ドーハへ
ネパールは昨年5月に大地震に見舞われたことは記憶に新しいが、自分にとっては登山などで何度も訪れた土地であり他人事には思えなかったものの、国内の被災地のように気軽にボランティアに行くわけにもいかず、当座は義援金の支援をするだけであった。観光が主要産業であるネパールにとっては観光等で大勢の人が訪れて現地にお金を落とすことが最も復興に役立つことになるので、早いうちに訪問したいと思ってはいたが、どうせ訪問するならば震源地に近く、大きな被害を受けたランタン地区に行くことが復興という観点からはふさわしいのではないかと思えた。ランタンを選んだのにはもうひとつ訳がある。ネパールのトレッキングとしては、エベレストやアンナプルナ周辺が一般的であるが、いずれも訪れたいことがあるのに対して、ランタンはまだ訪れた事がなく、昔、イギリスなの登山家のティルマンが「世界中で一番美しい谷」として紹介したこともあって、以前から行きたいと思っていた地だからでもある。ただエベレスト方面が比較的早く復旧したのに対してランタン方面の復旧は遅く、今秋になってようやく倒壊したロッジの再建が行われて、以前と同様にトレッキングができるようになったということを知り、早速トレッキングに出かけることにした。ロッジが再建されたのであるから、あえて現地のガイドを頼むまでもなかったが、自分の年齢を考えただけでなく、ガイドやポーターを雇えば現地に金を落とすことにもなるので、「大名旅行」をすることにした。さらにトレッキングのアレンジをする旅行社も日本社ではなく、現地の会社を利用することにしたのは同じ趣旨からである。
今回搭乗する航空会社はカタール航空で初めての利用である。さすがにアラブのお金持ちの国の航空会社だけあって、LCC並みの低料金でありながらアジアの航空会社の中ではシンガポール航空と並んでサービスの良い会社と評価の高い会社である。今まで利用してこなかったのは、当然のことながらカタール経由となるため航続距離が長くなり(今回もネパールまでの最短距離の倍近くの距離を乗ることになる)、原油が高かった頃は別料金の燃料代がばかにならなかったためであるが、今回は原油安で別料金は不要となったために低料金の恩恵をそのまま受けるようになったわけである。
出発時間もいつもは午前中から昼にかけてなのだが、今回は深夜発と異例である。そのために出発前に迷ったのは、出発直後に出される食事を食べるかどうかである。なにしろ日本時間だと丑三つ時という時間に食事をするなどということは考えられないことだが、次の着陸前の食事は日本時間だと朝の10時頃になるので、それまで待つのも辛いものがあると思ったからである(何時でも間食は頼めるらしいが)。ところが、食事のメニューが配られて和食の文字が飛び込んできたとたんに気が変わってしまった。しばらくとれない日本食なのだから、時間に関係なくこの際は有り難くいただくことにしようと。
しっかりと完食してワインまで飲んで、後は眠るだけだという段になって歯磨きをしていないこに気付いたが、あいにく窓際の席だったのでトイレにいくことも憚られて、まあしょうがないかと、しばしの間はまどろんだ。やがて日本時間の朝が近づいてくると目が覚めてしまったが、せっかくの窓側の席にもかかわらず外の景色は暗闇でなにも見えず、タブレットの音楽を聴きながら長い夜が去るのをじっと待つ。
やがて朝食が運ばれて早い朝食を終え、東の空が白じんでくる頃にドーハの空港に着陸する。ドーハの空港は実に大きな空港である。便数が多すぎて案内表示には出発間近のものしか表示されないので、係の人に教えてもらったゲートが本当に正しいのか少し不安になる。教えられたゲートからジュネーブ行きが出発した後、このゲートの次の便はカトマンズ行きと出ていたので一安心する。
ドーハと言えば、サッカーのワールドカップ初出場を目指した時にほとんど切符を手中にしながら、試合終了直前にゴールをきめられて初出場を逃した「ドーハの悲劇」により多くの日本人の記憶に残っているが、今回は乗り継ぎ時間も短いので、単に通過するだけの所となってしまいそうである。
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