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2017年1月

2017年1月30日 (月)

津軽を去る日

昨日午後から降りだした雪は朝になっても止まず、道路が白くなっている。今日は蟹田に4時前につけばよいので出発は9時といつもより遅めである。

今日は道路全面を雪が覆っていてソリが使えるので、荷物を担がずに運べて楽である(昨日は雪が少なく、3分の1もソリが使えなかった!)。宿の人に教えてもらった通りに裏道を行ったので、車もあまり通らずに快適に進むことができた。

本降りの雪で景色もほとんど見えないので、ひたすら前進したせいで思いの外行程が捗り、この分なら一本前の電車にも間に合うかもしれないとペースをあげたのだが、その直後に裏道は本道と合流して深く雪が積もった歩道の上を歩かなければならなくなったので、ズボズボと潜ってスピードは半減し、一本前の電車には到底間に合わないことが明らかになった。そうであればなまじ急いで、駅で長時間待たされることもないとペースをさらに落とす。

いつしか目的地の蟹田に近づくと街並みがそれなりのものとなってくる。さすがに東津軽の中心地だけのことはある。昨秋、下北半島からツーリングで蟹田まで来た時には逆コースから来たために中心街は通らず、何もない駅だと思ったのは誤解であることがわかった。

やがて蟹田駅に到着して、4日間にわたる津軽半島一周の旅は一部ショートカットはしたものの無事に終えることができた。初日に破損したプラスチックブーツをオーバーシューズがボロボロになりながらも、4日間守ってくれたことを感謝したい。去年から何回かに分けて下北半島から津軽半島への旅を行ってきたが、両半島とも行き損ねた所があるので、再度訪れてみたい.。
Img_20170130_150610ゴールの蟹田からのむつ湾

Img_20170131_135709破損したプラブーツとオーバーシューズ

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2017年1月29日 (日)

津軽海峡冬景色

三厩駅近くまでは路線バスを利用するつもりだったので、始発のバス停があるはずの灯台まで荷物を担いで登る。途中に「津軽海峡冬景色」の歌詞の碑があり、ボタンを押すとメロディーが流れるようになっていた。

灯台や津軽海峡をゆっくり見物してから灯台直下の駐車場でバスがやって来るのを待っ。バス停の表示はなかったが、ここ以外にはバス停はありえないとおもっていた。しかし、発車5分前になってもバスが現れないのでさすがに不安となって下を見に行く。だが、この段階でも単にバスが遅れているんだろうとしか考えず荷物を駐車場に置いていったが、これが命取りになろうとは。と言うのは、少し降りると下の駐車場にバスが停まっているではないか。あわてて上の駐車場に戻って荷物を回収して下の駐車場に一目散で駆け下るが、タッチの差で逃してしまった。次のバスは3時間後なので予定が狂ってしまう。さあどうしよう。その時、さきほどチェックアウトしたホテルの玄関前に送迎用のバスが停まっているのに気付いた。聞いてみると青森行きで三厩駅には寄らないということだったが、頼み込んで三厩駅近くで下ろしともらえることになりなんとか一件落着した。

乗客が揃うまでかなり時間がかかり、三厩駅近くで下車したのは乗り逃がしたばすよりも1時間近く遅くなってしまったか、なんとかなるだろう。この時はまだ津軽海峡の向こうには北海道の山々も望めて、津軽海峡冬景色の情景そのもので思わず口ずさんでしまう余裕もあった。

今別で蟹田への近道と別れるとめっきりと交通量が減ってくる。天気も下り坂で時折雪もちらつくようになって北海道も見えなくなり、気分も乗らなくなる。

小さな峠を越えて入江に下るの連続だったが、どんな入江にも漁港と漁村があるのには驚いた。津軽半島の最果てには人は住んでいないだろうと思っていたが、認識不足であった。

東に向かっていた進路が南に変えたあたりで対岸に下北半島が見えてきた時はほっとした。これで今日のゴールも近づいてきたことを実感できたからである。

今日の宿には6時到着と連絡してあったが、その時間までに着けるかどうか微妙なところである。すっかり暗くなった道を時間との戦いで黙々と歩く。遂に6時になってしまったので、到着の遅れを宿に連絡しようとした時よりも早く宿の方から連絡があったので30分遅れることを告げる。宿が幹線道路から外れていたため少し迷ったが、なんとか約束の時間には間に合うことができてホッとした。
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2017年1月28日 (土)

竜飛岬を目指して

日本列島海岸線一周の旅も太平洋側は全て終わり、本州でも津軽半島の付け根まで到達して日本海が目と鼻の先に迫っている(北海道では日本海側も三分の一程度を残すのみであるが)。蟹田から先の津軽半島の先端をどのように回るかが思案のしどころである。津軽と言えば、自分にとっては太宰治の同名小説が思い出され、雪の存在なしでは語れないものであり、行くなら冬しかないという気がしていた。冬となれば自転車は無理で歩きとならざるをえないが(冬の雪原をツーリングする猛者もいるらしいが、自分にはとても無理)、冬の津軽半島は東側は交通機関も確保されて、宿泊施設も営業されているが、西側は国道は閉鎖され、宿泊施設も休業となるためテント持参を余儀なくされるだけでなく、日本海を越えて吹き付ける季節風をまともに受けるという厳しい条件となる。そのため、本来ならば蟹田からスタートして日本海に抜けるべきであるが、時間の読めない困難なコースを後半に残したくないので、逆コースとなるが日本海側からスタートして蟹田を目指
すこととした。

 

今年は例年になく寒波が強く、津軽半島は連日悪天が続くことが予想されるが、それこそ冬らしい津軽を味わえる絶好の機会なので、あまりに条件が悪ければ引き返せばよいだけと考えて予定どおり出発することにして、始発の新幹線に乗り込み、青森までの車中は太宰の「津軽」を再読して過ごすことにした。

 

「津軽」の蟹田行を読み終えたあたりで奥津軽今別駅に着く。新幹線の停車駅の割には駅周辺には人家もなく、道の駅の店が一軒あるだけの寂しい所である。津軽の西海岸方面行きのバスは30分くらいの待時間で出発する。

 

今泉で途中下車して小泊に向けて歩き出す。今日の目的地である小泊までは21キロとの表示がでている。十分に半日あれば歩ける距離であるが、雨が次第に激しくなってきたので、雪からばともかく雨に濡れて歩くのは難儀やなあとため息がでてしまう。それに追い討ちをかけるように、足元をみると登山靴が左右両方とも破損しているではないか。私のはいている登山靴は1世代前のプラスチック製である。プラスチックの靴は経年劣化により破損することは承知はしていたが、我が身に降りかかってくるとは・・・
まあ、本格的な山登りの最中でなかったことが不幸中の幸いか。ただ今回に関してはオーバーシューズを持参しているので、壊れた靴ごと収納してしまえばなんとかなるかもしれない(オーバーシューズの底は破れてしまうだろうが)。

 

雨はますます激しくなってきたのでどうしたものかと思っていたところ、1時間ちょっと待てば目的地の小泊までのバスがあることがわかり、日よってバスにのることにしてしまった。

 

バスが小泊に着く頃には雨も止んだので、翌日歩く予定の分まで歩くことにした。途中すれ違った車の人が、「この先は除雪してないから行けませんよ」と言われる。国道が閉鎖されているから来たんだと言っても全く話が通じない。諦めて行ってしまったと思ったら警察に通報したらしくパトカーがやってくる。別に悪いことをしているわけでもないので、「気をつけて行ってください」で終わったが、親切心からかもしれないがお節介な人もいるもんだ。まあ私の行動が世間の常識からかけ離れているのも事実だが。

 

できれば今日中にゲートまで行ってしまいたいと思ったが、暗くなってきたこともあり、ゲート手前1時間くらいの所に休止しているバンガローがあったので、建物の陰ならば風も弱いだろうとテントを張ることにした。その晩は風が強かったが、建物が風避けとなってテントの揺れはさほどでもなかった。

 

一晩中、強風が吹いていたが、まずまずは眠れた。昼頃には天候が回復するとの予報だったので、出発を遅らせて8時過ぎに出発する。1時間ほどでゲートに着いたが、吹きさらしの場所で、ここにテントを張っていたら難渋するところだった。

 

ゲートから先は部分的に雪が深くて少し潜るところもあったので、せっかく持参したのだからとワカン(輪カンジキ)を付けていく。今回のコースは山道ではなく雪のない時は自動車道なので、荷物は担がずにソリに乗せて引いて行くことにしたが、これは大正解であった。深い雪をラッセルをしていくことを覚悟していたが、さほどの雪でもなかったが、それでも最高点に達したのは正午を回っていた。展望台は最高点よりも更に高い所にあったが、そこまで行くためにはカンジキを外して階段を登って行かなければならなかったし見える景色には変わりはないので、諦める。

 

下りも思ったより時間がかかり、龍飛崎側のゲートに到着したのは夕方近くになってしまった。そこから今夜の泊まり場のホテルまではすぐであったが、ホテルのすぐ裏にある龍飛岬は吹き飛ばされそうな強風のため、ホテルから遠望するだけにとどめた。また明日のコースの一部もできれば歩いておきたいと思ったが、疲れていたし時間も遅かったので諦めた。その代わり、温泉に入って旅の疲れを取ることができた。強風に悩まされた昨晩とは別天地である。 

 

 

2017012818074501_2 小泊側のゲート

 

 

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2017012818074301 龍飛側のゲート

 

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ホテルからの龍飛岬

 

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2017年1月23日 (月)

台湾最終日

台湾三日間の旅はあっという間に終わり、最終日となってしまった。
フライトは夕方なので、家内は午前中に台北郊外の北投温泉という所へ出掛けたが、風呂嫌いの私は昨日乗り残した新幹線の一駅区間の乗車をすることにした。台湾新幹線の北の起点は台北駅ではなく、どういうわけかそれよりも東に10数キロいった南港という駅なのである。さらに不思議なのは地名から最初は港町かと思ったのだが、地図で見ると内陸の土地なのである。不思議さも加わって、行かずばなるまいと思うようになった。

南港行きの新幹線は乗客のほとんどは台北で下車してしまい、がら空きでの発車となる。指定席の車両に乗ってしまったので、自由席の車両に移動している間にほとんど到着してしまうくらいの近さである。フリー切符は自動改札を通れないため、いちいち駅員に見てもらう煩わしさはあったが、せっかくだからと改札を抜けて地上にでてみる。出口から見回すと、片方はそこそこの街並みであったが、反対側はすぐそこまで山がせまっている全くのド田舎で、なぜここが新幹線の起点になっているかは不明なままであった。

ホテルに戻ってもだいぶ時間が余っていたので、市内見学を兼ねてジョギングに出かける。以前は知らない所に来ると必ず早朝に走ったものだが、久し振りの朝ジョグとなった。川沿いのコースをとったので、迷うことはあるまいと思っていたが、ホテルの近くまで来てから迷ってしまい、一時間近くのジョギングとなってしまった。ホテルで家内と合流してから空港に向かい、今回の旅行は無事終了となる。

2017012316353100新幹線起点駅の繁華街側

2017012316354600新幹線起点駅の裏側

2017012316361000ジョギング途中から台北市を望む

 

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2017年1月22日 (日)

台湾新幹線

今日は楽しみにしていた台湾新幹線に乗って台湾南部に向かう。台湾新幹線は日本の技術を導入して約10年前に開業したもので、車両の外観や内部の設備は日本の新幹線とほとんど変わらない。全長は約300キロで東京・名古屋よりもやや短い距離だが、運賃は日本のものよりもかなり安い。さらに外国人専用の三日間有効のフリー切符があり、1日だけ南部を往復しても、通常の運賃よりも安いというお得な切符なので、日本からネットで予約しておいた。ただ本物のフリー切符は窓口でEチケットと交換しなければならないので、前日に手続きを済ませ併せて座席指定もおこなっておいた(無料)。

東海道新幹線で云えば「ひかり」に該当する電車に乗車して、まずは台南に向かう。ほぼ15分間隔に発車という東海道新幹線に比べるとゆったりとしたダイヤだが、日曜日だというのに空席が目立っていた。二時間弱の乗車で高鉄(新幹線)台南に着く。市街地は台鉄(在来線)台南の方にあるので、台鉄に乗りかえて30分ほどかけて移動する。

台南ては一番有名な観光地である赤巌樓に向かうが、駅から徒歩10分とガイドブックに書いてあったわりには遠かったので少々迷う。赤巌樓というのは、オランダ統治時代に砦があった所だそうだが、今はその名残はなく寺院があるだけで、寺院の由来についてはわからずじまいであった。さすがにこの時間になると気温も上がってきて、台北では手放せなかったセーターもぬいでしまう。ちようど昼時であったし、寺院の近くには白身魚のスープで有名な店があるので、そこで昼食をとることにする。歩道にテーブルが並べてあったが、歩道で食べるのは落ち着かないので店内に入ろうとしたら、そこは別の店だったのでやむを得ず歩道で食べるが、二人併せても800円以下という安さである。近くで行列ができている店があったので覗いてみると、冬瓜のジュースを売っていたので買ってみるが、なかなか変わった味であった。以上で台南観光を駆け足で終えて最終目的地の高雄に向かう。 

台南から高雄までは最初は新幹線の自由席で行くつもりだったが、乗り換えも面倒であるし時間の余裕もあったので在来線で行くことにする。高雄は西子湾で夕日を見るのが目的であったが、時間的にはまだ早いので左営で途中下車して連池潭という観光名所に立ち寄る。蓮が咲いている大きな池の畔にいくつもの寺が立ち並び、ガイドに引き連れられた団体観光客で大いに賑わっていた。

小一時間ほど歩いてMRTの左営駅から南端の西子湾に向かうが、本日も厚い雲が垂れ込めて夕日眺められなかった。まあ今回の第一の目的は台湾新幹線の全線乗車にあり、夕日見物は副次的なものなので、よしとしましょう。帰りは東海道新幹線ののぞみに相当する電車で一時間半あまりで台北に戻ることができた。
  

2017012214532000赤巌樓

2017012214524600赤巌樓付近の寺

2017012214530000これで800円弱

2017012214521300冬瓜ジュース屋の行列

2017012214514500_2台南駅の切符売り場

2017012223273300連池潭ほとりの龍と虎の寺

2017012223283100台湾新幹線

 

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2017年1月21日 (土)

二度目の台湾

昨年に続いての家内との台湾旅行である。昨年は故旧博物館がメインだったので台北市内しかいかなかったが、今年は日程は昨年同様三日間ではあるが、台湾新幹線を利用して南部まで足を延ばすことにした。

羽田から約四時間のフライトで台北に着く。思っていたほど暖かくはなかったが、厳しい寒波が続く日本と比べれば随分と過ごしやすい陽気である。昨年は初日のみは九分という観光地のツアーがセットされていたので、空港からホテルまでは専用バスで移動したが、今回は全て自由行動のためMRT(地下鉄)で移動する。日本のスイカのようなカードを羽田空港でもらったので、それにチャージして使うのだが、使い残し分の返金方法がよくわからないので小刻みにチャージせざるをえず、果たして便利なのかどうかは?である。

ホテルは台北駅前なのでチェックインを済ませてから淡水に向かう。淡水までは30分ほどMRT に乗車するため小腹を満たすために地下街で食べた大衆食堂の食事が結構ボリュームがあり、夕食代わりとなってしまった。まあ観光客用の食事ではなく、地元の庶民の食事が食べられたこと自体はよかったのだが。

淡水は夕日を見る名所として有名な所だが、あいにく雲が低くたれこめていて夕日を見ることはできなかった。ただ、大通りにも海岸沿いの道にも観光客向けの店がたくさんあって、それらの店を見て回る抱けでも結構楽しかった。最後に高台にある喫茶店でコーヒーを飲みながら景色を眺めたが、夕日が眺められたら最高だっただろう。
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大衆食堂の食事

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お店の賑わい

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高台の喫茶店

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喫茶店からの展望

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2017年1月15日 (日)

ランニング・フェスティバル

所属しているNGOのランニング愛好者たちとともにお台場で開かれたランニング・フェスティバルに参加した。種目はリレーマラソンで、メンバーが1.5キロの周回コースを交代で走り3時間での合計距離を競うというもので、私は1回目は3周、2回目は2周を走った。

久しぶりに「本気」で走ったが、昔の自分には戻れない寂しさを感じる一方で、これからはタイムは度外視して、ランニング自体を楽しむというのもありかなとも思った。2017011508054600


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2017年1月 9日 (月)

武蔵野吉祥七福神

三が日は元旦は家内の実家で過ごし、二日は移動日、三日は娘夫婦が訪ねてきたために初詣に行き損ねたので、松の内の最終日に武蔵野吉祥七福神に行ってきた。

7map

2017010910063800杵築大社

2017010910071600杵築大社のミニ富士

2017010910074800延命寺

2017010910085700大法禅寺

2017010910091400安養寺

2017010910093000武蔵野八幡宮

2017010910094700井の頭弁財天

 

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2017年1月 2日 (月)

長篠古戦場訪問と遠州鉄道乗車のリベンジ

関ヶ原、川中島と並んで長篠を戦国時代の三代古戦場と勝手に自分で名付けているが、関ヶ原は中山道徒歩踏破、川中島は信濃川遮行の折りに訪れているものの、長篠は近くまでは行きながら、肝心の馬防柵にはたどり着くことができなかった。というのは、事前によく調べてこずにJRに長篠駅というのがあるから多分その近くだろうと思って行ったところ、往時に似せて復旧されているという馬防柵を発見できずに他日を期して帰らざるをえなかったという苦い記憶がある。帰ってから調べてみると、長篠城というのは徳川家康の家臣の奥平某が武田軍に包囲されて籠城した所でそれを助けるべく出陣した織田・徳川連合軍に対して襲いかかった戦国最強と言われた武田騎馬軍団の猛攻を防ぐために設けられたのが馬防柵であるから、長篠城からはかなり離れた場所にあることがわかった。

 

今回、家内の実家に泊まって正月を過ごし、三日の日に娘夫婦がやってくるので二日中に帰ることにしてあるが、午後に新幹線で戻る家内に先行して、私は18切符を利用して早朝の電車で豊橋に向かうことにした。事前に調べておいた時刻では金山発8時8分の東海道線に乗れば、豊橋乗り換えで馬防柵の最寄り駅である三河東郷に10時過ぎに着き、後の行程もスムーズになるはずだった。そのとおりに行動していれば何の問題もなかったはずなのだが、年末に名鉄全線乗車で神宮前までバスを利用したことで神宮前に到着する時間がわかっていたので、金山からではなく神宮前までバスで直行して熱田駅から東海道線に乗車した方がよいと思い違いをしてしまった。

 

第一の誤算はバスの終点から熱田駅まで思いの外遠かったことである。急ぎ足でなんとか熱田駅には着いたものの、次の誤算はホームの時刻表を見ると普通しか停車せずに、金山から乗車しようと思っていた電車は停車しないことであった。ただ金山駅の次の停車駅である熱田駅を予定の電車の金山発よりも2分早く出発するのだから、追い抜かれる駅で乗り換えればいいはずだと考え携帯の時刻表で調べてみた。ところが、正月ダイヤのためか該当する列車が見つからなかったので、快速停車駅で下車して乗り換えようと考えたが、最寄りの快速停車駅である共和もその次の大府も上りは1路線しかないので追い越しは不可能であるから次の快速停車駅である刈谷駅まで行ってみることにした。

 

刈谷駅では特別快速に乗り換えることができたので、これで予定どおり進むことができるといったんは安堵したものの、そう簡単には問屋は卸してくれなかった。事前に調べた時刻では豊橋到着は9時2分となっていたので、飯田線の豊橋発9時8分までの乗り換え時間は十分余裕があるはずだった。ところが、正月ダイヤのためか単なる遅れかはわからないが、豊橋到着は9時6分となり乗り換え時間は2分しかないという厳しい状況となってしまった。おまけに前の方の車両に乗っていたために豊橋駅でホームに下車してから跨線橋まではかなりあるという不利な状況となった。懸命に走って飯田線のホームに急ぐと、1番線と2番線にホームが別れて両方のホームに電車が停まっている。どちらに行くべきか迷ったが、とっさに遠い1番線に向かって進んだところ、2番線の方の電車が動き出すではないか。2番線に停まっていた電車が乗る予定の電車だったのだ。

 

痛恨の選択ミスをしてしまったわけだが、すぐに善後策を検討する。飯田線は本数が少なく、馬防柵の最寄り駅である三河東郷まで行く電車はしばらくないが、約1時間後に豊橋を出る特急は三河東郷には停車しないものの、手前の新城には停まるのでタクシーを利用すれば馬防柵をある程度の時間をかけて観ることは可能であると思われた。ただ特急の出発時間まではだいぶ時間があるので、豊川までは18切符を利用して行って豊川稲荷を参拝してから特急に乗れば一石二鳥であると考えた。豊川稲荷は駅から近いので普段の日ならば可能なプランだったが、山門まで行ってみると、初詣の参拝客が長蛇の列をなしていたので、あきらめてそこから引き返すことにした。

 

豊川駅から特急に乗って新城駅で下車した時にちょっと心配だったのは、はたしてタクシーがつかまるかどうかということだったが、最悪の場合には新城駅から馬防柵までは五キロ弱なのでランニングで行くことも考えた。ただその場合には馬防柵をゆっくりと観る時間はなく、ただ行ってきたというだけになるだろうが

 

幸いタクシーは新城駅前に停まっていたので、すぐに馬防柵に向かう。タクシーでもかなり時間がかかったので、ランニングで行ってたら後の行程に支障が出たかもしれないと思い幸運を喜ぶ。

 

馬防柵はイメージとは少し異なるものだった。通説では鉄砲の三段打ちで騎馬軍団を撃ち破ったとされているが、実際には柵のすぐ後ろには山が迫っており、三列の鉄砲隊が入れ代わりに交代して射撃するにはスペースが少し足りない気がした。従来の通説では、それまでの戦法を一変させた画期的な鉄砲三段撃ちで武田騎馬軍団を撃破したとされているが、最近の研究ではこの戦いでの鉄砲の効果は殺傷能力ではなく、その音量に怯えた騎馬軍団の馬が思うように前進することができなかったことにあるとされているようだ(この時代の鉄砲は堅牢な鎧を貫通するほどの威力はなかったようである)。武田騎馬軍団を撃破できた最大の要因は鉄砲ではなく、武田軍の3倍という兵力差にあったというのが通説になりつつあるようだ。

 

長篠古戦場訪問のリベンジはなんとかできたが、今回はもうひとつのリベンジが待っている。それは天竜川経由での遠州鉄道乗車のリベンジである。浜松の北方には新所原から掛川を結ぶ天竜浜名湖鉄道と西鹿島から新浜松までを結ぶ遠州鉄道があり、前者については乗車済であるが、後者については新所原から天竜浜名湖鉄道で西鹿島まで行き、そこからスタートすれば楽なのであるが、過去にトライするも失敗したのと同じルートを通ってリベンジしようと思い立った。

 

数年前に自転車で諏訪湖から天竜川沿いに下降した際、二日目の夕方に中部天竜駅に着いた時に、ここから下流の天竜川沿いの道は通ったことがあるのでツーリングは終了とし、西鹿島行きの最終バスに乗って未乗車の遠州鉄道経由で浜松に出るつもりだった。最終バスについて時刻表で調べたり、自転車を持ち込めることも確認済であったのだが、中部天竜駅近くに何時に最終バスが来るのかはネットの時刻表には記載されていなかったので、それ以上は調べなかったものの、飯田線と天竜川の分岐点である中部天竜に最終バスが来ることは全く疑っていなかった。ところが、駅周辺にはどこにもバス停は見当たらず、あきらめて飯田線で豊橋に向かわざるを得なかったのである。後から調べると、飯田線は中部天竜駅の北側はしばろくは天竜川から離れて走るが、その間の水窪という駅から西鹿島行きのバスが出ており、中部天竜にはよらずに南下していくことがわかった。

 

今回リベンジするに当たり、西鹿島行きのバスも飯田線も本数が少ないので時刻表を細かく調べてみると、バスに乗車するのは始発の水窪からだと飯田線との接続が悪いが相月駅からだと待時間7分という絶妙なタイミングで乗り継ぎができることがわかり、効率的な行程を組むことができた。相月駅前のバス停は駅から階段を降りたところにあり、後は1日5本しかないバスに乗り損ないさえしなければ、終点の西鹿島までは問題なく着き、西鹿島からの遠州鉄道は頻繁に出ているので、なんの障害もなく浜松について二番目のリベンジもクリアできた。
2017010223115500 豊川稲荷

 

2017010223150600 馬防柵

 

2017010223155100 相月駅前のバス停

 

2017010223160400 遠州鉄道

 

 

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