五日市憲法
五日市憲法というのは約50年前に歴史家の色川大吉先生が五日市の旧家の土蔵から発見した自由民権運動家の作になる憲法草案であるが、帝国憲法の制定に先立って作られたもので国民の権利については今の憲法に通じる内容であるとして高く評価されている。五日市はクライミングやトレラン(トレイルランニング)でよく訪れたが、いつも目一杯予定を組み込んでいるので素通りするばかりであった。今回五日市方面に仕事で行く用があったが、用を済ませた後は土曜日と言うこともありフリーだったので草案が展示されている五日市郷土館を訪れることにした。郷土館の一階は一般的な地元の歴史史料の展示で二階の半分ほどが五日市憲法のコーナーに充てられていた。コーナーの入り口には草案原文のコピーと現代語訳が対比されており、204条からなる膨大なものなので国民の権利に関する部分だけを読んでみて、その内容が進歩的であることを実感した。奥の方には草案者である千葉卓三郎の人となりや草案作成の歴史的背景の解説文の外、草案が発見された深沢家についての史料も展示されていた。郷土館を出て五日市駅に戻る途中でちょっと寄り道して、草案の記念碑にも立ち寄った。草案が発見された深沢家屋敷跡まで行けば完璧になるのだが、公共の乗り物もなく歩くと往復で二時間近くかかりそうなので、今回は割愛することにした。
五日市憲法が世に広く知られるようになったのは5年ほど前に天皇皇后がこの地を訪れ、皇后が「感銘を受けた」とのコメントを出されてからである。時あたかも第二次安倍内閣が発足して、今の憲法を「みっともない憲法」と蔑んで憲法をないがしろにする態度を鮮明にしだしたことに危機意識を感じられた天皇が政治的中立を義務付けられているご自分の立場を配慮して、皇后の感想という形での精一杯の抵抗を行われたのだと思われる。天皇の意向に背く安倍晋三は世が世なら不敬罪で逮捕されてしかるべきだろう。
戦前への回帰を目指す日本会議を筆頭とする改憲論者はその理由のひとつとしてGHQの「押し付け」憲法であることを主張するが、これは史実に反するのである。何故ならばGHQ は日本政府に渡す憲法原案を作成するに際しては、鈴木安蔵らの在野の研究家による草案を手本にしたと言われているが、鈴木安蔵は自由民権運動以来の憲法論議の集大成として草案を作成したわけであり、日本国民の長年にわたる憲法論議の結晶が現行憲法に集約されているといってよいであろう。それ故に「押し付け憲法」という主張は全く当たらないのである。そして鈴木安蔵自身は五日市憲法自体は読んでないかもしれないが、五日市憲法の基本精神は当時の自由民権運動家に共有さるていたものであると思われるので、五日市憲法の基本精神は現行憲法に引き継がれているといって差し支えないだろう。
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コメント
憲法9条はどうなんじゃヴォケ!
投稿: 日本平和ボケ者山岳連盟 | 2017年11月18日 (土) 21時06分
たしかに五日市憲法には平和主義に通じるものはありませんが、自由民権の時代にそれを求めるのは無い物ねだりです。もっと歴史を勉強してからコメントしなさい
投稿: vibram | 2017年11月19日 (日) 07時33分