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2016年10月18日 (火)

奥鬼怒&高原山

鬼怒川は上流・源流を除き自転車で走破していたので、残された部分はわずかな距離ということもあり、歩いて踏破しようと家内との紅葉見物も兼ねて奥鬼怒温泉郷に出掛けた。

鬼怒川温泉駅から日光市営バスで終点の女夫淵まで行き、そこから先は今夜泊まる加仁湯の送迎バスで宿に向かい、宿で昼食を撮ってから、奥鬼怒の源流に向かう。天気の方は申し分ないが、紅葉の方はまだ早かったようで、色づいた葉がちらほら見られる程度であった。
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30分ほど歩くと日光沢温泉に着き、そこから道は沢を離れて山腹を登っていくようになる。源流部には道はないので、ここから引き返してもよいのだが、少し登ると対岸の滝を眺められるようなので登ってみる。

ちょっとした急な登りで小尾根に上がってしばらく進むと、対岸に日向恐ろし滝という滝が見えてきて、小さい展望台も作られている。
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道は稜線にある峠まで続いているが、沢沿いの道というわけではないので、鬼怒川源流部を歩くことにはならないため、ここで引き返すことにする。大河を河口から源流まで踏破する場合に、源流部に道がない時は源頭近くの頂上に立つことで代替していることが多いが、この稜線は学生時代に尾瀬から日光まで縦走した際に通過しているので、今回はあえて行く必要はないのだ(その縦走の際に立ち寄った鬼怒沼を鬼怒川の水源とする説も一般的のようだし)。

加仁湯の露天風呂は混浴となっていて、沢のせせらぎを聞きながら入れる野趣に富んだもので、風呂嫌いな私にしては珍しく二回も入ってしまった。ことに深夜に満月を愛でながらの入浴は印象深いものであった。

翌日は送迎バスを利用せずにバス停までの渓谷沿いの約4キロの遊歩道を歩いて行くことにした。送迎バスを利用せずに遊歩道を登ってくる人が多いのには驚いた。もっとも、昨晩泊まった加仁湯よりも奥にある日光沢温泉に泊まる人は送迎サービスを受けられないし、マイカーも規制されているので、歩いて行かざるをえないのだが

バス停付近には食べる所がなかったので、宿でおにぎりを作ってもらったが、バス停にはまだ早い時間に着いたので、もう少し先まで歩いて行くことにした。

しばらく歩くと、間欠泉の展望台があったので立ち寄ってみる。看板に50分間隔で吹き上げると書いてあったので、おにぎりを食べながら、時間待ちをすることにした。時々、白煙の勢いが強くなるので、いよいよ吹き上げが始まるかと期待するが、すぐに勢いがなくなってしまい、50分が経過したところで退散することにした。ちょっぴり残念だったが、以前にアイスランドで本格的な間欠泉を見たことがあるので、あえて「ちゃちな」間欠泉を見るまでもないのだが。もっとも展望台では、他の見学者から嫌味と取られかねないので、アイスランドの間欠泉のことは口にださなかった。
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1日数本のバスをできるだけ待ち時間を少なくするとともに、絶対に乗り過ごすことがないように計算しながら、川俣湖の入り口のバス停まで着いたところで、バスに乗る家内と別れて、さらに歩みを続ける。
田代山からの下山道との合流点までは15キロほどあったが、なんとか次のバスまでには着くことができた。

これで鬼怒川の河口から源流までの踏破は完了したが、まだひとつやり残したことがある。それは川治ダムから湯西川温泉駅までをあるくことだ。大河踏破シリーズとして阿賀野川もいつか踏破するつもりで、その際に川治湯元駅から会津高原駅までも会津西街道を通って繋げると利根川・鬼怒川・阿賀野川を経由した太平洋から日本海までの自分にとっての四本目の踏破ルートが完結することになるのだが、奥鬼怒から川治湯元方面に向かうバスは川治湯元駅と湯西川駅のほぼ中間点あたりで会津西街道に合流するので、この際に湯西川駅まで歩いてしまうことにしたのだ。というのは、川治湯元駅からその合流点までは以前に自転車通過したことがあるが、かなりの登りとなるので、次回に会津高原方面に自転車で向かう時に、湯西川駅をスタートすることにすれば、登りがあまりなくて楽になるからである(福島県境の峠越え部分は以前に自転車で踏破済みなので、その部分は電車を利用した輪行で通過可能)。

鬼怒川が会津西街道に合流する地点で大きく屈曲し、西側に川治ダム、東側に五十里ダムがあるが、湯西川駅までは東側の五十里ダムサイトのバス停から歩きだせば4キロ弱なので、本数の少ない野岩鉄道の次の電車になんとか間に合う計算をしていたのだが、うっかりしてひとつ手前の川治ダムサイトで降りてしまったのである。降りてすぐに間違えたことに気づいたが、後の祭りである。

ここから湯西川駅駅までの距離を調べると5キロ以上あり、普通に歩いたのでは乗るつもりの電車には間に合いそうもない。そこで、昔取ったなんとやらで、走っていくことにしたが、道がほぼ平らなことが救いであった。しばらく走ってから、湯西川駅までの距離を調べると、後は普通に歩いても十分間に合いそうだったのでホッとした。

湯西川駅では予定の電車には余裕で間に合い、後は川治湯元駅で降り損なわなければ、川治湯元のホテルに先に行っている家内と合流できるはずであった。ところがそんなにすんなりと問屋が卸してくれるほど甘くはなかった。

初めての場所ならば、下車した直後に現在地点を確認するところであるが、川治湯元は以前にも来たところであり、勝手知った場所であるという意識もあったため、家内には5分くらいでホテルに着くと連絡してから、駅前広場の道をまっすぐ歩き始めてしまった。街灯もない道はすぐに真っ暗になり、しばらく行くと通行止めの柵があるではないか。変だと思いながら柵を乗り越えて前進していくと、とうとう道が崩壊して崖っぷちに出てしまった。やむを得ずライトを取り出して現在地点を確認すると、駅から反対方面に進んでいることがわかったので、家内に少々遅れることを告げて正しい方向に進むと間もなくホテルの前に出ることができた。

予定外の行動で本日の歩行距離は35キロほどとなったが、今までしてきた街道歩きやお遍路の時の標準的な歩行距離と比べればやや多い程度である。ここ川治温泉は熱海のような歓楽街があるわけでもなく、奥鬼怒のような野趣に富んだ露天風呂があるわけでもないので、内風呂に入って体の疲れをとったら、翌日の高原山登山に備えて早めに寝て鋭気を養うことにした。

朝食のバイキングで腹を一杯にし、ゆっくりとした時間で帰宅する家内と別れて、8時にホテルを出て高原山に向かう。

高原山へはかなり上の方まで道路が通っているので、下から歩く人などはほとんどいないようで、林道や仕事道が複雑に交錯していて何度も道に迷い、700メートルほど高いところにある登山口までは4時間もかかってしまった。駐車場には沢山の車が停まっていて人気のある山のようであった。

もう12時は回っていたが、頂上までは500メートルちょっとの標高差でもあるし朝飯は十分と食べてきたので、1時間ちょっとで着けるであろう頂上で昼食を摂ることにして、休まずに歩き続ける。歩き始めてしばらくは緩い傾斜が続くので、時間の割には距離が稼げない。

平家落ち人の説明板のある辺りから最後の登りが始まるが、こんな時間には誰も登ってこないだろうという予想に反して、かなりのスビードで登ってくる登山者に追い抜かれる。しばらくは追走したが、このペースにはついていけないと、スピードを緩めて間もなくして稜線に登り詰めた。

300名山にもなっている高原山というのは鶏頂山と釈迦ケ岳の総称でどちらが主峰かわからなかったので、まずは主稜線からはやや外れるが、西側にある鶏頂山に向かって登りだす。頂はかなりの登山者で賑わっていた。目の前には釈迦ケ岳から西平岳に続く稜線が横たわっている雄大な眺めを楽しみながら、ビスケットをかじる。
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しばらく休憩してから釈迦ケ岳に向かう。登山口への分岐点を過ぎるとめっきり人が少なくなる。釈迦ケ岳の頂上直下で、先ほど追い抜いていった人とすれ違う。その直後に頭上にヘリコプターが現れて頂上付近で旋回を始める。事故だと直感して、昨年のことが鮮やかに甦ってくる。ほどなく頂上に着くと、登山者が横たわっていて、回りには同行者とおぼしき数人が立っているので聞いてみると、骨折か捻挫らしい。こんな場所で事故るとは信じがたいが、事故とはえてしてそんなものではあるので、私も心しなければならない。
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Dsc00635頂上の左端は負傷者とその一行

消防のレスキュー隊員もヘリから降りてきたことでもあるし、私がここにいてもしょうがないので、先に進むことにする。ここから先はあまり人は入らないようだが、その割には道はしっかりしている。西平岳を過ぎるて道はほとんど下り一方で楽なのだが、明るいうちに林道まで降りられるかが唯一の気掛かりであった。

なんとか明るいうちには林道まで降りられたが、新藤原駅までどのくらいかかるかはわからない。しばらく歩いて携帯の通じる所に出たので検索すると、新藤原駅までは8.8キロとあったので、まだそんなにあるのかという気持ちとヤレヤレという気持ちが相半ばであった。

ぐんぐんと下っていくと、道が左右に分かれているが、携帯が圏外となってしまったので、どちらに進むべきか迷ってしまう。方角的には右に行くべきだが、登り坂となっているのに対して、左側の道は車の轍も残っていて「正しい」道のように見えてきたので、左に曲がってしまう。実はザックの中にはオフラインで使えるGPS用地図の入ったタブレットがあるのだが、取り出すために立ち止まるのも面倒だったし、タブレットの地図は小さな道は載ってなかったので、取り出して調べても無駄だと思ってそのまま前進した。ところが、しばらく進むと携帯が通じるようになったので、新藤原駅までの経路を検索すると、なんと来た道を戻るようになっていてガッカリした。けれども道を戻る気にはならず、このまま進んでも新藤原駅に向かう道と合流するはずだと信じて前進する。

果たしてしばらく歩くと東西に伸びる道に合流したので、迷うことなく右に曲がった。依然として携帯が通じなかったので、新藤原駅に向かう道であるという確信はなかったが、しばらくして「県道 宇都宮 藤原線」という表示があったので、新藤原駅に向かう道であることを確信した。やがて携帯が通じるようになったので、現在地点を確認すると、前回検索した新藤原駅までの経路上にいることがわかり、駅までもすぐそこであった。

間もなく駅には着いたが、駅付近には食堂はおろかコンピニさへもなかった。やむをえず自販機で飲料を買って、昼の残りのビスケットで空腹をまぎらわす。乗り換えの新栃木や栗橋でもコンビニには立ち寄れず、待望のコンビニは大宮駅までお預けとなってしまった。

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