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2017年8月

2017年8月27日 (日)

有明山

18切符を利用して大糸線沿線の山で登り残しとなっている烏帽子岳と有明山を二日間かけて登り、アプローチと二つの山の連絡には自転車を使おうと目論んだのだが

初日は最寄り駅に着くのが早くても10時半となってしまうため、400メートルほど標高の低い有明山を登ることにする。それにしても登山口からのコースタイムは往復11時間となっているので、帰り道は夜道となることは覚悟する。有明山は二百名山に選ばれているが、中房温泉を挟んで対峙する燕岳に人気を奪われた不遇な山である。その上、有明山に登ろうなどという篤志家も登るのはほとんどが楽なコースの中房温泉からで、今回のコースである黒川沢はコースが長い上に難度も高いので登る人は稀なようである。

11時に細野駅から自転車をスタートさせ、登山口から登りだしたのは12時頃で標高差1200メートルちょっとの行程である。登りだして1時間もすると沢に降りる。標識があるのと要所にはクサリがつけられていることを除けば沢歩きの世界である。久しぶりの沢を楽しみながら歩くと後半は尾根に突き上げる急な登りが待っている。クサリ場の連続と滑りやすい道のために前半の沢歩きと同様にペースが上げられない。

3時か4時には頂上に着けるかと思ったのは大間違いでなんと5時半にようやく山頂に立つことができた。その時はまだまわりの展望を楽しむ余裕があり、9時過ぎには下山できるだろうと踏んでいて、明日の烏帽子岳の登山口付近までは遅くなってもいいから行くつもりだった。

だが、下りはじめてすぐにそんな甘い見通しは吹き飛んでしまった。登りでもペースを鈍らせた滑りやすい道とクサリ場の連続に難渋する羽目となった。おまけに道が途中で忽然と消えてしまって大いに慌てさせられた。

ライトで照らすと左手下方には踏みあとらしきものは確認できるのだが、標識は見つけられないので、正しいコースであると断定できない。それにコースが途絶えたところにロープがあるのだが、左側の地面に届くにはやや足りないし、第一こんな急な斜面をロープ1本で登る難場が一般コースにあるはずがないし、自分も登りで通った記憶がない。一方、右側下方は二つの岩に挟まれた凹角を下るようで、傾斜も緩くロープの長さも十分だが、そこから下って行く踏みあとが上から見たところでは発見できない。記憶を甦らせようとしても無理だったので、違うコースから登ってきたのかもしれないと、登り返してみたが、分岐点は見当たらなかったのでまたさきほどの場所に戻る。今度は尾根上を直進してみるが、予想どおり藪に阻まれて前進でない。最後の選択として右側を降りてみる。すると、二つの岩の間の割れ目に足をクサビ止めにする動作がやった記憶があると思い出した。しかし、下に降りてみると、やはり下っていく道はなく、上に戻って明るくなるまで待たなければならないかなと思いながら、ふと視線をずらすと、岩と岩との間に人が一人やっと通れる隙間があるではないか!その時やっとここを通った記憶が甦った。無事左側に抜けられたが1時間ほど時間をロスしてしまった。

そこから先は迷うことはなかったが、ペースが上がらないまま沢に降り立った。沢では何度か道に迷いながらもなんとか登山口まで降りることができたが、時間はなんと日付けが変わった零時半だった。登りよりも1時間半も余計にかかってしまった。

翌日に烏帽子岳に登ることは時間的にも体力的にも無理なので、駅に直行して始発電車を待つことにした。行きに下車した細野駅周辺にはコンビニがなかったので、有明駅に向かうが、駅に着いたのは1時半で、コンビニで買った酒を待合室で飲んだらバタンキュウであった。ハードな山行を2日連続で行うことなど、この年になったら無理だなとつくづく思い知らされた。
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2017年8月20日 (日)

日本ロマンチック街道の走り残し部分走破と小浅間山登頂

日本ロマンチック街道などと安っぽい名前がついているのは、日光から上田までの道を繋いだコースを指しているようだ。そのうち東側の日光から沼田までと、沼田から長野原までは純粋に日本ロマンチック街道走破を目指してそれぞれ自転車の1日行程で行ったものであるが、西の方は中山道や信濃川遡行の際に通っただけである。吾妻線の草津口から国境稜線を越えて軽井沢までの峠越えの道は車では通っているが、自転車では一部を除き走ってないので、今回18切符を利用して行ってくることにした。その際に途中にある小浅間山にも登ってくることにした。関東国境稜線のうち、浅間山は噴火のために登山が制限されているが、西側は山頂近くまで登れるのに対して東側は中腹の小浅間山から先は一切立ち入り禁止となっているので、せめて小浅間山だけでも登っておきたいと思ったからである。

 

18切符を利用して軽井沢に行くには横川からJRバスを利用するのが早いのだが、今回は自転車を輪行するのでバスには乗れない可能性が高い。そこで遠回りになるが、中央線の小淵沢から小海線、しなの鉄道を経由して中軽井沢に向かうことになった。そのうち、小海線については多分全線乗車しているとは思うのだが、確信がもてないので、この際全線乗車をしておくという意味もある。

 

早朝に家を出ても、中軽井沢をスタートするのは1時頃となってしまうが、今日の行程は短いので問題はない。ちょっと誤解していて、軽井沢は標高が高いので国境越えも草津口から比べると楽であると思い込んでいたが、峰の茶屋までは400メートル近く登らなければならなかった。それほど急勾配ではなかったので助かったが。

 

峰の茶屋は先日鼻曲山に登った時にバスを降りた所だが、一緒に降りたハイカーが私とは反対側に向かって行くのを見て、(その時はまだ小浅間山の存在を知らず)どこに行くのだろうと不思議に思ったものだ。

 

2時半に峰の茶屋から小浅間山目指して登り出す。登山口のすぐ先で下山してくる人に出会う。こんな時間に登っている人がいるのかと思ったが、向こうもそう思っただろう。それから先は誰にも会わず、急ぎ足で歩いたので1時間もかからずに頂上に着いた。ガスっていて何も見えないので写真だけ撮って下山する。

 

峰の茶屋から先は下り一方なので楽チンである。途中、浅間隠山に登った時に通った道と合流して羽根尾の駅には5時過ぎに着いたので、最終の2本前の電車に余裕で間に合い、自販機でビールも買えたし、言うことなしで終わるはずだった。間もなく来た電車に乗ってビールを飲んでいると、次の駅の草津口・長野原に着いた。

 

あれ?羽根尾と草津口・長野原の間ってまだ走ってないんだっけ?まあ歩いても30分くらいの距離なんだけど。もうこっち方面に来る予定もないし・・・沼田から来た時に羽根尾まで来て店がないので長野原に戻ったような気もするが、記憶が定かではない。まあどっちでもいいか。2017082219450400

 

 

 

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2017年8月13日 (日)

天地1日ツアー

天地1日ツアーに参加するために明るくなりきらないうちにホテルを出ると、今までにはなかった冷たい風がふいており、天気の変わり目になっているようでいやな予感がする。

タクシーを利用したので、出発時間よりもかなり早く着き、待ち時間の間に人民広場の入口付近だけを覗いてくる。早い時間だというのにかなりの人出で、ウルムチ市民の憩いの場になっていることがわかる。

人民広場から出てバスに乗り込むと、旅行社の人が「もう一人日本人が乗りますよ」と教えてくれる。そのうちに日本人と思われる人が乗り込んできたので話しかけてみるとやはり日本人だった。なんでもカシュガルでの3泊は同じ日に同じホテルに滞在していたとのことで、きっと朝食会場では顔を会わせた日もあっただろうが、日本人と中国人をマスで比較すればともかく、個々で判別するのはかなり難しいだろう。

彼は私より四、五歳年長で中国には20回以上渡航しとおり、中国語の日常会話には不自由してないようで、今回中国人ばかりのツアーに参加してしまい、要領がわからない自分にとっては頼もしい存在であった。

心配していた天気はとうとう雨降りになってしまった。これでは池の背後にボゴダ峰が聳える中国のスイスという景観はえられそうにもない。やがて駐車場に着くと、駐車しているバスの台数の多さに驚いた。天池がいかに中国人にとって人気のある観光名所であるかを示している。

ここから連絡バスに乗り換えて途中で土産物屋によったりしながら、最後は歩きに変わって展望台に着く。天気に恵まれていれば絶景が望めるはずのスクリーンも今は霧が立ち込めているだけだ。近くで昼食をとり終えると、すぐに山を降り始める。こんな時間になっても次から次へと登ってくる人がいるのには驚いた。
今回は骨折り損のくたびれ儲けのように見えるかもしれないが、自分にとっては必ずしもそうとも言えない。と言うのは、今回行き損なったトルファンツアーに将来参加する際の予行演習になったからである。今回の教訓としては、おびただしい人波の中で言葉の通じない場合には、絶対にガイドから離れてはならないし、乗車したバスのナンバーをひかえておくことである。それと申込時の名前を漢字で書いてしまったので、点呼の際に中国読みで呼ばれてわからなかったが、アルファベットで書くべきだった。

人民広場に戻って解散となったが、そのまま空港に行くには早すぎる気がしたので、ガイドブックを見てみると、解放南路ではバザールが開かれると書いてあるので、足を延ばしてみる。ところが、行けども行けどもバザールは現れない。またもや古いガイドブックを過信したつけを払わされることになってしまった。       

バザール探しはあきらめて空港に向かうことにする。大通りに出てタクシーを停めようとするが、夕方時のためか空車はほとんど通らず、たまに空車が通ってもなぜか通りすぎてしまう。これにはほとほと参ってしまったが、30分ほどでようやくタクシーに乗り込むことができ、あとは他人任せで旅の終わりを迎えることができた。、

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山どころか池も見えず、建物の上の天池の文字だけが来た証拠?

 

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2017年8月11日 (金)

カシュガルからウルムチへ

昨日飲んだ強いビールの影響か下痢気味で食欲もない。頻繁にトイレに駆け込むというほどでもないので、行動には支障はないが、油のきつい現地食で胃腸が弱っているところに強いビールを一気に飲んだために胃腸が悲鳴を上げたのだろう。おかげでカシュガル最終日の朝に市内をジョギングしようと準備してきたのだが、それどころではなくなった。

朝食にはいつもは食べないお粥を食べるつもりだったのだが、遅めに朝食会場にいったらお粥はもうなかった。仕方なく、カステラと果物だけで済ませて部屋に戻り、しばらく休んでからチェックアウトを済ませて空港に向かうことにする。

タクシーを停めて「エアポート」といっても通じない。やむをえず、ガイドブックにのっているウイグル齬の空港の文字を見せてわからせる。次に料金交渉に入る。紙に書いてもらおうとしたのだが、アラビア数字で書いてくれないので何て書いてあるかわからない。そこで、この程度が相場だろうと思う20と書くと、先方は30と書いてくる。首を振って荷物を持って降りるそぶりを見せると、オーケーと言って走り出す。空港の入口まで来た時のメーター表示は20をわずかに下回るものだったので、私の見当は当たっていたわけであるが、20を越えちゃったら悪かったかなと思ったら、入口で降りてくれと言われる。おかげで建物までは5分くらいは歩く羽目になってしまった。

チェックインを済ませてセキュリティチェックのところで、三脚が凶器として没収されるということがネットに書いてあったので、ボロい三脚だから没収されてもいいやと思っていたところ、おとがめなしで代わりに蚊対策で持ってきたスプレーが没収された。まあ、いずれも今回は未使用だったんだけど。

空港には早めに着いたので、搭乗までは3時間ほど待合室で待つことになる。カシュガルは見るべきところは見てしまったが、もう一度くることがあったなら、そのときはキルギスから国境を超えて来てみたいし、玉で知られる和田(ホータン)にも足を延ばしたい。そしてウルムチまでは飛行機でなく南疆鉄道を利用したいものである。

ウルムチ行きの中国東方航空機は定刻通りにカシュガル空港を飛び立つ。ウルムチまではタクラマカン砂漠の上を飛ぶので上空からの眺めを期待したが、地上は雲に覆われていて見ることはなかった。もっとも、山もそうだが、上から眺めてもあまり見事にはかんじないものだが。

空港から市内まではリムジンバスもあるようだが、路線がわからないし、ホテルの場所を探すのもたいへんなのでタクシーを利用した。なにしろ、17キロも離れているのに日本の初乗り料金程度で行けるのだから。

ホテルでチェックインを済ませた後、明日のトルファンツアーのことん聞いてもらうと、明日はツアーはないという。トルファンは内陸部にもかかわらず、海抜がマイナスで中国でももっとも暑い場所とされ、40度を超えるのが普通らしいので、中国人向けのツアーだけに、わざわざこの時期に行くこともあるまいということでツアーはおこなわれないのかなと思った。ただツアーは多くの業者がやっているので、他の業者でやっているところがあるかもしれないと思い、ツアー申込所があるらしい人民広場に行ってみる。

ホテルから30分くらい歩いて人民広場の南口に着くと片言の日本語を話す人がいて、トルファンツアーもやっているというではないか。だがひとつ問題があった。それは帰りが10時になることである。帰国便が1時なので11時には空港に着いていなければならず、順調に行けば問題ないが、トラブルがあった時には乗り遅れるリスクがあるので、採るべき方法ではないと判断した。それに先程も書いたように猛烈な暑さで体力の消耗も激しいだろうから、病み上がりの身としては避けた方がよいだろうとも考えられた。シルクロードの遺跡が凝縮された魅力的なツアーではあるが、もう少し季節が良く、日程に余裕がある時に再チャレンジすることにしよう。その代わりに中国のスイスと言われる天池のツアーに参加することにした。これなら帰りが7時半なので、ある程度余裕をもって楽しめそうだ。ただ7千メートル級の山を間近に見てきただけに、箱庭的に感じるかもしれないが

人民広場からの帰り道はゆっくりと街を眺めながら帰った。カシュガルに着いた時は都会だと思ったものだが、ウルムチは大都会であり、シルクロードの面影などは全く見られないのが残念である。また警官の姿がカシュガルほどには見られないのが不思議だた。ウルムチ暴動の後、反政府分子が徹底的に弾圧されて、反政府活動が奥地の方でかろうじて生き延びているからであろうか?

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香妃墓

朝メールを確認したら、カード会社からのメールで今泊まっているホテルの宿泊料相当の引き落としの通知が来ている。現金で払っているのに二重払いになってしまうではないかと電話したところ、予約した業者に確認してくれということだったので、電話番号がわからないためメールしたが、このブログを書いている現在、まだ返事はない。余計なことに時間をとられたため、出発は昼近くになってしまった。

カシュガルは前日にめぼしい観光名所は行ってしまったので、郊外にある香妃墓というお墓に行くことにした。そこは駅からも比較的近いので、乗り合いタクシーで隣駅まで行き、その町を散策してから鉄道でカシュガル駅まで戻り、香妃墓に寄ってから帰ることにした。何故そんな七面倒くさいことをするかというと、ウルムチとカシュガルを結ぶ南疆鉄道(今はさらに和田まで延伸されているが)は乗ってみたい鉄道であり、今回も計画段階ではウルムチまでは飛行機てなく、鉄道を利用することも検討していたので、一駅区間だけでも乗ってみたいと思ったからである。

ガイドブックに出ている乗り合いタクシーの乗り場まで行ってみるが、それらしきものは見当たらない。ガイドブックの中国語表記を示して聞いてもわからないと言われる。それで隣駅まで行こうとするのは諦めて、香妃墓まではタクシーで行くことにした。ところが来るタクシーはすべてお客が乗っていて空車は全然来ない。ガイドブックの地図によると近くに国際バス発着場があるようなので、そちらに行けば客待ちのタクシーが停まっているだろうと思い行ってみる。ところが、そこは建物を取り壊した跡地のような広い空地になっているではないか。きっとどこかに移転したのだろうが、さきほどの乗り合いタクシー乗り場もそうだが、中国のような変化の激しい国では古いガイドブックは役に立たないことを痛感した。タクシーの方は大通りに出てなんとかつかまえられた。

香妃墓の入場料は15元で昨日のエイティガール寺院の三分の一だが、これが安いのか高いのか、現地の物価感覚がまだ身に付いていないようだ。外観はモスクのようだが、中には棺が納められていて撮影禁止となっている。

香妃墓から駅までも三キロ近くはあるためタクシーを利用すればよいのだが、時間が余ってしまいそうなので歩いていくことにした。途中で食事をしながらと思ったが、ウィグル料理店のメニューを見ても今一つ食欲がわかないので、隣にあった洋菓子(和菓子があるはずはないけれど)のお店に入ってしまう。一見したところ柔らかいあげパンのようにみえるものを注文したが、これがオコシのように固いのには参った。ウィグルの食べ物の奥は深いのだ!

駅までは距離的には大したことはないけれど、強い陽射しの下を歩くのはけっこう辛く、タクシーに乗らなかったことを後悔する。駅に着いてみると、やはりセキュリティが厳しく、一ヶ所しかないセキュリティチェックに長蛇の列ができている。気楽に駅に立ち入れる状態ではないので諦めてかえることにした。最初はバスで帰るつもりで、四方面ある路線から行き先を見て目星をつけたのだが、支払いが現金ではなく切符をわたしているようなので、その購入場所がわからないためバスも諦めてタクシーで帰ることにした。

こちらのタクシーは日本の何分の一かの安さで気軽に乗れるのだが、そのため現地の人も短い距離でも利用しているようだ。それも空車だけでなく、客が乗っていてもお構い無しに、信号待ちで停まっていると相乗りしてくる。運転手もそれを認めているのは、多分、相乗り客の料金は会社に申告せずに運転手が猫ババしているからだろう。

ホテルの前に着いたのはまだ夕食を摂るには早い時間だったので、ナッツを買って部屋に戻り、昨日買って冷蔵庫で冷やしておいたビールを飲む。一口飲んでみて変わった味だなと思ったが気にせずに大きい缶を一本飲みほしてしまったが、そのあとに缶をよく見ると、アルコール度16%とある。日本のビールの3倍以上、日本酒並みの強い酒を一気に飲んだものだから、急に酔いがまわってきて、目が覚めたら深夜で、それからブログを書き始めた。帰国直前になって時差ぼけになりそうである。

2017081308453700 香妃墓

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2017年8月10日 (木)

カシュガル市内観光

今日は市内観光を予定しているので、朝食を食べてからでかけようとするが、レストランに行こうとすると、レストランに通ずると思われる廊下のシャッターは閉まったままである。たまたま通りかかった職員に聞くと、朝食は9時からだという。しかし、エレベーターを降りたところでは「朝食」は7時からと書いてあるではないか!と思ったところで気が付いた。北京時間と地元時間(多分2時間の時差)が混在しているのだ。紛らわしいことである。

朝食後に博物館に向かうが、途中に昨日は閉店していた中国銀行があるので立ち寄り、宿泊代の未払分にあてるために両替をする。銀行だと他の用事の人とも順番を競うことになるため、かなりの時間待たせられる。スストもそうであったか、両替屋がないというのは旅行者にとっては不便なことである。

銀行からは20分ほどの歩きで博物館に着く。ここも厳重に警備されていて、セキュリティチェックを受けてから館内に入る。入舘料は不要だったが、そのわりには内容は充実しており、カシュガルを知る上で役に立つものであった。

ホテルに不足料金を支払うために2時までにホテルに戻らなくてはならないのだが、メインストリートをまた戻るのも芸がないので、裏道を通って行く。途中、オールド・カシュガルという一帯があり、ウィグル族の店舗が立ち並んでいて活気を帯びていた。こちらの道を選んで正解だった。

午後からはカシュガル最大の観光名所であるエイティガール寺院に向かう。途中で昼食をとっていくが、考えるのが面倒になったので、安全パイのラグ麺を頼んでしまった。なんか中国に来てから毎日ラグ麺を食べてるな。

新疆地区最大のモスクと言われるエイティガール寺院がホテルからこんな至近距離にあるとは思わなかった。意外だったのは思っていたほどの人出はなかったし、礼拝している人も見かけなかったことだ。モスク自体もそれほど広くなく、30分もあれば見てまわれるほどである。

カシュガルは人民道を境に北側にはウィグル族か、南側には漢族が多く住んでいるが、漢族の移住は国策によって行われているもので、元々空地だった土地か追い出した土地かは知らないが(多分、後者だろうが)、先住のウィグル族の不満が2009年のウルムチ暴動によって爆発し、その後も各地でテロが散発している。これに対して中国政府は強権的な対応を取って力付くで押さえ込もうとしている。そのためカシュガル市内では犬も歩けば警官に当たるという状態で辻々には警官が機関銃を抱えてたっており、さらには自警団がこん棒のようなものを持って街を闊歩して睨みをきかせている。一方、市内の公共の建物や大きな店舗の入口ではセキュリティチェックが行われているという物々しさである。

昨日から行ったところは、北のウィグル族居住区域ばかりだったが、南側の実情も見ておこうと、ガイドブックに載っている名所にも行ってみることにした。まずは漢の時代からの城跡で、漢族による新疆地区(当時は西域と言っていた)支配の痕跡を残しているところであるが、歩いて行くには少々遠かったのでタクシーで行くことにした。ところが、最初に止まったタクシーは行く先を告げると、なにやら言葉を交わしてから降りろというポーズをとるので仕方なく降りる。目的地が気に入らなかったのか、言葉が通じない客は乗せたくなかったのかはわからずじまいであった。

次に乗車したタクシーは先客がいたが、同方向だったためか乗車を認めてくれた。そして、目的地の近くで下車して目的地に向かうと目を疑った。なんとそこには高層マンションが林立しているではないか。マンション建設に伴い城跡は壊されたに違いない。最初のタクシーの運転手はその城跡はもうないことを私に説明したが、全く理解しないことに腹を立てて乗車を拒否したのかもしれない。遺跡を破壊するなどということをなぜしたのだろうかと思ったが、考えてみれば、この遺跡は漢民族による周辺民族征服を伝えるものであり、少数民族に対しては表面的には融和を謳っている中国政府にとっては好ましくない遺産だったのかもしれない。

やむをえずホテルに戻る途中にある次の名所に向かう。それは学校の敷地内にあるモスクなのだが、目的地についてみると門がしまっている。持参した古いガイドブックには20時30分まで開館と書いてあり、現在は20時を少し回っているので、開館時間が変更となったのかもしれない。門の内側にはガードマンが見えるが、問い合わせても埒があかないだろうし、道路からもモスクの上部は見えるので、写真たけ撮って去ることにした。

もうホテルまでは歩いても30分くらいの距離なのでタクシーに乗るまでもないのでせっかく漢族居住地にいるのだから中国料理店を捜しながら帰ることにした。パキスタンではカレーばかり、こちらに来てからはラグ麺ばかり食べてる気がしたので、ちょっと変わったものも食べてみたくなったのである。ところが中国料理店はなかなか見つからない。ようやく見つけた店に入ると、壁にある料理の写真から選ぶというシステムになっていてイメージしていた料理とは違うが、日本を出てから魚介類を食べてないことを思いだし、イカを野沢菜みたいなもので和えた料理と青島ビールを注文する。

ビールを飲みながら食べるイカはうまかったが、その量が半端ではないのが参った。周辺には北側にはない酒屋もたくさんあったので、明日のためにと缶ビールも買ってホテルに戻った。
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エティガール寺院

新疆最大のモスクエティガール寺院

 

 

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2017年8月 8日 (火)

民族の十字路カシュガルへ

タシュクルガンの観光地としてはカラクリ湖と石頭城が有名であるが、前者はカシュガルへ行く途中に通るので、後者に朝一番で行ってきた。

石頭城は中心部から歩いて15分ほどの小高い所にある唐代の城跡で、タシュクルガンの町並みがよく見渡せる。私が入場したときはオープン直後だったので人も疎らだったが帰る頃には次から次へと人が押し寄せてきた。遊歩道は丘を降りた先の方へもずっと続いていたが、カシュガル行きの車の時間もあるので、そちらには行かずに引き返すことにした。

カシュガルには1日1便11時発のバスがあるが、時間がかかる上に、観光スポットであるカラクリ湖で休憩してくれる保証はない。それに対して乗り合いタクシーで行けば、割高にはなるものの休憩する場所には融通が効くはずなので、乗り合いタクシーを選択することにした(やっぱり、お大尽だな)。

乗り合いタクシーは定員にならないと発車しないが、昨日荷物検査で一緒になった韓国のグループの乗った車の一台に一緒にさせてもらったので、さほど待たずに発車できたし、同じ車の中に日本語が堪能な人もいたので、いざという時には心強かった。

車はしばらくは高原の中を行くが、やがて雲に覆われたムスタークアタの山裾が見えてくる。何ヵ所かの撮影ポイントで休憩しながら進んで行くと、左手に難峰コングールも見えてくる。その先には絶景ポイントであるカラクリ湖が待っている。ここで大休止となるが、山の中腹は全て雲で覆われていたのが残念であった。
Karakuri

ここから先も何ヵ所か休憩しながらカシュガルを目指す。休憩が多かったので、カシュガルまでの乗車時間のトータルは7時間弱とバスを利用した場合と大差なかったかもしれないが、バスでは期待できないビューポインに寄れたので、やはり乗り合いタクシーを利用したのは正解だっただろう。

前夜に予約したホテルに行ってみると一問題が起きた。前夜にネットから三連泊で予約したのだが、チェックイン時に元で払わなければならないという。円やドルはダメで、カードも中国のものでなければダメだと言う。手持ちの元はちょっと足りなかったので、銀行に両替に行くが、もう閉店していたので、半額だけ払って、残りは明日払うと言うことで決着した。

カシュガルが民族の十字路と呼ばれるのは、シルクロードをめぐる各民族の興亡ね結果として多くの民族がカシュガルが居住しているためであるが、国策によって移住している漢族を別とすれば、ウィグル族が圧倒的に多いようである。短い滞在期間ではあるが、建造物を見るだけでなく、ウィグル族の生活を垣間見ることができれば喜ばしいことである。2017081709203500
カシュガルは都会だ!

 

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フンジェラブ峠越

いよいよ国境越えの日が来た。例によって早くから目が覚めたのでので、荷物の準備を済ませてからスストの町を散策してホテルに戻ると、ホテルの人が昨日支払ったホテル代を返すという。理由がよく聞き取れないのだが、既に支払済みだと言っているようだ。旅行社が立て替えてくれたのだろうか。とにかく、返してくれるのだというのだから受け取っておこう。ルピーじゃ困るけどドルなんだから。

朝食後にチェックアウトを済ませてバス会社の受付に行くと、中国や韓国の団体はいたが、日本人は私一人のようだった。一般の日本人には危険な行くべきところではないと思われているようだ(全然、そんなことはないのだが)。出国手続きは1時間半くらいで終わりバスに乗り込み(ただし、韓国の団体客は専用ミニバス)、待望の国境に向かう。中国の長距離バスに乗るのは初めてだが、二段の寝台バスになっている。これで、リクライニングがきけばよいのだけれど、朝から寝るわけにもいかず、座るのは背もたれがなくて少々疲れる。さらに天井が低いので、上下の振動で頭を打ちやすいので注意が必要だ。

国境までの道は谷沿いにどんどん高度を上げて行く。下部は断崖に沿った絶壁に道がつけられているが、絶壁の切れ目から奥深く伸びている谷を数10キロ辿れば、憧れのアフガン国境に達するのかと思うと感慨深いものがあった。

九十九折りの坂を登りきると高原状となって国境稜線の白い峰々が見えてくる。ほどなく国境に到達するが、写真によく出てくる国境の碑のところでは停車せず国境はあっけなく通過してしまう。みんなはどうやって写真を撮ったのだろうか?

車はそのまま峠をおりて、すぐ下にある中国側の事務所で荷物検査を行うことになるのだが、中国領に入って左側通行から右側通行に変わったのと通信環境が良くなって携帯が通じるょうになったのには驚いた。

荷物検査は中国人が優先のようで、他の者は車内で待たせられるが、その後も数人ずつは車内から降りて検査場に並んでいるので、私も続こうとしたら、警備の人に車内に戻された。単なる人数制限なのか、国籍で区別しているのかは知らないが、自分の順番は最後近くになってしまった。

検査の厳しさは想定範囲内であったが、私だけ検査が終わってもパスボートを返してくれず、バスがでていってしまうのではないかと少々焦った。結局、パスボートを返してもらって慌ててバスに乗り込んでからも30分ほどは停車していたので、問題はなかったのだが…

この無意味な停車は全く理由がわからない。ネットの記録では4時間待たされて地獄の苦しみを味わったと書いていた人がいたが。今回は早く検査が終わった人でも2時間ぐらいの待ち時間だと思うのでラッキーだったのかもしれないが、地獄の苦しみというのは少々オーバーな気がする。

そこから先はなだらかな道を2時間ばかり走って、タシュクルガンの郊外にあるイミグレに着き、入国手続きに1時間くらいかかってようやく自由な身にさせてもらった。陸路での国境越えはヨーロッパを除くとインド・ネパール間に次いで2回目となるが、今回の方が倍以上は疲れた気がした。

宿の予約はしてなかったが、翌朝のカシュガルへの移動に便利なようにと、バスターミナルの近くのホテルに泊まることにする。チェックイン後に近くの店で遅い夕食を摂る。バキスタンでは麺類としては焼きそばふうのものしかないが、こちらでは焼きうどん風のラグ麺があるの
で食べてみたが、なかなかうまかった。2017080807434600

フンジェブラ峠下の中国側の検査場

 

 

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2017年8月 7日 (月)

国境の町スストに到着

シスパーレのモルゲンロートを撮影をするために4時半にホテルを出版する。1時間歩いてもシスパーレは姿を現さず、空はどんどん明るくなってきているので、少々あせってくる。しばらく進むと稜線がモルゲンロートに燃えているのが見える。それからはスピードアップしてなんとか頂上のモルゲンロートが残っているうちに間に合った。もう十分早ければもっと見事なモルゲンロートが見られただろうが、これだけ見れただけでもパスーに泊まった甲斐があったというものである。
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帰り道は緩い下りとなっているので、目標を達成した安堵感とも相俟って、足取りも軽やかだった。宿と反対側はまるでアルプスのシャモニ針峰群のようで、これらを眺めながらの歩きも楽しかった。宿に帰って食事を終えてからチェックアウトをすると、2食付きで二千円以下の安さで、前夜のホテルの6分の1である。

宿の主人にバス停の場所を聞くと、宿の前だという。半信半疑でいつ来るかもわからないバスを待つことにする。ただ、ヒッチハイクが可能であれば、それも利用しようと車が通るたひに手をあげるが、全然停まってくれない。後部座席が空いてるのにである。ネットにあった成功率100パーセントとは話が違うではないか。

しばらくして停まってくれた車はなんと白タク?であった。今日の目的地のスストまでは3千ルビーだという。宿代が安かっただけ、手持ちのルビーで足りることとなったので、強い日差しで待つのがいやになってOKをしてしまう。せっかく安宿泊まりをして、バックパッカーの仮面を被れたと思ったのに、たちまち化けの皮が剥がれて、ただのお大尽になってしまった。

車だとさすがに早く、10時前には国境の町スストに着いてしまった。小さい町ながらも店がたくさん並んでいて活気のある町である。着いて直ぐに確認したかったことが二つあり、ひとつは携帯がつながるかどうかだが、やはり圏外であったので、ブログ更新はカシュガルまでお預けとなりそうである。次に気になっていたのは、両替専門店があるかどうかであった。ネットでは両替はあちこちでできるとあったが、それが両替専門店でなく銀行だとすると日曜日の今日は両替はできないことになってしまう。歩き回った限りでは両替専門店はないようで自分にとっては大問題になりかねない不安材料となった。

まずは予約してあったPDTCモーテルに行きチェックインを行う。スストでは一番大きい公営のホテルだがネット環境はなかったし、町中にもネットカフェはなかったようなので(フンザではあったんだけど)、ネット環境もカシュガルまではお預けとなりそうである。

ホテルでの支払はドルで、バス代の支払は元でOKとなったので、両替の問題は解決し、パキスタンを無事に脱出して中国に入国できることがほぼ確実になった。うれしいことに、この町ではビールが販売されていたので早速買って帰り、パキスタンの旅が無事に終了できそうなことについての祝杯をあげた。

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国境の町ススト

 

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ほぼ順調にバスー到達

昨日とはぅってかわって雲ひとつない天気に恵まれ、小高い丘の上にあるホテルはヒンズークシュの山々の眺めが独り占めである。展望台からは眼前には雪と岩の殿堂たるウルタルと鋭い岩峰のレディー・フィンガーが圧倒的な迫力で迫り、正面にはヒンズークシュ山脈屈指の高峰であるラカポシが悠然と聳え、その脇にはディラン、スパンピークという名峰が控えていて、まさに壮観そのものである。
Dscn0023ラカポシ

朝食後にフンザの町に向かうが、フンザの最大の名所であるバルチット・フォート(昔のフンザの支配者の城)はフンザの町を見下ろす高い所に位置しているので、GPS地図で道を選んでいけば、大きな下降はせずに到達できると踏んだのだったが、途中で道を間違えてしまったためにフンザの町中まで降りてしまい、また登り直す羽目になってしまった。

フォートの登りの最後の辺りで、日本人を乗せた車に追い越される。客の日本人から乗車を勧められたが、あと少しだけだったので、断って登り続ける。フォートの入り口に着いてみると、さきほどの日本人が休んでいる。なんでもカラチに商用で来ていて休みを利用してフンザに来ているそうである。

彼と一緒にフォートの中に入り、現地のガイドの説明を聞く。私は英語が不得手なため、あまりよくわからなかったが、陳列物が日本ならば、厳重にガラスの中に入れられ手を触れられないばかりか写真も撮影禁止となっているのに対して、ここは多くが触り放題で、別途支払さえすれば撮影も自由となっているのがおもしろかった。
2017080622133900フンザを代表する名所であるバルティットフォート(旧藩主の居城)と背後に聳えるウルタル峰(その左側の低い尖ったピークはレディーフィンガー)

見学後にコーヒーを飲んでから、別のフォートを見に行くという日本人とは、そこで別れる。このフォートを見た後では二番煎じではないかという気持ちもあったが、それ以上に別のフォートは今朝降りて来たみちの途中近くにあるようなので、また登り返すのは真っ平御免だというのが本当のところである。

それにフンザで次に行って見たい別のところがあるのだ。それは、フンザの山とも言うべきウルタル峰で遭難した有名な登山家である長谷川恒男の意思を継いだ奥さんと支援者によって建設された公立学校である。手もとの地図には所在地が記入されてなかったが、適当に見当をつけていくと、それらしき建物があったので近くの人に聞いてみると、やはりそうだという。あいにく、土曜のために生徒はいなかったが、門番?の人に断って校庭に入らせてもらって写真を撮る。
Hasegawa
これでフンザに来た主目的は達成したが、他にも目的がいくつかあった。ひとつはイスラム教では飲酒が禁止されているのに対して、ここフンザの宗派は飲酒には寛容なのでビールが飲めるということで、大いに楽しみにしていたのだ。次は昨日までのトラブル続きで予定外の出費が嵩み、手持ちルビーが六千円程度となってしまったので、両替をする必要がでてきたことである。最後はバスーまでの移動手段を決定することであるが、方法は三通りである。①車のチャーター、②カラコルム・ハイウェイを8キロ戻った地点からバスに乗る、③カラコルム・ハイウェイでヒッチハイクをする。

ゼロポイントという地n点まで降りて来た時に、そこがフンザの中心街なので、慎重に考えるべきであったにもかかわらず、勢いでどんどんくだってしまったのである。しばらくして資料を見ると、両替屋は下にはなくかなり戻らなければならないことがわかった。戻ろうかとも思ったが、資料はかなり古いものなので、戻った場所に両替屋があるという保証はない(パキスタンの旅行の本は10年近く出版されていない)。それよりも、このままカラコルム・ハイウェイまで降り続けてヒッチハイクすれば、バスーには安宿しかないから手持ちのルビーで用は足り、その次のパキスタン最後の宿泊地となるスストは中国からの旅行者がルピーを求めるはずだから、そこで必要なルピーは手にはいるに違いないと思い付いた。ただそのように考えた裏には私の旅は一般のバックパッカーから見たら贅沢をし過ぎているという負い目もあったことは否定できない。

カラコルム・ハイウェイに降りてもすぐにはヒッチハイクは始めずに歩き続ける。それはちょっと先に岩絵があるからで、チラスで見損なった分を取り戻したいと考えたからである。岩絵を見てからヒッチハイクに移る。
Iwae
ネットではパキスタン人は親切だから成功率100パーセントと書いてあったが、10数台目がようやく停まってくれた。それもそのはずで、停まってくれなかった車のほとんどは後部座席も定員超過のぎゅうぎゅう詰めの状態だったからである。

乗せてもらった車はバスーの手前のグルミットまでしか行かなかったので、そこから先はまたヒッチハイクをするしかない。パスーまでは10数キロしかないので、歩けない距離ではないか、夕方になっていたので、30分だけヒッチハイクを試みて、ダメならここのホテルに泊まることにした。バスー行きにこだわるのは、名峰シスパーレのモルゲンロートが見たかったからである。

30分粘ったが、時間的に交通量が減ってきている上に、満車の車が続いて諦めかけた頃に、近くでミニバスが止まり数人の乗客が降りてくる。ラッキーと乗り込んでパスーを目指す。パスーのバス停はグルミットと異なり、人家もないところだった。しばらく歩くと安宿があったので、泊まることにする。すっかり寂れていて、この時期だというのに客は私一人である。パスーまで予定通りたどり着けたことを喜んで、本来なら祝杯をあげたいところであるが、パキスタン入国以来4日連続の禁酒を余儀なくされるのが辛いところである。

 

 

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2017年8月 4日 (金)

トラブルを乗り越えて憧れのフンザへ

二晩睡眠不足が続いたので、10時前には寝てしまったが、夜中に何度も足がつってしまい、その度に目が覚める。狭い車内で窮屈な姿勢を続けたためであろうか

暗いうちから目が覚めて、前夜に買ったパンを食べ終えて出発準備を済ませて運転手をロビーで待つ。やがて現れた運転手とともに車に乗り込む。

これで3回目となる道を進んで峠を目指す。峠に着くと反対側から登ってくる車もあったので一安心する。今回、はじめてとなる検問を受け、銃を持った警護の人が乗り込んでチラスに向けて下って行く。

お目付け役が同乗しているせいか、運転手は今までとはうってかわってゆっくりと車を走らせていく。途中の土砂崩れで道を完全に塞いでいた所は、かろうじて車1台が通れるだけの応急措置が取られていた。

これで難所は終わったと思ったが、そうは問屋がおろしてくれなかった。その先にもっと大規模な崩壊箇所があり、立ち往生した車がジュヅつなぎになっている。一時はまた峠にもどらなければならないことを覚悟し、こんなことならなんで峠で足留めさせないんだと愚痴もでた。ところが、崩壊箇所の様子を見に行っていた運転手が戻ってくると、崩壊地の先に車が待機しているので、8千円弱出すならフンザまで行けると言う。トラブル続きでいいかげんうんざりしていたので、そのくらいのことならばと手を打つ。

待望のチラスまでは問題なく降りられ、ツーリスト・オフィスでチェックを受ける。治安のためか自然保護のためか知らぬが、こと細かく質問されて、尋問を受けているようである。チェックが終わって出発する段になって、フンザまでの新しい運転手が三千円強の値上げを言ってくる。ガソリン代だという。先程のツーリスト・オフィスの職員までが、尋問口調とはうってかわって、それは安いと口調を合わせる。お前らはグルなのかと言いたかったが、金持ち?喧嘩せずで要求を飲む。

出発する際に、ツーリスト・オフィスの職員に有名な岩絵を見ていかないのかと言われるが、今は一刻も早くフンザに着きたかったので、後ろ髪を引かれる思いでチラスを後にする。フンザとの中間点あたりまで来た時に知り合いの車に乗り換えてくれと言われる。その時、さきほど値上げとなった理由がピーンとくる。最初の金額が相場で、後半を知り合いにまかせることになったので、手数料を上乗せしようという魂胆だったに違いない。まんまと現地商法にしてやられたが、二重払いをさせられたのではたまらないので、前半の運転手に支払った料金の一部が後半の運転手に手渡されるところをしっかりと目撃しておく。

後半戦に入ってすぐに三大山脈ジャンクション・ポイントに着く。ここはインダス川とギルギット川の合流点で、ナンガパルバット、カラコルム、ヒンズークシュの三大山脈が眺められるということで、先程のチラスの岩絵と並んでツアーでは必ず立ち寄るところであるが、あいにく曇っていて高山の展望は得られないので、先を急ぐことにする。

合流点までは9年前にカラコルム登山を終えてスカルドからインダス川を下降した時に通っているが、これから先は未知のコースである。フンザまでの道は思ったよりも立派な道で、よく言われる危険なカラコルム・ハイウェイの経験をせずに終わってしまった(9年前にチラスから先を下った時も、暗かったし、眠ってしまったこともあり、危険を感じることはなかった)。

今夜のホテルはフンザの中心からは離れた小高い丘の上にあるので、急な坂を高さ500メートル近く喘ぎながら登って目的地に着く。当然の事ながら運転手からは新たな要求はなかったので、そのままホテルに入る。部屋からはフンザの町が一望でき、ヒンズークシュの高峰もほしいままにできる素晴らしいシチュエーションである(ただし、今日は山頂付近には雲がかかっているが)。

今回、フンザには予定どおり3日間滞在する(上部フンザのパスー滞在を含む)ことになるので、存分楽しんでこようと思う。ただひとつ残念なのは、今晩のホテルが丘の上にあって、町の中心からは離れているためまわりにはレストランがなく、ホテルのディナーまでは3時間近く待たなければならないことである。実は早朝に軽食を食べただけなので、かなり空腹だったが、ディナーの時間まではブログを書いたり景色を眺めたりして時間を潰さざるをえなかった。

 

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ホテルから見下ろす暮れいくフンザの町

 

 

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2017年8月 3日 (木)

今日もトラブル

フンザまでの道はカラコルム・ハイウェイを行くことしか考えてなかったが、旅行社の方から、それよりも東側の峠越えの道が整備されたので、どちらで行きますかという質問があった。峠越えの道の方が2時間くらい早く行けるし、景色もいいということだったし、カラコルム・ハイウェイは前に通ったことがあるので、峠越えの道を選択することにした。

カラコルム・ハイウェイに比べると道はいいし、東側のインド寄りのため検問もないといいことづくめであった。ただし、峠に着くまではであったが。4千メートルを越える峠に着くと運転手の様子がなにかおかしい。聞いてみると、峠からチラスに降りる道の途中で土砂崩れが起きてチラスには降りられないという。ガ〜ンである。

やむをえず、2時間ばかり戻ったところのホテルに今夜の宿を確保して善後策を検討する。最初はさらに下ってカラコルム・ハイウェイ経由でフンザまで1日で行くことを考えたのだが、朝4時頃にホテルを出発して順調に行ってもフンザに着くのは日付が変わった2時か3時、途中に工事があって足留めを食うとさらに遅くなるということから却下。100パーセント確実ではないが、明日の午前中は峠越えの道は通行が可能であるという情報に賭けてみることにした。そして、運悪く峠越えができずにカラコルム・ハイウェイ経由に転進となった場合には、そこから戻って1日でフンザまで行くのは無理なので、フンザかカシュガルの滞在日を1日削って日にちを捻出し、旅行社には追加料金を払って運転手をもう1日拘束して、フンザまでを2日間で行くことにしよう。それにしても今回はなんてトラブル続きなのだろう。2017080502335901

今日は、この峠までで引き返す

 

 

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9年ぶりのパキスタン

自分にとって本年最大のイベントとなるであろうパキスタンのカラコルム・ハイウェイから中国シルクロードの旅に出かけることになった。シルクロードに本格的に憧れるようになったのは、40年近くも前になるがNHKのシルクロードという番組で国境のフンジェブラ峠と麓のシーンを見てからである。その後、シルクロードの名所はあちこち行ったが、フンジェブラ峠だけは残されたままだったのが、今回ようやく行けることになった。

中国国際航空のフライトスケジュールの変更で、羽田発が早朝の7時20分に変更されたため、前夜から行かないと間に合わないこととなり、待合室のベンチで仮眠する。良くは眠れなかったが、朝が早い分だけイスラマバードには早く着くので、ホテルでゆっくり休むつもりだった。

北京空港では乗り継ぎ時間が5時間もあったが、食事をしたり、本を読んだりして時間を潰す。ところが、出発時間間際になっても、一向に出発する気配がない。なんでも天候の関係(多分、パキスタン方面だと思うのだが)で、いつ出発できるかわからないという。もし、今日は欠航ということにでもなれば、スケジュールが狂ってしまうが、自分にはいかんともしがたいことである。2時間以上待った時点で約5時間遅れで出発するとの発表かあってほっとする。日付が変わる前にはなんとかイスラマバードに着けそうだ。イスラマバードは以前に延べで1週間ほど滞在したことがあるし、特別見るべきものがあるわけではないので、早く着いてもしょうがないともいえる。上空からのタクラマカン砂漠やヒマラヤが暗くなってみえなくなってしまうのは残念だが、その分、機内では十分に睡眠をとっておこう。

しかしこれで一件落着というわけにはいかなかった。延発の時間が過ぎても一向に出発する気配がないのである。さら2に時間が過ぎ、北京空港についてから丸半日がたってしまった。ただただ忍の一字である。結局3時間の追加遅延で飛行機には乗り込めたが、機内で2時間以上待機させられて10時間以上の遅れで離陸する。結局、北京空港にいたのは15時間以上ということになる。

イスラマバード空港には夜明け前に到着するが、どうせ遅れるならば、もう1時間遅れればヒマラヤの夜明けが見られたのに残念だった。空港には旅行者の迎えの人が来ていて、イスラマバード市街地は通らずにすぐに今日の目的地のチラスに向かう。初日はイスラマバード市内のホテルを予約してあったのだが、この時間では立ち寄っても意味はないし、カード払い決済は終わっているはずなので、特に連絡をしなくても問題はないだろう。

今回は最初の2日間は車をチャーターすることにしたのは、路線バスを利用すればはるかに安くすむのだが、バスターミナルのような人の集まる場所は爆弾テロの標的になりやすいし、バスそのものも宗派争いで襲撃されたりすることもあると聞いていたからである。その代わり、山の中に入ってしまえば、リスクも少なくなるので路線バスを利用するつもりである。

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