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2016年6月

2016年6月29日 (水)

下北半島ツーリング最終日

キャンプ地は芝生でトイレ、自販機、水場完備と快適なところであった。と言っても管理人に見つかると面倒なので早々と退散する。

快適な下りが続き、2時間もかからずに海岸まで降り立つ。海沿いに大湊駅に向かう道は多少のアップダウンはあるが、きつい登りはなかったので助かった。昨日頑張ったお陰で、今回の目的地である大湊には10時前に着くことができた。

指定は最終でとってあるが、早く着きすぎたので、どう時間を潰そうかと思案する。とりあえずは恐山に行ってみようと考えた。駅から16キロくらいの距離なので、自転車で行けないこともないが、かなりの登りとなるので、疲労のたまっている今の体力ではきついため、バスを利用することにした。ところがバス停をを探してもそれらしきバスは見当たらない。そこでネットを探してみると、隣の下北駅から出ていることがわかった。下北行きの電車はしばらくないようなので自転車で移動する。

下北駅に着いてまもなくして恐山行きのバスが来る。最初は乗客もまばらなので、あまり人気はないのかと思ったら、次の電車が着いたらどっと人が乗ってきて、1台増発されるほどになった。満席で走り出したバスが坂道を登りだすと、想像以上の傾斜で自転車で来なくてよかったと思った。もっとも、恐山の駐車場の端にはスタンドのないロードバイクのために前輪が固定できる専用駐輪場が何台分も用意されていたので、自転車で来る人も結構いるらしい。

恐山はさいの河原があちこちに点在し、死後の世界が広がっていた。自分も今にこんなところに来るのかと考えてしまった。
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一通り見て昼飯を食べ終わった頃に帰りのバスが来たので、予定よりもだいぶ早く帰宅することとなった。

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2016年6月28日 (火)

下北半島ツーリング二日目


テントを撤収後に尻屋崎に向かうかエスケープするかで迷う。下北半島を完全に一周するには半島東端の尻屋崎まで行く必要があるが、往復3時間くらいはかかるので断念し、今回の目的である大間に向かうことにする。途中、リサイクル核燃料貯蔵庫の脇を通ったが、昨日の六ヶ所村の核燃料再処理設備といい、なかなか物騒な所である。

大間には11時過ぎにつき、早速楽しみにしていたマグロを食べようと食堂に入る。その店は丼ものしかなかったので、まぐろイクラ丼を注文する。まもなく料理が運ばれてきたが、値段ばかり高くてがっかりする味だった。他には客はいなかったのでハズレの店だったのかもしれない。
下北半島ツーリング二日目

気を取り直して海岸に向かう。対岸には北海道が霞んで見える。灯台は当然、大間崎にあるのかと思ったら、沖合いの島の上だったのでビックリした。
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大間を後にして進路を南にとって、縫道石山を目指す。そんな山は、最近までは知らなかったが、山岳雑誌でその存在を知り、500メートル程度にもかかわらす特異な山容をしているので俄然興味を持つようになった。

縫道石山への分岐点近くには観光地として有名な仏が浦があるので、ついでに見てくるつもりだったが、半端でないアップダウンが連続するようなので断念した。

縫道石山を間近に眺めた印象はまさに屏風岩東壁そのものであった。ただし、一般コースは裏側から登るので、岩登りをするわけではない(200メートルくらいの壁は以前は登られていたらしいが今は禁止)。
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遅い時間に登りだしたので、頂上に着いた時はまさに太陽が水平線に沈むところであった。
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下りは途中からライトを着けて行き、登山口まで降りると、そのまま自転車での下降に移る。今晩の泊まりは道の駅の隣の公園となった。

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2016年6月27日 (月)

下北半島ツーリング一日目

下北半島ツーリング一日目
選挙応援中ということで、少々気が引けたが、前々から計画していたことでもあり、公示以来、連日ボランティアを続けており、ツーリングから帰ったら、後半戦もがんばるということで予定どおりに出掛けた。

11時前に八戸に下車して下北半島を北上する。途中、ラムサール条約湿地に登録されている仏沼に立ち寄る。所々に池はあるが、それ以外は単なる原っぱにしか見えないような気がしないでもなかったが。

夕方に核燃料再処理施設で知られている六ヶ所村を通る。賛否でうるさい所かと思ったら、静かな村であった。その晩は、隣の東通村の枝道の道端にテントを張って泊まる。

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ミニトマト

区民農園の契約が切れてからは、二階のベランダにプランターを置いてミニトマトの栽培を始めたが、孫に食べさせることが目的だった。

ようやく色づき始めたので、孫が我が家に来た時に食べさせることにした。最初はまだ青い実まで取ろうとしたので、「赤いのだけだよ」と言ったらわかったらしく、10個ほど取ったので、洗って食べさせようとしたら、警戒して口にいれようとしない。ダメかなと思ったが、小粒なのをやったらなんとか食べてくれた。噛んだのか、飲み込んでしまったのかは定かでないが、まずは大成功であった。
Tomato

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2016年6月22日 (水)

参院選ボランティア

参院選が公示となった今日、仕事の方も一段落したので、選挙ボランティアに参加してきた。

安部政権打倒が今回の参院選の目的ではあるが、特定の支持政党があるわけではなく、どこのボランティアをしようかずっと迷ってきた。

選挙権のある東京地方区は与野党が議席を分け合う無風選挙区となりそうなので、今ひとつモチベーションがわかない。そこで、憲法学者で昨年の安保法制における違憲表明で名をはせた小林節先生が立ち上げた「国民怒りの声」の選挙ボランティアを行うことにした。

32の一人区では野党統一候補が誕生したが、比例区では小林先生らの努力にもかかわらず、民進党の反対で難航したために、しびれを切らした小林先生が「国民怒りの声」という組織を立ち上げて、比例区で10人が立候補することとなった。この動きに対して民進党からは野党を分断するものだという批判が上がった。たしかにその指摘は無理からぬものではあるが、「国民怒りの声」結成の目的は安部政権には反対だが、民進党や共産党には投票したくないという人の受け皿を目指すことなので、自分もそれに賭けてみようと思った

10時に国会前で街頭演説第一声があるというので行ってみる。ナマ小林先生や他の候補者の顔を見るのは初めててある(当初立候補予定だった俳優の宝田明は理由は不明だが立候補を断念している)。関係者以外には参加者はほとんどおらず、マスコミも数社だけという少々寂しい門出であった。
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候補者全員の紹介が終わると、次の演説地に向けて足早に去って行ったので、新橋にある選挙事務所に向かう。事務所に入ってびっくりしたのは、小学校時代の同級生が作業しているではないか。世間は狭いものである。それはさておき、本日の作業はビラへの証紙貼り付けとハガキへの宛名シール貼りだったが、ビラ配り等の有権者と直接接触できる仕事に移りたいものだ。

なお公選法上ではブログ上に支持政党の記載があっても「投票を呼び掛けたのではなく個人の主張を述べたものは選挙活動とはみなされない」とされていますので、念のため。

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2016年6月21日 (火)

本土の人間は第二の加害者だ

表題のメッセージは沖縄の県民大会でのある参加者の胸にグサリと突き刺さる発言だが、本当にそのとおりだと思う。沖縄に連帯して国会前で開かれた集会に参加したが、沖縄で6万人以上参加したというのに、この大東京でたった1万人しか参加しないというのはどうしたことか?比較的政治意識が高いと思われる市民運動参加者でこのていたらくなのだから、一般国民の意識は推して知るべしである。このようなことになるのは、前回のブログでも書いたが、日米軍事同盟の矛盾を全て沖縄に押し付けることによって、本土の安全と繁栄が成り立っている事実を多くの国民がわかってないか、わかっていても無視している(こちらの方がさらにたちが悪いが)からである。

こうなったら、前回のブログで書いたトランプ大統領登場によるショック療法でも行わない限り、どうにもならないのではないかと思ってしまう。

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2016年6月19日 (日)

トランプ旋風による禍を転じて福となせ

トランプの共和党大統領候補指名が確実となり、英国のEU離脱派が優勢となっている現状は、他人の痛みに共感せず、異なる意見に不寛容となっている世界的な傾向を反映しているもので嘆かわしいことである。サンダースの貧困層支援の政策をクリントンが受け入れて、民主党が一丸となってトランプに打ち勝ち、暗殺された女性議員への同情票が残留派に流れて離脱をくい止めることを願うばかりである。

しかしながら仮にトランプが大統領になったとした場合には、日本にとっても一時的には禍となるだろうが、福に転ずることは可能であると思っている。それは日米軍事同盟の矛盾のほとんどすべてを沖縄に押し付けて、安全保障の問題を考えてこなかった大部分の日本人に大きな問題を突きつけることになるからである。

日米安保条約に関わる費用を日本が全て負担することは現実的に不可能なことなので、安保条約は事実上消滅せざるをえないが、その場合に日本の対応としては二つの方向が考えられる。右からの対応としては核兵器や空母といった攻撃的兵器の保有によって日本の安全保障を守ろうといった危険な主張がでてくるだろう。これに対してまっとうな意見としては、軍事力は専守防衛に限定し、平和国家の途を進むことによって日本の安全保障を保とうという考えである。

私の意見はもちろん後者であるが、それが実現可能であることを立証したい。まず第一に言えることは、日本の防衛力はフィリピンやベトナムとは比べ物にならないほど強化されており、仮に中国に日本侵略の意図があったとしても、相当な犠牲を覚悟しない限りは侵略は困難であるということである。

次に中国が本当に日本侵略するかとうかという点を考えてみたい。純経済的に考えれば、中国にとって貿易額の第二位にある日本を失うことは大きな損失であり、日本を占領できたとしても、日本に天然資源があるわけでもなく、唯一の資源といえる人的資源も、占領下では有効に活用できないということは中国指導部は十分わかっているはずである。

もちろん戦争の勃発が全て経済の問題だけで説明できるわけでないし、中華思想や覇権主義といったことも無視はできないが、そのためにある程度の防衛力を抑止力として有することの必要性はすでに述べたとおりである。ただし、この場合の抑止力は日米安保下における抑止力とは根本的に異なるものである。日米安保下においてはお互いに飛び道具で相手国を攻めるという前提での抑止力であったが、専守防衛における抑止力は、もし攻めこんできた場合にはそちらも相当な犠牲を覚悟しなければならないですよという意味での抑止力である。

そして最後に重要なことは、軍事同盟が解消して基本的に敵対関係が存在しなくなって初めて可能になることであるが、東アジアにおける集団安全保障体制を確立することである。この相手としては中国やロシアが含まれることはもちろんであるが、北朝鮮も含めることが望まれる。集団安全保障体制などというと夢物語のように思う人もいるかもしれないが、基本的な敵対関係がなくなり、経済的な相互依存関係が強ければ、決して不可能な話ではないと思われる。じゃあ尖閣はどうなるんだという突っ込みがあるかもしれないが、この問題は日中国交回復時の領土問題は先送りにするという合意にたち戻る以外に解決方法はないであろう。この問題がここまで複雑化してしまったのは石原のバカが東京都で土地を買い上げるという行動によって虎の尾を踏んだことにあるのだから、先ずは石原発言以前の段階に戻すよう日中両国での外交努力が望まれよう。さらには南シナ海における中国の国際ルールを無視した行動をシーレーンに絡めて問題にする向きもあるが、これは的外れの議論といって
よいだろう。既に述べたことであるが、日米安保が解消して敵対関係になく経済的な相互依存関係にある国に対してシーレーンの妨害をするとは考えにくいからであるが、万一妨害という事態が発生したとしても、フィリピン東側を通るルートを選べば、多少運賃は嵩むかも知れないが、「油断」という事態は避けられるのであるから、右翼の連中が騒ぎ立てるほどの問題ではないのである。そのように言えるのは向こう10年〜20年の間に中国海軍が第七艦隊を抑えて西太平洋の制海権を握るといった事態は想定しにくいということが前提になっているからではあるが。

以上述べてきたように、トランプ「大統領」が理不尽な要求をしてきた場合であっても、それを逆手にとって、自発的にはなかなか困難な軍事同盟の撤廃による真の平和国家建設の途が可能となるのである。もちろん、そのような国民的合意を得るには多くの困難が山積していることは重々承知しているし、まかり間違えば、危険な軍事国家となりかねないリスクを孕んでいることも認識しなければならないのだが

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2016年6月14日 (火)

熊本ボランティア最終日

公共交通機関を利用して益城のボランティアセンターに行くのは非常に敷居が高いのであるが、路線バスが一部不通のままとなっている現状では空港行きのリムジンバスを途中下車して三キロ近く歩いていくしかない。そんなわけで、始発のバスに乗り込み空港方面に向かう。

途中下車したバス停では、私と同じ目的の人はいないかと思ったが、下車したのは私一人だった。ボランティアセンターでは私が一番乗りだったが、益城センターでは「継続」の人(益城のセンターを利用したことがある人)の方が先に手続きを行うことになっているようなので、早く行った甲斐はなかった。継続の人と新規の人を平等に扱う熊本市のセンターのやり方の方が合理的に思えるのだが

今日は久し振りの好天で真夏日となることが予報されていたし、連日の重労働を炎天下で行ったらグロッキーとなる懸念もあったので、屋内の軽作業でお茶を濁し益城で活動をおこなったという実績だけ残せればいいやと考えていた。結果的には屋外作業とはなってしまったが、集積場での分別という「軽作業」にありつけたので、まずまずであった。

10人という大勢で手掛けたので、思ったより早く作業を終えることができた。分別したうちの瓦礫はパワーショベルであっという間にダンプの荷台に運ばれ、重機の威力をまざまざと見せつけられた。
熊本ボランティア最終日
なおメンバーの中には神奈川から来た高校生三人がいたことは特筆すべきことであった。しかも費用はアルバイトで捻出したとは泣かせるではないか。このような気概のある若者がいるのであれば、日本の未来もまだまだ捨てたものではないという気がした。

センターから空港までの5キロほどは交通機関がないので歩いて帰るつもりだったが、メンバーの一人が車で送ってくれるというので好意に甘えることにした。その結果、時間的な余裕も出ることになったのて、空港の手前にある日帰り温泉で汗を流し、汗まみれで飛行機に乗ることは避けることにした。

日帰り温泉から空港までは2キロほどあったが、日もだいぶ低くなっていたので、ほとんど汗をかかずに空港に着くことができた。

これで今回のボランティアはほぼ予定どおり終えることができたが、現地のニーズはまだまだ高いので、普通ならば来月あたりにまた熊本ということにるのだが、参院選が終わると安部政権が辺野古埋め立て工事を再開する可能性が高く、埋め立て工事阻止のゲート前座り込みもまた行う必要がでてくる。さすがに熊本と沖縄の両方に行くわけにもいかないので、どちらかに絞らなければならないが、悩ましいところである。

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2016年6月13日 (月)

熊本ボランティア2日目

今日は平日なので、さほど早くセンターに行く必要もなかったのだが、早起きのクセがついてしまったので、今日も受付待ちの行列の先頭近くに並んだため長時間待たされることになってしまった。

今日はいつもの受付のやり方とは違い、城南出張所行きの18人を先に選抜するというものであった。城南出張所は前回から連続で行っており、他の地区にもいってみたかったし、城南出張所は移動だけでも1時間近くかかってしまって不効率なのであえて立候補しなかった。ところが、その後に募集された仕事にはみな外れてしまい、しばらくの間は募集がなかったので、これは仕事にあぶれることになるのではと危ぶんだが、なんとか仕事にありつけることができた。

今日の仕事は南区にあるお宅の倒れたブロック垪の残骸を運ぶ仕事であるが、メンバー全員が男だし、うち三人は若者だったので、老骨にむちうつこともなく仕事を終えることができた。
今晩は予約してあるカプセルホテルにとまるだけなので(一般ホテルは避難者が利用しているためか満室なので)、ボランティア終了後の余った時間を利用して田原坂に行ってくる。

「あめはふるふる。じんばはぬれる。こすにこされぬ田原坂」で名高い西南戦争での薩軍と政府軍の激戦地で、ここで敗れた薩軍は総崩れとなる。もっとも、その前の段階で政府軍がたてこもる熊本城を陥落できなかったことが薩軍の敗因かもしれないが。その時の西郷の有名な言葉が「自分は政府軍に負けたのではない。堅牢な熊本城を作った加藤清正公に負けたのだ」だったかな。それにもかかわらず、今回の震災で熊本城があっけなく崩れてしまったのは皮肉なものである。

田原坂は公園となっていて戦没者の慰霊碑もたっている。見晴らしも良いところだが、駅からは徒歩30分とやや遠いものの、広い駐車場があるので、観光客はそこそこ来るのかもしれない。ただ今回は時間が遅いためか自分一人の静かな戦跡で往時を偲ぶことができた。
熊本ボランティア2日目

熊本ボランティア2日目
明日は震源地の益城町に向かい、そのまま空港から帰るので、熊本の街は今夜が最後だ。美味しい熊本の味を楽しんでいきたい。

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2016年6月12日 (日)

熊本ボランティア初日

今日は終日雨の予報である。そのせいか、ボランティアの集まりも悪いようである。まあ仕事にあぶれる心配がないだけはましである。9人乗りのジャンボタクシーに乗って前回も行った城南のセンターに向かう。

センターでグルーピングが行われ、通常は4、5人で1グループとなるのにもかかわらず、人数が足りなくなってしまい、私は女子大生二人との三人グループとなってしまった。最初のうちこそルンルン気分だったが、すぐに判断が誤ったと思うようになった。というのは依頼された仕事は力仕事が中心で男手は依頼者と私二人だけというのでは荷が重いことに気づいたからである。幸い午後からは他の現場の仕事が早めに終わった若手四人が応援に駆け付けてくれたので、楽をさせてもらうことになりホッとした。
熊本ボランティア初日

その晩は前回と同様にボランティアは1000円で泊まれるというスパを利用した。奥の休憩室には何台も大スクリーンがあってリクライニングシートに寝そべりながら好きな画面を見られるのだが、ゴルフを映しっぱなしのスクリーンの横では、クライミングのワールドカップを延々と映していた。一般向けの放映で、こんなにクライミングをやるなんて初めての経験だ。まるで自分のためにやっとくれているかのようだったが、2020年の東京オリンピックの有力種目としてクライミングが候補として挙がっていることもあり、認知度も上昇しているということだろうか?

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2016年6月11日 (土)

再び熊本へ

先月に続いての二度目の熊本ボランティアである。前回は始発のフライトを利用したが、土日は朝早くにボランティアセンターに着かないと仕事にありつけないことがわかり、東京を朝出では間に合わないので、今回はゆっくりと出かけることにした。その代わり、1月に沖縄に行った時に乗り残してしまった千葉モノレールの終点の千城台までの往復も乗車しておいた。これで千葉県内のJRと私鉄は全線乗車したことになる。

熊本空港にはほぼ定刻どおり、日没前に降り立つ。前回との大きな違いは屋根にブルーシートをかけた家が目立たなくなったことである。この間に屋根の補修が進んだからであろう。

熊本市内に入ると、崩れた熊本城の石垣を除けば(もっとも暗くなっていたためよく見えなかったが)、他の県庁所在地と何ら変わりのない賑わいであった。前回は市内のホテルは軒並み満室だったのは、全国から動員された自衛隊員が宿泊しているのかと思ったが、自衛隊は先月末に帰ったはずなのに、相変わらずホテルは満室続きである。そこでハタと気づいたのは、避難者が仮設住宅に入居できるまで県か市かは知らないが借り上げているためだろう。それはともかく、ホテル泊まりができないので、初日の宿は久し振りのネットカフェとなった。

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2016年6月 3日 (金)

アベ政治を許さない

アベ政治を許さない
澤地久枝さんの呼びかけにより毎月3日の日が恒例となっている国会前での「アベ政治を許さない」の集会に参加してきた。先月は憲法集会のために参加できなかったが、後はだいたいは出ているように思う。

いつものように参加者は百人足らずで、リタイアした者ばかりのようであったが、その中にあって、自分は仕事に行く途中だったため背広姿だったのが目立ったのか、赤旗の記者のインタビューを受けてしまった。一般紙ならば躊躇するところであるが、赤旗の読者になら知られてしまっても構わないとインタビューに応ずることにした。

今一番訴えたいことは何かと問われたので、改憲阻止、とりわけ緊急事態条項によって再びファシズムの道を歩むことだけは絶対に避けなければならないと「熱弁」をふるった。他にもいろいろしゃべったが、よくよく考えてみると、やはり照れ臭いので、私のインタビューはボツになることを願うばかりである。

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