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2016年11月 7日 (月)

ネパール最終日

いよいよネパールも最終日となった。最初はレンタサイクルで環状道路をツーリングしながら観光地を回る予定であったが、早く目覚めてしまいレンタサイクル屋もまだ営業していない時間であらうからスワヤンブー寺院までなら30分くらいの歩きで着くはずなので、朝日を浴びて歩き出す。日曜日だというのに大勢の人が活動を始めている。早起き三文の特に得と言うが、早朝に歩くと生活息づかいが聞こえてきそうなのがよい。
スワヤンブー寺院の麓にはサモサを売っているとネットに書いてあったので探してみたが見つからす階段を登り出す。四国金比羅山に匹敵する長い階段で、30分ほどで山頂に着くが、既に参拝客でいっぱいである。五体投地する人、マニ車を回す人などチベット仏教特有の風習が見られる。寺院は高台にあり、カトマンズ市街全体が見渡せる。一通り写真を撮った後、反対側に降りる。途中、猿が多数たむろしていたが人には慣れていたし、「犬猿の仲」にもかかわらず、争いも起こさずにいた。

 

降り立ったところは環状道路沿いで店も結構あったので、サモサを売っている店を探したが見つからなかった。サモサは日本人が考えているほど、ネパールで良く食べられているわけてはないのかもしれない。反対車線側に渡ると、サモサを売っている店を見つけ朝食代わりに二つ食べた。じゃがいもがいっぱい入った特大サイズで1個20円である。だいぶ前はたしか1個10円だったはずで、ネパールもインフレなのかもしれないが、日本の100円以上に比べれば格段に安い。

 

カトマンズの西端にはスワヤンブー寺院があり、東端にはボーダナート寺院があって、この二つがカトマンズの代表的な寺院であるが、環状道路を通るバスに乗ればタメルに戻るよりり早いはずだ。問題はボーダナート行きのバスに乗れるかどうかだ(表示の文字は読めないし、車掌の言っていることもわからない)。ただほとんどのバスは環状道路を走るだろうし、もし環状道路をはずれれば、その先で降りればいいだけだ。

 

ボーダナートはかなり以前にいったことはあるが場所はうろ覚えであり、前日にネットで調べた際も場所の確認はできなかった。まあ適当な所で降りて道をきけばいいやと思いながら乗っていて、そろそろ目的地が近いかなと思って外を見ると、ボーダナートとおぼしき建物か見えるので、慌てて降りることとなった。ここどもうひとつ問題が起きた。料金がいくらかわからないのである。
乗車区間をチェックしているわけではないようなので、均一料金には違いないが、下車する時に払っている紙幣が確認できない。車掌が乗客から受け取った紙幣を握りしめているのが、最小紙幣の5ルピー紙幣と10ルビー紙幣だったので、かなりの枚数の5ルピー紙幣を車掌に呈示すると全部持っていこうとするので、そうはさせじと強く握りしめたら、何枚かは返してくれた。結局、料金がいくらだったのかも、車掌がいくらネコババしたのかもわからずじまいだった。まあ日本円で数十円の話なんですけどね

 

道路を渡ってボーダナートの境内(というのかな?)に入った途端に新た疑問が現れた。ネットの情報ではボーダナートは地震の被害を受けて修復中のため、一般公開されてないとあるのに、無傷のままで公開されているではないか。単に私が見た情報が古かったのか、それとも今見ている寺院はボーダナートではないのか。いくつもの掲示があるが、ネパール語で書かれているので判読不明である。唯一英語で書かれている掲示には、過去の経緯についての説明はあっても地震に関する言及はない。

 

これ以上詮索してもしかたないので、次の予定はカトマンズに隣接する古都のパタンであるが、そこまでの行き方はいくつか考えられる。ひとつは、このまま環状道路をバスで進み適当な所で下車してパタンまで歩くというものである。ただし、パタンまではかなりあるかなければならない。もうひとつは中心街のタメルまで一時間ほど歩いて戻り、ミニバスでパタンに移動するというものである。ミニバスの乗り場がわかれば楽ではあるが。タメルまで戻ったついでにレンタサイクルで行くという手もある。ただし、前回レンタサイクルを利用した時にはパスポートを預けた記憶があるので、出国当日にパスポートを預けるのもなあという気もしていた。

 

とりあえずタメルに戻って昨日も行ったカフェに寄って遅い朝食を摂る。昨日は体調不良でおかずなしだったが、今日は日本でいうモーニングセットを注文する。300円以下の値段の割には豪華な内容であった。食事後にレンタサイクルに行くとパスポートを預ける必要はないと言うことで自転車を借りることにした。

 

パタンの町までは比較的スムーズに行けたが、寺院を探すのに多少手間取ってしまった。最初に訪れた寺院は見た目には地震の影響は感じられなかったが、2番目に訪れた寺院は地震の被害をかなり受けていて修復している建物か見られた。二つの寺院の影響の違いは建物または地盤の強度の差なのか、はたまた地震の伝わり方の違いなのか。

 

パタン観光が終わり来た道を戻ってもよかったのであるが、前回レンタサイクルでパタン観光をした帰りに環状道路を反時計回りに進もうとして環状道路から外れてしまったことを思いだし、もう一度行ってみようという気になった。今回はGPSに対応したオフライン地図という強い味方があるのだ。しばらく進むと前回間違えた地点がわかった。GPS に対応した地図がないと引き込まれやすい分岐路があったのだ。もちろん今回は間違えずに進む。反時計回りに進んでいると、この辺りは北上することになり名前こそわからないが、ヒマラヤの峰々が正面に見られてなんだか得した気分になる。

 

もうしばらく進むと朝の幻のボーダナートになるが、そこまで行くと朝の経験ではタメルに戻る道がわかりにくくなるので、手前でタメル方面に真っ直ぐ延びる道に進路を変える。しばらくしてカトマンズの南部にもいくつか寺院があることを思いだし、そこが地震の被害を受けていないかが気になってきた。そこで途中から進路を南に取ったのだが、その道は一方通行で南下はできなかった。やむを得ずに歩道を進んだのであるが、次第に歩行者が多くなって自転車を降りて引いて行かざるをえなくなった。ところが、さらに歩行者が増えてきて歩道はいつしか車道と離れて建物に挟まれた狭い通路につながるようになってきたが、人の波に押し流されるしかなす術がない状態となっとしまった。ちょうど年末のアメヤ横丁の雑踏に自転車を乗り入れてしまったようで、日本でならば非常識だと非難されかねないが、そんな常識はここネパールでは通用しない。なんとその雑踏に向かってオートバイが爆音を響かせながら、次々と突っ込んでくるのである。かと思えば頭よりも高い荷物を背負ったおじいさんが、人をかきわけかきわけ前進してくる。まさにアジアのエネルギーが爆発しているような一帯であった。私はと言えば、この混沌とした世界から何とかして逃れたいと、少しでも空いている所に移動しようと必死にもがいていた。ようやく自転車が走れる道路に脱出できると、もう寺院が地震の影響をどの程度受けたなどということはどうでもよくなり、多少なりともヨーロッパの香りが感じられるタメルに逃げ帰った。

 

タメルでは行きつけの日本料理店で天ぷらと寿司にビールで今回のトレッキング+旅の無事終了を祝った。長いような短いような10日弱であった。

 

 

 

 

 

2016110708383400 天まで続く階段

 

 

 

2016110708390600 サルとカトマンズ展望

 

 

2016110708395400 バス車内

 

 

2016110708402600 幻のボーダナート

 

 

2016110708411800 パタンの寺院の修復

 

 

2016110708415600 カトマンズの雑踏

 

 

 

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