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2017年7月

2017年7月24日 (月)

浅間山東方の国境尾根縦走

長年の課題として関東地方の外周の県境尾根を縦走することを目論んでいたが、茨城栃木両県の福島県との稜線にはほとんど道がないようなので諦めて(藪漕ぎしながら行った人もいるようだが)、群馬県から神奈川県までの県境尾根縦走だけで我慢することにしたが、浅間山近辺だけが未踏となっており、火山活動中で立ち入り禁止の浅間山山頂周辺はともかくとして、浅間山東方の碓氷峠までの稜線が未踏のままで残っていたのが気になっていたので、今回、国境平から碓氷峠までの稜線を歩いてきた。

青春18切符を利用して横川までは在来線で行き、そこからバスを乗り継いで、浅間山東方の峰の茶屋で下車して200名山にもなっている鼻曲山を目指して歩き出す。しばらくは平坦な道を行き、やがてゴルフ場に沿って進んで行くようになる。

鼻曲山の登山口とおぼしき辺りに来たが、オートバイのイベントが開催されていて関係者以外は立ち入り禁止となっているため登山道に入れない。弱ったなと思ったが、北側から回り込んだ道からも登山道に取りつけそうな気がしたので、そちらから行ってみることにした。

道は途中でゴルフ場にぶつかって前進できなくなる。ゴルフ場の縁の踏みあとを辿って行ける所まで行ってみるが、途中から藪に遮られてしまう。ただ登山道があるはずの稜線まではさほど距離はないようだったので、強引に藪漕ぎしながら登っていく。1時間ばかりのアルバイトで稜線上の登山道にでる。後はチンタラ登っていくと頂上とおぼしき所に着いたが、頂上にしては標識もなくて変だなと思っていたら、20人以上の大バーディーに出くわす。多分ツアー登山の一行なのだろうが、長日向からはアブローチが短いので、そちらから往復したのだろう。私の通ったコースを利用する人は希なのだろうが、県境尾根を縦走するためには、そちらをとらざるをえなかったのだ。それはともかく、彼らが通過した後に、彼らの来た道を辿ってみると、すぐに標識のある本物の山頂に着く。
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ここでひとつ思い違いをしてしまった。出会ったパーティーが長日向から往復したに違いないというのは後から気付いたことで、この時は、件のパーティーは本物の山頂の方向から現れたので、その方向から山頂に登ってきたのだと錯覚してしまった。そのために山頂から元の道に戻らすに踏みあとを辿って前進してしまったのである。ところが、踏みあとが今までの道と比べてやけに悪いし、正しい道ならば東向きからすぐに南向きに変わるはずなのに北向きに進んでいるので道を間違えていることを確信し、山頂に戻って正しい道を探した。次の目的の山である留夫山を示す道標は見当たらなかったが、正しいと思われる方向への分岐点には霧積温泉に至るという道標しかないので、ちょっと迷ったが、留夫山に向かう途中から霧積温泉への道が分岐しているのだろうと考えて、そちらの道を取ると、果たしてそのとおりであった。

留夫山へは1時間弱で到着するが、山頂には草が生い茂っていて、あまり登られてないようである。ここから先は登りはほとんどなく、全体に下り気味である。
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旧中山道の碓氷峠に着いたのが5時で、軽井沢からの横川行き最終バスは6時5分である。ここから軽井沢方面への道は舗装されていて軽井沢駅までは7.5キロと表示されている。一方、携帯のグーグルマップでは軽井沢駅までは4.5キロと表示されている。きっと道路の表示はどこかに寄り道した距離を表示しているに違いないと考え、携帯に表示されている距離ならば、下り一方でもあることだし、1時間あれば十分つけると判断して格別急ぐこともなく前進していった。だいぶ進んだ所でグーグルマップで現在地を確認してみると、駅への最短路のコースよりもだいぶ東よりの尾根直下の道を進んでいることがわかった。一瞬、来た道を戻ろうかとも思ったが、かなり戻らなければいけないようだし、このまま尾根直下を進んだ方が今回の目的に合致しているように思えた。それに途中で駅まで五キロと表示されている地点を通った時の残り時間は30分ちょっとあったので、いつもの皇居マラソンのペースで走れば間に合うとペースを上げて走った。

国道の碓氷峠に降り立った時は発車時間まではあと10分でぎりぎりである。峠から駅まではこんなに遠かったけと思いながら走るが、駅前に停まっているバスは、私が駅に着く直前に非常にも走り出してしまい、五キロあまりの疾走?は無駄な努力に終わってしまった。まあ多少割高になるけれど新幹線で帰ればいいだけなんですけどね

 

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2017年7月17日 (月)

沖縄最終行動日

今日は沖縄一周のうち残ってしまった南西部の20キロちょっとを走行するのが目的でそこまでの行き来を合計しても50キロ弱と楽勝ベースである。

まずは東海岸の与那原まで行くのだが、初日とは出発点が違うので経路も違ってくる。与那原から進路を南に取ると、交通量もぐっと少なくなる。知念岬を回り込む道は最後は登りが続き少し疲れた。残波岬と違って、こちらには灯台はないが、雄大な眺めは甲乙をつけがたいものである。
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岬を回り込んでしばらく下ってゆくと具志頭に着く。ここの浜辺には被り気味の岩が並んでいて、しかも下地が砂地なのでマットも必要ないということで、ボルダリングの適地として全国的に知られており、私も何度か登ったことがある所である。もう以前のようなモチベーションはないが、一応、クライミングシューズをザックの底に忍ばせていた。
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浜辺に出てみると、観光客が若干いるだけで、クライマーは皆無である。以前に来た時には現地のクライマーと会ったこともあるが、この暑さでは岩を登る人などいないのだろう。一応クライミングシューズを履いて簡単な所を登ってみたが、現地でガビガビと表現される尖った岩は素手登るととても痛い。皮膚を防御するためのテーピング用のテープは用意してきたのだが、完全防御用のテーピングは結構面倒な上、猛暑の中でちょっとグロッキー気味で登るモチベーションが全く湧いてこないので退散することとし、道路に戻って冷房の効いた道の駅に入ると、やっと生き返った気分である。

具志頭からひめゆりの塔を経由する最南部のコースは那覇マラソンの時に通っているので、今日は那覇マラソンの那覇をスタートして具志頭に向かうコースの10キロ強を反対側から行くこととする。

那覇まであと数キロの地点まで来た時に土砂降りの雨に遭遇する。この5日間全く雨に会わなかったのに、最後の最後に降られてしまうとは皮肉なものである。悪いことに、レンタル自転車のブレーキの効きがしだいに甘くなってきたのだが(工具があれば簡単に直せるはずだが)、雨に濡れて下りでは全然ブレーキが効かなくなってしまった。自転車屋の近くの道は激しいアップダウンが連続するので、ほとんど自転車を降りて行かざるをえなくなり、最後に試練に見舞われることになった。幸い自転車屋からさほど遠くない所に健康ランドがあったので、入浴後に乾いた服に着替えてビールで祝杯を上げれば至福の気分を味わうことができたので良しとしよう。

Photo赤い実線が今回走ったコース

 

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2017年7月16日 (日)

那覇に戻る

今日の行程は目的地の那覇までだけだと70キロ弱しかなくちょっと短いが、名護の西方にある半島を先端の美ら海水族館まで行ってくると、優に100キロを越えてしまう。先日の道南では連日100キロを以上の走行だったが、この猛暑の中ではちょっと無理だ。美ら海水族館をめぐる半島一周は数年前に家内とタクシーとバスを使ってやっているので今回はパスし、代わりに那覇までの途中にあるクライミングジムに寄って、一番暑い時間帯は涼しいジムで登り、夕方になって暑さが和らいでから那覇に向かうというプランを考えなかなかの名案だと思った。

本島の東海岸の道はアップダウンが激しいが、今日の西海岸はフラットの道が続き快適である。そのためというわけではないが、少し寄り道して残波岬まで足を延ばすことにした。三連休だけあって岬は観光客で賑わっていた。青い海と空をバックにした白い灯台とのコントラストの美しさはわざわざ足を延ばすだけの価値はあった。
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その後しばらくして、道は嘉手納基地の横を通るようになる。嘉手納基地は反対側の方から基地の全容を眺めたことがあるが、実際に端から端まで自転車で走ってみると、米軍基地としては東洋一の規模と言われるその大きさを実感できる。

嘉手納基地の端からは那覇方面には向かわずに件のクライミングジムに向かう。そのジムというのは10数年前に那覇マラソンに参加したときに、レース前夜に行った当時は沖縄で唯一のジムなのだが、さすがに場所までは覚えていなかったので、事前にネットで調べておいた。

地図上ではさほどの距離ではないのだが、アップダウンが滅茶苦茶多くて、知っていれば懐かしいからといって寄り道はしなかったのにと後悔する。ところが、ようやく目的地についてみると唖然としてしまった。なんと、そこは大規模マンションが建築中だったのだ。グーグルマップで調べると、那覇まで帰る途中には他にもいくつかジムはあるようだったが、もう気持ちが萎えてしまったので、明るいうちに帰ることにした。因みにホテルでネットで調べてみると、ジムの閉店のことも載っていた。ただ閉店のことはブログに載っているだけで、ジムのホームページには記載されてないのは不親切ではある。

無事に那覇に帰れたので、盛大な祝杯をあげたいところだったが、どういうわけかコンビニで買った泡盛を部屋で静かに飲むだけで、終わってしまった。

 

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2017年7月15日 (土)

高江往復後に名護へ

昨晩泊まった民宿は以前も利用したことがあり、その時はバスで終点の高江まで行き、そこから辺戸岬を経由して北部を歩いてまわったのだが、今回は自分の足での自転車全島一周達成のために高江までは自転車で往復することにした。高江は事故ばかり起こしている欠陥へりのオスプレイの基地として工事が進められ、昨年は反対運動を弾圧して年末には完成に持ち込まれたとマスコミは報じたが、実態は完成にはほど遠く、いまだオスプレイの実戦配備には至っておらず、ただ6月末までは天然記念物のヤンバルクイナの繁殖時期にあたるため工事は見送られ、7月から工事が再開されたということで、どんな状況か見ておこうということも目的のひとつでもあった。

高江までは大した登りもなく着き、ゲート前まで行ってみる。事前の情報では、昨年末に完成と発表したものの、不具合が多数あっていまだ実戦に使用不可のため、補修工事が多数必要とされている状況であるらしい。そのため、辺野古のように多数の機動隊員が反対運動を力で押さえつけて、資材を積んだトラックが搬入されるという状況ではなく、反対運動の目を盗んで作業員がこっそりと基地内に入るという状態らしい。

とりあえずゲートまで行ってみると、二つあるゲート前のいずれもがALSOKの警備員が数人いるだけで反対運動のメンバーは誰もおらず、肩透かしを食らったような気分である。早い時間に作業員が基地内に入ってしまったのか、土曜日なので作業はないのかいずれかだろうが、いずれにしてもここにいてもしょうがないので、戻ることにする。

民宿まで戻り、さらに西海岸を目指して本島の一番狭い部分を横断する。多少の登りは覚悟していたが、登りらしい登りもなく西海岸に辿り着けたのはラッキーだった。こちら側もそのまま名護に向かうのではなく、前回の辺戸岬経由の最終徒歩到達点(そこからはバス利用)まで往復してから名護に向かう。

名護では国内では初の利用となる相部屋のゲストハウスに泊まることになる。実は今回の宿については、宿泊施設の少ない東海岸は早めに予約しておいたのだが、名護や那覇はホテルはたくさんあるからとタカをくくっていたら、那覇は問題なかったものの、名護は空いてるホテルがなく、かろうじてゲストハウスがなんとか確保できたという次第である。2017071520373100


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2017年7月14日 (金)

辺野古座り込み

7時前にペンションを出発するが、今日も朝から暑い。8時頃に第二辺野古のバス停に着き、そこに自転車を止めてテントまで歩いて行く。今は水木が集中抗議日ということで多数の参加者があるようだが、谷間である金曜の今日は20人ほどの参加者で少数精鋭?の闘いである。

9時頃に第1回の資材搬送のトラックがやって来る。朝の攻防は反対側の歩道からの撮影を行うつもりだったが、座り込みが少なすぎて寂しく感じたのでゲート前の座り込みに加わる。座り込みの倍以上の人数の機動隊員によって、あっという間に排除されて、車列と機動隊員の列によって作られた囲いの中に閉じ込められる。その間も、少数精鋭?だけに囲いこみをしている機動隊員に対して抗議したり、食って掛かる人が多かったが、抗議の意思表示だけが目的の自分は囲いこみが終わるのをじっと待っ。囲いこみは車両の出入りが終わるまでの30分くらいの時間なのだが、直射日光をまともに受けるので、じっとしているだけでも結構つらい。囲いこみから解放された後、またゲート前で集会が始まるようであるが、軟弱な私はテントまで戻ってしばらく休憩する。

テントの中は涼しくて快適なため長居してしまったが、気がつくと機動隊員があわただしくゲートの方に移動している。第2陣の搬入が始まるに違いないとゲートに急ぐと、もう座り込みの排除が始まっている。出遅れてしまったので、やむを得ず座り込みには参加せずに動画撮影をおこなう。最後の座り込みが排除されると、入れ替わりに工事車両の搬入が始まるが、振り返ると20台近くの工事車両が列をなしているのには驚いた。
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2回目の搬入車両の搬出が終わると11時近かったので、午前中にはもう搬入はないだろうと判断して海の方に行ってみる。フェンス越しに埋め立て予定地の方を見ると抗議活動中の多数のカヌーは見えるが、取締りの海上保安庁の船は見当たらないようだ。その後、辺野古の町で昼食を摂るが、涼しい室内にいると外に出るのがいやになってくる。

気を取り直してテントに戻るとみなさんくつろいでいらっしゃるので、午後の座り込みはいいのかなと思ったら、辺野古の海を見に行っている間にもう1回搬入があったようで、午前中に3回というのは過去最多のようである。

午後は1時半に4回目の搬入があり、30分ほどの囲いこみ内での留置の後、解放される。時間的にもう一度は搬入があってもおかしくないので、テント内でしばらく集会を行ったが、基地内に待機していた機動隊員が宿舎に帰ってしまったので、本日の搬入はないと判断され解散となった。

今晩の民宿までの間にはコンビニはないようなので、少し戻ってコンビニで酒とつまみを買ってから民宿に向かう。途中、大浦湾の西側に降り立つと、埋め立て予定地に張り巡らされたフロートが真正面に見える。この美しい大浦湾が軍事基地で埋め立てられてしまうことに改めて怒りが沸き起こる。しばらく進んでから飲食店に立ち寄り、夕食を摂った後に民宿に到着する。今年の3月にも泊まった所でなかなか快適な宿である。シャワーを浴びて汗をかいたものを洗濯し、持参した酒で一人で乾杯をすれば至福のひとときとなる。

 

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沖縄に向かう

共謀罪の先取りがされている沖縄に共謀罪施行直後に訪れる。いつもは初日は名護市内に泊まり、翌朝早く辺野古に移動していたが、今回は那覇から自転車に乗って辺野古の近くの宜野座まで行き、帰りも那覇まで自転車で帰って、既に行っている北端(歩き)と南端(那覇マラソン)と併せて沖縄本当の一周が達成することになる。なお今回はスタートとゴールが同じ那覇のため、自転車は輪行せずに現地でレンタルすることにした。
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那覇を9時半に出発してから本島を横断して東海岸の与那原に到達、そこから北上して、うるま市、金武市を経て、宜野座のペンションに到着する。70キロ弱なのに思ったよりも時間がかかってしまったのは、レンタルした自転車が車輪の径が短いもので、変速も5段階しかできないことも影響したかもしれないが、猛暑で休んでばかりいた方が影響が大きかったかもしれない。ペンションの周辺には飲食店はなく、売店で泡盛やツマミを買って、夕食代わりとなってしまった。

 

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2017年7月 4日 (火)

都議選は保守勢力の大勝利ではないのか

新聞紙上では「自民党の歴史的大敗」と言った見出しが踊っているが、これは皮相な見方であり、本当のところは保守勢力の大勝利というのが正しいのである。何故ならば、都民ファーストを率いる小池知事は大資本優先の規制緩和を推し進めた小泉反動政権では中枢にあった人物であり、その後も日本の右傾化を推進する日本会議の幹部として自民党員でありつづけた訳であり(都議選後に離党届が受理されて自民党籍を失う)、保守勢力と言わずになんと呼ぶのか?

小池百合子の知事転出を演出した黒幕はヘッジファンドとして有名なゴールドマンサックスのソロス氏と言われている。もし、そうであるならば、仮に小池政権が誕生した場合には今まで以上にアメリカの言いなり政権となることは間違いない。ここからは私の推定だが、アメリカの思惑としては安部政権で憲法改正(悪)までやらせて、アメリカの同盟国として制限のない軍事力行使を可能とさせた後、急激な変化に対する国民の反発を和らげるために一見ソフトに見える小池氏を後がまに据えて引き続きアメリカのコントロール下に置くことであろう。

安部から小池への政権移行が自民党と都民ファーストとの合併という形になるのか、新党結成になるのかはわからないが、両者の政策に基本的な違いはないことは、今回の都議選に際して都民ファーストは改憲、安保、原発に関して、それは国政レベルの問題であるとして回答を拒否したことからも明らかである。安部政権に対する批判票の受け皿となるために自民党との共通性は隠したかったのであろう。

また公明党が国政レベルでは自民党と連立を組みながら、都政では小池知事を支持するというのも、勝ち馬に乗っているとも見られるが、両者が本質的に違いがないことの証左でもある。

今回の選挙結果で残念なのは、安部政権の失政に対する批判票がその受け皿となるべき民進党を初めとする野党には向かわず、反自民のポーズをとりながら本質的には保守勢力である都民ファーストに向かってしまい野党の弱体化を招いてしまったことである。

安部政権の支持率が高かった頃は、アベノミックスの成果とか中国や北朝鮮の脅威といった政権の宣伝に簡単に騙されてしまった無知蒙昧な人が小池知事の反自民のポーズに騙されてしまったとも言えるわけで、国民(都民)の民度の低さを示しているとも言える。自民党大敗などと浮かれている場合ではなく、より困難な状況に陥ってしまったということを認識すべきである。

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2017年7月 3日 (月)

北海道一周の仕上げ完結

小雨の中を民宿を出発する。今日はゴールの函館までは75キロと短く、最悪の場合には途中の木古内から乗車も可能なので気が楽だ。

福島から木古内までの道は海岸線は途中で途切れているようなので、新幹線沿いの内陸部を行くことにした。コース自体は山あいを走る一部を除き海岸沿いの平坦地を走る楽なものだったが、断続的に強い雨に見舞われて結構苦労させられた。今日は特に見るべき所もなく、ゴールの函館には3時過ぎに到着して新幹線で帰ることができた。

今回のツーリングにより足かけ5年で自転車(一部は徒歩)による北海道一周をなしとげられた。前にも書いたように冬の北海道徒歩縦断も行っており、北海道にはその他にも家族で道北、道東、道央、道南に季節を問わず出掛けて主な観光地は訪ねている他、ニセコスキー、層雲峡アイスクライミング、サロマや洞爺湖のマラソン、石狩川の源流から河口までのサイクリングといったアクティビティも行っているし、それらと掛け持ちで日本百名山中の北海道にある9山登頂(因みに百名山達成も日高の幌尻岳)や北海道のJR全線乗車も為し遂げている(災害で復旧の可能性がない日高本線の運休部分を除く)。やり残しているものとしては日本第5位の大河である手塩川を源頭にある二百名山の手塩岳から河口までの踏破という計画もあるのだが、ヒグマが怖くて二の足を踏んでいるので、北海道はこれが見納めとなるかもしれない。
Photo今回の全行程図

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2017年7月 2日 (日)

北海道一周の仕上げ( 松前到達)

暗いうちから起き出すが、あいにくガスで公園からの日本海の眺めは得られなかった。4時半に出発して一路、江差を目指す。途中で雨が本降りとなってきたため、乙部の町のコンビニの軒先を借りて雨対策を完璧にする。

江差は昔はニシンで栄えた町で今はどうなっているか気になるところだが、先を急いでいたので、市街地は通らず海沿いの道を行ったため、現在の町の様子はわからずじまいであった。

江差の先で雨は止み、晴れ間も見えてきたので、雨具を脱ぐために一休みする。浜辺にはハマナスが咲き乱れて北海道らしい雰囲気を満喫した。

道はしばらくは海岸沿いの平らな道だったが、やがて海岸から離れてアップダウンの激しい道となり、松前に何時に着けるか見当がつかなくなった。最後の晩はキャンプではなく、布団の上で寝たいと思っていたので目星をつけていたビジネスホテルに予約の連絡を入れるためには、1時過ぎには松前に着いていなければならない。

アッブダウンの連続だった道も松前町に入ると緩やかな下りとなったので、1時までに松前に下りられる目処がたつようになった。下り初めてしばらくして前方に異様な声が聞こえたので何かと想って見ると、弱ったかもめをカラスがつついているところであった。思わずカラスを追っ払ってしまったが、カモメを保護するわけにもいかず、弱肉強食の掟に従うしかないと、心を鬼にして、その場を去る。

松前に着くとすぐにビジネスホテルに電話を入れてみると、意外なことに満室だと言う(日曜の晩だから絶対に空いていると思ったのだが)。やむを得ずだいぶ手前ではあるが、民宿を予約する。

今晩の宿の目処がたったので、飲食店に入って遅い昼食をとる。松前と言えば松前漬が有名だが、そういうメニューはないと思ったら定食の小鉢にちゃんと松前漬がついていた?

今晩の宿が近場になって時間の余裕が生まれたので、松前公園に向かい、松前城を外から眺めてから民宿を目指す。
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民宿の玄関にはペンションと書いてあったが、違いは何なのだろう。それはともかく、今夜は久しぶりに布団の上でぐっすり眠れそうだ(都議選の結果も気になるけど)。

 

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2017年7月 1日 (土)

北海道一周の仕上げ( 渡島半島を南下中)

大平海岸を5時半に出発して数キロ先にあるコンビニに向かうが開店まで30分ほど待たされる(北海道オリジナルのコンビニは24時間営業ではないのだ)。

行動時の飲食物を買い求めて出発する。たくさんのトンネルを通り過ぎて瀬棚に近づいた時に前輪がパンクする。チューブ交換は何度も経験済みだが、ひさしぷりの作業なのでドツボに嵌まらないように気をつけてやったため30分もかからずに終わる。遅れを取り戻そうと出発したが、すぐに魚料理の店が目に留まる。北海道に来てからまともな食事をしてなかったし、今朝の食事は早くて昼食を摂ってもおかしくない時間だったので、店に入りウニいくら丼を注文する。
2017070409350901

満腹になってしばらく休みたかったが、時間がなかったので、次の目的地の大成に向かう。グーグルマッブでは高低差がわからないが、海岸線ではなく内陸部を通るコースなので多少の峠越えは覚悟していた。ところが大成の近くまで来ても大した登りは現れなかったので、このまま大成まで行けるのかと思ったら、最後に100メートルほどの登りがあって苦労させられた。

最初の予定では今日は江差まで行くつもりだったが、連日の長時間行動てなるため大成の少し先の熊石のキャンプ場にテントを張ることに決めかかっていた。そして熊石のコンビニで夕食用の食料を買っている最中にまた気が変わった。というのは、ここ熊石はそこそこの街で飲食店もいくつかあったので、テントでレトルト食品を食べるのはやめて、ここで外食を摂って夕食を済ませ、ビールとつまみだけを買って、江差方面に向かって行ける所まで行って道端にテントを張れば明日の行程が楽になるというものである。江差までの間にはキャンプ場はないが、昔アメリカで自転車旅行した際は車から見える場所にテントを張るとビストル撃ち込まれるということで、車から見えない所にテントを張った時と違い、どこに張っても問題はないだろう。

定食屋でエビフライ食べてから夕暮れ時に2時間ばかり進んで江差までの半分近くの小高い公園に着いたので、今夜はここにテントを張ることにした。日本海を見渡せる素晴らしいロケーションである。テントを張っているのは私だけだったが、何台かの車が停まっていて車中泊をするみたいだった。夜明けとともにテントを撤収するのだから問題はないだろう。

 

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