重といった文言自体はあるものの、いずれも(政府の恣意的な判断により)制限しうるものとしている点において、現行憲法から大きく後退するものである。

そして最後になるが、最大の問題点は緊急事態条項という実質的には戒厳令とも言える制度の新たな導入が目論まれていることである。なにが問題かといえば、発動の要件や人権の制限に対する救済手段が不明確だからである。そもそもこの条項の必要性は疑わしいものである。あの原発事故直後の混乱を検証してみても、原発事故の特別法で対処可能であったし、「戒厳令」を敷く必要性は全くなかったのである。北朝鮮の暴走やISに象徴されるテロの脅威に対する国民の不安に悪乗りしたものといえよう。

以上述べたとおり、安部政権の改憲論は極めて危険なものであるが、そのことが国民全体にはなかなか理解されず、一定の支持を受けていることは憂慮されるべき事態である。10%消費税の先送りを問うという大義名分でダブル選挙を行って衆参両院での三分の二の改憲可能な議席確保を目指す安部政権に対しては戦争法反対を上回る力を結集して闘わなければならないだろう。

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