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2016年7月

2016年7月31日 (日)

穴山合宿+横尾山ハイキング

所属している国際交流のNGOの会員が山梨の穴山に移住してカフェを営業しているので、その話を聞いたりする合宿に参加する。

 

会場にはスタッフを含めて30人近くの参加者があったが、スタッフ以外のメンバーを見て驚いた。いつもそのNGOに私が参加しているグループはだいたい同年輩の人が多かったので、今回もそんなもんだろうと思っていたが、なんと自分の子供の世代の者がほとんどで、場違いの所に来てしまった気もしたが、若い人が、国際交流やボランティアに関心を持ってくれることは好ましいことでもあるし、普段はあまり経験したことがない環境に身を置くのも悪くはないかなと思い直した。
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最初に穴山でカフェを開いている会員がカフェを開く経緯と現地での村おこし活動の報告とさらにはNGOとの関わりについての話があり、次にグループディスカッションが行われた。

 

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その後にカフェの見学を兼ねての穴山散策の後、夕食と入浴を挟んで、翌日見学及び体験する農場のオーナーである移住就農者の話しがあった。

 

懇親会は遅くまでおこなわれたようであるが、私は翌日の行事には参加せずに、近くに移住した昔の山仲間とハイキングに行くことになっており、早朝に出発しなければならなかったので、11時には寝袋に入ってしまった。

 

翌朝は6時前に公民館を出て、中央線に乗って隣の日野春で下車し、昔の山仲間とその連れ合いの車に便乗させてもらって信州峠に向かう。目的地の横尾山は聞いた時は初耳であったが、調べてみると山梨百名山にも選ばれているし、展望にも恵まれているということだったので、かつてシーズンには毎月のように通ってクラックを登ったミズガキ山の眺望も楽しめるのではないかと興味が湧いてきた。

 

信州峠からの登りはハイキングにしてはきつい登りであった。しかし、それもわずかのことで、じきになだらかになって展望のきいたカヤト原に着く。富士山、南アルプスから八ヶ岳、奥秩父まで360度の眺めがほしいままであったが、期待していたミズガキは逆光のために陰影がはっきりしない状態であったのは残念であった。
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頂上はそこから大した登りもなしにダラダラ歩いた先にあったが、まわりの樹木の成長が急なためか、先ほどのカヤト原に比べると眺望は格段に劣っていた。
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頂上でしばらく休憩した後に下りにかかると、かなりのハイカーが登ってくる。人気のない山と思ったのは間違いで、かなりのハイカーを迎えている山のようである。

 

午前中に下山できたので、入笠山も登ってしようかとも思ったが、尾白温泉に誘われたこともあり、この暑さの中を登山することに嫌気もさしてきたので、温泉に入って今回の山梨訪問を終えることにした。

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2016年7月25日 (月)

朝日連峰縦走 最終目 朝日鉱泉に下山

当初の天気予報では、最終日は下り坂ということだったが、天気変化が遅れているようで、最終日の山形地方の降水確率は0%になったので、頂上で御来光を拝もうと3時半に小屋を出発する。登りながら東の空を見ると、うっすらと明るくなるが、時折、薄い雲が横切って何も見えなくなる。

頂上に着いて日の出を待つが、東の空の雲がますます厚くなってくるので、御来光は望み薄となってくる。あきらめて下山しようとした時に、東の空の雲が一瞬切れてお日様が姿を現したが、すぐに見えなくなったので、カメラにおさめることはできなかった。まあ御来光は拝むことができたということにして小屋に戻ることにした。
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小屋で朝食をとってから6時に小屋を出発する。朝日鉱泉へ降りるコースは3つあるが、時間の余裕は十分あるので、最短路はとらずに、北側の小朝日岳経由のコースを行くことにする。

小朝日岳は切り立った岩壁を従えた見映えのする山である。頂上から望める大朝日岳の勇姿はとても2千メートル未満の山とは思えぬ堂々としたものである。

ここから先は下り一方でもう大した登りはないと思い込んでいたので、気楽に歩を進める。鳥原山を過ぎて小沢に降り立った時は、朝日鉱泉まではあと1時間ちょっということで、ほとんど終わったような気分になってしまったが、尾根に登り返さなければならなかったので、最後は結構苦労させられた。

朝日鉱泉ではたっぷりと時間があったので、風呂に入った後に生ビールと山菜蕎麦とで山の疲れをとることができた。ジャンボタクシーで着いた左沢からはJR東日本では残り少なくなった未乗車路線である左沢線の乗車というおまけ付きまであった。

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2016年7月24日 (日)

朝日連峰縦走 三日目 朝日小屋まで

朝日連峰縦走三日目朝日小屋まで
今日は朝日小屋までなのでのんびりした一日である。適当なアップダウンを繰り返しながら西朝日岳の山頂に到着する。ここまでくれば、大朝日岳は目の前である。途中の中岳の山腹を巻いて行けば、金玉水への分岐点である。朝日小屋には水場はないとのことなので、荷物はデポして昼食と水筒だけ持って金玉水まで下り、水の補給と昼食を済ます。

金玉水から朝日小屋まではすぐであったが、小屋に着いてガッカリしたのは、ビールを売っていなことであった。昨日の狐穴小屋の缶ビール小が800円もするのにも驚いたが、夏山でビールを売っていない山小屋があるというのにも驚いた。きっと管理人が酒嫌いなのだろう。楽しみは明日、朝日鉱泉に降りて、一風呂浴びてからのビールの乾杯まで取っておこう。

小屋は昨夜は土曜日で混雑したそうだが、日曜の今日は閑散としている。平地の天気予報では好天のはずなのだが、雲が垂れ下がり、山頂はすっかり雲に覆われている。視界のない山頂に行ってもしょうがないので、明日の山頂からの御来光を期待することとしよう。

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朝日連峰縦走 二日目 狐穴小屋まで

朝日連峰縦走二日目狐穴小屋まで
大鳥小屋の他の宿泊者はみな竜門小屋まで向かうようで暗いうちから出発していったが、狐穴小屋泊まりと決めている我々は出発が最後となる(それでも5時ジャストには出たが)。

以東岳に向かうには池のどんづまりまで行って直登するコースとすぐに池と離れて尾根に取り付くコースがあるが、後者の方は遠回りではあるがきつい登りは無さそうだったので選択することにした。結果的には、最初こそは登りが続いたが、傾斜が落ちて稜線上を行くようになってからは高山植物が咲き乱れる別天地を行く素晴らしいコースであり、選択は正解であった。
200名山である以東岳には私は9時過ぎには着いたが、同行者が遅れがちで30分ほどしてようやく到着した。さすが、200名山だけあって、朝日連峰の名主である大朝日岳はもちろん、蔵王、船形山、月山、鳥海山といった東北の名山の眺めがほしいままである。ここから見える狐穴小屋まではなだらかな尾根が続いており、昼前には十分着きそうに思えたので、今日中に竜門小屋まで行くことも不可能ではないようだが、はたしてどうなることやら。

下りに入ると同行者の一人がまた遅れがちとなる。しばらく待って、追い付いたら歩き出すが、気がつくとまた遅れてしまうということの繰り返しである。この時点で、竜門小屋まで行くのは無理と判断して、私が先に小屋に着いて荷物をデポした後に同行者の所に戻って、彼の荷物を担いであげることにした。そのため12時過ぎには小屋のビールで乾杯することができた。竜門小屋まで行けなかったのは残念であったが、当初の予定通りの行動であるからよしとしよう。

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2016年7月23日 (土)

朝日連峰縦走 初日 大鳥池まで

朝日連峰縦走初日大鳥池まで
朝日連峰の主峰である大朝日岳はだいぶ昔に登ったことがあるが、その時は悪天のために縦走はかなわなかったので、いつか縦走を果たさねばとずっと思い続けてきた。100名山達成にも目処がつき、アルパインクライミングからも足を洗った今になってようやく、そのチャンスがやってきた。たまたま同行したいというひとが現れたので、その人の知り合いの高校生と三人で出かけることになった。

今年は梅雨明けが遅く天気が心配されたが、運よく山形地方の天気は好天の予報だったので予定通りどおり決行することとして、夜行バスに乗り込む。鶴岡からは路線バスとジャンボタクシーを乗り継いで登山口に9時半に到着する。

今日は大鳥池までの3時間くらいの短い行程なので、のんびりと歩き出す。沢沿いの道は風がよく抜けるので、好天にもかかわらず、たいして汗もかかずに済む。やがてつづら折りの急登にさしかかるが、それもたいした距離ではなく、それを登りきれば大鳥池であった。

池の畔に建っ大鳥小屋は避難小屋にしては立派な小屋である。二階建ての小屋の今日の宿泊者は10人以下なのて、余裕である。なにしろ小屋に着いたのが12時半なので時間をもて余してしまう。それでも酒を飲んだり話したりしているうちに夕方になり、簡単な夕食をとれば後はやることもなく寝るだけで一日目は暮れていった。

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2016年7月20日 (水)

小池百合子の正体

都知事選挙も後半戦に入ったが、小池候補は自民党からの大っぴらの支持は得られないにもかかわらず、知名度に加えて、小泉純一郎ばりの威勢のよいハッタリで支持を集めているようであるが、その正体はきわめて危険な右翼政治家であることを、支持率が高いと言われる女性有権者は知っておかなければならない。

侵略戦争を行ったことも、戦後民主主義の素晴らしさも否定し、日本を戦前の天皇制国家体制に戻そうとしている右翼集団である「日本会議」の幹部を小池候補はつとめているのである(正確に言うと、その下部組織の副会長であるが)。

今回の都知事選挙は参院選のような国の将来を左右するわけではないからと、半ば高みの見物を決め込んでいたが、小池百合子のような危険な人物を東京のトップに置くことはとんでもないことである。今さら選挙運動に身を投じるわけにもいかないが、小池知事登場を阻止するために、なんらかの行動をしなくてはならないと思うようになってきた。

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参院選後初の19日国会前抗議行動

参院選後初の19日国会前抗議行動
昨年9月19日の戦争法強行採決に抗議して毎月19日は国会前で抗議集会が開かれているが、参院選で改憲勢力の3分の2超えを許してから初めての19日の抗議集会ということで、自分も含めて気落ちした気分から参加には消極的になりがちであったが、こんなことではいけないと気持ちを奮い立たせて国会議事堂前に向かった。

地下鉄から外に出ると、土砂降りの雨で一瞬たじろいたが、雨具上下の完全装備を身に付けていたので、予定通り国会前に進む。

国会前には豪雨にもかかわらず4千5百人の参加者が集まっていて、戦争法廃止、原発反対、辺野古埋立反対の従来からの主要な主張に加えて憲法改悪反対も大きな主張となっていた。

今回は都知事選の鳥越候補も挨拶に来ていて、鳥越勝利も当面の大きな目標であることが確認された。また沖縄からの緊急アピールがあり、参院選終了とともに国は工事再開の動きに出ていることが報告された。また沖縄に行かねばなるまいか

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2016年7月19日 (火)

八丈島・三宅島の旅二日目、最終日

八丈富士登山を目指して早朝4時前に民宿を出発する。暗闇の中をライトをつけて自転車を漕ぎ、高みを目指す。辺りが薄明かるくなってきた頃には傾斜も増してくるので時々は蛇行しながら進むが、水平線には厚い雲があるので、今日も日の出は望めそうにない。

400メートル近く登り、登山口まであと100メートルぐらいになった時に振り返ると、厚い雲の上からお日様が姿を現し、遅い日の出となった。
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今までの疲れと朝食を食べてないために体に力が入らず、急傾斜になると自転車を降りて自転車を引いて行く羽目になる。

ようやく登山口に着き、自転車から解放されて歩きに移ることができた。頂上との標高差は300メートルくらいだから1時間ちょっとで往復できるだろう。

歩き出してからは順調に高度を稼いだが、傾斜が落ちて頂上間近と思ったのは早とちりで、そこはまだ外輪山の一角に過ぎず、頂上まではまだ10分ほど歩るかねばならなかった。

外輪山の道は所々歩きにくいところもあったが、ほどなく851メートルの頂上に達した。伊豆諸島の最高峰に登頂できたことになるが、ガスで何も見えず、宿の朝食時間も気になったのですぐに下降を開始し、途中から自転車に乗り換えて民宿には朝食前に帰りついた。
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三宅島までの船は2等席を利用したが、ほとんど甲板に出ていたので問題はなかった。船もがら空きで往路の混雑がウソのようだ。三宅島に着くと、家内は民宿の人に迎えに来てもらい、近くを散策するということで、私はまた島内一周ツーリングに出かけるが、八丈島に比べると、距離的にも短く、高低差も少ないので、3時間足らずで回ってこれた。

今夜の民宿の主人は商売気のない人で、ダイバーと釣り客はお断りとのことで、連休中だというのにがら空きだった。

最終日は午前中はフリーだったので、家内は南部の観光地にバスを利用して出かけ、私はそれらのうちいくつかは昨日ツーリングの途中に立ち寄っているので、港の近くの岩場でボルダリングを楽しむことにする。三宅島はクライミングスボットとして近年脚光を浴びており、村ぐるみでクライミングを支援していて、村営のクライミングジムまであるそうだ(昨日のツーリングの際に立ち寄ろうと思ったが、発見できなかった)。岩場は砂浜の奥にあり、海水浴客も何人かいたが、クライミングしているのは私だけだった。簡単な課題を何本か登ってから港に戻る。
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港には乗船時間よりもだいぶ早く着いたため乗客もまばらで、待たずに乗船手続きを済ませることができた。バス停で家内が戻って来るのを待ち、到着後にバス停前のホテルのレストランでランチを食べる。

昼食後に船着き場に戻るとものすごい人出であった。往路で一緒だった人のほとんどがまた一緒になるのだろうから当たり前なんだけど。満席で席なしの人が少しでもよい場所を確保するために長蛇の列を作っていたが、予約している我々はアナウンスがあってから乗船する。今回は2等席が売り切れだったので、一等席を予約したが、マットと毛布がついているだけで料金が倍近くもするのは勿体ない気もした。

帰りは大島経由で竹芝桟橋までは約7時間の航海である。船上からの日没を期待したが、日没時間には東京湾に入ってしまい、雲が多いこともあって日没は見られなかった。今回は日の出、日の入りは全て見られなかったが、天気には比較的恵まれたし、予定していた計画はすべて果たせたので、満足すべき旅であった。

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2016年7月18日 (月)

八丈島・三宅島の旅一日目

海の日を含む三連休に八丈島・三宅島に行ってきた。この時期、関東地方の梅雨明けは望み薄だが、八丈島あたりまで南下すれば、多分、梅雨明けしてるだろうと思って旅の目的地を選択した。八丈島だけではもったいないので、三宅島にも立ち寄ることにした。最初は飛行機を利用することを考えたが、自転車で島内一周をしてみたかったので、八丈島までのANAは問題ないだろうが、三宅島から横田までの離島専門航空会社が果たして自転車を運んでくれるのかどうか不明だったので、船を利用することにした。行きの船は夜行だったので、家内のために個室を予約しようとしたら、最上級である特等にしか個室がなかったので、清水の舞台から飛び降りるつもりで特等席を予約した。

三連休前のピーク時期だったので、予約できなかった席なし客が通路にたくさん寝そべっていて足の踏み場もないくらいであったが、快適な特等席の我々は、少しの優越感を抱く一方で、申し訳のないという気持ちも感じた。折角の特等席なのだから熟睡すればよいものを、枕が変わると眠れなくなる神経質(?)な自分は3時前から目が覚めてしまったので、運よく東側の部屋に泊まれたこともあり、船室からの日の出観賞を期待したが、あいにく水平線には雲があって日の出は見られなかった。

三宅島や御蔵島への寄港を経て、終着の八丈島底土港には予定より少し遅れた9時過ぎに到着した。最初は家内には電動アシスト自転車をレンタルしてもらって半周くらいは一緒に行こうかとも思ったが、登りは電動の力を借りればともかくとして、下りの長くて急なダウンヒルは慣れてない家内には恐ろしく感じるかもしれないと思い直して、家内には島内バスの終点まで往復してもらって、民族歴史資料館で落ち合うこととした。

港から南回りの道は行きなりの急坂である。300メートルあまり登って登龍峠に着き、一休みしながら眼下の海を眺める。
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これで登りは終わったと思ったのが甘かった。そこからさらに100メートルほど登りが続くのには参ってしまった。

ようやく下りにさしかかり、家内が帰りのバスに乗るはずの末吉に降り立つ。バスの発車時間までは10分弱なので、バス停に家内はいるはずだと思ったが誰もおらず、携帯を呼び出しても応答がないので、やむを得ず出発する。しばらくすると後ろからきたバスに追い抜かれると、車内に家内が乗車しているのが認められた。後で聞くと、近くの温泉に入っていて、バス停には発車時間ギリギリに間に合ったとのことである。

そこから先は比較的平らな道が続いたので、さほど待たせることなく資料館で合流することができた。資料館は一般的な昔の暮らしぶりを伝える生活用具の展示の外に、八丈島ならではのものとして、流人の歴史の展示もあった。関ヶ原の戦いに西軍の副将として参加して破れた宇喜多秀家以来、数百人が流されたそうである。
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資料館見学後に近くで昼食をとるつもりだったが、飲食店が近くには見当たらない。だいぶ離れた所に一軒見つけたが、店の外に行列ができていたので、あきらめてスーパーで弁当を買い、資料館の庭のベンチで食べることにした。

昼食後に家内は民宿に向かうためにバスに乗ることにしていたので、私は家内と別れて、島の北半分のツーリングにでかけた。こちらの方は南半分と違って大した登りもなく、一時間半で回ることができた。これならば家内も電動アシストで一緒にツーリングできたかなと思えるほどだった。時間はまだ早かったので、八丈富士に十分行ってこれるほどだったが、猛暑の中をツーリングしてきてお疲れ気味だったし、照り返しの中をさらに頑張る気がしなかったので、八丈富士は明日の早朝に回すこととして、民宿の近くの民芸品での家内のショッピングにつきあうことにした。

八丈島には元々ホテルは少なく、予約しようと思った時は全て満室だったので、久しぶりの民宿泊となる。ダイバー利用の多い民宿で、庭に作られたプレハブのような建物の中でのバーベキューはそれはそれで変わっていて面白かったが、風呂の湯が熱すぎて入れずにシャワーしかできなかったのには参った。その晩は、明日の八丈富士登山に向けて早々と寝てしまった。

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2016年7月13日 (水)

ポスター張りかえ

選挙が終わったので、我が家の玄関のドアに張ってあった選挙ポスターを外すことにした。「アベ政治を許さない」のポスターはそのままなので、選挙ポスターの代わりに憲法改悪反対のポスターを張ることにした。
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「アベ政治を許さない」のポスターは既成のものがあるが、憲法関連は適当なものがないので、自分で考えることにした。タイトルとして「憲法改悪反対」はまだ正式に改憲案が提示されてない段階では先走りの感があるので、護憲と草案批判を内容とするものにした。前者は「憲法を守れ」という既成のものを見つけたので借用し、後者は「明治憲法体制復帰を目指す憲法改正草案反対」というメッセージにした。いずれ運動全体の共通ポスターが発表されたら張り替えることにしよう。

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2016年7月11日 (月)

安倍晋三ついに本音をもらす

選挙終了までは改憲の内容については一切ふれずに、国会に委ねるとしていた安倍晋三が投票から一夜明けた今日になって、「わが党の案をベースにして」という発言を行い、封印していた自民党の憲法改正草案(以下、草案と略)を前面に押し出してきた。

選挙中に知り合いに憲法改悪反対を訴えた際に反論されたのは、時代の変化とともに憲法も変えていく必要があるというものであった。そういう人に限って草案についてはほとんど知らず、自民党の改憲の内容が時代の変化と逆行した先祖返りであるとはつゆとも思っていないことであった。

草案の内容は安倍政権のバックボーンである日本会議という戦前の天皇制国家への復帰を目指している妖怪が実現しようとしているものにほかならないが、日本会議の存在自体が一般にはほとんど知られていない。と思っていたら、昨日の選挙特集番組の中で複数の民放テレビが日本会議のことを紹介していたのは意外だった。

改憲内容が具体化するまでは反対運動がしづらい面があるのは事実であるが、草案の内容や日本会議の実態を一般に知らしめていくことは急務であると思われる。

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新たな闘いの始まり

選挙結果はご承知のように憲法その他の争点隠しを行った政権側の作戦に有権者の多くが騙されて改憲勢力による改憲発議を可能にする事態となった。残念なことではあるが、安倍の首相任期中に自民党憲法改正草案をベースとした改憲発議を行ってくるのは間違いないので、悔やんでばかりいるわけにいかず、改憲阻止の行動を起こさなくてはならない。改憲案が具体的にならない段階での運動はやりにくい面があるが、政権を支える日本会議が憲法改正の1000万人署名を行っているのに対して手をこまねいているわけにはいかない。憲法改悪反対の2000万人署名を行って対抗するのはどうだろうか

それはともかくとして、改憲の分岐点は改憲派78名、護憲派44人と報道されていたので、深夜に比例区最後の議席を生活が獲得してかろうじて改憲阻止ができたかとぬか喜びをしてしまったが、非改選議員の無所属のうち4,5名が改憲派だったので、改憲派の必要獲得議席のハードルは74議席に下がってしまったそうである。この情報は投票日にネットで小さく報じられたのを見ていたが、テレビ報道では全く触れられていなかったので、忘れてしまっていた。こんな重要な情報が事前に報道されなかったというのはたいへん遺憾であり、意図的に報道されなかったとしか考えられない。報道しなかったことが、選挙結果にどう影響したのかはわからないが、前のブログでも述べた不正選挙がらみの権力側の策動が見えてならない

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2016年7月10日 (日)

鬼怒川中流ツーリング

選挙活動が終わって久しぶりに家でのんびりしたいという気持ちもあったが、選挙結果を待ってジリジリしているのも嫌だったので、鬼怒川下流部ツーリングの続きとして中流部を行くことにする。

まずは東北本線の岡本駅で下車して、前回の下流部ツーリングのおしまいである鬼怒川橋に向かう。ここからしばらくは川沿いの道はないので、地図で方向修正しながら進んでいく。新幹線、東北自動車道を横切ると、やがて東武線と合流する。

鬼怒川沿いの道はアップダウンが少なくて順調に進んで、鬼怒川温泉、川治温泉と過ぎて鬼怒川上流部への分岐点に達する。これで今日の最低目標はクリアしたことになるが、このまま西会津街道を北上して行きたい気持ちも多少はあった。そこで、前回走った西会津街道の南端までの距離を調べてみると17キロ弱である。アップダウンがかなりありそうだが、2時間みておけば十分で、まだ3時前だからいつもならば前進したと思う。しかし、今日は選挙の開票結果次第では選挙事務所に向かうこともあるかも知れないと考えて、ここで終わりにすることにして川治湯元駅に戻った。

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不正選挙

今回の選挙運動参加を通じて感じたことだが、違法とは言えないが、公正な選挙を妨げる不正な行為が多数行われて、それが改憲勢力の三分の二獲得に少なからず影響を与えているという事実である。

その最大のものは、自民党の改憲論争隠しである。年初に安倍晋三は参院選で改憲発義に必要な議席獲得を目指すと言いながら、選挙戦が近づくと改憲のカの字も言わなくなった。それにもかかわらず、自民党の選挙公約の最後には具体的な内容を書かずに小さく項目等は書いてある。これで選挙で勝ったら、改憲は国民の支持を得ているというのは目に見えている。実に姑息なやり方であり、選挙の公正さを損なうものである。争点隠しは他にもいっぱいある。戦争法に基づく南スーダンにおける駆けつけ警護の延期、辺野古埋立工事の中断、TTPの批准先送り等々、もうこれは詐偽といってもいいペテン師の手口である。

この安部政権のやり方に反対して真っ向勝負を挑もうとした憲法学者小林節率いる国民怒りの声(以下、怒りと略)に対するマスコミの完全黙殺である。比例区10人、選挙区1人の候補をたてているにもかかわらず、テレビの党首討論会にも呼ばれず、ニュース番組の各党首の主張でも無視されている。現職議員がいないからというのが理由とされており、これは幸福実現党でも同様であるとされているが、同党の場合、与野党の実質一騎打ちの選挙区への立候補者については紹介だけはされているのである。さらには選挙公報において怒りの候補者の写真がまるで反社会的勢力の人間でもあるかのように暗く写っているのである。おそらくは論客小林節が国会に登場して真っ向から論争に挑んでくるのを嫌った官邸がなんらかの圧力を行使したからではないかと考えてもおかしくはない。

今回の選挙での奇怪な出来事は「支持政党なし」という団体からの大量立候補である。その選挙に対する影響としては支持政党なしと言われる層の一部がなにもわからずにか面白がってか知らないが投票してしまう可能性が高いことである。野党にも投票される可能性がある票を吸収してしまい、さすがに選挙区では無理だが、比例区では若干の当選もありうるとされているこの団体の実体はなんであるかを見極めなければならない。選挙区では1人300万円、比例区では1人600万円の供託金が必要であり、一定の得票がないと没収されてしまうものを単なる興味本位の者が行うとは到底考えられない。権力側等から迂回した資金が出ていないとも限らないので、杜撰な政治資金規制法ではあるが、可能な限りは資金の出所を解明すべきである。ついにはここまでやるかというほどの酷い選挙妨害である。

その他にも不正選挙と思われることはいくつかあるが、一つ上げれば、早い段階での改憲勢力が三分の二に迫る勢いというマスコミの報道である。この影響としては、本来なら野党に投じられるべき票をあきらめから棄権に向かわせるであろう。マスコミに対して報道内容の直接的な指示まででているとは思いたくないが、総務省あたりの意向が伝えられて、それをマスコミがそんたくしたということは十分に考えられる。

このブログを読まれて投票に向かわれる方は、不正に惑わされずに賢明な判断をされることを願っています。

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2016年7月 9日 (土)

戦い終えて

選挙戦が終わった。
後は結果を待つだけだが、情勢は予断を許さない厳しいものである。どうしても譲れない線である改憲勢力の三分の二阻止も目処はたってないし、選挙ボランティアを行った政治団体「国民怒りの声」も当初期待したほどの成果をあげるのは困難視されている。

それはともかくとして、自分なりにはやるべきことはすべてやりつくしたといってよい。最後の10日間は連続で運動をしたし、知り合いへの応援ハガキの宛名書きや電話がけ等、やり残したことは見当たらない。人事を尽くして天命を待っという心境である。

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2016年7月 8日 (金)

いつか来た道

自民党憲法改正草案のうち、一般には馴染みが薄いと思われる「緊急事態条項」の危険性については前回のブログで述べたが、もし憲法改悪が行われた場合には緊急事態条項の制定にとどまらず、第二弾以下で9条の平和主義の破壊、天皇元首化と神道・日の丸・君が代の崇拝強制という天皇制国家体制づくり、国民の自由と権利の大幅な制限が行われて、戦前の暗黒社会に向かって進んで行くことは避けられないであろう。

戦前においても大正デモクラシーの終焉から国家総動員の制定と日中戦争勃発までは10年近くを要したわけだから、仮に今回憲法改悪が行われたからといって、直ちに世の中が激変するわけではないだろう。しかしながら、いったんルビコン河を渡ってしまえば、引き返すことが困難なことは歴史が証明している事実だ。

今回、生まれて初めて選挙運動に身を投ずることになったが、今立ち上がらなければ、いつか来た道となってしまい、後戻りすることができなくなってしまうというやむにやまれぬ気持ちからである。

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2016年7月 5日 (火)

緊急事態条項は独裁国家への第一歩

参院選投票日がいよいよ目前に迫り、マスコミ調査では改憲勢力が衆参三分の二超えを実現する勢いであると報じらているが、これは由々しき事態である。

改憲勢力が衆参三分の二超えを実現した場合に自民党の憲法改正草案のうちどこまでの条項を発議してくるかは不明であるが、国民の憲法改悪アレルギーに配慮した自民党幹部の発言等から判断すると第一弾は「お試し改憲」として国民に馴染みの薄い「緊急事態条項」の制定を他の諸国でも導入している(もっともドイツを例にとると、地方分権が徹底しているので、緊急事態には中央に権限を集中させるためのもののようで、自民党案のように国民の権利を広範に制限するものではないようだ)制度だというもっともらしい理由をつけて企む可能性が高いと考えている。これにおおさか維新の主張している環境権という耳障りのよいものを取り入れてセットにすれば、国民の多くが騙されて、過半数の賛成を得てしまうこともあり得ない話ではない。

そこで今回は「緊急事態事態条項」というものが、いかに危険なものであるかということを述べてみたい。「緊急事態条項」とは自民党の憲法改正草案98条99条に記載されているものであるが、戦争や災害という事態だけでなく、内閣が緊急事態であると認めた時には、国会の決議なしに内閣は法律を作ることができるというとんでもない代物である。条文上は「法律の定めるところにより」となっているが、政権党であれば、都合のよい定めは幾らでも作れるのであるから、この定めはほとんど無意味である。他方では政権党が都合のよい法律を作れるのであれば、緊急事態条項はあってもなくても同じことで、緊急事態条項で騒ぎ立てるのはナンセンスだという主張があるかもしれないが、これは全く間違いなのである。国会の決議が必要ということになれば、一定の手続きと時間を要することになるので、その間に国民の広範な反対運動が起こり、政権党と言えども一定の妥協をせざるをえないという事態は十分考えられるが(天下の悪法の戦争法でさえ、発動要件に一定の縛りを設けざるをえなかった。そのため、改憲による縛り撤廃を狙っているようだが)、内閣が法律を作るとなると、そのような余裕も与えなくなってしまうのである。

戦前のドイツにおいて当時もっとも民主的といわれたワイマール憲法下においてヒットラーが国家緊急権を悪用して独裁国家を作り上げたことは何人も否定できない歴史的事実である。安部首相がそこまでやらないとしても、将来、問題のある人物が政権を取った場合には日本が独裁国家となるリスクが常につきまとうことになってしまう。こんな危険な条項を許してしまうことは、次の世代に対して取り返しのつかないは過ちを犯してしまうことになるのである。

(参考)自民党憲法改正草案
第98条(緊急事態の宣言)
 1 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。
 2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。
 3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。
 4 第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする。

第99条(緊急事態の宣言の効果)
 1 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
 2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。
 3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
 4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。

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2016年7月 3日 (日)

参院選 いよいよ後半戦

参院選まで残すところ1週間を切ってしまった。
選挙ボランティアの方も連日続いた宛名シール貼りや証紙貼りもようやく終了して屋外活動に移ることとなった。

この日は都内5箇所での街宣でのビラ配りに参加した。都心ではなかなか受け取ってもらえないビラも中心部を外れるとかなりの割合で(といっても1割程度だが)受け取ってもらえるようだ。

今日は3のつく日で作家の澤地久枝さんの提唱による国会前での「アベ政治を許さない」のポスター掲示の日なので、街宣の移動の時間を利用して国会前に駆けつける。ポスター一斉掲示の1時には若干遅れたが、記念撮影にはなんとか間に合った。澤地さんも猛暑にもかかわらず挨拶をされていた。
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ポスター一斉掲示終了後、次の街宣場所に向かい、なんとか時間までに合流できた。午後は3箇所での街宣に参加した後、夕方に帰宅した。ただその際も、ひとつ手前の駅で降りて、選挙ビラ約100枚を郵便受けに投函してきた。

我が家の玄関にも選挙ポスター等を掲示して戦闘モードに突入した。その晩は、知り合いに電話をしまくったが、10票以上は獲得できる感触を得た。
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