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2017年11月

2017年11月29日 (水)

高所順応ハイキング

今日はベースキャンプとなる4200メートルにある小屋まで行くのかと思ったら、そこよりもやや低い4000メートル弱の高さまで高所順応を兼ねたハイキングを行って、また昨夜泊まった宿舎に戻ってくるとのことである。富士山くらいの高度は今までの経験の蓄積でほぼ順応ができているので、高度の影響が出やすい睡眠時以外にはわざわざ出かけてもあまり効果はないのだが、郷に入っては郷に従えで大人しく従うことにした。好天続きで予備日も必要なさそうだし、早く下山したからと行って特別行きたいところがあるわけでもないので、田舎で1日多く過ごすのも悪くはないか。そんなわけで朝食も9時と遅めの時間となった。朝食を待っていると一人の若いクライマーが入ってくる。こんな時間に何かと思ったら、今朝登頂してここまでパラグライダーで一気に飛び降りてきたそうである。凄いヤツがいるものだ。

朝食後には小屋まで荷物を回収に行くさきほどのクライマーと一緒に車に乗り、途中で待っていた地元の案内人の所で私だけが下車して、案内人に連れられて標高差600メートルほどを登り、標高3900メートル弱のオリザバが正面に見える所まで登った。高度の自覚症状は全く見られなかったので順応は取りあえずは問題ないようだ。

下りは別コースから降りて車の通れる道(と言ってもかなりのダートだが)に出たが、迎えの車は来ていないようだ。待ち時間の最初は汗をかいて暑かったので日陰に入っていたが、そのうちに汗が引いて寒くなってきたので、日向に移動する。

かなり待ってから車が来たが、下からではなく上からだったので妙だなと思ったら、とうに下に降りてしまったと思っていた朝のクライマーも乗っているではないか。こんな時間まで、上で何をしていたのか聞きたかったが、語彙が不足していたので、聞かずじまいであった。

その晩は若いクライマーと一緒の食事だったが、見知らぬ人との会話は日本語でも疲れるのに英語ではなおさらだった。
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2017年11月28日 (火)

オリサバ登山に向けて出発

今日からオリサバ登山が始まるが、初日のは登山基地までの車の移動だけなので、ガイドとホテルで落ち合うのは正午となっており、それまでの空いた時間を市内をジョギングしながら回ることにした。2時間半ほどジョギングしてからホテルに戻り、しばらく休憩してからチェックアウト清ませる。そのままロビーに居ればよかったのだが、このホテルはロビーは上の階にあってソファーもないが、一階には軽食の店が多数あって、共同のテーブルがあるので、そこで食事をしながら待っていれば、ガイドは一階からロビーに上がるだろうから、エレベーターの前で大きな荷物を横に置いた私を見つけられるだろうと考えてしまった。

ところが、正午を過ぎてもガイドは一向に現れない。30分を過ぎるころから少々焦り始める。電話をしようにも、メールでやり取りをしただけで迂闊にも電話番号を聞いてなかったので、連絡をしようにもその術がなかった。ガイドと会えない最悪の事態も考え、その場合は帰国までの間はどう時間をつぶそうかなどと思案もしたりした。とにかく1時まではこのまま待つこととし、その後のことはその時に考えることにした。

1時ちょっと前になってようやくガイドが現れて不安が解消することとなった。ガイドはずっとロビーで待っていたとのこてなので、一瞬キツネにつままれたような気になったが、地下の駐車場に車を止めてエレベーターで直接ロビーに上がるという私の「想定外」の行動のために合流ができなかったわけだ。私もロビーを覗きにいこうかなと思ったこともあったが、一階を通ってないのだから、ロビーには行っていないことを確信していたし、ロビーに出るとスタッフと直面するので、事情を釈明するのも面倒だという気持ちもあってロビーに確認に行かなかったのは失敗てあった。

反省としては、ホテルでの集合場所をはっきりと決めておかなかったことがあけられるが、今回のホテルのロビーが待ち合わせには不向きであるということも〓拍車をかけてしまった。また携帯の番号をお互いに知らなかったということも不注意てあった。なにはともあれ、若干の遅れで出発できたことを喜びたい。

ガイドは私以上に英語が不得手のようであるが、タブレットにはオフラインでも使えるスペイン語も含めた各国語の辞書があるので何とかなるだろう。

道はメキシコシティ市内では渋滞が続いたが、郊外に出ると片道三車線の高速道路を快適に走れるようになる。ここで目を疑ったのは路側帯を自転車が何台も走っているではないか。アメリカで同じこてをやった時はパトカーに捕まってしまったが・・・。極め付きは柵を乗り越えてヒッチハイクを試みたり、車線の間に立って物を売っている者までいることである。まさに所変わればなんとやらである。

メキシコシティに次ぐ大都市であるプエブラの街が近づくと、噴煙を上げるポポカテペトルが見えてくる。メキシコ第三位の高峰で、メキシコシティから比較的近いこともあって、かつては日本からもツアー登山が盛んに行われていた記憶があるが、最近は火山活動が活発化しているために登山禁止になっているようだ。

プエブラを過ぎると、メキシコ第二位の高峰であるイスタシワトルが見えてくる。円錐形の美しい山である。間もなく車は高速道路を離れて二車線の道に入る。しばらくして車は右折してオリサバ登山の基地となるトラチェチュカを目指す。前方には目的の山である。オリサバの全容が見えてくる。こちらも円錐形の美しい山で八合目?付近から上は雪で覆われている。今夜は約2500メートルのトラチェチュカの宿舎に一泊し、明日は4230メートルのピエドラ・グランデ小屋まで車で上がってから登山活動開始となる。

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ベースキャンプとなる小屋


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2017年11月27日 (月)

テオティワカン

今日行くテオティワカンはメキシコシティの北方郊外にあり、マヤやアステカよりもかなり古い遺跡だが詳しいことはまだわかっていないそうである。ユカタン半島にあるマヤ遺跡と異なりメキシコシティから日帰りで行って来れるため人気が高くツアーもたくさんでている。ただ遺跡近くを通る路線バスの本数も多くてツアーを利用しなくても特に不都合はない上、ツアー料金が一万円前後なのに対して個人旅行だと千円程度で済むので、今回はツアーは利用しないことにする。

テオティワカン方面の発着場となるターミナルまでは市内バスでも行けるようだが、バスは路線が分かりにくい上に専用ガードも必要になるようなのに対して、地下鉄は路線図さへ入手すれば乗換にも迷わないし、全線5ペソ(約30円)で乗れるので、地下鉄を利用することにした。ターミナルでのテオティワカン行きバスへの乗車も事前にネットで情報を調べてあったのでスムーズに行えた。
一時間くらい乗車すると、運転手の「ピラミッダー」の声と多くの乗客が降り始めたことで、テオティワカンに着いたことを知る。この遺跡は多くが森林帯にあるマヤ遺跡と違って平原の真ん中にあって全体が見渡せるため非常に広大に見える。
この遺跡の最大の呼び物である太陽のピラミッドにはたくさんの観光客が押し寄せて長蛇の列ができている。私も途中まで登ってみたが、行列がほとんど動かないので諦めて途中から降りてくる。その奥には月のピラミッドがあり、こちらは中段までしか登れないが、太陽のピラミッドほどは混雑してないので、家内と一緒に中段まで登ってみる。中段からの眺めは真っ直ぐに伸びた道路の両側に遺跡群が続き、太陽のピラミッドも間近に見えるという素晴らしい展望を楽しむことができた。

月のピラミッド近くの出口から外に出たが ツアー客以外でこちらから出る観光客は少ないようで、飲食店も観光客むけのものはなく唯一あった地元民用の店でタコスを食べてから今朝下車した所まで戻り路線バスで市内に帰った。これで今回の旅行の前半の遺跡巡りは全て予定通り終了したので、帰国する家内を空港まで送った。明日からは後半戦のオリサバ登山の始まりである。
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2017年11月26日 (日)

マヤ遺跡後半

本日は午前中にチチェンイッツァ遺跡を見学して、午後はカンクンに戻った足でメキシコシティまで飛んで戻るという強行軍であるが、ここでひとつ問題が発生した。それは夜中に目が覚めてふと携帯を見たら時刻補正がされていて、時間が1時間早まっているではないか?最初は何のことかわからず携帯がおかしくなったのかと思ったが、すぐにチチェンイッツァはメキシコシティとは同じ時間帯に属し、カンクンとは距離が近いにもかかわらず1時間の時差があることに気がついた。もし気づかずに行動していたら、最悪の場合はカンクンからのフライトに乗り遅れる事態も懸念され危ないところであった。

1時間早めの行動が必要になったこともあり、早起きしなければならないという気持ちと日本との時差ボケが解消していないこととも相まって、睡眠不足が続くこととなった。

ホテルでの朝食を済ませ、チェックアウトの際に不用な荷物を預けて遺跡の入場口に向かう。一般の入場口はホテルと反対側にあるのだが、ホテル宿泊者専用の入場口がホテル玄関の近くにあるので、遺跡開場の8時過ぎには遺跡見学を開始できた。一般のツアーの場合のチチェンイッツァ見学の標準時間は3時間らしいので、ガイドの説明時間がない今回の場合は11時には空港行きのタクシーには乗り込めると計算できるので、比較的余裕を持って行動できる目処がたった。なお帰りはタクシー利用としたのは、車のチャーターをもう1日延長すると、運転手の宿泊費も含めたチャーター代がかなり割高になる一方、路線バスを利用するとなると夕方の便しかないため、カンクンにもう一泊しなければならなくなるからである。

チチェンイッツァ遺跡は昨日のコバ遺跡と比べるとまとまって立地はしているが、見所が多数あるので効率的に行動しなけれはならない。まずはチチェンイッツァ遺跡を代表するピラミッドを目指す。コバ遺跡のものよりもさらに高さを誇る見事なものだが、残念ながらこちらは登ることはできない。四方から写真を撮るが、カンクンからの日帰りツアー客がやって来る時間にぶつかっていたら、雑踏のようになって写真どころではなかったかもしれす、チチェンイッツァに宿泊したのは正解であった。

11時までには一通り見学を終えて、タクシーでカンクン空港に向かう。チチェンイッツァのタクシーは公定料金が適用されるので、ボラれる心配がなくて安心である。カンクン空港までは高速道路を利用したので2時間半ほどで着いたため、メキシコシティ便の出発までは4時間近くあって余裕をもって行動できた。

メキシコシティまでのフライトも順調で、これで今日は何事もなく終わるかと思いきや、そうは問屋が卸してくれなかった。というのは、この後に控えているオリサバ登山のための荷物を空港のロッカーに預けてあったので回収しようとしたところ、ロッカーの場所がわからなくなってしまい、空港内を右往左往してしまう。やむを得ず、家内には休んでもらって空身で探しに行きお店の人に聞くと下の階にあるという。教えられた通りに下の階に降りてみると、隣の通路への連絡口があり、こちら側から隣の通路を覗くと、たしかに見覚えがあって、その通路沿いにロッカーがあることは確信したが、そちらに行ってしまうと戻ってこれなくなる懸念があるため、家内と一緒に行った方がいいと思い直し、家内の所に戻ろうとした。

ところがさきほど降りた階段を登ろうとしたところ係員に制止され、上の階で家内が待っていると言っても相手にしてくれない。仕方ないので、家内に荷物を持って来てもらうしかないということで、電話をかけてみるが、機内モードから切り替えてないのか、何度電話しても通じない。しばらくは係員とすったもんだしていたが、そのうちに家内が機内モードからの切り替えをやったようで電話が通じるようになり、家内が荷物を持って現れて一件落着となった。疲れがどっとでてしまった。


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2017年11月25日 (土)

マヤ遺跡前半

朝7時半に迎えの車に乗り込んでカンクンからトゥルム遺跡に向かう。車は細長い半島に沿って、高級リゾートホテルの間を進んで行く。

2時間ほどでトゥルム遺跡に着く。ここは他のマヤ遺跡のようなピラミッドはないが、森林の中ではなく海岸に面していて海水浴もできるのが人気の理由のようで、大勢の海水浴客が白い砂浜に寝そべったり、波の静かな青い海で泳いだりしていた。

次はコバ遺跡に向かう予定だったが、途中にあるグランセノートという天然の井戸のような所にも立ちよった。大勢の人が人が泳いでいて(日本人の女性もいた)、岩の下にくりぬかれたような洞窟を奥の方まで進んでいる人もいた。我々は見物だけだったので、20分ほどで引き上げて、コバ遺跡に向かった。

1時間ほどで着いたコバ遺跡は深い森林の数ヵ所に散在したビラミッドを中心にした遺跡であるが、レンタサイクルを利用したので2時間弱で回ることができた。一番奥にある高さ45メートルあるピラミッドは登れるようになっているので人気スポットになっている。傾斜がそこそこあるので、高さに慣れてない人はロープにしがみついて登り降りしていた。頂上からは見える景色は一面の深い森林で、こんな奥深い所に遺跡を発見した人はさぞかし驚いたことだろう。

今晩のホテルはチチェンイッツァ遺跡に隣接しており、2時間弱で着くことができた。三ツ星ホテルなので、昨日と比べれば快適に過ごすことができる。着いた時は4時前でまだ明るく遺跡見物もできないことはなかったが、楽しみは明日にとっておくことにしよう。

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カンクンの朝


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2017年11月24日 (金)

メキシコ珊瑚婚旅行

結婚三十五周年(珊瑚婚)を記念したメキシコ旅行に出発する。新婚旅行ではペルーのインカ遺跡に行ったので、今回はマヤ遺跡ということになった。いつもと違って特記すべきは六千円払ってラウンジを利用したことである。一人で行く時はありえないのだが今回は特別である。元を取らなくちゃと出発の4時間前からラウンジに入って、無料の飲食を摂り続ける。食事の内容は今ひとつであったがアルコールは種類が豊富で、飛行機に乗り込む時には既にできあがっていた。

 

メキシコシティまでのANAの直行便は本年開設したものだが、乗り換えなしは便利な反面、12時間はやはり長く感じる。

 

メキシコシティには午後1時過ぎに着き、カンクンまでの乗り継ぎ便の待ち時間は5時間近くあったが、両替、荷物預け、食事等で結構時間がかかり、時間をもて余すということはなかった。

 

カンクンには時差1時間を加えた夜9時過ぎに到着し、予約しておいた旅行社の車でカンクンのホテルに向かう。今晩は一夜をあかすだけと割りきって、高級リゾート地な中にあっては比較的経済的なホテルを予約したのだが、値段に見あったそれなりのホテルであった。

 

移動に終始した長い1日であったが(一夜は過ぎたが、日付変更線を越えたので、依然として出発日と同じ日付である)、後はねるだけである。
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2017年11月18日 (土)

五日市憲法

五日市憲法というのは約50年前に歴史家の色川大吉先生が五日市の旧家の土蔵から発見した自由民権運動家の作になる憲法草案であるが、帝国憲法の制定に先立って作られたもので国民の権利については今の憲法に通じる内容であるとして高く評価されている。五日市はクライミングやトレラン(トレイルランニング)でよく訪れたが、いつも目一杯予定を組み込んでいるので素通りするばかりであった。今回五日市方面に仕事で行く用があったが、用を済ませた後は土曜日と言うこともありフリーだったので草案が展示されている五日市郷土館を訪れることにした。郷土館の一階は一般的な地元の歴史史料の展示で二階の半分ほどが五日市憲法のコーナーに充てられていた。コーナーの入り口には草案原文のコピーと現代語訳が対比されており、204条からなる膨大なものなので国民の権利に関する部分だけを読んでみて、その内容が進歩的であることを実感した。奥の方には草案者である千葉卓三郎の人となりや草案作成の歴史的背景の解説文の外、草案が発見された深沢家についての史料も展示されていた。郷土館を出て五日市駅に戻る途中でちょっと寄り道して、草案の記念碑にも立ち寄った。草案が発見された深沢家屋敷跡まで行けば完璧になるのだが、公共の乗り物もなく歩くと往復で二時間近くかかりそうなので、今回は割愛することにした。

五日市憲法が世に広く知られるようになったのは5年ほど前に天皇皇后がこの地を訪れ、皇后が「感銘を受けた」とのコメントを出されてからである。時あたかも第二次安倍内閣が発足して、今の憲法を「みっともない憲法」と蔑んで憲法をないがしろにする態度を鮮明にしだしたことに危機意識を感じられた天皇が政治的中立を義務付けられているご自分の立場を配慮して、皇后の感想という形での精一杯の抵抗を行われたのだと思われる。天皇の意向に背く安倍晋三は世が世なら不敬罪で逮捕されてしかるべきだろう。

戦前への回帰を目指す日本会議を筆頭とする改憲論者はその理由のひとつとしてGHQの「押し付け」憲法であることを主張するが、これは史実に反するのである。何故ならばGHQ は日本政府に渡す憲法原案を作成するに際しては、鈴木安蔵らの在野の研究家による草案を手本にしたと言われているが、鈴木安蔵は自由民権運動以来の憲法論議の集大成として草案を作成したわけであり、日本国民の長年にわたる憲法論議の結晶が現行憲法に集約されているといってよいであろう。それ故に「押し付け憲法」という主張は全く当たらないのである。そして鈴木安蔵自身は五日市憲法自体は読んでないかもしれないが、五日市憲法の基本精神は当時の自由民権運動家に共有さるていたものであると思われるので、五日市憲法の基本精神は現行憲法に引き継がれているといって差し支えないだろう。
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2017年11月11日 (土)

メキシコ料理試食

今月末に家内とメキシコ旅行に行くので、新宿にあるメキシコ料理店に試食に出かける。思った以上に日本人の口に合うので、これなら心配はないようである。
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2017年11月 5日 (日)

富士山頂

村山古道を登るのに時間がかかり、富士宮登山口五合目に着いたのは10時近くになってしまった。小屋はまだ営業してたので、月見そばを注文し、清涼飲料水も2本購入する。カンビールにも心が動いたが、今日は下に一度降りるんだから今は買わなくてもいいかと思いとどまってしまった。その時は、これで準備は万全だと思ったのだが・・・。

 

倒木が多い村山古道からポピュラーな富士宮登山道に変わったのでペースアップするかと思いきや、相変わらずのスローペースである。前回の裏剣もそうだったが、ある程度の荷物を背負うと途端にペースが落ちてしまう。加齢のせいだろうが、困ったもんだ。

 

数年前に同じコースを同じくらいの荷物をかついで歩いた時は、五合目から頂上まで4時間くらいで登ったが、こんなペースでは何時間かかるかわからない。当初の予定では登頂後に吉田登山道、精進登山道経由で下山し、翌日は別の山を登るつもりだったが、このペースでは今日じゅうの下山は無理だ。さて、どうしよう。
ここで閃いたのは、メキシコ登山の準備目的には富士山頂に泊まるのが、最適であるということである。持参した食料と今朝購入した清涼飲料水とで何とかなりそうである。
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そう考えたら、気が楽になりノンビリと登っていく。シーズンオフで閉まっている小屋の前にテントを張り、持参した食料を広げる。菓子類とつまみしかないが、菓子類は夕食、朝食、行動食用に三等分し、つまみは今食べると喉が乾くので、残り少ない水を大事に使うために、非常食に取っておくことにした。今朝の小屋でカンビールを買わなかったことを大いに悔やむ。 

 

翌朝は快晴であったが、さすがに冷え込む。

 

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吉田道は通いなれてはいるが、空腹なことと、新品の靴が足に合わずに靴擦れを起こしていることでペースが上がらない。ただ救われたのは、バスはないと思い込んで駅まで歩くつもりだったのが、五合目からのバスが営業していることであった。五合目に着くや否やビールを注文したのはもちろんである。

 

 

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2017年11月 4日 (土)

村山古道

今月末のメキシコ・オリサバ登山のための高所順応トレと先月購入した高所登山靴の履き慣らしを兼ねて富士登山に向かう。五合目までの登山バスは10月末で終了しているので、前から気になっていた村山古道をアプローチとして利用することにした。村山古道というのは江戸時代に東海道方面からの富士登山に利用された道だが、長らく廃道となっていたものが、最近復活して再び歩かれるようになったものである。

 

村山古道の出発点を村山浅間神社と決めて、富士宮から神社まではタクシーを利用する。歩いても2時間ちょっとだが、昨日のリレーマラソンの疲れも抜けてないので、これでいいのだ。

 

神社の裏手からの石段の道はすぐに舗装道路と合流し、その後も石畳の道が現れたと思うとすぐに舗装道路に出たりするので、高所登山靴を履くのも憚れるので、高所登山靴は担いで登る。今晩のキャンプは水場がないので、炊事用の水も担ぎ上げなければならず、重荷が肩にくい込んでピッチが上がらない。

 

道は舗装道路を離れて古道らしくなってくるが、途中で「村山道」の標識を見落として幅の広い道を直進してしまったため、電線巡視道に紛れ込んでしまい、気付いて後戻りして正しい道に戻れたものの、30分ほどロスしてしまった。

 

ベースがあがらないまま登っているうちに夕暮れがせまってきた。キャンプ適地をさがしながら歩くものの、なかなか平坦な場所がなく、やっと小さいながら平坦な場所を見つけた時は真っ暗になってしまった。高度は1600メートル弱で予定よりもだいぶ低いがやむを得ない。明日また頑張ろう!
2017111118491901 村山浅間神社

 

2017111118491900 神社の先から富士山を仰ぐ

 

2017111118491802 左手への指導標を見落として電線巡視道を直進してしまう

 

 

 

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