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2017年3月

2017年3月31日 (金)

墓参りと八王子城跡ハイキング

今日は立川に用事があったので、用事を済ませてからお彼岸に行き損ねたお墓参りもしてきたが、4月にずれ込まずにすむことができてよかった。平日のため墓地は人気がなかったんだけど、三つ隣のお墓に老夫婦が来ていてビニールシートを敷いて長期戦の構えだったので、あんまり早く帰るわけにもいかず、珍しく長居をしてしまった。

いつもは家内と一緒に墓参りなので、帰りに高尾駅近くのお店で高尾わっぱというわっぱ飯を食べるのが恒例となっているのだが、今回は行きにわっぱ飯を食べてしまったので同じ道は戻らずに八王子城跡に向かう。豊臣秀吉が北条攻めを行った際に小田原城の支城であったこの城も秀吉軍の猛攻を受けて1日で落城したのであるが、両軍ともに大勢の死者がでたので、今も幽霊が出るという噂も

本丸跡の少し先の富士見台が陣馬山と高尾方面の分岐点となっている。名前からすると、天気が良ければ富士山の絶好の展望台なのだろうが、今にも雨が降りだしそうな天気のために展望はゼロである。陣馬山方面に向かう裏高尾縦走路は山登りを再開した50過ぎの時に歩いているし、コースタイムでは半日かかるようなので今からでは急いでも明るいうちには下山できないのは間違いないだろうし、本降りの雨にも遭うであろうから、迷うことなく高尾への道を選んだ。

途中で雨が降りだしたが、高尾駅近くで本降りとなったので、たいして濡れずにすんで助かった。

高尾からは中央線で帰るのが近いのだが、京王線で新宿経由で帰ることにした。その方が安いということもあるが、新宿アルタ前で開かれる「辺野古埋立阻止」の集会に参加するためである。折しも今日3月31日は辺野古の岩礁破壊許可の期限末日であり、知事の新たな許可ができないのであるが、安部政権は地元漁業組合に漁業権を放棄させて、知事の許可は不要になったとうそぶく始末である。こういった理屈をこねくりまわす法律家はまさに法匪としか言いようがないが、真理はただひとつ、「地域に重大な影響を与える事項については、国家といえども地元の意見を無視して決めることはできない」ということである。

雨にもかかわらず、100人以上の参加者が集まって集会を行い、その後、靖国通りをデモ行進したが、2回目のプレミア金曜を迎えた勤め帰りの人たちはどんな思いでデモ行進を見ているのだろうか

今日3月31日は岩礁許可の期限であるばかりでなく、原発の避難解除に伴なって住宅支援の打ちきりという棄民政策が始まろうとしている日でもある。住民が安心して帰れる状態になった上での避難解除ならばともかく、年間1ミリシーベルという従来の安全基準を捨てて、原発作業者に適用される20ミリシーベルという基準を子供にも適用するという無茶苦茶な理不尽には激しい憤りを覚える。

ここまで書いてはたと気付いた。安部政権が今、最重大課題としている共謀罪について、なぜそんなに力をいれているのかと考えると、これだけ理不尽なことを行っている沖縄や原発対応について、心ある人の怒りが爆発することを恐れて、それを封じ込めるために共謀罪の実現が不可欠であると考えたからに違いない。そうであるならば、共謀罪反対も辺野古埋立阻止め反原発も全て根っこでは繋がっているのだ(もちろん戦争法反対も同様だが) 。
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「皇居ランと国会周辺の集会デモ参加」の新カテゴリーをブログに作る

先日の「こぶしハーフ」でランニングのモチベーションが呼び戻されたようで、また皇居を走りこもうという気になったが、一方、共謀罪反対運動がこれから盛り上がりを見せるだろうから国会周辺の集会デモに参加する機会も増えることが予想されるため、距離的に近い両者を時間差で行えば、時間的にも費用的にも効率的であることに気付いた。そのため、ブログのカテゴリーも両者をはしご?する場合には「皇居ランと国会周辺の集会デモ参加」という新しいカテゴリーで区分することにした。

今日は両者をはしご?する初めてのトライである。まずは皇居ランであるが、レースを終わって初めてのランなので、ジョギングモードでのんびり走るつもりである。一周目は所々で立ち止まって写真を撮ったりする。花見客も多数繰り出していて、スビードを出しているランナーにとっては走りにくかっただろうが、今日の自分にとっては全く影響がなかった。2週目はペースを上げたつもりだったが、キロ7分しかでてなかったので、ちょっとガッカリした。レース本番ではキロ6分のペースを余裕で走れたんだけどなあ

レース直後ということもあって今日は2周で止めて、荷物を置いてある銭湯に直行し、湯船に浸かってリフレッシュする。銭湯の隣が中華料理店なので、晩酌セットを注文して鋭気を養う。生ビールに三皿がついて千円ちょっとのお買い得価格な上に結構ボリュームもあり、夕食代わりとなってしまった。

ほろ酔い気分で30分くらい歩いて国会前に着く(ちょっと不謹慎かな)。今日の集会は森友問題糾弾がメインである。この問題は単に国有財産の私物化というだけでなく、日本会議という右翼勢力が安部政権や大阪維新と結託して、教育の反動化を推し進めようとしていることが背景にあることが重要である。ただ治安維持法の復活につながる共謀罪の方が民主主義に対する脅威という点でははるかに大きいと思われるが、森友問題で安部政権を追い詰めれば、共謀罪どころではなくなるだろうから、共謀罪を廃案にするためにも、森友問題の糾弾を強めていかなければならないだろう。

今日の参加者は500人とちょっと寂しかったが、これから盛り上がって、戦争法の時のように10万人以上が国会前を埋め尽くすことを期待したい。
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2017年3月26日 (日)

数年ぶりのレース復帰

2年前に青梅30キロをゴール目前で関門リタイアとなって、もうマラソンからは足を洗ったつもりになったのだが、昨年息子が参加した「練馬こぶしハーフマラソン」の応援にいってみて、これならば場所も近いし距離も短いので参加してもいいかなという気になってきた。昨秋に申し込みを行い、正月前から少しずつトレーニングを始めたが、なかなかスピードが戻らず、制限時間2時間30分以内でゴールできればいいやくらいの気持ちで本番に臨むこととなった。

当日はあいにくの朝からの雨降りとなり、終日止まないとの予報である。以前の50回近い参加レースで雨の中を走った記憶がなく(悪天等で中止となったことは数回あったが)、雨のレースは初体験かもしれない。今年も参加する息子と一緒に家をでるが、息子は仲間と合流するということで、光が丘の会場で息子と別れて一人になる。

久しぶりのレース参加ということもあって準備に手間取った上、スタート直前にトイレに行ったために最後尾近くからのスタートとなる。そのためスタート地点まで6分以上かかり、制限時間内にゴールできるか少し不安になる。スタート地点を過ぎても渋滞が続くため、キロ7分というゆっくりペースを余儀なくされる。昔は前方からスタートしていたこともあって、キロ4分ちょっとの自分としては早いベースで飛び出したものだが、スピードがなくなってしまった今は、エンジンがかかるまではこのくらいのベースがいいのかもしれない。

数キロすると渋滞も多少はバラけてきたため、キロ6分のペースはでるようになり、前を行くランナーを次々と追い抜けるようになり、楽しく走ることができるようになる。10キロを過ぎてもキロ6分を切るペースを維持できていたので、さらにベースを上げようとしたが、スピード練習をしていないせいか、それ以上のベースアップはかなわなかった。それでも最後までペースが落ちることもなく、さほど苦しむこともなくゴールすることができた。ネットで2時間7分56秒という記録はけっして満足できるものではないが、復帰第一線としてはよしとしなければならないだろう。

今後の取り組みとしては、今の力を維持して、たまに参加するレースを楽しむというのもひとつの選択だろうが、もう一度、自分の限界にチャレンジするというのもありかもしれない。三年計画で70歳でのフルのサブフォーを目指すというだいそれた夢が沸々と沸き起こってくるが、果たしてどうなることだろう。

Photo左が走行内容、右が地図とコース(青色実線)。ただし、スタート4分ほど前から計測しているため実際の時間とは若干ずれている

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2017年3月21日 (火)

辺野古座り込みと那覇地裁抗議集会

今日は辺野古の埋め立て承認取り消し訴訟の和解で工事が中断して以来の1年2ヶ月ぶりの座り込みに参加するために暗いうちからホテルを出る。事前にネットを調べたところでは、以前のように早朝の資材搬入はなくなったようなので、そんなに早く出かける必要はないみたいだが、せっかく来ながら出遅れてしまってはいけないので、用心して早めに出ることにしたものである。

現地に着いてみると、案の定、人影はまばらで、やはり早朝の資材搬入はなかったようである。テントで朝食を摂ったり、歩道から車に向かってプラカードを振ったりしているうちに、資材搬入のトラックが接近中との情報が入り、ゲート前の座り込みに入る。

座り込みの人数は20人ちょっとと少なめであったため、たちまちごぼう抜きにされて警察車両と機動隊員の壁で作られた「オリ」に収容される。その後に資材搬入車両が次々と基地の中に入っていく。一回当たりの車両の数が以前はせいぜい5、6台だったものが、今は10数台に増え、重機積載車やミキサー車が増えていて、工事が本格化してきていることを示している。

車両が全て基地内に入ると「オリ」は解除され、解放された参加者はまた次の座り込みの準備に取りかかる。以前は資材搬入は早朝1回が普通で、たまに午後にもある程度だったが、今は早朝こそなくなったものの、1日2、3回が普通になっているようだが、さすがに午前中にはもうないだろうということで次の予定に移る。

帰りは遅い便を予約しており時間の余裕があるので、那覇地方裁判所への抗議集会に参加することにしつある。昨秋に反対運動のリーダーである山城さん他数名が、有刺鉄線を1本切ったとか、機動隊員の肩に触れたとかいう取るに足りない罪で逮捕され、証拠隠滅の恐れがあるというあり得ない理由で保釈が認められずに5ヶ月近く不当拘束されることとなり、リーダーの山城さんについては、国際的な人権団体であるアムネスティの抗議もあって先週末に保釈されたが、今なお一人は拘束が続いている。警察や検察も非難されるべきであるが、法の番人であるべき裁判所が不当拘束を認めてしまって、反対運動に対する弾圧に協力しているという法治国家では考えられない行為がおこなわれており、それに対する抗議行動が今日行われるのである。

100人近くの支援者が集まって、裁判所正門前での抗議と裏側の拘置所近くでの被害者への激励を行ったが、一刻も早く保釈されることを望みたい。本日、共謀罪についての閣議決定がなされたようであるが、もし、こんな法律が制定されるようなことになったら、現在沖縄で行われている数々の理不尽が全国でも行われるのは間違いないので、絶対に共謀罪の成立を許してはならないという思いも新たにした。
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ゲート前の機動隊との攻防

2017032119104200 那覇地裁

 

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沖縄北端ジョギング

民宿の朝食は8時と遅いので、それまでは砂浜を散策して過ごす。クライミングの対象となりそうな岩がたくさんあるが、いずれも高さがありすぎて、ボルダリングの対象としては不向きに思える。

朝食後に民宿を出発して六キロちょっと先の奥という所からは本数は少ないながらも乗り継げば名護まで行けるバスが出てるので、いざという時は利用できると思うと気が楽になる。今日は辺戸岬をぐるりと回るコースを30キロ以上ジョギングするつもりであるが、荷物背負っていることもあり、少しでも登りとなると歩いてしまう。

辺戸岬への分岐点近くのまで来ると左手の山の上に大きな岩場が見えてくる。フリークライミングの対象としても有名な所で、登り口にも数台の車が停めてあったが、ハブに怯えながらのアプローチはあまりしたいとも思わない。

辺戸岬は以前にも来たことがあるので素通りしてもよいのだが、前来た時には売店があって簡単な食事は食べられたような記憶があるので、食事がてらにたちことにした。辺戸岬は北部最大の観光地であるだけに観光客で賑わっていたが、どういうわけかは売店のシャッターは閉まっている。三連休だというのに何を考えているのかと思ったが、持参した菓子で空腹を間きらわすが、これから先もしばらくは飲食店はないので、どうしたものかと思ったが前進するしかない。

西側の道は東側と違ってアップダウンが少なくて走りやすいのだが、後半になって疲れが出てきたことや荷物を背負っていることと空腹のため、平地でも歩きが入ってしまうようになる。しばらく進むと、ようやく雑貨屋のような店が現れたので寄ってみるが、ろくな食べ物はなくビスケットを買って飢えをしのぐ。

だんだんは走るのが辛くなってきたが、30キロ地点まではなんとかと頑張る。30キロ地点まで達すると、次はバスの乗り継ぎ点である辺戸名まてはなんとか頑張ろうと思うと。

辺戸名を過ぎて37キロとなった時に足の痛みも限界に達したのでついにリタイアとなり、予定していた42キロには届かなかった。このくらいの距離だったら歩いた方がずっと楽だったろうし、時間も大差はないような気もしたが、来週のハーフマラソンのトレーニングなのだから、やむを得ない。もっともこんなゆっくりしたペースではどれだけトレーニングの効果があったかは疑問だが。その晩は名護のホテルで風呂に入ってビールを飲んだら疲れからブログも書かずに寝込んでしまった。

今、手掛けている日本列島の海岸線を交通機関を使わないで踏破する旅は本土の四島だけでなく、主要な島々も対象としているので、当然、沖縄本島も対象となっている。そのうち、南部は那覇マラソンで走っているし北部は今回踏破したので、残るは中部となるが、こちらは距離が長いので、那覇で自転車をレンタルしてやってみたいと思っている。

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民宿前の砂浜

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辺戸岬手前の岩場

2017032118493500辺戸岬

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青線が二日間で踏破したコース、青○は楚洲の民宿

 

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2017年3月19日 (日)

高江から楚洲へ

今日の行程は沖縄北部の東海岸を北上するものである。高江行きのバスは1日3本しかなく、始発は6時半過ぎに民宿前のバス停を出てしまうので、朝食は頼まなかった。20分ほどで高江のバス停に着く。昨年あたりは騒然としていたのかもしれないが、今は幟等も全くなく、あれだけマスコミを騒がした所とは思えない静けさである。

バス停で朝食を食べてから歩き出す。しばらく行くとゲートがあって、その前に警備会社の警備員数人が立っていたが、反対派の人はいなかった。さらに進むと、別のゲートがあって、反対派のテントがあったが、中に数人いるだけで座り込みをするわけでもなかったが、ゲート前には警備員が十数人立って物々しく警戒していた。辺野古でも土日は資材搬入がなくて座り込みもやってなかったように記憶しているか、高江も平日には今も座り込みをしているのだろうか?テントに寄って話を聞いてみようかとも思ったが、今日の行程は長いのに、なかなか解放されなくなっちゃうのも嫌なので素通りしてしまう。

今日歩く北部一帯は天然記念物のヤンバルクイナの棲息地で、そこらじゅうに注意を喚起する看板等が見られるが、貴重な動物だけにめったに見られるチャンスはないのだろう。

今日歩いた約30キロの県道沿いにはお店はおろか、自販機もなく、左手の亜熱帯の原生林と時折右手に眺められる荒々しい太平洋に慰められて黙々と進んでいく。今晩泊まる民宿には3時半頃には着いたが、さほど歩いたわけでもないのに、どっと疲れがでてしまった。

宿は海辺の眺めの良い所ではあるが、テレビもなく、ネットにも繋がらないという今どき珍しい所である。まあ文明の利器の恩恵に浴さないというのは、ある意味では贅沢であるとも言えるので、今晩は早く寝て、明日の長丁場に備えて鋭気を養っておこう。
2017032118412100高江のゲート前

 

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2017年3月18日 (土)

1年ぶりの沖縄

沖縄は昨年の3月以来の訪問である。この時は、当初は辺野古の抗議行動に参加するつもりであったが、政権側が参院選対策もあって裁判所の和解案を受け入れて工事を中断したために、家内との北部の観光旅行に変わってしまった。辺野古に接する大浦湾に張りめぐされたフロートを見て、「こんな美しい海を埋め立てて飛行場を作るなんて」と家内は感想をもらしていたが、百聞は一見にしかずで現場を見てもらっただけでも、来た甲斐はあったかなと思った。

その後、参院選が終わると待っていたように高江のヘリパッド建設工事が再開されて、その反対運動の盛り上がりもマスコミでも報道されたが(機動隊員の土人発言に対する批判等)、高江は辺野古よりもさらに遠く長期間滞在を余儀なくされるので、年末にでも訪れようと思っていたら、なりふり構わずの工事強行で昨年中に工事は完成してしまったということで行く機会を失してしまった。

国は高江の工事が一段落すると、いよいよ辺野古の工事再開に乗り出してきた。まずは現知事による前知事の埋め立て承認の取消しをめぐる訴訟で最高裁が国側勝訴の判決を出したことをもって、工事再開に向けての障害がなくなったとして、安倍晋三のトランプへの朝貢外交の手土産として工事が再開されてしまった。さらには地元の漁業者に漁業権を放棄させて、現知事の切り札となりうる岩礁破壊の許可権の無力化まで講じてしまった。

真剣に反対運動を行っている人からはお叱りを受けるかもしれないが、事態がここまで来てしまった以上は客観的に見る限りは辺野古の基地建設を阻止することはきわめて困難になったと言わざるをえない。しかしながら、いくら情勢が厳しくなろうとも、日米安保の矛盾を一方的に沖縄県民に押し付けて、本土ではそのブラス面だけを享受するという理不尽に対しては異議申し立ての声をあげ続けなければならないだろう。

今日は飛行機から富士山を見るのを楽しみにしていたので早めに空港に行き、窓側の席を確保する。その後、セキュリティを終えて待合室に入ると、なんと目の前のゲートが目的のゲートであった。おそらくは数百回は乗っているだろうが、こんなことは初めてだ。これが吉と出るか凶とでるか。

離陸後まもなくして東京湾上で富士山を遠望することができたので、富士山に近づいたらいい写真がとれるのではと期待したが、ガスが少し出てきたためにボヤけた写真しか撮れなかったのは残念だった。

約3時間のフライトで到着した那覇空港はもう初夏の陽気である。空港からは高速バスで名護バスターミナルを目指す。1時間ちょっとで名護には着くが、高江はそこからさらにバスを乗り継いでいかなければならない。もっとも高江には宿泊施設はないようなので、その手前にある民宿で今夜は過ごすことになる。

民宿は無人の山中にポツリと一軒だけあるというもので、泊まり客は他にはおらず妙な気分であった。ただネットは通じるし、地上波見られるので長い夜も退屈せずにはすみそうだ。2017031820205200東京湾上からの富士山

2017031820200500モヤのかかった富士山

 

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2017年3月14日 (火)

フル回転

先週からの孫のインフルエンザ看病で平日はずっと潰れていたが、ようやく一段落したので、今日は朝からフル回転となった。

まずは午前中は田園調布のお客さんのところで仕事をし、その後は月末に予定している久々のマラソン(といってもハーフだが)に備えてのランニング練習のために皇居周辺に向かう。最近は銭湯を荷物置き場として利用することが多いが、銭湯がオープンするまで時間がしばらくあったので、永田町にあるアディダスのランナー用施設を利用して3周15キロを走る。思った通りの走りはてきなかったが、今の力はこんなものだろう。

走り終わってから国会前での共謀罪反対の集会に参加するつもりだったが、しばらく時間が開いてしまったし、永田町には飲食店もないようなので、一度渋谷に出て腹ごしらえしてから戻ってくる。

共謀罪は名称こそ、テロ防止をうたっているが、政府に都合の悪いグループに対しては盗聴でマークして、組織的犯罪集団であるとでっち上げをおこなった上で、ATM引出しさえも犯罪の準備行為だとして一網打尽にしてしまうという恐ろしい法律で、まさに戦前の治安維持法の再来である。

森友学園や豊洲移転とは比較にならないほど重要な問題であるにもかかわらず、マスコミ報道や国民の関心が盛り上がりを欠けているのはどうしたことだろう。先日の国会前の抗議集会では勇んで参加したのに参加者が数人しかいなくてガッカリしたものだが、今日も主催者が大きな組織であるにもかかわらず、参加者は500人と低調であった。戦争法反対時の10万人集会の再現を熱望する。

集会終了後、急ぎ足で帰宅する。WBC二次ラウンドを見るためである。5回から見ることができたが、熱戦を制したのは侍ジャパンで準決勝進出に王手をかけることができた。忙しかった1日の最後はいい気分で終えることができたのはなによりだった。
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国会前の集会風景


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2017年3月12日 (日)

阿武隈川下流の遡行

岩沼まで来たついでに阿武隈川下流の遡行を行ってきた。昨夜泊まった仙台から早朝に岩沼に移動し、薄暗いうちから阿武隈川を目指して南に向かう。間もなく阿武隈川に差し掛かり、河口方面が望まれる。実際の河口は大きく屈曲していて、ここからは見えないのだが、河口方面には以前に行ったことがあるので、すぐに上流に向かう。

左岸の土手が舗装されていたので、そちらの道を行ってみる。道の隣は化学工場で煙突から煙がモクモクと上がっている。イヤな予感がしたのが的中して、2キロほど進んだ所でJRの鉄橋の手前で道が消えている。土手の下は工場敷地なので迂回することもできず、同じ道を戻らざるを得ない。

戻りながら対岸を見ると車が走っているではないか。そこで橋を渡って右岸を進むことにする。その後も土手の上を進めるところが多く、迷わないですんで助かった。

今日のゴールである福島が近づくと、阿武隈川を見失ってしまったが、早くゴールしてしまいたいといぅ気持ちがら最短コースを進んでいたところ、やはり阿武隈川沿いに進まなければ、価値が半減すると思い直したので、最後はだいぶ遠回りすることになったが、それでもゴールの福島駅には2時ごろには着くことができ、私にしては珍しい早い到着であった。

阿武隈川を区分して、今回の河口から福島までを下流、福島から白河までを中流、白河から先を上流とすると、中流付近は奥の細道で歩いているし、上流は源流部を除いて那須周辺部をツーリングした時に通過している。ただ、福島から白河までの奥の細道は阿武隈川とはずいぶん離れた経路を辿っていて、これで中流部を通ったというのはインチキくさいので、機会があれば川沿いに忠実に通ってみたい。源流部については道がないが、阿武隈川の水源の山としては甲子岳という説と三本槍ヶ岳という説に別れているようなので、尾根から甲子岳に登って三本槍ヶ岳まで縦走することによって、源流部踏破の代わりとしたい。
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河口付近


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福島付近(背景は安達太良山)


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2017年3月11日 (土)

原発避難地区周辺北部を行く

先週に引き続く原発避難地区周辺ツーリングの後半である。今日のコースはちょうど6年前の今日3月11日に発生した大震災による大津波で被災した福島第一原発の水素爆発で放出された放射能が風向の関係で北西部に拡散されたため、立ち入り禁止区域が飯舘地区にまで及んだことにより、大きく迂回せざるをえなくなってしまっている。折しも今月末で飯舘地区の居住制限が解除されて、住民の帰還が行政主導で行われることになっているが、これはけっして喜ばしいことではない。国による住民の安全を無視した福島事故の隠蔽方針から導かれたものであるからだ。なぜならば、従来は被爆放射能量の上限を年間1ミリシーベルとしていたにもかかわらず、今回の居住制限解除にあたっては、その年間被爆放射能の上限を一気に20ミリシーベルまでに引き上げるという暴挙を行ってしまったのである。20ミリシーベルというのは原発作業員に適用される基準であったもので、それを子供を含む全住民に適用するなどということが許されていいはずがない。事故周辺の子供には甲状腺ガン
の発症率が通常よりも10倍以上という調査結果があるにもかかわらず、事故と健康被害には因果関係には認められないとする国には未来のある子供たちの命をなんと考えているのだと言いたい。国は一応は長期的には1ミリシーベルを目指すなどととぼけたことをいっているが、その期限についてはなにも明らかにしていないのである。さらに今月末で避難住民に対する住宅支援も打ち切って、経済的にも帰還を強制させるという卑劣な手を打ってきているのである。国の意図は明らかである。安倍晋三が「福島事故はアンダーコントロールである」という嘘っぱちを世界に向けて放って招致した東京オリンピックの開催までには福島事故はなかったことにしてしまいたいからにほかならない。これは被災住民に対する棄民政策そのものである。老い先も長くなく、余生は故郷で過ごしたい等の理由により帰還を希望する人に帰還を認めることはよいが、全住民に半ば強制的に帰還を迫るようなことを断じて許してはならない。

今回も18切符を利用するため、東京、宇都宮、黒磯、郡山と乗り換えの連続で昼前にようやく前回のゴールである船引に着く。今日は80キロ程度の距離であり、穏やかな春の陽の下で本来ならば、のんびりした気分でツーリングができるのであろうが、事故により苦境に立たされている住民の方々の心情を思うと、つい気持ちも滅入ってしまう。

船引駅で下車すると、外気は思いの外冷たかった。川俣までは大したアップダウンもないのだが、意外と時間がかかってしまった。川俣町に入るトンネルの出口に放射能の線量表示があり、時間あたりで表示されていたのを年換算すると約2ミリシーベルとなり、このあたりでも安全基準を上回っていることになる。

川俣からは100メートルほど登ってトンネルをくぐると飯舘に入る。冒頭でも書いたように、今月末で帰還が「可能」になるということでマスコミでもよく報道されている所である。ここに来て至る所で目につくのが、除染した土を積み上げてシートをかぶした異様な光景である。除染の結果、線量は下がっているのだろうが、それでも手持ちの線量計で測定した数値を年換算すると4ミリシーベル程度と安全基準1ミリシーベルをかなり上回っている。また除染の問題点として言えるのは、除染の対象が人の頻繁に立ち入る場所に限られていて、広大な野山は全く手付かずであるということである。風や水の流れによって一度除染した土地が再び汚染されることが懸念されよう。

飯舘村から南相馬までは400メートル以上の標高差の下りで楽ではあるが、日も陰ってきたために風が体から体温を奪ってすっかり体が冷えきってしまった。下りきった所にあったコンビニに入って温かい飲み物を飲み、服を全部生き返った気がした。

原町田駅はもう目とはなのさきであり、それで原発迂回コースは完成するのであるが、小高駅まで足を延ばすことにした。というのは昨年3月に石巻から南下した時は原町田までしか開通してなかったが、その後12月に小高まで開通区間が延びたので、小高まで踏破しておこうと思ったからである。

原町田駅に着いた時はかろうじて明るさが残っていたが、そこから南下を始めるとじきに暗くなった。磐城太田駅に着いた時は次の小高駅の発車時刻まで30分ほどしか残されていなかったが、7キロ弱のきょりなのでいけないことはないと思われた。ただ夜道で迷いやすいだろうし、自転車を袋に収納する時間も必要で乗り過ごすリスクもあるので、ここで小高からの電車を待つことにした。もっとも、常磐線自体は震災前に終点まで何度も乗っているのだが

磐城太田駅には線量表示があって、毎時0.147マイクロシーベルを示していた。0.147マイクロシーベル×24時間×365日=1.287ミリシーベルとなり、安全基準を若干上回る程度だが、小高駅の方が原発に近いだけにもっと大きい値を示しているだろう。

原町田で乗り換えて、明日の出発点となる岩沼に向かう。さきほど常磐線はすでに全線乗車していると書いたが、原町田〜岩沼間のうち、相馬〜浜吉田は津波で大きな損害を受けたため、津波の危険の少ない高台に新たに線路を敷設して、昨年12月に開通したものであるので、新線開通ともいえるもので、是非ともこの際に乗車しておかなけれならないものだった。もっとも暗闇の中で、どこを走っているのかさへわからなかったが2017031123233600除染土地の集積所

2017031123232000磐城太田駅の線量表示

Photo今回のコース

 

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2017年3月 5日 (日)

原発避難地区周辺南部を行く

そろそろ原発事故から6年となるが、2011年の1月に日本列島海岸線踏破を目指して福島県の久ノ浜まで北上し、4月の桜の時期に石巻あたりまで足を延ばそうと思っていたら、大震災でそれどころではなくなってしまった。その後、太平洋海岸沿いの踏破は北は根室から南は佐多岬まで全て踏破したが、原発事故による立ち入り禁止区域だけは空白地帯が残されてしまった。原発周辺の立ち入り禁止は恐らく私が生きている間は解除されないだろうから、原発を大きく迂回しても道を繋げざるを得ない。ただ直進すれば数時間で通過できる立ち入り禁止区域も事故当日の風向きの影響で放射能が北西方向に広がったため、そこを迂回するとなると二日がかりとなってしまう。そこで今回はまずは迂回コースの南部をやって磐越東線に抜け、そこから先は来週まわしにすることにした。

常磐線は竜田駅から先は放射能の影響で不通となっているため、ここから久ノ浜まで南下し、そこから南の海岸線は踏破済みなので、西に進路を取ることにする。実は昨年の震災五周年の時に石巻から南相馬までは自転車で走破し、そこから竜田までは代行バスで通過し、そのあとは原発に可能な限り接近してから、今日のコースを通る予定だった。ところが、自転車がパンクしただけならともかく、空気入れまで壊れてしまい、やむなくリタイアとなってしまったので、今回はそのリベンジにもなるのである。

竜田駅前の店は相変わらず閉まったままで、あの日から時間は止まってしまったかのようである。久ノ浜までの道はなるべく海岸線近くを通るようにしたので、結構時間がかかってしまった。

久ノ浜のコンビニで昼食をとってから海岸線を離れて原発事故立ち入り禁止区域の大迂回コースに入る。しばらくするとナビのルートが激しく屈曲するようになり、ナビに忠実に従おうとすると右往左往してしまい、30分ほど時間をロスしてしまった。そこでおおよその方角だけを定め、細かいコースは無視して進んだら、ようやく袋小路から脱出することができた。

大迂回コースは内陸部のコースではあるが、大した登りはあるまいとたかをくくっていたら、緩い傾斜ではあるが、夏井川沿いに登りが延々と続き、標高にして500メートル近く登ることになったので、距離の割には結構時間がかかってしまった。夏井川渓谷は下流の方は梅が見頃となっていたが、上流は冬の眠りから覚めてないようで殺風景な状態であった。新緑や紅葉の頃は見応えがあるのだろうが

いわき市から小野町に変わるあたりから登りもなくなって平坦になってきたのでスピードもでるようになった。ようやくコンビニも現れたので腹ごしらえをする。食事をしながらこれからの作戦を練る。18切符で帰るためには、今日のゴールである船引に19時過ぎに着かなければならないが、距離は20キロちょっとあるのに対して、残された時間は1時間ほどしかないのでちょっときつい。そこで後10キロほど走って、残りは次回にまわすことにした。

コンビニを出てしばらくすると小野新町の駅があったが、もう少し先まで足を延ばすことにした。しばらく走って、どこの駅まで行こうかとグーグルマップを出して見たところガーンである。線路に沿って走っているものばかりだと思っていたら、ゴールに予定していた船引までは線路とかなり離れた道を進んでしまっているではないか。最寄り駅までのコースを検索すると船引までの距離の3分の1くらいだったので、これなら大丈夫だろうと進路を変えると、いきなりの山越えである。距離の割には時間がかかり、最寄り駅が見えてきた時には、乗るつもりだった電車がホームに滑り込んでくるではないか。タッチの差で乗り遅れてしまったが、次の最終に乗っても郡山から新幹線を利用すれば今日中には帰れるやけだから、気持ちを切り換えて、新幹線代は余計にかかるものの、予定通り船引まで行って次回の行程を楽にすることにした。

最終は1時間半以上後なので時間をもて余すのではないかと思ったが、船引までも結構時間がかかったことや、コンビニに寄ったり、駅の待合室で飲食をしたりしていたら、ちょうどいい時間に最終が来て、なんとか朝帰りせずに帰れることになった。

2017030521570600竜田駅

2017030521573200久ノ浜駅

2017030521575000夏井川渓谷




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