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2016年5月

2016年5月31日 (火)

アルプス山行の記録アップ

遅まきながら、昨夏に登ったアルプスの記録をアップしました。といっても、ブログの記事をまとめただけで、しかもHTM文章ではなく、PDFで済ますという手抜き作業であるが、このブログの右側の「海外登山の履歴」をクリックしていただくと、一番下に「2015年マッターホルン試登、モンブラン登頂」というタイトルがありますので、よろしかったらご覧ください。

ブログの欄外にある「履歴欄」はホームページにリンクしてあるのだが、そのホームページが今秋に閉鎖されることがプロバイダーから告知されている。代わりのホームページは用意されるようなので、全ファイルを引っ越せばよいのであるが、リンク先として絶対アドレスを指定している場合には書き換えが必要なのがやっかいだ。今後、ホームページを更新する機会も乏しくなるだろうから、これを機会にホームページを廃止してしまってもいいかなとも考えているが、もうしばらく考えてから決めることにしよう。なおブログサービスは継続されるようなので、ブログ書き込みは引き続き行うつもりである。

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2016年5月25日 (水)

榛名山と伊香保温泉

榛名山と伊香保温泉
息子が就職して三年になるが、休みが不定期なため一緒に旅行することが難しかった。今回はなんとかやりくりして一緒に行けることになった。

 

行き先は家内が以前から行きたがっていた伊香保温泉とし、榛名湖にも立ち寄ることとした。途中、水沢に立ち寄り、名物のうどんを食べる。坂東三十三札所で立ち寄った時は休日だったので、店は繁盛していたが、今日は閑散としていた。

 

榛名湖は以前、近くにある黒岩という岩場に何回か来た時に立ち寄ったことがあるが、二百名山にも選ばれている榛名山はまだ登ってなかったので、この際に登っておくことにした。

 

榛名山は榛名湖周辺の山の総称で、最高峰はかもん岳だが、姿の美しさでは榛名富士か第一である。そこで榛名富士は家族3人でロープウェーで往復することにした。ロープウェーの終点から山頂まではほんの少しだけだが歩くので、一応登頂したことにはなるかな。

 

ロープウェーを降りてからかもん岳の登山口に移動し、登山口近くで息子の車を降ろしてもらい、家内と息子は伊香保温泉に向かう。温泉までは10数キロあるので、積み込んできたロードレーサーを車から下ろして下山用に登山口にデポする。

 

かもん岳は急勾配だが、ハイペースで登下降し、登りは30分、下りは20分で終えた。その後、湖を周遊してから伊香保温泉に向けてヘアピンカーブが連続する急坂を下った。30以上のカーブがあるが、勾配が思ったほどではなかったので、さほど苦労せずに温泉まで降りられたが、そこから旅館までが今日一番の登りで、ここが今日の核心だった。

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2016年5月21日 (土)

鬼怒川下流

鬼怒川の決壊で多大の被害が出たことは記憶に新しいが、あのときは義援金を出すだけに終わってしまった。最初はボランティアに行くつもりだったが、たしか当初はボランティアは県内在住者に限るとされていたと記憶しており、その後は戦争法廃止や辺野古埋め立て反対の方に関心が移ってボランティア情報はトレースしないままに終わってしまった。その後、常総市から義援金のお礼のハガキが来て、「復興している常総市を見に来てください」とのメッセージがあったが、機会があればくらいにしか考えていなかった。ところが、先日、熊本にボランティアに行った折りの二日目に、たまたま関東からのボランティアが多かった関係もあり、ほとんどの人が常総市にボランティアに来ていたことがわかり、肩身の狭い思いをしたので(まあ、私を含めてなんだかボランティアが半分趣味のような人ばっかりだったような気もするが)、ぜひ復興ぶりを見てみたいという気になった。

鬼怒川は利根川の支流で利根川との合流点は取手駅から約11キロの地点にあり、利根川合流点の標識はあるものの、肝心の川の流れは灌木に遮られて望むことはできなかった。
Photo

しばらくは堤の上の道を行くが、やがて決壊した部分が近づくと、改修工事を行っているようで通行止めとなってしまったので、一般道を行くことにした。しばらく行くと堤の上にはブルドーザーやたくさんの重機が並んで、梅雨入りまでにの完成を目指して急ピッチで工事を進めており、一方、堤の下は空地となっていて造成がされていたので、おそらく決壊箇所で家屋は根こそぎ流された地点であると思われる。
鬼怒川下流

一般道は鬼怒川とは少し離れた所を通ってJR水戸線と交差する。ここから輪行で帰ってもよかったのだが、時間はまだ2時過ぎだったので、もう一頑張りして東北本線が鬼怒川を越える地点の最寄り駅である岡本駅まで行ってみることにした。

ずっと鬼怒川を離れて走っていたが、最後に鬼怒川を越えて全容を眺めることができた。河川敷は広いが水流は大氾濫をした川とは思えないほど貧弱で十分徒渉もできそうであった。
鬼怒川下流

水戸線を越えてからゴールまでは2時間程度で着くのではと思ったが、最後になって道を間違え反対方向に行ったりして3時間近くかかってしまった。GPSはあってもコンパスも必携であると痛感した。

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2016年5月20日 (金)

上野公園


上野公園
上野方面に用事があったので、駅に帰る途中で公園に立ち寄った。不忍池を横切ってそのまま直進すると駅に出るが、世界遺産登録がほぼ決まった西洋美術館に立ち寄ることにした。途中、長蛇の列となっている所があったので、なにかと思ったら若仲展でなんと210分の待ち時間とのことである。一昔前はほとんど無名であった若仲なのに、最近のブームは異常とも思えるものである。

西洋美術館もそこそこ行列ができていたが、若仲展ほどのことはなかった。西洋美術館がかなり前から世界遺産登録運動をしていることは知っていたが、身の程知らずと軽んじていたところ、本当に登録されそうになって驚いている次第である。それだけ世界遺産の価値も軽くなっているということだろうか。
上野公園

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2016年5月16日 (月)

熊本ボランティア最終日

今日は終日雨とのことでどうしたものかと思われたが屋内作業で200人募集ということがネットに出ていたのでセンターに行ってみることにした。宿泊したスパを出発するときは、青空も見えていたので、天気が予報とは違うのかと思ったが、センターに近づく頃にはパラパラと降りだした。

今日は雨降りなので、屋内作業のみということで避難所の作業に申し込んだ。今回のグループのメンバーは男性5人で、うち3人は関東、残り二人も本州勢で珍しく九州勢は無しであった。

避難所内部に入るのは東北震災のボランティアの時も含めて始めてであるが、段ボールで隣としきられただけのプライバシーの保てない中で長期間に渡って生活するのは大変なことだと思われた。

今日の仕事は午前中は床の雑巾がけと配膳手伝い、午後は玄関のガラスふきとトイレの掃除といずれも家ではやったことがないことばかりである。仕事の方は順調に終わり、3時にはセンターに戻ることができた。

今回は被災者のプライバシー保護の見地から被災現場の写真は一切アッブしなかったが、代わりに当地でしか食べられないであろう馬丼の写真を載せておく。
熊本ボランティア最終日

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2016年5月15日 (日)

熊本ボランティア初日

熊本城近くのボランティアセンターに早朝から並ぶ。日曜日のため、早くからたくさんの人が並んでいる。受付を済ませてバスに乗り込み、熊本市の南の城南町に向かう。
熊本ボランティア初日

小一時間で城南出張所に着き、そこで各グループに別れて割り当てられたお宅に向かう。今回の仕事は剥がれ落ちた外壁のモルタルのブロックを土嚢袋に詰めて付近のゴミ集積所まで運び出すことだったが、たまたまそのお宅には一輪車が2台あったので、作業効率はすこぶるよかった。我々のグループは男性二人、女性三人だったので、男性は運搬、女性は袋詰めを分担して効率よく仕事を進められて、午前中に仕事を終えられた。

昼食に出張所に戻り、今日はこれでお仕舞いかなと思ったが、すぐ近くの高齢者のお宅で後片付けのニーズがあるというので、そちらに向かう。たいした量でもなかったので1時間もしないうちに仕事は片付いたが、どうも震災とは関係のない単なるゴミの片付けをやらされたみたいで、同行者には憤慨している人もいたが、まあ困っている人の手助けをしたのだからいいんじゃないのと思うことにした。それよりも、「他人の家を片付ける暇があるなら我が家を先にやってよ」と言いかねない家内の顔が浮かんだ。

市内のボランティアセンターに戻ってグループのメンバーとも別れて、トンコツラーメン&ギョーザとビールで遅い昼飯をとる(昼はビスケットしかもっていかなかったので)。その後は熊本の北方の大学敷地にあるボランティア用のキャンプサイトを予約してあったので、そちらに向かうつもりだったが、湯ラックスという温泉施設がボランティアは半額で利用できることがわかったので、入浴だけでなく宿泊(ただし、大部屋だが)もそちらで行うことにした。せっかくテントを持ってきたのにという気がしないこともなかったが、今晩から明日にかけては雨らしいので、濡れたテントを撤収するのも嫌気がさしたからというのが予定変更の理由である。

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2016年5月14日 (土)

熊本へ

連休中に熊本にボランティアに行くつもりだったのだが、多くのボランティアセンターでは連休中のボランティアは県内在住者に限っていたようなので、連休明けのボランティアが減ってくるこの時期に訪れることにした。

熊本空港に着陸する直前に外を見ると異様な光景が目に飛び込んできた。多くの家の屋根が青いのである。すぐにそれは屋根が破損したためにビニールシートをかけているのだとわかった。空港に降りたってもまわりに人家はないので、すぐには被害の状況はわからない。身支度をして七キロほど離れている益城町のボランティアセンターに向かう。カンカン照りの道を熱中症にならないように水分補給をしながら歩いて行くと、一時間半ほどでセンターに着いた。あいにく受付は終了していたので、無駄足になってしまった。たたここまでは想定の範囲内だったので、ここから20分ほどのバス停から熊本の中心に向かうつもりだった。

益城町の街中に足を踏入れると、惨状は想像以上のものであった。東北の大震災の場合は沿岸部は津波で壊滅状態となったが、家の構造は跡形も無くなっていたのに対して、熊本の場合は損壊した状態がそのまま残っているだけにインパクトはより強いように思われた。

バス停に着いてみると、なんとバスは運休中で、さらに1時間ほど歩かないと、バスに乗れないことがわかったが、事前調査不足の自分が悪いのだから誰もうらむことはできない。ただ益城町のボランティアセンターは車が利用できないと通えないことがわかり、明日は中心部に近いセンターにしないといけないかなと考えるようになった。

忍の一字で歩いてやっとバスが動いているはずのバス停が近づいてきたが、その時バスがバス停を発車するのが見えたので不吉な予感がした。バス停に着いて確認すると、案の定、次のバスまでは1時間以上待たなければならないことがわかった。タクシーの利用も考えたが、かなりの距離があるし、急ぐ必要もないのでバスを待つことにした。

私のちょっと後にバス停に着いた人が市電の駅まで一緒にタクシーに乗っていかないかと誘ってくれるので、渡りに船と言葉に甘えることにした。その人は地元のボランティアで炊き出しを行ってきたそうだが、私が東京から来たことを知ると、どうしてもタクシー代を受け取ってくれないので、またもや好意に甘えることになってしまった。

市電は頻繁に走っていたので、この調子ならば、今日の代替案として考えていた水俣病記念館にも行けるかもしれないと思えてきた。市電の中で時間とにらめっこしっぱなしだったが、熊本駅に着いたのは、水俣病記念館行きの最終バスに接続している新幹線の発車時間と同時だったので、水俣行きは潔く諦めて、今日の残された時間は観光に徹することにした。観光も被災地支援のひとつだっていわれていることだし。

まずは駅ビルで火の国定食に生ビールで今日初めてのまともな食事にありつき、その後は熊本城を見物に行く。
熊本へ
熊本には何度も来ていながら、初めて訪れることになった熊本城が変わり果てた姿になっていたのは皮肉なものである。
熊本へ

熊本城は内部は立ち入り禁止で外から見ただけだが、見学後にメインストリートに出てみると、こちらにもボランティアセンターがあったので、明日は交通至便なここに来ることにした。その後はマッサージで時間を潰したりしてから刺身の盛り合わせを肴に熊本焼酎を楽しんで、表面的には震災のダメージを感じさせない熊本市内の夜を過ごした。

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2016年5月 8日 (日)

栃木・福島「県境」走破 最終日 無事帰京

今日は駅まで1時間ちょっとのゆっくりした行程なのでのんびりと出発の準備する。つづら折りの坂を下りきると鬼怒川河岸に降り立つ。最初は早い流れだったが、じきに緩やかになる。昨日以来、初めて自販機のあるところで休憩し、缶コーヒーとパンで二度目の朝食を食べる。川岸にすわりながら緩やかな流れと遠くに望める栃木福島県境の山々を眺めてのんびりする。
栃木・福島「県境」走破最終日無事帰京

川治湯元駅には9時過ぎに到着する。近くの日帰り温泉が10時オープンということなので自転車を輪行できる準備してから温泉に向かう。温泉で汗を流し、清流を眺めながらビールを飲む至福の一時を過ごす。帰りには温泉街に寄り道して 温泉饅頭と地酒を買っていく。

帰途は野上鉄道・東武線・メトロ経由なのだが、大型連休の最終日なので混雑を避けながら、大きな荷物をいかにスムーズに運ぶかということが最後かつ最大の課題である。浅草までの直通に乗れてまずは正解である。途中で次々と乗り込んできたが、下今市で特急乗り換えのためにかなり降りたので、終点までさほど混雑はしなかった。浅草駅では東武もメトロも古い駅のためか階段しかなく苦労した。下りだったから良かったけれど、登りだったら死んだぞー!背中と肩の両方にそれぞれ10キロ以上の荷物をぶら下げて移動する難業はもうそろそろ限界かもしれない。赤坂見附での銀座線から丸ノ内線への乗り換えはホームの反対車線で乗り換えが楽なために選んだ乗換駅である。最終下車駅の南阿佐ヶ谷はエレベーターが利用できることは確認済みであるが、改札口が先頭車両近くにあるため、浅草から乗り込むと必然的に後ろの車両となり、ホームの後ろから前近くまで移動しなければならないのだ。一番後ろ(又は前)の車両だと自転車を置くスペースがあって便利なのだが
、一駅で移動するのは大変なので、たまたま乗った電車が新宿止まりだったため下車した新宿駅でホームを多少前の方まで移動しておいた。おかげで南阿佐ヶ谷駅での移動距離は少なくて済んだ。南阿佐ヶ谷駅で無事改札を抜けてエレベーターで地上に上がったところで、やっと今回の旅は終わった気がした。

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栃木・福島「県境」走破 アクシデントによりリタイア

今日は標高差800メートルの砂利道を延々と登らなければならない。傾斜は緩いのだが、ハンドルを石にとられて運転しづらい。

峠の手前2キロのところに田代山への登山口があるので、前に登ったことはあるが寄ってみる。2時間ほどで往復できるが、頂上付近は広大な湿原となっていて、360度の展望が楽しめる素晴らしい山であるにもかかわらず、土曜日だというのに登山者には出会わなかった。
栃木・福島「県境」走破アクシデントによりリタイア

登山口に戻って峠越えを再開する。砂利道はますます登り辛くなり、自転車を降りて引いて行くことが多くなるが、1時間ちょっとで峠に達する。すぐに栃木側に下降を開始し、砂利道をものともせずに強引に前進する。テント泊まりが続いたので今夜は温泉に入れるかと考えている時にアクシデントが発生した。

後で爆発音が聞こえたので停車して調べてみると、単なるパンクではなく、衝撃で車輪のフレームの一部が破損したようである。最寄り駅までの距離を調らべると40キロ近くもあり、とても自転車を引いて歩ける距離ではない。やむをえずチューブを交換して自転車に乗って帰ることにチャレンジする。

チューブを交換し、手押し空気入れでなんとか走れる程度まで空気を入れで一安心と思ったのもつかの間に別の問題が発生した。フレームの破損した部分がブレーキとぶつかって後輪が回らないのである。やむをえず、ブレーキを固定している箇所を外してなんとか後輪が動くようになった。お陰で前ブレーキしか使えなくなるが、慎重に降りるしかないだろう。

砂利道の下降がしばらく続くが、先ほどの失敗に懲りて、自転車には乗らずに引いて行く。やがて舗装路が現れたので自転車に乗って行くが、前ブレーキしか効かないので、スピードを落として慎重に進んでいく。途中で暗くなってしまったが、このまま駅まで行っても最終は終わっているだろうし、駅周辺には泊まれる場所はないだろうからと、駅から約15キロの地点の道端にテントを張ることにした。温泉に入り損ねたし、酒なしにもなってしまうが、明日の楽しみにとっておこう。

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2016年5月 6日 (金)

栃木木・福島「県境」走破三日目 荒海山登頂

6時半にテント場を出発し、30分ほど自転車で進む。最初は舗装路、途中から砂利道となるが、前方に障害物が現れたところで自転車をデポして歩き出す。沢歩きは1時間ほど立ったが、久しぶりの沢歩きは楽しかった。

阿賀野川(福島に入ってからは阿野川)と別れて荒海山後程瞭然を目指すあたりから道は悪くなった。急峻な草付きをブッシュを頼りによじ登っていくスタイルで私の得意なパターンである。途中、トラバースする踏みあとがあったので、しばらく辿っていくが、前方に見える赤テープまでの間がかなり悪く、ノーザイルでも行けなくはないが、ザイルがあった方が安心できるということで踏みあとを離れて草付きを直登する。おかげでだいぶ時間を要してしまったが、10時頃には稜線に達する。しばらくは道も不明瞭だったが、辿るのを断念した踏みあとから上がってくると思われる道と合流するあたりから道は鮮明となる。

荒海山頂上までは標高差は400メートル弱なので1時間もあれば着くと思ったが、アップダウンが結構あり、2時間近くを要してしまった。頂上からは那須、日光、尾瀬の山が360度の展望が楽しめた。
栃木木・福島「県境」走破三日目荒海山登頂

下りは踏みあとを辿ってくれば楽勝かと思ったが、そうは問屋が卸さず、踏みあとまではなかなか辿り着けずに苦労した。3時過ぎに下に降り立ったが、腹拵えするために会津高原駅に戻る。

荒海山登頂ですっかり満足してしまい、このまま東京に帰ってもいいかなと思ったが、あくまで初志貫徹と田代山方面に向かうことにする。

コンビニで食料を買い足して5時に出発する。いきなり200メートルの登りはこたえたが、その後は緩やかな下りが続くので快適であった。途中田代山方面に別れて緩やかな登り道を行く。当初は途中にあるキャンプに泊まる予定だったが暗くてよくわからかいのでもう少し上部の道端にテントを張ることにした。

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栃木・福島「県境」走破第二日 今日も登頂を逸す

ブレーキの調整もまずまず上手くいったので予定どおり進むことにした。那須連山を回り込んで那賀川沿いに男鹿岳の登り口(といっても舗装道路だが)に達する。しばらくすると、冬季通行止めの表示が出ている。先日の能郷白山の例もありたかをくくって進んでいくと、目の前に頑丈なゲートが現れる。上下左右どこにも自転車を通過させるスペースがない。
栃木・福島「県境」走破第二日今日も登頂を逸す
いさぎよく諦めて塩原方面に大きく回り込んで会津高原に向かうことにした。

塩原は今回初めて行ったが実に大きな温泉街である。日帰り温泉は多数あり、無料の足湯もあったが、温泉に興味のない自分は素通りする。温泉街の外れの河原に人がいっぱいたむろしているのは有名な塩原ボルダーを登りにきたボルダラーたちであった。しばらく見物してから出発する。

会津西街道に向かう峠越えは思ったよりも大変だった。3時過ぎに会津西街道に降り立ったので、会津高原の旅館に予約の電話をいれてみるが、全て満室で断られてしまった。三連休の最終日だからと思ったのが甘かった。金曜日も休んで六連休以上としている人も多いのだろう。ならば、今夜もテント泊まりにするだけの話だ。

会津高原に向かうためには、栃木福島県境尾根の山王峠を経由しなければならないので(ただし、国道は峠直下をトンネルで通過)、それなりの覚悟をして臨んだが、塩原からの峠越えに比べばたいしたことはなかった。トンネル入口の標高は塩原からの峠よりも高いが、なだらかな傾斜で高度を上げていったので、あまり疲れは感じなかった。

トンネルから先はほどよい傾斜の下りが続く。途中、、飲食店を見かける。会津高原にもあるはずだが、早く閉まっているといけないので、早めの夕食をとることにした。注文したのは鶏の唐揚げ定食であるが、今回初めてのまともな食事をゆっくりと味わう。

会津高原まではあと五キロ程度なのでゆっくりと進んでいく。途中コンビニがあり、食料を買い足す必要があったが、反対車線でもあり、会津高原にもコンビニがあることは調らべてあったので素通りする。会津高原まできてコンビニの電気が消えているのを見て落胆した。「コンビニって7−11じゃないのか?」と思ったが、やむを得ずさきほどのコンビニまで戻ることにした。途中で心配になってきたのは先ほどのコンビニも今の時間では閉まっているのではないかということである(同じFCのコンビニだったし)。その時は下の方のやってるコンビニまで買いにいくだけだと腹をくくる。坂をあえぎながら上って行くと遠くにコンビニの明かりが見えてきた。その時の気分は一昔前のコマーシャルではないが、「開いてて良かった」である。

再び会津高原に戻り、明日向かう荒海山の登路を進む。すると、「荒海山は道が不良のため登山不可」とあるではないか。まあとりあえず、明日登ってみて正否を判断しようということで、少し進んでから道端にテントを張ることにした。

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2016年5月 4日 (水)

栃木・福島「県境」走破第一日

若いときから関東国境を歩き続けて群馬、長野、山梨、静岡との各県境は数年前に縦走は完了したが、福島県境は尾瀬付近を除いては全く手付かずであった。福島県境のうち、茨城県境は稜線の形をなしておらず道も皆無のため、早々と諦めて数年前に県境付近を自転車でツーリングしながら茨城最高峰の八溝山を登頂することで終わらせることとし、栃木県を最後のターゲットと考えていた。栃木との県境に道がないことは茨城と同様であるが、雪の残っている時期にならば縦走は可能と考えて情報を集めていた。過去にこの山域に入った人の記録によると、栃木県境完全縦走には2週間以上かかるとのことで、数回に分けて成し遂げようとも思っていた。ところが体力の衰えを自覚するようになり、インチキではあるが茨城県境と同様に自転車で県境付近をツーリングしながらいくつかの山を登ることにした。

予報よりも天気変化が早かったようで、家を出る時は雨もほとんど上がって風がまだ多少強い程度で、大宮に着いた頃には青空も見えていた。ところが新白河に着くと天気は逆戻りとなり、昼過ぎまでかなり強い雨に見舞われることになった。雨の中をずっと走っていたら、後輪で異様な音がするので点検したのだが原因は判らずじまいであった。ところが、その際にあちこちを触っていたら、ブレーキのワイヤーを本体に留めてある部分が外れてしまい、後ろのブレーキが効かなくなってしまった。その場では上手く直らなかったが、しばらくは登りが続くのだし、とりあえずは前のブレーキが効くからいいだろうとそのまま進むことにした。

今日は那須の三本槍を登る予定なのだが、地図にある登山路がどうしてもみつからず、ついに峠までのぼってしまったので諦めることにした。峠からは下りになるが、頼りの唯一のブレーキである前ブレーキの効きが甘いではないか。今回のように峠越えの多いコースでは安全を考えてコース変更をした方がよいかなとも考える。

まずはキャンプ場についてから考えようと先を急ぐが、キャンプ場が見つからない。たまたま通りかかった展望台の近くにテントが張れそうなので、そこを今日の泊まり場と決めて、展望台で那須の山々の展望を楽しんでから後ろのブレーキの修復を試みる。なんとかブレーキは効くようにはなったので、明日になってブレーキの効き具合をみてから予定を決めることにしよう。
栃木・福島「県境」走破第一日

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2016年5月 3日 (火)

5.3憲法集会

憲法記念日の今日、有明での憲法集会に参加してきた。毎年この日に行われていたのだろうが、今までは山が忙しくて今回が初参加である。だが、今年は参院選て与党に3分のを2を許してしまうと憲法改悪が必至となる重大局面を迎えているので、スケジュールを調整して参加することにした。

広大な会場も参加者で埋めつくされるほどの盛況で、参加者数五万人は戦争法成立以来最大の人数である。参院選選が近づき、運動が盛り上がってきている証拠だろう。各種世論調査でも、護憲派がわずかながらも優勢となっているので、改憲阻止ができる見通しは立ってきたと言ってもいいようにも思えるが油断は禁物である。また戦争法廃止の二千万人署名の方も12百万人を越えているとのことで順調のようだが、できるだけ目標に近づいてもらいたいものだ。
5.3憲法集会

ゲストの発言の後に各党から挨拶があったが、岡田民進、志井共産、吉田社民の各党首が挨拶した時には参加者から特別な反応はなかったが、4党最後の生活の党から小沢党首が挨拶にたった時は参加者からもどよめきの声がでた。戦争法案反対運動の時以来、小沢党首は集会にはほとんど顔を見せず、運動とは一線を画するかのようであったが、ここにきて北海道補選での野党共闘による善戦に代表される流れを読んでの出番到来との判断かもしれない。信念よりも(選挙という)実利を優先したんだろうが、なんだかなあという気がしないでもなかった。

集会終了後は二手に別れてパレード(デモ)を行い、私は豊洲方面に向かったが、繁華街ではなかったので、今一つ盛り上がりに欠けている感はいなめなかった。それはともかく、昨年来続けてきた運動がようやく一定の手応えを感じさせてくれるようになったことは喜ばしいことである。

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2016年5月 1日 (日)

名松線

JR全線乗車を進行中だが、JR東海はこの名松線と大垣から美濃赤坂に向かう東海道線の支線だけが未乗車であった。前者は昨日乗ることも可能であったが、松阪到着がかなり遅くなってしまうし、ムーンライトながらの発着駅である大垣はこれからも行く機会があるということで割愛したが、名松線は位置的にめったに行く機会がないために今回の旅行に組み込むことにした。

名松線の松阪始発は7時32分と遅いのでゆっくりとホテルを出発する。途中の家城で乗り換えて終点の伊勢奥津を目指す。名松線という名称の「松」は松阪を指すのは言うまでもないが、「名」は当初は名張まで延伸する予定だったためにつけられたそうである。

終点の伊勢奥津ではかなりの観光客が下車したが、今年の3月に名松線が復旧したために来た鉄っちゃんが多いようである。地元では近くの名所をめぐるバスを仕立てたりして観光客の呼び込みに必死だが、果たしてこの賑わいがいつまで続くだろうか?なにしろ以前の伊勢奥津駅の1日当たりの利用客数は数十人だったそうだから。JR各社が災害で不通になるとこれ幸いと廃線にしてしまう中で、利用頻度の高くない名松線が復旧されたのも不思議である。地元の運動に加えてなんらかの助けがあったのだろうか。
名松線

伊勢奥津は伊勢本街道に面し、大阪奈良方面からのお伊勢参りの宿場として賑わったそうである。時間があればゆっくりと見学したいところであるが、急ぎ旅のために割愛せざるをえない。事前に調べたところでは名張方面のバスがあり、自転車持ち込みもOKということだったが、駅前にはそのようなバス停は見当たらなかったので、やむを得ず、乗ってきた電車にまた乗り込む。ただ、松阪までは乗らずに、近鉄線が並行するようになるあたりまで来たところで乗り換える。というのは近鉄線の中川松阪間が未乗車だったからである(昨夜は松阪まではJR利用だった)。

賢島では最初はぐるっと一周するつもりだったのだが、サミット警備でそこらじゅうに警官がいてどうも落ち着かないし、私自身も不審者と間違われかねない格好でもあるので、一刻も早く賢島を去りたいという気持ちでフェリーに乗船する鳥羽に向かうことにした。最初は海岸線沿いに行くことも考えたが、昨日同様に応急修理した箇所に不具合がでるとまずいので、いつでも輪行に切り替えられるようにと線路沿いに行くことにした。

鳥羽までの約25キロはなんとか不具合も出ずにフェリーに乗り込むことができた。後は伊良湖岬までの1時間弱の伊勢湾横断の航海を楽しむだけだ。

伊良湖岬から三河田原駅までは最短距離で26キロだが、前回渥美半島を一周した時は伊良湖岬の北側の海岸線を割愛したので、今回はそこを通るつもりだったが、手負いの自転車では無理は禁物と最短距離を行くことにした。幸い今回も不具合は出ずに無事に三河田原に到着した。夜行バスまでは少し待ち時間があるので、未乗車の私鉄を乗り継いで名古屋に向かった。

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