熊本へ
連休中に熊本にボランティアに行くつもりだったのだが、多くのボランティアセンターでは連休中のボランティアは県内在住者に限っていたようなので、連休明けのボランティアが減ってくるこの時期に訪れることにした。
熊本空港に着陸する直前に外を見ると異様な光景が目に飛び込んできた。多くの家の屋根が青いのである。すぐにそれは屋根が破損したためにビニールシートをかけているのだとわかった。空港に降りたってもまわりに人家はないので、すぐには被害の状況はわからない。身支度をして七キロほど離れている益城町のボランティアセンターに向かう。カンカン照りの道を熱中症にならないように水分補給をしながら歩いて行くと、一時間半ほどでセンターに着いた。あいにく受付は終了していたので、無駄足になってしまった。たたここまでは想定の範囲内だったので、ここから20分ほどのバス停から熊本の中心に向かうつもりだった。
益城町の街中に足を踏入れると、惨状は想像以上のものであった。東北の大震災の場合は沿岸部は津波で壊滅状態となったが、家の構造は跡形も無くなっていたのに対して、熊本の場合は損壊した状態がそのまま残っているだけにインパクトはより強いように思われた。
バス停に着いてみると、なんとバスは運休中で、さらに1時間ほど歩かないと、バスに乗れないことがわかったが、事前調査不足の自分が悪いのだから誰もうらむことはできない。ただ益城町のボランティアセンターは車が利用できないと通えないことがわかり、明日は中心部に近いセンターにしないといけないかなと考えるようになった。
忍の一字で歩いてやっとバスが動いているはずのバス停が近づいてきたが、その時バスがバス停を発車するのが見えたので不吉な予感がした。バス停に着いて確認すると、案の定、次のバスまでは1時間以上待たなければならないことがわかった。タクシーの利用も考えたが、かなりの距離があるし、急ぐ必要もないのでバスを待つことにした。
私のちょっと後にバス停に着いた人が市電の駅まで一緒にタクシーに乗っていかないかと誘ってくれるので、渡りに船と言葉に甘えることにした。その人は地元のボランティアで炊き出しを行ってきたそうだが、私が東京から来たことを知ると、どうしてもタクシー代を受け取ってくれないので、またもや好意に甘えることになってしまった。
市電は頻繁に走っていたので、この調子ならば、今日の代替案として考えていた水俣病記念館にも行けるかもしれないと思えてきた。市電の中で時間とにらめっこしっぱなしだったが、熊本駅に着いたのは、水俣病記念館行きの最終バスに接続している新幹線の発車時間と同時だったので、水俣行きは潔く諦めて、今日の残された時間は観光に徹することにした。観光も被災地支援のひとつだっていわれていることだし。
まずは駅ビルで火の国定食に生ビールで今日初めてのまともな食事にありつき、その後は熊本城を見物に行く。
熊本には何度も来ていながら、初めて訪れることになった熊本城が変わり果てた姿になっていたのは皮肉なものである。
熊本城は内部は立ち入り禁止で外から見ただけだが、見学後にメインストリートに出てみると、こちらにもボランティアセンターがあったので、明日は交通至便なここに来ることにした。その後はマッサージで時間を潰したりしてから刺身の盛り合わせを肴に熊本焼酎を楽しんで、表面的には震災のダメージを感じさせない熊本市内の夜を過ごした。
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