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2017年4月

2017年4月29日 (土)

閑話

毎日、共謀罪の話しだと、読んでいただく方も飽きてしまうだろう(書いている方も飽きました!?)、というわけで、今日は別の話題にしたい。

昨年もやったのだが、二階のベランダはそこそこ日が当たるので、プランターでミニトマトを栽培しようと、買ってきた苗を植える。昨年は孫が我が家に遊びに来たのは、一部しか色づいてない時だったので、今年はぜひピーク時に来てもらって、食べ放題といきたいものである。写真のブランターの背後に見えるのは鯉のぼりで、今日ばかりは祖父バカぶりを発揮する。
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夜は所属しているNGOのランニング愛好者による練習会である。皇居2周ということで一周目は全員でゆっくり走り、2周目は若手に引っ張ってもらって25分切りを狙うが、前回同様26分台て25分切りは次回に持ち越しとなった。

終了後は近くの焼鳥屋で乾杯してから歓談し楽しい1日だったが、一つ悲しいこともあった。それは東北大震災の被災者支援として出資した蛎の事業者の海難死の知らせである。奥さんからのメールでは、事業再開は断念したとのことである。別に配当を期待していたわけではないが、時折ある事業再建の便りを楽しみにしていただけにポッかりと心に穴が開いたような気持ちであった。

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2017年4月26日 (水)

共謀罪の勉強会

共謀罪については、ひととおり理解しているつもりだったが、闘いが山場を迎える前に、さらに理解を深める必要があると考え、福島みずほさんが主催する参議院議員会館での共謀罪の勉強会に参加した。

第一線で権力と闘っている弁護士さんの話しだけに、共謀罪が成立したら警察側によってどのような使われ方をするかという話は背筋が寒くなるものであった。最も印象深かったのは、「共謀罪は構成要件が明確でないので、有罪判決は困難だが、そのことが逮捕令状の取得には有利に働く。また共謀者がいることが前提となるため、口裏合わせを防ぐという名目での長期勾留が常態化しかねない。それらのことにより国民が萎縮すれば、たとえ有罪とならなくても、権力側の目的はほぼ達成される」という恐ろしい話しであった。

共謀者に対する国民の反対は今一つ盛り上がりに欠けるが、こんな前代未聞の悪法に反対の声をあげない人は、後の世代から石を投げられるようなことになっても文句を言えないことを覚悟すべきだ。
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2017年4月25日 (火)

共謀罪の国会審議が大きな節目をむかえる

共謀罪の国会審議は野党の質問に対して政府はまともに答えておらず、審議は全く不十分であるにもかかわらず、本日、参考人質疑を強行して、強行採決への地ならしが着々と進められている。参考人質疑というのは国会審議が十分なされた後、採決に移る前に専門家等の意見を聞いて国会議員が採決の際の判断に資するということであるのにもかかわらず、一種の儀式、アリバイづくりとしてしまって、それが終われば数を頼んでいつでも強行採決をしてしまおうというのが政府の魂胆である。

まだ審議が全く不十分で時期尚早にもかかわらず参考人質疑が強行されたことに抗議して、国会前で正午から集会が開かれたので参加した。さらに夜には新宿駅の西口で通行人に対する街頭宣伝があったので、そちらにも参加した。両方の時間がだいぶ開いてしまったのでジムのクライミングで時間潰しをする。

集会参加者数、街頭宣伝の反応も全く不十分に感じられ、GW明け直後の山場に向けて、もっともっと頑張らないといけないと痛感した。 
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2017年4月24日 (月)

フェイスブック

私のインターネット歴は自慢じゃないが、かなり古くてインターネットがまだほとんど知られてない頃からである。当時はまだMS−DOSの世界でインターネットに接続すること自体が至難の業だった。C言語で書かれたプログラムを入手して、それを自分のPCで使えるようにカスタマイズしてからPCを動かせる機会言語にコンパイルしなければならないのだが、延々1時間もかけて終わったかなと思ったら、メモリー不足の表示が出て終了してしまい、当時1メガでたしか三万円もするメモリーを泣く泣く買ったりしたものだった。

その後にウィンドウズ3.1が出て、フリーソフトをカスタマイズすれば、比較的簡単にインターネットに接続できるようになったのだが、ウィンドウズ95が発売されてブラウザが標準でついてきて、多少の設定さへすればインターネットに接続できるようになったのは革命的であった。

インターネットが世の中を変えると信じ、まだホームページが珍しかった時にエディタでタグを書いてホームページを立ち上げたりしていた頃は時代の先端に近い所にいたのだが、進歩はそこで止まってしまい、時代の先端からは遅れるばかりだった。ブログまでは掲示板と比べての手軽さで利用したものの、ツイッターとかフェイスブックとなると特に必要性も感じず、このまま時代に取り残されて終わるかと思われた。

今回、突然フェイスブックを始める気になったのには訳がある。それは共謀罪反対に関するブログを多数書いているが、自分のブログは一日にアクセスする人は20人前後しかいないのでもっと大勢の人に発信できる方法はないかと考えた時に思いついたのがフェイスブックを活用することであった。

実際に登録してみて驚いたのは、思いの外、知り合いがたくさんいることだった。さっそく友達になることを選択して承諾をもらった人に対して共謀罪反対を交えたメッセージを送ってみようとするが、承諾時にメッセージをくれた人に対しては、返信を出す形でメッセージを送信できるのだが、そうでない人に対してはメッセージを書き込んでも送信マークが現れないのど送信できないのである。

もうひとつの問題は、見知らぬ人から多数の友達になることの承認を求められていることである。恐らくは、その人の友達のまた友達ということで連絡をしてきているのだろうが、見知らぬ人を友達として承認することは気持ちが悪いが、削除してしまうのもためらわれる。というわけで承認待ちは増える一方である。まだわからないことはたくさんあるが、おいおい慣れていくしかないだろう。

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2017年4月23日 (日)

ジャワ料理試食とShall we 共謀

GWに家内とインドネシアのボロブドゥール遺跡に行くので、食べ物に無頓着な自分とは違う家内の口にジャワ料理が合うかどうかをテストするために新大久保のジャワ料理店に行ってみる。

今回、ネットて検索したメラブティカフェという店は駅から歩いて数分の至近距離のはずなのだが、路地を入った雑居ビルの3階にあるため、探しあてるのに思わぬ時間をとられてしまった。
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店に入った時はがら空きだったが、お昼時だったせいか、インドネシア人と思われる人が次々に入ってきて、たちまち満席になる。彼らは注文もせずに定食らしきものを自分達で勝手にとっている。我々はというと、メニューと事前に調べておいた料理を見比べながら、焼そば、魚の唐揚げ、串焼きを注文する。味は濃いめであるが、世界中ほとんどで食べられる中華料理も混ぜれば、家内も数日間ならばなんとか我慢できそうであった。魚料理は口に合わないということがわかったことも含めて試食に来た甲斐があった。
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食事後は新宿で下車し、共謀罪に反対して共謀しようという洒落を込めた「Shall we 共謀」という集会に参加する。集会の目玉は山本太郎議員の話なので、とても説得力のある話だから、家内にもぜひ聞いた方がいいよと勧めたが、体調がベストでない家内は疲れたと言って途中で帰ってしまう、まあしょうがないか
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山本議員の話は期待にたがわず面白かったが、それよりも面白かったのは、山本議員の話が終わり降壇した直後に福島みずほ議員が近くを通りかかって飛び入り参加され、山本議員も再登板となってお二人のトークショーが始まったことである。
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白熱のショーのために予定時間を遅れて参加者全員のコールでお開きとなったのが、まだ3時半過ぎで帰宅するには少々早かったのて、東口のアルタ前でやっているはずの街宣の方に向かう。

アルタ前では共謀罪反対と原発被害者支援の街宣を別々のグループがやっていたので、それぞれを順番に見ていたが、いずれも主催者以外には参加者はほとんどおらず、歩行者も無関心という寂しい状態であったが、どういうわけか近くを通った山本議員が原発被害者支援の街宣に飛び入り参加してマイクを握ると、たちまち人だかりができたのには驚いた。山本議員の話も、さきほどの話と重複することは少なく、情報量の豊富さには感心した。山本議員の話が終了するとともに人の波も去っていったので、申し訳なかったが、私も失礼させてもらった。

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今週25日には参考人質疑があり、それが終わればいつ強行採決が行われてもおかしくない状況になる。今週は連日国会に出かけなければなるまい

 

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2017年4月22日 (土)

共謀罪反対の中野リレートーク

共謀罪反対の中野リレートーク
土曜日の午後、中野駅前で共謀罪反対のリレートークが行われたので、近くでもあり参加する。

中野まで行く途中に外周約1キロの公園を通るので、2回走ってみる。1回目は4分48秒、大休止の後、2回目は4分36秒と前回までの5分前後の記録をかなり更新できて気分をよくして集会場所である中野北口駅前広場に向かう。

会場にはスタート直後の3時過ぎに着くとスタッフ以外の一般参加者はまばらで寂しいものだったが、終了の5時近くには100人近くにまで膨れ上がった。

駅前を行き交う人達の反応は限りなく無関心に近いものであった。一体彼らは共謀罪についてどう思っているのだろう。

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2017年4月21日 (金)

森友問題刑事告発の行方

今週の日曜日に国会前で開かれた森友問題追及集会で刑事告発の賛同人に登録したことはブログに書いたとおりであるが、20日に検察庁に告発状を提出するとのことだったので定刻に現地に行ってみる。

現地には共同告発人や賛同者が若干は集まっているがどうも様子がおかしい。ここ数日間の状況変化は把握してなかったが、自由党の小沢代表の「刑事告発は時期尚早である」という発言がこの運動に激震をもたらしたようである。発言の趣旨は国会会期中に刑事告発が行われると、野党が森友問題で追及しても司法の手に委ねられているという理由で答弁を拒否されて、野党の国会対策の障害になるということらしい。

告発運動の中心となっているメンバーの間でも意見が割れて、野党の意向を受け入れて告発は延期するという意見が大勢を占めたようであるが、一部のメンバーはあくまで予定どおり告発を行うと主張してメンバー間で激論となった。議論は平行線をたどり、もはやこれまでかと思われたが、検察庁の前での最後の説得に強硬派も折れて、今日の告発はしないことを了承してなんとかグループの分裂は避けられた。

なかなか判断の難しい問題である。告発がどの程度、国会審議の障害になるかは不透明であるし、仮に司法の手に委ねられていることを理由に答弁を拒否されたとしても、告発状の罪状以外の内容については拒否できないようには思う。いじれにしても、共謀罪を廃案に追い込むための有力な材料である森友問題の追及手段をせばめるようなやり方は得策とはいえないだろう。森友問題については国会会期終了ないし共謀罪審議が一段落するまでは告発の賛同者の輪を大きくする運動に重点を置き、実際の告発はその後に行うことが賢明であると思われる。

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2017年4月20日 (木)

月例記念日

戦争法に関して毎月定例となっている集会が2回ある。ひとつは3日の日に作家の澤地久枝さんの呼び掛けで「アベ政治を許さない」のプラカードを掲げて全国各地で行われているが、澤地さん自身も参加される集会は国会正門前で行われている。もうひとつは参議院で強行採決された9月19日にちなんで毎月19日に総がかり実行委員会が主催している国会周辺での戦争法等に反対する集会である。いずれも出来る限り参加するようにしているが、昨日の19日は日比谷野外音楽堂での沖縄反基地がメインの集会であった。辺野古の工事再開、反対運動のリーダーである山城さんの不当な長期勾留からの解放実現という節目を迎えていることに加えて、共謀罪反対運動の山場を間近にして、この機会を逃すと沖縄問題を大々的に取り上げる時間がないという事情もあったのであろう。

久しぶりに山城さんの生の声や元気な発言を聞きたかったが、野音の集会スタートの6時半にはよんどころない用事で間に合わず、かといってすぐに満員となって会場に入れなくなる可能性が高いため、銀座でのデモが始まる7時半までに会場につくように段取りをつける。

銀座をデモするのは久し振りだ。皆は会場入口で配られたと思われる沖縄反基地のポスターを掲げていたが、私は共謀罪NOのポスターしか持ち合わせがなかったので、それを掲げる。いずれも国民の権利よりも戦争体制を上位においているという意味では根っ子は共通だからまあいいか。数千人規模のデモが銀座で行われるというのは珍しいことなので、それなりの効果はあったとは思うが、日本政府が(そしてそれに盲従している本土の人間が)沖縄県民だけに基地の大部分を押し付けるということが、いかに理不尽であるかという我々の訴えはどれほど理解してもらえたであろうか?
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東京駅近くで流れ解散となったが、そのまま皇居のお堀までジョギングして、皇居ランニングコースに合流し、竹橋の地下鉄入口付近までジョギングを続ける。今日は日中は夏日だったので薄着で出掛けたが、夕方から冷え込んできたために、全力で走り終えてから駅まで遠いと体が冷え込んでしまうので、1周タイムトライアルのスタート兼ゴールを駅入口近くにするためである。

勢いこんで走り出した割には前半は今ひとつスピードに乗れない。理由としては、夜走るのは久し振りだったことや今までのスライド走法から(多分?)足への負担の少ないビッチ走法に試しに切り替えたことで、ペースの取り方がわからなくなってしまったことがあげられる。コースの約半分近くのナントカ門に数台の車が入るということで長時間に渡って足留めを喰らう。足留め解除後は下り坂ということもあって、ぐんぐんスピードアップし、先行するランナーをごぼう抜き(もちろん早いランナーには何人も抜かれたが)して、ゴールしたが、時計を見ると29分もかかったことになっていたのは足留め時間を差し引いても、これまた理不尽な仕打ちとかしか思えなかった。

 

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2017年4月17日 (月)

安部首相夫妻に対する共同告発の賛同者に登録

昨日の日曜は国会議員会館前で行われた森友疑惑追及集会に参加して、安部首相夫妻に対する共同告発の賛同者に登録してきた。森友疑惑はマスコミでもよく報道された国有財産の私物化については全く解明されてないにもかかわらず幕引きムードが出てきており、そうはさせじという気持ちがあったからでもあるが、それとともにマスコミはあまり報じようとしないが、日本会議という右翼集団が安部政権や維新の松井知事と結託して教育の反動化を進めようとしていることに対する抗議の気持ちもあった。そして最大の狙いはこの問題で安部政権を追いつめて、退陣まではいたらずとも共謀罪の廃案を勝ち取ることである。

通常この手の集会は野党議員や市民の連帯の挨拶とコール(シュプレヒコールとは呼ばなくなったのは寂しいが)で1時間程度で終わるのだが、今回は26度をこえる炎天下にもかかわらず、3時間にもわたる長時間の集会を500人近い参加者で大いに盛り上がった。はじめに型通りの野党議員の挨拶の後、福島みずほ議員と沖縄の基地建設反対運動のリーダーである山城博司さんとの電話対談が行われた。山城さんの元気そうな声が聞けたのは嬉しかったが、興味深かったのは沖縄では共謀罪の先取りが行われているとよくいわれることの実態がかいまみえたことである。山城さんの話によると、今回いくつかの罪で起訴されているが、その罪状には「共謀して」という文言が類型化して盛り込まれているそうである。さすがに共謀罪成立前においては「共謀」の事実をもって起訴することはできないが、警察側は共謀罪が成立したら、即座に取締りができるように体制を整えているようで、恐ろしいことである。

その後に市民の挨拶に移ったが、その時に反対側の道路に停まった車から右翼(暴力団?)らしき5、6人がこちらに向かって突進してくる。応戦しようと道路に出た参加者に向かって、発言者は「挑発に乗らないで」と静止して話を続けたが、なかなか腹の座ったおばちゃんであった。さいわい警備の警官に制止されて事なきを得たが、外せん車による妨害はよくあるものの、殴り込みははじめてである。おそらく森友疑惑追及が国有財産の私物化問題にとどまらず、教育勅語批判につながることを恐れた彼らなりの危機意識の現れなのだろう。

その後は制服向上委員会というアイドルグループの歌や安部首相夫妻に扮したコントもあって楽しませてくれた。トリは元日弁連会長で都知事選にも出馬したことのある宇都宮弁護士の講演で幕を閉じたが、参加者500人中、100人近くが私と同様に新たに安部首相夫妻に対する共同告発の賛同者に登録したようだ。

集会終了後は恒例となっている皇居ランニングのハシゴに向かうべく国会正門側に回り込むと、先ほど殴り込みをかけてきた右翼連中が、日の丸を掲げて気勢をあげている。そんな所を「アベ政治を許さない」のカードをぶら下げていったら袋叩きに逢いかねないので、反対側の歩道を通って皇居のお堀に出る。桜田門の広場に荷物を置いて1周だけを全力で走ってみることにした。

ただ走るだけではつまらないので、背中に「共謀罪NO」のブラカードをゼッケンのようにつけて走る。途中何ヵ所かある交番で、「皇居周辺での示威行動はダメだ」と言われたら表現の自由をタテに抵抗してやろうと思ったが、結局なんのおとがめもなく(単に気が付かなかっただけかもしれないが)、他のランナーからの反応もなく拍子抜けであった。

気持ちが高揚していたせいもあって、いつになく早く走れて26分だったのにはびっくりした。このところ、どんなに頑張っても30分を切れなかったのに久々の「好」記録が出たのは、家の近くでスピードトレーニングの真似事をやっていてキロ5分のスピードが身についてきたからかもしれない。終了後は家までジョギングするつもりだったが、四ッ谷駅の先で東西を取り違えていることに気付いて戻ったりしたら、走る意欲を失って電車で帰ってしまったが、充実した1日であった。

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2017年4月 8日 (土)

雁ガ腹摺山

雁ガ腹摺山という奇妙な山名は雁が山越えをする時に腹を擦るように地面すれすれに越していく様から名付けられたものである。山梨県内にはこの山名を付けた山が三つもある。文字通りのこの山は大月の北方の大峠のすぐ東にある山で、大峠を雁が越えて行くであろうから山名のイメージにもっともピッタリの山である。大峠から西に向かい、大菩薩から南に延びる尾根と合流したら北上して黒岳を越えた先にも牛奥の雁ガ腹摺山という山がある。最後は甲州街道や中央本線が通過する笹子峠の北方に笹子雁ガ腹摺山という山梨百名山にもなっている山である。このうち、牛奥の雁ガ腹摺山は若い頃に滝子山から大菩薩まで縦走した時に登っているし、大峠からはだいぶ距離があるので最後に回し、時間が足りなければカットするということで、笹子雁ガ腹摺山から登ることにした。

甲斐大和(昔は初鹿野と言った)から笹子峠への旧道を登って行く。旧道は峠直下のトンネルを潜っていき峠までは登らないので、以前に甲州街道を反対側から街道歩きをした際に峠まで行かないことを残念に感じたことが思い出されるが、今日はせのリベンジというわけではないものの、トンネル入り口付近に自転車を止め、そこから峠を目指す。

笹子峠への道の入り口の発見に手間取り時間をロスする。道を見つけて登り出すとしばらくして「4月末までゲート閉鎖で通行止め」の表示が目に入る。自転車は多分通れるだろうし、ダメならそこからは歩きで往復するだけだと決めて前進する。果たしてゲートは右側にスペースがあり、楽々通過できた。

峠直下のトンネルまでは四キロちょっとで着き、そこに自転車をデポして峠に向かう。峠までは直ぐに着いてしまう。こんなに近いならば、前回も峠経由にしておけば良かったと思った。峠から山頂への道は途中で尾根道と新道に別れるが、行きと帰りは違う道を通ることとし、行きは尾根道を行くと結構アッブダウンがあった。誰にも会わないかと思ったら、途中で3人バーディーに出会ったし、頂上でも単独で休んでいる人がいた。

天気も回復気味で、多少は展望はあったが、この辺りの山域はあまり詳しくないので山頂の写真のみを撮って、昼食のパンを食べてから下山する。トンネル手前で自転車を回収して笹子側に降りていったら、先ほどすれ違った3人バーディーが歩いていて、挨拶して追い抜く。自転車は早くていいなと誇らしい気分だったが、ゲートの先に停めてあったのが彼らの車だったようで、しばらくすると逆に抜かされてしまった。

国道に出て初狩の先までは下りが続いて楽だった。今日の次の目的である二つの雁ガ腹摺山に達するための大峠への分岐点に着いたときは既に2時半で、大峠までの距離だけでも16キロ、標高差は800メートル近くあり、近い方の雁ガ腹摺山でもさらにそこから標高差500近く登らなければならないことを考えると時間的に無理っぽい気がしたが、一応行けるところまで行ってみることにした。

いきなりの急登が続き、1日に2回のヒルクライムはしんどいものであった。4時を回ったところで確認すると大峠までの行程の半分ほどしか来てないことがわかりリタイアすることを決めた。下りとなると早いもので5時過ぎに大月に着いてしまったが、こんな早い時間に着けるとは想定外であった。三つの雁ガ腹摺山のうち一つにしか登れなかったが、山梨100名山には登れたのでまあいいか

2017040819352601笹子峠手前4.4キロのゲート

2017040819352500笹子峠直下のトンネル2017040819352502笹子峠

2017040819352501笹子雁ガ腹摺山頂上

2017040819352400リタイア地点

 

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2017年4月 6日 (木)

共謀罪廃案に向けての闘い始まる

本日、安部政権は憲法違反、欠陥だらけの共謀罪法を衆議院に上程した。テロ等準備罪などと、あたかもテロ対策の法案であるかのように国民を騙して、国民の言論を封じようとする治安維持法の復活につながる天下の悪法の成立を絶対に許してはならない。

今日は忙しい1日だった。午前中は地元の点字サークルの会合に出席したが、終了前に抜け出して国会前に駆けつける。12時からの共謀罪国会上程に対する抗議集会に参加するためである。昼食の時間もないため、地下鉄の中でパンをかじる。

集会は1時に終了して、夜の日比谷野外音楽堂での共謀罪反対集会までは時間がかなり開いてしまうが、ちゃんと予定は立ててあるのだ。まずは大手町の合同庁舎に行って用事を済まし、次に半蔵門に向かって駅近くの銭湯に荷物を置き、服を着替えてから皇居ランニングに出かける。花見客が多くて走りにくくはあったが、以前のようなスピードがなくなった現在はさほど影響がなかったかもしれない。特に3週目はヨレヨレで歩きも混じってしまったので、混雑も全然苦にならなかった。ランニング終了後は、一風呂浴びてから隣の中華料理店で恒例のほろ酔いコースで喉の渇きと空腹を満たした。

日比谷野音には早めに着いたので、まだ7割程度の入りで余裕で座れたが、開始後20分で満員となって門が閉められてしまった。会場は熱気で大いに盛り上がり、終了後は国会への請願デモで締めくくられた。

今日から今国会終了の6月中旬までは臨戦体制で戦っていく覚悟だ。戦争法ではあえなく敗れてしまったが、この悪法に対してはその二の舞を演じるわけにはいかない。廃案に追い込むためにあらゆる可能なことをやっていきたい。
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昼の国会前抗議集会


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日比谷野外音楽堂


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国会請願風景

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2017年4月 2日 (日)

那珂川下流遡行

大河遡行シリーズも回を重ねているが、今回は那珂川下流の遡行である。本来は河口の最寄り駅である阿字ヶ浦をスタートして河口に寄ってから遡行すべきであるが、河口の近くの大洗までは北海道にフェリーで渡った時に水戸から自転車で通っているし、2011年の初日の出を犬吠埼で迎えた後に太平洋側を北上して大洗を経て那珂川河口付近は通過しているので、今回は水戸をスタート地点とすることにした。これにより、時間距離ともかなりの短縮が実現できることとなった。

水戸駅では北口からスタートすべき所を間違って南口からスタートしてしまい、途中で気付いて戻ったが時間をだいぶロスしてしまう。そんなこんなで那珂川にたどり着いた時は水戸を下車してから1時間近くかかってしまった。

橋を渡った対岸からは土手の道が舗装されていたので川から離れずに進むことができた。途中で土手の道が消えてしまって、近くの一般道に逃げたが、すぐに土手の道が現れたので、そちらに戻った。那珂川のはるか前方には那須連山の白い峰々が眺められ、勇気付けられて元気が出る反面、あんな所まで行けるのかと不安にもなる。

次に土手の道が消えてしまって一般道に逃げてからは、土手自体がなくなってしまったようである。しばらく行くと道が分岐していて右が近道のようであったが、川から完全に離れてしまうようなので、遠回りでも川沿いに行こうと左側の道を選ぶ。案の定、すぐに那珂川を渡る橋の上に出たが、橋を渡っても川に沿って行く道はなく、そのまま直進するとやはり川から離れていってしまう。まずいなと思いながら前進していると右側に山の方へ登って行く道がある。この道ならば那珂川へ降り立つことができるだろうと登り始めるが、なかなか大変な山道であった。那珂川自体は蛇行しながら悠然と流れているが、川沿いの山道は小刻みのアッブダウンが続き、いいかげんに嫌になってくる。それでも我慢して進めば、やがて下り坂となって、万一の場合はエスケープが可能と考えていた烏山線の烏山駅近くに出る。もちろんエスケープなどはしないが、遅めの昼食を摂ることとする。

後半戦は那珂川とさほど離れていない所を川沿いに進む国道を行くので快適である。芭蕉ゆかりの黒羽、三回も関門リタイアという屈辱を味わされた大田原といった思い出深い地を通るので退屈することがない。午前中ははるか遠くに見えていた那須連山が間近に大きく見えてくるようになればゴールの黒磯は近い。前回の阿武隈川と同様に明るいうちにゴールできたのは喜ばしい。

阿武隈川の源流は那須連山の東側にあり、那珂川の源流は那須連山の西側にあるので、那須連山を東側から登って西側に降りてくれば、二つの大河の踏破が達成できることになる。これが終われば関東地方の大河はだいたい終わったことになるのだが

Img_20170402_090534水戸郊外の那珂川

Img_20160825_222611蛇行する那珂川中流

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岩と雪ベストセレクション

先日、本屋で「岩と雪ベストセレクション」という本を見つけて思わず買ってしまった。岩と雪というのは1958年に創刊され1995年に廃刊となった本格的な山岳雑誌である。若かった頃に夢中で読んだ本であるが、今でいうクライミングに自分が打ち込んでいたのは1975年頃から198*年くらいまでの短い間だったので、現役としてこの雑誌を購入していたのは同じ期間でしかない。当時入手可能であったバックナンバーは全て購入したはずなので、もう少し前からのものも所有していたが、クライミングを中断していた時期に引っ越しのために全部破棄してしまったことを悔やんでいた。

2000年にクライミングを再開する少し前に後継雑誌であるrock&Snowが創刊されていたが、掲載内容が時代を反映してフリークライミングの比重が高まってしまったためか、岩と雪ほどの興奮を与えるものとはならなかった。また中断していた時期にあった日本のフリークライミング黎明期(当時はハードフリーと呼ばれていたのも懐かしい)のエボックメーキングの数々もクライミング再開後に断片的に知っただけで、当時の実際の記事を読めるのは嬉しいことである。パラパラと眺めているだけでも楽しめるので、当分は退屈せずにすみそうだ。

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