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2016年4月

2016年4月30日 (土)

能郷白山

今日の行程は長丁場なので6時前には宿を出る。今日は昨日とは打って変わって暖かい行楽日和との予報だったが、朝はやはり寒く感じる。

途中に道路情報板があり、峠の手前で冬場(5月10日まで)は通行止めとなっている。一瞬動揺したが、ゲートが閉まっていれば自己責任で乗り越えればいいだけだと気持ちを切り替える。ところが、名古屋や大阪ナンバーの峠越えをすると思われる車がどんどん追い越していくし、ゲートも最後まで現れなかった。多分雪解けの遅い年の期間にあわせて通行止めとし、その間は道路管理に必要な点検はしないので、道路を通る人は自己責任でやってくれということなのだろう。

登山口までの標高差は850メートルあるが、走行距離も40キロ以上あるので、さほど急な登りもなく峠直下まで来たときに後輪に異常を感じた。車軸を固定する留め具が振動のためか外れてしまい、危うく脱輪するところであった。7年近くロードレーサーに乗ってるが、こんなことは初めてである。そういえば、昨年のGWも碓氷峠直下でチェーンが切れるアクシデントがあったんだ。どうもGWの峠越えは鬼門のようである。

さあてどうする。異常を感じた直前に外れて落ちた可能性が高いので、少し戻って探しながら歩くが見つからなかった。雑品袋の中身を全部出してみるとカラーテープがでてきた。これで車軸の両側を固定すればなんとかなりそうである。おまけにカラーが自転車と同じ黒なので目立たなくてすむ(まあそれはどうでもよいことだが)。峠直下のやや急な登りでは、体力的には漕いで登ることも可能であったが、応急修理した部分に刺激を与えたくなかったので、自転車を降りて引いていった。

思わぬアクシデントで予定よりもちょっと遅れて10時半に峠に着く。たくさんの車が停車していてなかなか人気のある山のようである。腹ごしらえをしてすぐに出発する。頂上までの標高差は600メートルだから2時間はかからないだろう。

最初はかなりの急勾配だったが、だんだんと傾斜が落ち、頂上付近は比較的平らなアップダウンが続くようになる。ちょうどお昼に三角点につくが、三角点以外にさ頂上の標識がなにもなく、寂しい頂上である。
能郷白山
双耳峰のもうひとつの方には社があり、大勢の人が休んでいたので行ってみるが、こちらにも標識らしいものはなかった。
能郷白山

下降に移ると、正面に昨年登った100名山の荒島岳がよく見える。深田久弥は荒島岳と能郷白山のいずれを100名山に選定すべきかで悩んだが、能郷白山から望む荒島岳が気品のある山であったために選定したとのことであるが、そんなものかなあという程度が私の印象である。それはともかくとして、昨年荒島岳を登った後に能郷白山を登るつもりでいながら、諸般の事情で登れなかったものが、リベンジできたのは喜ばしいことであった。

峠への下りは急勾配なこともあり、1時間足らずででき、いよいよ応急修理した自転車での下降開始である。応急修理した部分への振動を抑えるため、極力スピードを落として下降するようにした。応急修理した部分には常に注意を払ったが、特に問題なく30キロを降りきって樽見駅に着く。

樽見鉄道に乗って終点の大垣で下車して駅前の自転車屋で紛失した車軸の留め具を買い求めようとしたが、ないと言われる。レンタサイクル店ではロードバイクの部品などないのが当たり前かもしれないが(修理とも書いてあったので、もしやと期待したのだが)、明日のツーリングはどうしたものか

大垣から桑名まで乗った養老線は日本では珍しい袋に入れずに自転車のまま車内に持ち込めるサイクルトレインであったが、肝心の自転車がむきだしにするのは憚られる状態にあるのは皮肉なものである。

松阪に着いたのは9時近かったが、せっかく松阪に来たのだから本場の松阪牛を食べなければとネットで調べたなかのリーズナブルとされる店に行ってみた。自分としてはステーキを食べるつもりだったのだが、どういうわけか焼肉屋だった(手前のステーキ屋は9時閉店だった)。まあいいか、というわけでアクシデントにもかかわらず、予定をほぼ達成できたことを祝ってまずは生ビールで乾杯する。味覚音痴の自分は本場の味についての言及は差し控えるが、腹いっぱいになたことだけは間違いない。

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2016年4月29日 (金)

九頭竜湖

今年のGW前半は中部・東海地区を乗り鉄+山歩き+自転車で楽しむという盛り沢山な内容である。昨年登り損ねた能郷白山に再チャレンジすることから始まった計画であるが、岐阜県側から長良川鉄道を利用して九頭竜湖を経て越前大野に泊まり、翌日は能郷白山登頂後にまた岐阜県側に降りて樽見鉄道に乗車することにプラスアルファを付け加えるというものである。

名古屋までは新幹線でなく夜行バスを利用する。越前大野までは峠越えがあるとは言うものの60キロに満たない距離しかないので、早朝の新幹線利用でも間に合うのだが、三連休初日の混雑した新幹線に自転車を持ち込むのは憚られたためにバス利用としたものである。ほとんどの高速バスは自転車持ち込みお断りとなっているが、今回利用したアミーゴというバスだけは限定2台だが自転車を積みこめるので早めに予約をしておいた。新宿から乗り込んだので、今月からオープンしたバスタを利用したが、遠くまで歩かなくてよくなったのでとても楽になった。

翌朝6時に名古屋に着いたが、駅の横に着くのかと思ったら、歩いて20分くらい離れたところに着いたので、自転車を運んで行くのに苦労した。こんなことなら自転車を組み立てて乗って行けばよかった思ったが後の祭りであった。

JRと長良川鉄道を乗り継いで美濃白鳥に10時過ぎに着く。長良川鉄道の終点の北濃はもう少し先なのだが、北濃行きはかなりの時間待ちとなってしまいため、北濃までの区間は他日を期すことにして、美濃白鳥から九頭竜湖を目指す。峠越えの道は標高差350メートルの登りがあるのだが、峠越えの道は自動車専用道路と一般道の二つあるはずなのだが、道は一つしかなく、自転車歩行者通行禁止の表示が出ている。弱ってしまったが、外に道がないのでそのまま進んでみる。すると、途中で旧道が分岐していた。もっとも自動車道も無料なので旧道を通る車はほとんどないが、これは私に好都合だった。旧道はカーブの連続であるが、その分だけ傾斜がきつくなくて助かった。

峠直下のトンネルを潜ると、後は越前大野まで標高差600メートルの下りで楽勝と思ったのだが甘かった。一時的な冬型のため、北側からの猛烈な向かい風で、下りでもスピードが出ない上、寒さで体が冷えきってしまう。九頭竜湖の道の駅ではたまらず熱いそばでしばし体を暖める。
九頭竜湖

四時前には越前大野に着くが、宿に入るには少し早いので街を観光することにした。前回は行かなかった越前大野城に行ってみる。天空の城というのが全国各地にあるが、この城もそうよばれているらしい。そのため、麓からお城までは20分近く坂道を登っていかなければならない。天守閣からは昨年登った百名山の荒島岳は真正面によく見えるが、明日登る予定の能郷白山は前山に隠れて頂上付近は見ることはできなかった。ただ稜線には雪はほとんど無さそうだったので、安心した気分と残念な気分が入り交じった複雑な心境であった。

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2016年4月28日 (木)

23区最高峰

23区最高峰
京橋に用事があり、その後はフリーだったので、前から気になっていた23区最高峰を「登って」くることにした。何でも23区最高峰はふたつあり、ひとつは比較的しられている港区にある愛宕山だが、これは自然の山であるが、新宿区にある箱根山は人工の山ではあるもののこれよりも高いそうである。もっとも23区最高地点は練馬区内の関町にあるそうだ。因みに東京都全体の最高峰は奥多摩にある雲取山である。

 

まずは愛宕山に向かうべく、新橋で下車する。最短距離ならば15分くらいでつくはずだが、わかりにくい道のために倍近い時間がかかったが、目の前に小高い台地が見えてきた。

 

階段を登ると愛宕神社の一角に辿り着き、標高26メートルの23区最高峰である愛宕山頂上である。西郷隆盛率いる官軍の江戸城総攻撃を前にして勝海舟が西郷と会談した折りに、勝はここから江戸市中を西郷に見せて、総攻撃がいかに無謀であるかを理解させて無血開城に導いたとされる歴史上の舞台でもある。

 

愛宕山といえばNHKの発祥の地でもある。そのため隣にはNHKの博物館があり、懐かしい番組のビデオが多数放映されていた。一通り見終わってから浜松町に向かう。

 

浜松町からは山手線を半周して新大久保で下車し、戸山公園付近にある箱根山に向かう。駅からの距離は愛宕山とほぼ同じであるが、大久保通りをまっすぐ行けばいいのでわかりやすい。箱根山の正確な位置は調べてなかったが、公園内を高見を目指して歩いていけば自然と着いてしまう。

 

標高は44メートルと愛宕山より少し高いが、大名の庭に池を掘ったときの残土を積み上げてできたそうである。その後、陸軍の施設置かれ、かの悪名高き石井部隊が細菌兵器の研究も行われたそうだが、真相は不明である。頂上には近くで登頂証明書をくれると書いてあったので、登頂証明書なぞをもらったのはガッシャーブルムの時だけだったので、帰りにもらっていくつもりだったが、場所がわからずじまいで帰るしかなかった。

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2016年4月26日 (火)

プランター

プランター
区民農園の契約が3月で切れてしまったので、我が家のベランダでプランター栽培を試みることにした。野菜作りの興味は薄れてしまったが、ミニトマトを栽培して孫に試食させるということを思いついたからである。

最初は種まきから始めたのであるが、区民農園では発芽したのに、陽当たりのせいか発芽してくれなかった。やむを得ず、苗を買ってきてプランターに植えてみた。区民農園と比べると、陽当たりの点では不利だが、こまめに手入れできるという点では有利だ。はたしてうまく収穫できるかどうか

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2016年4月24日 (日)

酒匂川〜不老山

神奈川県の最長の川といえば相模川(山梨県内では桂川、河口付近では馬入川と名前が変わる)だが、同河川とともに多摩川、鶴見川も水源から河口まで踏破している。同県内で他に大きな河川はないかと探したところ、富士山裾野の多数の水源から流れ出て御殿場を経て小田原付近で相模湾に流れ込む酒匂川があることに気付き、早速出掛けてみた。ただし、源流部には道がないので、その両側の尾根を歩きや自転車で通ってることで代わりとし、御殿場からの246は以前に自転車で走っているので、酒匂川が246と出合う地点の少し先から北に転じて支流の河内川を進み、丹沢湖を目指すことにした。

小田原ど下車して南東に進み、酒匂川の河口を目指す。河口からは少し離れていたが、相模湾が望めるところで写真をとってから上流を目指す。
酒匂川〜不老山
酒匂川沿いには道がないので、少し離れたところの広い道に出たら、松田方面に向かう道だったので、それでは酒匂川から離れ過ぎてしまうと、また酒匂川方面の迷路のような道を通ったりしたものだから結構時間を喰ってしまった。

迷いながらもできるだけ忠実に川沿いに進むと246と合流した。246は以前に御殿場から松田方面に向かった時も通ったが、歩道もない狭い道をダンプが次々と通る怖いところで二度と走りたくないところだった。今回も短い区間とは言え246を走るのはいやたなと思っていたら、迂回路があることがわかり一安心。ただ迂回路はすぐに246と合流するが、同時に丹沢湖に向かう道が別れていたので恐怖の246を走らずに済んでほっとした。

丹沢湖までの道はほどほどの傾斜が続く走りやすいみちであった。ただ丹沢湖に着くまえに一仕事が残っている。以前に関東地方国境尾根縦走で丹沢を縦走した際に時間切れで丹沢主脈の一番外れに位置する不老山に登れなかったことが残念だったので、この際に登っておくことにした。

登山口に自転車を置いて登り出す。9百メートル余りの山であるが、急登の連続である。土曜日だと言うのに他のハイカーはいないと思ったら、道のないはずの所から人の声が聞こえる。沢登でもしていたのだろうか。

不老山の頂上は木に覆われているが、晴れた日なら富士山は望めるのだろうか。
酒匂川〜不老山
展望のない頂上にいてもしょうがないので、すぐに下山を開始する。来た道を戻るのが早いのだが、あえて反対側の世附峠に降りる。というのは関東地方国境尾根縦走をやった際に世附峠から駿河小山に降りてしまったので、今回は峠と頂を繋げたかったからである。峠からは不老山の北面を回り込む林道を通って登ってきた道と合流するのだが、林道は何回も道が崩壊していて想っていたより大変だつた。登ってきた道と合流すれば、あとは急降下で登り口に降り立つことができた。

時間はまだ四時半だったので丹沢湖に行ってみることにした。ダムに上がる急坂では1日の疲れもあり、何度か立ち止まってしまった。ダムの上は観光地っぽいところかと思ったら、意外と静かなところでであった。
酒匂川〜不老山
ここから少し上流にある玄倉川と小川谷の合流点より上部は歩いているので、そこまで行けば酒匂川の支流の河内川は水源まで踏破したことになるため行ってみることにした。すると思ったよりも早く見覚えのある合流点に着くことができた。
酒匂川〜不老山
これで今日の目的はほぼ達成できたので、最寄り駅である谷峨を目指してダウンヒルを楽しんだ。

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2016年4月19日 (火)

定例19日の国会前抗議集会に行ったのだけど

昨年9月19日に戦争法が強行採決されたことに抗議して毎月19日は国会周辺で集会が開かれており、できる限り参加するようにしているが、またその日がやってきた。 午後は仕事の切れ間ができてしまったので、久しぶりにクライミングジムに寄って、少し登ってから国会に向かうことにした。 腰痛のためクライミングは3週間ぶりとなるが、案の定、メタメタだった。半年以上のブランクを経て数ヶ月まえからボルダリングを再開して、ようやく少し勘を取り戻したかなと思ったのにまた元の木阿弥である。まあリハビリ期間中だから無理をせずにボチボチやっていこう。 集会の方は相変わらず中高年が多く若者は少ないが、毎度のことだから仕方がない。今日は日中暖かかったので薄着で来てしまったため、夜風にあたると寒さが見に染みる。風邪をひいてはまずいと、まわりの人が風避けになるようにしていたが、それでも寒いのでじっとせずに歩き回っていたら、集会の人波のはずれの方まできてしまった。マイクはあちこちにセットされているのでここでも発言者の声は聞けるのだが。 そのうちに寒さのせいかトイレにも行きたくなってしまった。通りを隔てた憲政記念館には屋外にトイレがあるが、この時間では門は閉まっている。弱ったなと思ったが、ここからそう遠くないところの皇居のお堀沿いの公園にトイレがあることを思い出した。小走りで集会から離れてすぐにお堀沿いの道に出て公園を目指す。前方からは皇居ランナーが大勢走ってくる。今は反時計回りに統一されて逆走は禁じらルているようなので、ランナーと間違えられない程度のスピードでトイレを目指す トイレで用を済ませて集会に戻ろうと皇居ランナーと一緒に走り出す(もちろん抜かれっぱなしだが)。途中で国会方面への道を分けると、前方から集会帰りらしい人がぞろぞろと歩いてくる。残念、集会の終わりに間に合わなかったか。 予期せざる皇居ランニングのおかげで風邪引きは避けられたようだが、中途半端な集会参加となってしまったが、まあこんな日もあるだろう。

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2016年4月18日 (月)

安倍晋三は消費税率引上延期を言う前にアベノミックス失敗を謝罪せよ!

安倍晋三は前回の消費税率引上延期の際に、「リーマンショック級の景気低下か大震災でもない限り再延期はない」と大見得を切った手前、再延期の明言には躊躇し、世界の経済学者に代弁させるなどして、再延期やむなしのムード作りに躍起となっている。これに対しては野党からは公約違反の声も上がっているが、一方では野党は引き上げに反対する国民の声に逆らうのかという批判も上がっている。しかしながら、この批判は全くのお門違いである。そもそも安倍晋三が大見得を切ったのは、アベノミックスによって増税に耐えられるだけの所得増加が実現できるとの幻想をいだいたからである。しかし、事実は期待したトリクルダウンは起こらず、格差増大で国民の生活は苦しくなるばかりである。このような情勢下では引き上げは行うべきでないことは当然であるが、そこに至った原因であるアベノミックスの失敗を国民に謝罪してから、公約違反ではあるが引き上げは再延期せざるをえないことを自らの言葉で述べるべきである。

戦争法について国民の理解を得られるように説明していくといいながら全く説明しようとしないことからもわかるように安倍晋三という人間の自分の発言に責任をもたないいい加減さには呆れるばかりである。

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2016年4月17日 (日)

都内地下鉄全線乗車

雨の日曜日、家内は不在な上どこにも出かける予定もないし、仕事も一段落していることもあるので、以前からやりたいと思っていた都内地下鉄全線乗車にトライすることにした。ルールとしては地下鉄以外の乗り物を一切利用せずに未乗車路線を1日で乗ってしまうというものである。

銀座線、日比谷線、千代田線、東西線、半蔵門線はすでに全線乗車しており、その他の路線も都心部は乗車済みで周辺部が未乗車となっているが、未乗車部分は将来にわたっても乗車することはまずないと思われるものばかりなので、機会を作って乗らないことには未乗車のままとなりそうである。

メトロと都営地下鉄の共通1日乗車券が千円で販売されているのでそれを利用することとし、効率的に乗車するスケジュール表は以前に作成済みなので、それを利用することとした。多少ダイヤは変わっているかもしれないが、急ぐ旅でもないので問題はないだろう。

スタートは丸ノ内線南阿佐ヶ谷駅を10時半となった。未乗車路線の最初は丸ノ内線の支線の中野坂上〜方南町である。同路線は登り下り線のいずれからも乗車できるように両側のドアが開くのであるが、そのことを知らずにホームを移ろうとして目の前のエレベーターに乗ったら出口専用だったので、ホームに戻り階段で隣のホームに移るという無駄なことをしてしまった。もっとも、その間に方南町行きの発車はなかったので、予定どおりの時間で方南町を往復することはできた。

次の未乗車路線は有楽町線のうちの江戸川橋以北である。池袋から先は副都心線とダブルのだが、小竹向原まで別路線を走るようなので往復せざるをえない。

和光市から池袋までの駅は有楽町線と同じであるが、そから先は副都心線の未乗車区間を行き、新宿三丁目、四谷で乗り換えて、南北線の未乗車区間を赤羽岩淵まで行く。線路はまだ続くが、ここから先は埼玉高速鉄道となるので引き返す。

赤羽岩淵から南北線を戻る途中の王子で途中下車する。駅前公園で戦争法反対等の集会があるからである。おりからの悪天にもかかわらず200名以上の参加者があり、私も「枯れ木も山の賑わい」ということで参加することにした。集会は1時間ほどで終わりでデモに移るが、さすがに時間的に無理なので、デモには参加せずに再び地下鉄乗り旅を続ける。

南北線の終点である目黒で引き返して、麻布十番で大江戸線に乗り換えて新宿に向かう。新宿に向かったのはアルタ前での集会(何の集会だったかな!)に参加するためだったが、大江戸線や新宿線の新宿駅とアルタとの距離がかなりあることに気付き、ここを往復するのはかなわないと、アルタ前はパスして新宿線で本八幡に向かうことにした。
新宿線の菊川までは仕事の関係でよく乗ったが、そこから先は未乗車である。幸い乗車したのが行きも帰りも急行だったので、さほど時間もかからずに往復でき、神保町で三田線に乗り換えて西高島平に向かう。

実は高島平までは、以前に走っていた頃に高島平団地の周囲20キロを走るレースに何度か出場したために乗車済みであるが、2つ先の終点である西高島平までは特に必要もなかったので行ってなかったために、今回わざわざ行くはめになってしまった。

23区の北端近くの西高島平から南端近くの西馬込までを三田線、浅草線と乗り継いで行くことになる。京急線との分岐点である泉岳寺まではしょっちゅう来ているが、ここから西馬込までは未乗車である。袋小路である西馬込に行く機会は二度とないだろうから地上に出て見てもよかったのだが、どうせ見るべきものはないだろうと折り返しの電車にそのまま乗ってしまう。

浅草線を三田で乗り換えて三田線の未乗車区間である白金高輪に向かう。乗車した電車は白金高輪止まりだったので南北線経由で光が丘に向かおうとしたが、ひょっとして白金高輪〜目黒は三田線と南北線は並行して別線路を走るかもしれないので、その場合はさきほど目黒まで南北線は乗ってはいるが、三田線でも目黒まで行かなければならないと考え、次の目黒行きは南北線経由だったので、三田線経由が来るまで待って、目黒に向かった。結果的には白金高輪の先で両方の線路は繋がって一本になってしまったので無駄なことをしてしまったが、やむをえないことである。

目黒からは麻布十番乗り換えで光が丘を目指す。新宿まではさきほどと同じ経路を辿ることになるが、結果的にパスしたとはいえ集会に参加するためであったのだからやむを得ない。

最終目的地である光が丘には8時半過ぎに着く。光が丘は息子のマラソン応援でつい先日行ったばかりではあるが、ゴールということで外に出てみる。
都内地下鉄全線乗車
スタートから約10時間(集会参加時間を除けば9時間)の長旅であった。帰宅する最短経路は練馬で下車してバスで帰ることだが、せっかく他の交通機関を利用せずに来たのだからと、スタート地点の南阿佐ヶ谷まで中野坂上経由で帰ることにした。

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滝沢第三スラブ

アルパインのルート図集の出版が途絶えてから久しいが、このたびガイドの菊地氏から「日本の岩場」上下が出版されたことを本屋で知った。同氏は以前に同名のルート図集を世に出しているので、今回はその改訂版かと思ったら、そのような表示はない。その理由は本をめくってみてすぐわかった。

それは従来と異なりフリークライマーの視点から書かれているからである。従来はⅥのピッチグレードが含まれているだけで高いルートグレードが与えられていたが、フリークライマーのレベルアップもあり、Ⅵのピッチグレードは高いルートグレードには結びつかないとされたようで、「高難度」フリーのロングルートとして脚光を浴びた明星の各ルートも軒並みグレードダウンされている。

極めつけは比叡山のニードル左岩稜が5級下から2級に大幅グレードダウンされていることである。たしかに自分もこのルートを登った印象としては従来のグレードは過大である感は否めないが、いくらなんでも2級というのは、それはないだろうというのが実感である。

これにたいして、従来は5級下とされていた滝沢第三スラブが一挙に3段階アップして6級下とされたことが特筆に値する。これはⅣ〜Ⅳ+という気の抜けないピッチが30ピッチも続くことや、確保条件の悪さとルートファインディングの困難さがフリークライマーにとっては大きなプレッシャーになるからであろう。

私が滝沢第三スラブを登ったのは30年以上も前のことであるが、朝一番に取り付きドームを登りきったときには夜のとばりがおりてきて、暗闇の西黒尾根をかけ降りてきたことを昨日のことのように覚えている。当時ですら日曜日の滝沢スラブ全体が貸切状態となるほど登る人の少なかったルートだったが、その後はさらに減って、ルートは自然の状態に近づいて困難性が増してしまったことは考えられる。そういえば比較的新しい記録ではビバークしているものも多かったのもそのせいかもしれない。自分が登ったときに、格上げされたグレードだったらよかったのにと思う反面、このグレードではビビってしまって取りつこうとはしなかったかもしれないとも思ってしまう。

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2016年4月16日 (土)

リハビリ山行

先週初めに痛めた腰がボチボチ治りかけてきたので、リハビリを兼ねた山行をおこなってきた。

笹子駅で同行者と落ち合い、清八峠に向かう。歩き出してしばらくして今年何回目かの満開の桜に出会う。
P1040733
1時間ほど歩いて舗装道路から山道に移るあたりで腰に少し違和感があったが、まもなくそれも消え、なんとか最後まで痛みはでなかったので助かった。

清八峠に近づくにつれて傾斜は増し、リハビリ山行にしてはタフな山行となった。峠から本社丸までは40分ほどの登りだが、空腹になったので、頂上手前の平坦地で昼食をとる。三つ峠の電波塔が真っ正面によくみえる。よく知っているところが、見慣れぬ角度から眺められるのは妙な気分だ。

食事中に何組ものハイカーが通りすぎたが、後を追っていくと頂上はすぐ目と鼻の先であった。頂上では記念写真だけをとって先を急ぐ。頂上にいたハイカーはほとんどは往路を戻るようで、我々の後をついてきたのは中国人一人だけだった。
リハビリ山行

しばらくは緩いアップダウンを繰り返した後、笹子駅へ下る道を分岐する。ここで後続する中国人が下っていき、我々だけの世界となる。

最後のピークである鶴ケ鳥矢山までは近いようで結構遠い。途中で早咲きのツツジを楽しんだりしながら山頂に着く。本社丸と異なり誰もいない静かな山頂であった。
リハビリ山行

2時間ほどの下りで初狩駅に着き、駅前のコンビニで買ったビールで無事下山を祝う。リハビリ山行としてはまずまずだった。

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2016年4月15日 (金)

自由と平和のための4・15杉並集会

自由と平和のための4・15杉並集会
杉並の市民と議員による来るべき参院選に向けての闘いのための集まりがセシオン杉並のホールであったので参加した。

前半は法政大学の山口教授による講演があり、後半は地元選挙区から立候補する野党3候補の決意表明とそれを支える地元区議の紹介があった。

参院選まで3ヶ月を切り、単に集会デモに参加するだけでなく、選挙に勝つための運動も行っていきたい。

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2016年4月 4日 (月)

幌尻山荘予約

日本百名山のうち自分にとって最後の山となる幌尻岳の登山口となる幌尻山荘の予約をすますことができた。

最初は幌尻山荘経由のコースは山荘の予約が大変でテント設営も認められてないと聞いていたので、あまり人が入らない新冠から登るつもりだった。というのは、新冠のコースは車のゲートから先は歩くのが原則であるが、ゲートの下から自転車を通すことができ、そこから登山口の小屋まではダートながらも自転車で行けるということがネットで報告されていたからである。登りはともかく下りは自転車の威力が発揮できそうなので、根室までの太平洋側を自転車でツーリングする途中で幌尻岳を登るつもりの自分にとっては新冠コース以外には選択肢はないと思っていた。

ところが、最近のネット情報によると、今年からゲートの規制が厳しくなって自転車通過も厳禁となったとのことで、ご丁寧にも過去の自転車でゲートを通過したという報告を紹介して、もうこんなことはできませんとのコメントまでついている。

そこまで書かれてしまうと良識人(ホントかな?)である自分は諦めざるをえず、難関と言われる幌尻山荘とシャトルバスの予約に挑戦することにした。

予約は4月1日の9時から1本の電話回線のみなのでいくらかけてもお話し中の連続である。飯田から天竜川を下降している最中だったが、9時から30分間はかけっぱなしにし、その後も停止するたびにかけたが、受付時間の4時まで通じなかった。

土日は受付はしないので、週明けの今日は仕切り直しとなった。9時からかけっぱなしにしたが、相変わらず話し中の連続で今日も無理かと思いきや10時過ぎに運よく繋がり、希望日の予約もできてほっとした。

山小屋の予約でこれほど苦労したのは初めてであるが、こうなる原因は山小屋側にもあると思う。これほど電話が繋がらないのは、ツアー会社からの電話が殺到しているからだと思われるが、常連のツアー会社には特別枠を設けてもよいから、電話申し込みをさせないような工夫を望みたい。また小屋の収容人員50人というのはピーク時の需要とマッチしていないので、テント設営を認めるべきではないのか。キャンプによるゴミや食糧によるヒグマの呼び寄せといった問題はヨセミテ等の対策を参考にすれば克服できると思うのだがどうだろうか。もっとも自然保護のために入山者を制限したいというのであれば別であるが

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2016年4月 2日 (土)

東海道海岸線ツーリング

豊橋から舞阪までは電車で移動し。そこから菊川を目指す。舞阪から西は九州最南端の佐多岬までの太平洋側の海岸線を全て走破しているが、東の方は舞阪から浜岡の手前までか未走破となっていた(東海道は歩いているが、静岡県西部は内陸部を通るのでカウントせず)。

静岡県西部には太平洋自転車道というのがあって私も御前崎に行く時に利用したことがあるが、今日も国道には太平洋自転車道の表示がたくさんあるが、行ってみると津波対策の防潮堤工事のために立ち入り禁止となっているので、やむをえず引き返す羽目になる。

防潮堤はまだ土盛りが終わった段階であるか、住民の命と財産を守るために必要なものとは言え、海の眺望を奪ってしまうことは残念としか言いようがない。

防潮堤の土盛りがまだ行われていないところでも、海岸に向かう道路には立ち入り禁止の表示があって係員が立っていたが、掛川市に入る頃には立ち入り禁止の表示も見かけなくなったので自転車道の方に行ってみる。

自転車道の通行自体は可能なのだが、風で飛ばされたと思われる砂が道を覆っていてまともに走らせることができない。砂の少ないところはゆっくりと走らせることができるが、砂が多いところは自転車から降りて引いていかなければならないので時間がかかってしまう。想像するに、防潮堤工事が近いうちに始まるので、自転車道の管理者は道路の整備を止めてしまい、それに伴い利用者もいなくなってしまったのだろう。しばらくは自転車の乗り降りを繰り返して前進したが、そのうちに見渡す限り道が砂に覆われるようになったので、前進はあきらめて国道に戻った。

国道は歩道もなく、路側帯も狭いので後ろから大型車が来るたびに神経が疲れる。そのうちに菊川方面の表示が現れたので、前回の到達点までは達したことを知る。これで菊川方面に曲がって今日の行程を終わらせてもよいのだが、少し先の浜岡原発まで足を伸ばすことにした。浜岡原発自体は御前崎の帰りに近くを通っているのだが、その時は夜でよく見えなかったということもあるほか、津波対策として最近できた防潮堤がどんなものか見てみたかったからである。

浜岡原発の手前には浜岡砂丘があって観光地にもなっているので、砂丘に上がれば原発の防潮堤が望めるかと期待して上がってみたが、残念ながら太平洋の荒波が見えるだけであった。そこで先ほどの道をもう少し前進してみると正面に防潮堤が見えてきた。城壁を思わせるような巨大なスケールである。中電はこれで津波対策は万全だというのだろうが、電力会社の説明は真に受ける気はしないし、百歩譲って津波対策は万全だとしても、地震の揺れ、テロその他のリスクを考えると太平洋ベルト地帯に原発が存在すること自体が間違っているし、廃炉以外には選択肢はありえない。菅元首相も浜岡原発の稼働停止のみならず廃炉にまで追い込んでほしかった。
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浜岡原発へは舗装路が終わった後も、さらに踏み跡が続いていたが、踏み跡好きの私も今日はここまでにしておいた。原発のテロ対策で警備も強化されているだろうから、どんなトラブルに巻き込まれるかわからないからである。そこで、ここを本日のゴールと決めて菊川駅に向かった。

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2016年4月 1日 (金)

天竜川下降 二日目(飯田から中部天竜まで)

今日の行程は河口までではなく、中部天竜までである。というのは、前に飯田線に乗った時に、中部天竜から河口までは自転車で走破済みだったからである。そのために今日は時間的に余裕があると思い込んでいたので8時頃にゆっくりと出発する。宿は高台にあり、近くを通っている国道を利用すればスムーズに目的地まで行けるだろうが、天竜川沿いに行きたかったので、天竜川まで降りたが、1時間以上かかってしまった。
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天竜川沿いの道を探したが、山側を大きく迂回する道しかなく、しかたなくその道をとることにする。ところがなんと500メートル近く登らされる羽目になってしまった。途中で道がいくつかに分岐しており、GPSで小まめにチェックしていないと、すぐに間違えてしまう。登りはまだよいが、下りでは分岐点でまちがえてしまい、だいぶ下ってからGPSで間違いに気がついた。登り返すのもしんどいので、そのまま下って行くと、「この先、道が狭くなるので、車は通れません」とある。車が通れなくても自転車なら通れるだろうと、そのまま下って行くと舗装道路はなくなり、踏み跡だけの下りとなってしまう。ほとんど歩かれてないみたいで樹木が障害物となって歩きにくく、登山道なら間違いなく難路とされるところである。「道がありません」と書いてあれば来なかったものを、不正確な書き方をするもんだから、袋小路に入ってしまった。今さら戻るわけにもいかないので、自転車を降りて、時には自転車を持ち上げたりして、悪路を天竜川までなんとか降り立った。

アクシデントの連続で時間を無駄に費やし、最終バスまでもあまり余裕がなくなってきた。幸いそこから先の川沿いの道は比較的アップダウンの少ない道が続いていたので、この分なら最終バスにも間に合う可能性がでてきた。川の両岸は満開の桜が咲いていて見事なのだが、気が急いていたので、ゆっくりと観賞する余裕もなかった。

中部天竜駅には最終バスの出発時間よりも少し前には着いた。バスは駅から少し離れた所から発車するようであるが、場所を良く調べてなかったので、多分駅にも寄るだろうと、待ってみたが結局駅には姿を現さず、最終バスには乗り遅れてしまった。

さあどうしよう。ここに泊まって明日の始発のバスと電車を乗り継いで浜松に出ようかと考えて、駅近くにある三軒の旅館に電話してみるが、金曜ということもあり全部満室だった。それならば少々寒いが駅で仮眠しようかと考えて腹ごしらえをしょうと町を一回りしてみたが、営業している飲食店は皆無だったので、この案も諦めた。結局、豊橋のホテルの予約ができたので、豊橋まで出ることとなった

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