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2018年1月

2018年1月31日 (水)

辺野古座り込みと名護市長選応援

与那国島から飛行機とバスを乗り継いで半日がかりで沖縄本島の名護に移動し、旅の最後の2日間を辺野古座り込みと名護市長選応援に充てる。

 

ホテルを暗いうちから抜け出して辺野古ゲート前に向かうが、市長選の応援に行っている人が多いせいか、座り込み参加者は数十名と少なめである。

 

9時前に工事関係の搬入トラックが次々とゲート前に到着する。以前は最初に機動隊が出場して、座り込みを排除してから工事車両がきていたものだが、座り込み参加者が少なく排除に時間はかからないと舐められてしまったのだろうか?その通りにあっというまに排除されて、例のオリの中に閉じ込められて、工事車両が基地の中に次々と入っていく。

 

搬入は午後にも2回ほどあるようだが、オリから解放されるとすぐにバス停に移動し、名護市の稲嶺事務所に向かうことにする。

 

事務所に飛び入りで選挙ボランティアを申し出るが、団体でないと受付は難しそうだだったので、たまたま事務所前にいた団体の練り歩きに飛び入りで参加させてもらうことにした。練り歩きというのは、東京ではあまり見られないが、沖縄では一般的な選挙運動のようで、ある程度の人数で幟りやプラカードを持って、候補者の政策や氏名を連呼しながら街中を練り歩くというものである(そう言えば宜野湾市長選の時もやった記憶がある)。

 

練り歩きをしながら出会う運動員は稲嶺候補側の者ばかりだし、市民の反応も良好で勝利間違いないとの感触を得たが、辺野古新基地建設反対という沖縄の民意を政府に見せつけるには、ただ勝つだけでは足りず圧勝しなければならないのだ。

 

午後も別の団体に入れてもらって練り歩きをしたが、3時過ぎに離脱してホテルに戻る。というのはホテルで自転車を借りて名護市を付け根とする半島を一周するつもりなのだ。沖縄本島をこまぎれながら人力(徒歩、ランニングまたは自転車)で一周した際にも、時間が足りなかったため半島の先端には行かずに付け根を横断するだけだったので、今回一周しておこうと思っていたのだ。もっとも、家内と一緒に美ら海水族館を訪れた際にバスでなら半島を一周しているが、あくまで人力に拘っているのだ。

 

半島一周50キロ弱のコースだが、名護まで15キロまできたところで「事件」は起きた。チェーンがギアの溝にはまってしまってペダルをふめなくなってしまったのだ。なんてか直そうとしたが、工具なしでは無理と判断して、自転車をホテルまで引いて帰ることにした。長い々々行程だった。ホテルに着いたときはさすがにホッとした。2018021309220100

 

 

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2018年1月29日 (月)

八重山列島の旅

八重山列島は宮古列島及び尖閣諸島とともに先島諸島を構成し(尖閣諸島は中国も領有権を主張しているため、先島諸島から外す説もあり)、南西諸島とも呼ばれて地理的には台湾に近い地域である。八重山列島の中心をなす石垣島に行こうと考えたのは数年前に各都道府県の最高峰の登頂を思い立って、沖縄県の最高峰が意外なことに本島ではなく、石垣島にある於茂登岳であることを知ってからである。さらには、せっかく石垣島まで行くのであれば、日本最南端の碑のある波照間島と日本最西端の碑のある与那国島まで足を伸ばし、既に行っている最北端の宗谷岬と最東端の納沙布岬と併せて東西南北の全ての橋まで踏破しておこうと欲張りな計画を立ててしまった。

石垣島及び波照間島の3日間は家内も同行しての旅となるので余裕をもった行程として、初日は夕方に石垣のホテルに着いて、近くの鍾乳洞を観光するだけにとどめる。その名も石垣鍾乳洞というだけあって、石垣島にいくつかある鍾乳洞の中では最大で、日本全体でも規模的には7番目ということであったが、それほどの迫力は感じられなかった。その晩はホテル近くの居酒屋で地元の料理に舌鼓を打つ。

翌日は波照間島観光がメインとなるので、朝食後に離島ターミナルに向かう。受付で帰りの便は欠航になるかもしれないと言われる。まあ万一の場合の責任回避策なんだろうが、最悪の場合はやむを得ないと腹を決める。

行きの便は多少は揺れたものの、定刻より10分遅れただけで波照間島に着くことができた。予約してあったレンタサイクルに乗って島内一周に向かう。今回は自転車の遠出に慣れていない家内のために電動サイクルを予約したが、初めて電動サイクルに乗ってみて、こんなに坂道が楽になるとは知らなかった。もっとも充電や重量の問題で、輪行や遠出の際に利用するのは無理だろうが。

出発してニシ浜への分岐点にすぐ着いたが、美しいビーチだと聞いていたので寄り道をする。噂にたがわず美しい浜辺であった。観光客がほとんどいない所も良い。

その後は道沿いに進んで行くと、知らないうちに島の南側に出てしまい、最南端の碑はすぐである。さすがに波照間島の最大の名所であるだけに観光客も何人かは見られた。ここより、南には日本の有人の島はないのだと思うと感慨深いものがある(冬に徒歩で北海道縦断をして宗谷岬に辿り着いた時ほどの感激はないが)。

ここまで来れば、島内一周も半ば終わったようなもので、もう一頑張りで出発点の波照間港に着く。港の食堂はお休みだったので、少し戻ったところにありお店でカレーライスを食べる(本当は島名物のヤギ汁を食べたかったんだけど、残念ながらメニューにはなかった)

欠航を心配した帰りの便は定刻どおりに出発したが、行きよりもかなり小さいフェリーだったため、外洋を走る前半はジェットコースターのように揺れて、乗り物に弱い家内は完全にグロッキーになってしまった。島陰を縫う後半はだいぶ揺れもおさまったが、家内の体調は戻らなかった。ただ、潮流に乗ったせいか、帰りは行きの3分の2ほどの時間で着いてしまったのには驚いた。

石垣島に戻って家内はホテルで静養することになったが、私は今回訪問の最大の目的である沖縄県最高峰の於茂登岳登頂に向かう。当初は登山口まで自転車をレンタルして行くつもりだったが、気が変わって行きはタクシー、帰りは元気ならばランニング、そうでなければタクシーを電話で呼ぶという方針になった。

今回の於茂登岳登山で一番留意したのはハブ対策であった。ハブの毒は本土にいるマムシよりも弱いらしいが、攻撃性が強いので危険度は高いらしい。因みに本土にに棲息しているヤマカカマシの毒性はマムシよりもさらに強いらしいが、攻撃性が弱くて事故例も少ないので、無毒と誤解されているむきもあるようだが、毒性が非常に強いことは留意すべきことである。

そんなわけで今回は万一ハブに噛まれても被害を最小限にとどめるために、膝までの靴下とその上からは古いオーバーシューズを履き、手には皮の手袋をはめて、さらには1メートル以上の棒で下草を叩きながら露払いをしていく(ハブが前方に飛びかかるのは1.5メートル以内らしい)という念入りなものであった。
登山開始したのは3時半と遅かったので、誰にも会わないだろうと思ってたら、暗に反して2パーティにも会ったのは、さすがに沖縄県最高峰のことはある。道は冬にもかかわらず草が生い茂っていて、その間からハブが飛び出してくる恐怖(温暖地に棲息するハブは冬眠しないらしい)は登山口に戻ってくるまでぬぐい去ることはできなかった。

海が見渡せる山頂には5時に着き、証拠写真を撮ってから下山を開始、途中、1パーティーを抜いて6時に登山口に降りてホッとする。そこからジョギングで県道を目指すが、さきほど追い抜いたパーティーの乗った車にすぐに追い越される。それでも30分ほどで県道に合流するが、まだ元気だったのでタクシーは呼ばずにジョギングでホテルまで頑張ることにする。ところが、下り坂だったのは県道に合流するまでで、そこから先は結構上り坂があったりして、ホテルまでの約11キロに2時間近くかかってしまった。後半あたりから空車のタクシーにも何回かは出会ったが、意地になってホテルまで走り(歩き?)通した。沿道には自衛隊配備に伴う基地反対ののぼりや旗が立てられていたが、別の場所には基地建設推進のものも見られた。太平洋戦争中に悲惨な上陸戦がなかった石垣島では戦争に対する考えにも沖縄本島とは違いがあるのかもしれない。

その晩は、船酔いからまだ完全に回復しておらず体調が万全でない家内にも付き合ってもらって焼肉屋に行き、石垣牛と生ビールで無事登頂を祝う。

最終日は石垣島の最大の観光地である川平公園でグラスボートに乗って、魚や珊瑚を見るつもりであったが、想定外の出来事に出くわした。なんとこの日に石垣島マラソンが行われてコース沿いに交通規制が行われることだった。当初予定していたバスターミナル8時半発のバスは交通規制の始まる8時50分には出発時にはひっかからないが、渋滞如何では途中で規制にかかる恐れがあるため、一本前の7時10分発で行くことにした。幸い、出場選手のためにホテルの朝食開始時間も1時間繰り上がって6時となったので、食事も摂ることができた。

川平公園に着いたのはグラスボートの営業時間の1時間前でどうしたものかと思ったか、団体客の臨時便が間もなく出るということで、それに便乗させてもらうことで時間を無駄にせずにすんだ。グラスボートは以前にも紀伊白浜で経験しているが、30分の見学はそれなりに楽しめた。

その後に空港に向かい、昼前には着いたが、フライトまではかなりの時間があったので、一日券を買っていることでもあり、予定していなかったこともあり、石垣島の北部まっ足を伸ばすことにした。

北部行きのバスは交通規制の影響で10分ほど遅れて到着し、出発直後にマラソンコースを横切る所でランナー待ちでしばらく停車したが、レースのことを知っていれば、エントリーしたのになあと少し悔しい気もした。

終点のちょっと手前で下車しておりたったビーチは、この時期は観光客もいないしずかな所だった。ここはボルダリングの対象にもなっているということで、岩にもさわってみたが、沖縄地方特有のガビガビの岩で、テーピングなしでは痛くてとても登れるものではなかった。

空港に戻り、遅い昼食を摂ってから、帰京する家内を見送り、与那国行きの飛行機を待っ。与那国空港は天候不良で着陸出来ずに引き返すかもしれないと言われたが、なんとか無事に着陸できた。迎えの車で民宿に行き、しばらくしてから夕食を食べに町に出掛けるが、2軒ある居酒屋のうち、一軒は休みでもう一軒は満席のために食事にはありつけず、食料品店で酒とつまみを買って民宿で無事に与那国島到着の祝杯?を上げた。

翌朝は暗いうちから起き出して西崎という半島の突端にある最西端の碑に向かう。次第に夜は明けてきたが、風が強くて前進するのが困難なほどであった。一刻も早くその場を立ち去りたかったので、写真を撮るや否や来た道を戻る。

しばらく進むと場違いな立派な建物が見えてくる。陸上自衛隊の駐屯地で、アメリカの対中戦略に組み込まれた自衛隊の南西諸島配備の一環であるが、住民投票で基地受け入れが多数となってしまった結果だけにやむをえないのかもしれないが、馬が草を食むのどかな地に戦禍が及ぶことがないようにと願うばかりである。

次の集落の比川から進路を北に取って峠越えをして民宿に戻るのであるが、比川の先にドラマの「コトー診療所」のロケ地があるとのことなので寄ってみようと思ったが、判らずじまいであった。まあドラマは見ていないし、なんの思い入れもないんでいいんだけど。

峠道を登っていると、山の上に沿岸監視施設が見えてくる。与那国島の軍事要塞化は着々と進んでいるように見える。

峠を越えるとゆるやかな下りで与那国空港に沿って走る道に出て、後は道なりに行けば民宿に辿り着く。約20キロを3時間かけての朝のジョギングだった。民宿からは車で空港まで送ってもらい、那覇行きのプロベラ機に乗り込めば、今回の八重山列島の旅もピリオドである。2018012922335600

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2018年1月15日 (月)

雁ケ腹摺山

雁ケ腹摺山という奇妙な名前の由来は、雁が山を越える時に腹が地面に擦れるくらい地上すれすれにする様から名付けられたものである。大月近辺には三つの雁ケ腹摺と名付けられた山があり、そのうち笹子雁ケ腹摺山は昨年登ったのだが、その後に今回の山に挑んだものの、アプローチがあまりにも長かったために途中で断念したので、今回はそのリベンジである。

大月駅からはしばらくは国道を進んでから雁ケ腹摺山の登山口である大峠に登る道に分岐する。いきなりの急登である。なにしろ分岐点から大峠までの水平距離は16キロだが、標高差は1200メートルあるので、平均の勾配率は8パーセント近くにもなる。

大峠までの行程の3分の1くらいのところまでは路線バスが通じているが、ここから大峠まで歩いて雁ケ腹摺山に登頂するのはなかなかたいへんだろう。ほとんどの人は大峠まで車で行って、そこから山頂をピストンするのだろうが、冬の間は途中で通行止めになっていることが多いので、この時期は自転車が唯一のアプローチ手段かもしれない。

案の定、すぐ先でゲートが閉まっていたが、自転車が通れるスペースはあったので、そのまま自転車で進んでいく。しばらくして携帯は圏外となってGPS地図は利用できなくなる。タブレットのオフライン地図を取り出すのも面倒なため、腕時計の高度計で大峠までどのくらい近づいたかを判断する。

自転車を降りなければいけないほどの急坂はなかったので助かったが、時間はかなりかかって予定時間をかなり過ぎて2時に大峠に着く。休むまもなく雁ケ腹摺山を目指して歩き出す。ところがすぐに上から二人連れが降りてくるではないか。ゲートの下の駐車場に車を停めて歩いて登ってきたのだろうか

頂上まではさほど時間もかからず到達し、前回のリベンジを果たす。山頂からは富士山か真正面に見える。ここからの富士山は最近は見かけなくなった500円札のモデルだそうである。

下りはあっというまに大峠に着き、自転車に乗り変えて大月に向かって下る。先ほどの二人連れが駐車場に着く前に追い付こうと急ぐが、とうとう追い付けずに駐車場に着いてしまい、車で帰ってしまったのかと、少し残念に思う。ところか、バス停近くまで降りてくると前方にさきほどの二人連れが歩いているではないか。バス停から雁ケ腹摺山を目指す人がいるなんて、ちょっとした驚きであった。

彼らに敬意を表して挨拶をしてから追い抜いて大月駅に向かう。なんとか暗くなる前に駅に着き帰宅の途に着くことができた。
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2018011517110101500円札のモデル


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2018年1月13日 (土)

青梅マラソンコース試走+むかし道ジョグ

約一ヶ月後に迫った青梅マラソンに備えてコースの試走を行う。コース自体は数え切れないほど走っているので、いまさら試走する必要もないといえばそうなのであるが、まあ走るモチベーション作りのためと言った方が正しいかもしれない。

結構大勢のランナーが走っていて抜かれっぱなしになるが、今日はタイムは度外視しているので、これでよいのだ。やがて青梅30キロの折り返し点に着くが、そのまま走り続ける。というのは、年末に行った雲取山の帰りに寄り損ねた「むかし道」をトレースするために、このまま奥多摩まで走り続けなければならないからである。さすがにここまで走ってくるランナーはいないのでマイペースで進める。

奥多摩駅近くのコンビニで腹ごしらえをしてから青梅街道の旧道であるむかし道に入る。いきなりの急坂で歩きとなるが、傾斜が落ちたあたりからジョギングに切り替える。一ヶ所だけ上に登りすぎたため戻った以外は迷うような所はない。

むかし道にはボルダリングできる岩場があると聞いていたが、通った道の近くには下の写真くらいしか見当たらない。脇に入った所にでもあるのだろうか?
やがて小河内ダムが見えてくると、むかし道もゴールが間近となる。年末に雲取山から降りてきた水根も目と鼻の先であるが、バスの時間が迫ってきたので、ショートカットして国道に降りて奥多摩駅行きのバスに乗り込んだ。

本日の走った全距離は約30キロ、スピードは全く出てないが、とにかく距離だけを稼ぐという目的はなんとか果たすことができた。

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2018年1月 8日 (月)

赤岳展望荘

八が岳は冬季を中心にほとんどのところを経験しているが、主峰赤岳山頂直下の赤岳展望荘の宿泊は数年前に計画しながら同行者のアクシデントのために断念せざるを得なかったので、今回、昔の山仲間と一緒に出掛けてみることにした。

 

初日は午後から天気が崩れる予報だったので、地蔵尾根経由で小屋に行くだけとしてゆっくりと出発とする。北沢南沢分岐点でアイゼンを着けて南沢を進むか、よく踏まれた道が続きアイゼンなしの方が歩きやすそうだったのですぐにアイゼンを外してしまう。

 

しばらく登りが続いて横岳西壁が現れると行者小屋は近い。行者小屋からは急な地蔵尾根を行くので再びアイゼンを着けてビッケルもザックから外す。地蔵尾根は下りに利用したことはあるが、登りは初めてである。これほど急峻な登りとは思わなかった。普段使わない筋肉を酷使するので、ふくろはぎを中心に足の疲労が激しい。小屋が間近に見えてきた時は正直ホッとした。

 

今までの冬の八ヶ岳はテント泊がほとんどだったが、小屋泊まりは実に快適である。暖かく濡れた物を乾かすこともできるし、雪を溶かして水を作る面倒もなく、バイキングの食事も美味しい。もう冬山はテント泊に戻ることはないだろう。

 

夕食の時間を挟んで談話室では隣あった新潟からやって来たパーティーと一緒に大宴会となって夜は更けていった。

 

翌朝は天気は回復したが、風が強かったので赤岳山頂に向けて出発時間が8時半と遅くなってしまった。頂上に近づくにつれて風もますます強まり難渋したが、1時間ほどで頂上に着くと360度の大展望が待っていた。

 

頂上は寒かったが、まわりの写真を撮るためにしばらく滞在してから下降する。慎重に下って小屋に置いてあった荷物を回収してから地蔵尾根を下る。

 

行者小屋から中山乗越を経て赤岳鉱泉に移る。アイスキャンディでアイスクライミングをしている人を眺める。赤岳山頂に行くのが初日から二日目に変わってしまったため、我々にはアイスクライミングを楽しむ時間はための時間は残されてなかったので、残念ながら今回は見物するだけにとどめて美濃戸に下ることにした。

 

駐車場まではたいした距離ではないのだが実に長く感じ、3時頃に駐車場に着いた時はかなり疲れてしまった。時間的にはその日中に帰京できるのだが、甲府北方の湯村温泉に宿泊して旅の疲れをとることにした。
2018010811143401夜明け前の富士山

 

2018010811143400奥秩父連峰からの日の出

 

2018010811143301朝焼けの赤岳

 

2018010811143300赤岳山頂

 

2018010811143200横岳へ続く稜線と奥に聳える浅間山

 

 

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2018年1月 1日 (月)

2017年の最後の日に標高2017メートルの山を登る

雲取山は標高が2017メートルあって東京都の最高峰であるが、標高が今年の西暦と同一ということもあって今年は登りに行く人が多いようだ。若い時はよく登った山であるが、最近はご無沙汰しているので、せっかくだから年内中に登ろうと思い立って、最終日にようやく登ることができた。

 

入山経路はいろいろあって奥多摩湖畔の鴨沢からが一般的であるが、東京の夜景と御来光を撮影したかったので頂上の避難小屋に宿泊するとなると三峰神社からが一番便利である。三峰神社のスタートは2時近くと遅めになったが、道は明瞭なのでライトを着ければ夜道でも問題ないと思ったからである。

 

この時間となると降りる人ばかりで登るのは自分だけかと思ったら、夕方にアジア系の外人コンビに追い越される。彼らはどこまで行くのだろうと思ったら、暗くなって白岩小屋に着くと、彼らが小屋の横に立っている。小屋は営業してないようなので、テントを張るつもりなのだろうか?自分の目的地は曇取山頂なので、まだまだ先は長い。

 

白岩の登りで道が氷化している箇所が現れアイゼンなしで登るのは神経が疲れたので、白岩の頂上でアイゼンを着けることにした。ところが下り始めると、雪が全くなくなり、アイゼンは邪魔物以外のなにものてもなくなったが、また雪が現れるといけないと考え、歩きにくいが我慢してアイゼンのまま下り続けた。鷹下駄をはいて砂利道を歩いているようなもので、転倒のリスクもあふので、時間は気にせずに一歩一歩慎重に歩いていく。

 

曇取山頂に向けての最後の登りにかかるとまた雪が現れアイゼンが威力を発揮する。山頂では東京方面の夜景が見事で写真を撮りたかったが、時間も9時を回っていて早く小屋に入りたかったので、翌朝ご来光の写真を撮る前の暗い時間に夜景を撮ればいいと、その時は考えた。

 

小屋に入ってみて驚いた。小屋には10人近くの人が既に寝込んでいた。何度も泊まった小屋だが、こんなに大勢が泊まっているのを見たのは初めてである。手早く食事の支度を済ませて、日付が変わる前には寝付くことができた。

 

翌朝暗いうちから外に出てみると、星空は消え東京方面の夜景も見えなくなっている。この分ではご来光も望めないので、朝食を済ませると暗いうちから下山に移る。

 

最短の下山路は七石山の手前から鴨沢に下る道であるが、今回は七石山、鷹ノ巣山までは忠実に石尾根を下り、そこから水根に向けて急な下りを進む。実は水根から奥多摩駅までは青梅街道の旧道であるむかし道を通っていくつもりだったのだ。水根に着いたのは2時過ぎだったが、むかし道は10キロちょっとあり、疲れきみでもあったので、むかし道はまたの機会に訪れることにした。
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