八重山列島の旅
八重山列島は宮古列島及び尖閣諸島とともに先島諸島を構成し(尖閣諸島は中国も領有権を主張しているため、先島諸島から外す説もあり)、南西諸島とも呼ばれて地理的には台湾に近い地域である。八重山列島の中心をなす石垣島に行こうと考えたのは数年前に各都道府県の最高峰の登頂を思い立って、沖縄県の最高峰が意外なことに本島ではなく、石垣島にある於茂登岳であることを知ってからである。さらには、せっかく石垣島まで行くのであれば、日本最南端の碑のある波照間島と日本最西端の碑のある与那国島まで足を伸ばし、既に行っている最北端の宗谷岬と最東端の納沙布岬と併せて東西南北の全ての橋まで踏破しておこうと欲張りな計画を立ててしまった。
石垣島及び波照間島の3日間は家内も同行しての旅となるので余裕をもった行程として、初日は夕方に石垣のホテルに着いて、近くの鍾乳洞を観光するだけにとどめる。その名も石垣鍾乳洞というだけあって、石垣島にいくつかある鍾乳洞の中では最大で、日本全体でも規模的には7番目ということであったが、それほどの迫力は感じられなかった。その晩はホテル近くの居酒屋で地元の料理に舌鼓を打つ。
翌日は波照間島観光がメインとなるので、朝食後に離島ターミナルに向かう。受付で帰りの便は欠航になるかもしれないと言われる。まあ万一の場合の責任回避策なんだろうが、最悪の場合はやむを得ないと腹を決める。
行きの便は多少は揺れたものの、定刻より10分遅れただけで波照間島に着くことができた。予約してあったレンタサイクルに乗って島内一周に向かう。今回は自転車の遠出に慣れていない家内のために電動サイクルを予約したが、初めて電動サイクルに乗ってみて、こんなに坂道が楽になるとは知らなかった。もっとも充電や重量の問題で、輪行や遠出の際に利用するのは無理だろうが。
出発してニシ浜への分岐点にすぐ着いたが、美しいビーチだと聞いていたので寄り道をする。噂にたがわず美しい浜辺であった。観光客がほとんどいない所も良い。
その後は道沿いに進んで行くと、知らないうちに島の南側に出てしまい、最南端の碑はすぐである。さすがに波照間島の最大の名所であるだけに観光客も何人かは見られた。ここより、南には日本の有人の島はないのだと思うと感慨深いものがある(冬に徒歩で北海道縦断をして宗谷岬に辿り着いた時ほどの感激はないが)。
ここまで来れば、島内一周も半ば終わったようなもので、もう一頑張りで出発点の波照間港に着く。港の食堂はお休みだったので、少し戻ったところにありお店でカレーライスを食べる(本当は島名物のヤギ汁を食べたかったんだけど、残念ながらメニューにはなかった)
欠航を心配した帰りの便は定刻どおりに出発したが、行きよりもかなり小さいフェリーだったため、外洋を走る前半はジェットコースターのように揺れて、乗り物に弱い家内は完全にグロッキーになってしまった。島陰を縫う後半はだいぶ揺れもおさまったが、家内の体調は戻らなかった。ただ、潮流に乗ったせいか、帰りは行きの3分の2ほどの時間で着いてしまったのには驚いた。
石垣島に戻って家内はホテルで静養することになったが、私は今回訪問の最大の目的である沖縄県最高峰の於茂登岳登頂に向かう。当初は登山口まで自転車をレンタルして行くつもりだったが、気が変わって行きはタクシー、帰りは元気ならばランニング、そうでなければタクシーを電話で呼ぶという方針になった。
今回の於茂登岳登山で一番留意したのはハブ対策であった。ハブの毒は本土にいるマムシよりも弱いらしいが、攻撃性が強いので危険度は高いらしい。因みに本土にに棲息しているヤマカカマシの毒性はマムシよりもさらに強いらしいが、攻撃性が弱くて事故例も少ないので、無毒と誤解されているむきもあるようだが、毒性が非常に強いことは留意すべきことである。
そんなわけで今回は万一ハブに噛まれても被害を最小限にとどめるために、膝までの靴下とその上からは古いオーバーシューズを履き、手には皮の手袋をはめて、さらには1メートル以上の棒で下草を叩きながら露払いをしていく(ハブが前方に飛びかかるのは1.5メートル以内らしい)という念入りなものであった。
登山開始したのは3時半と遅かったので、誰にも会わないだろうと思ってたら、暗に反して2パーティにも会ったのは、さすがに沖縄県最高峰のことはある。道は冬にもかかわらず草が生い茂っていて、その間からハブが飛び出してくる恐怖(温暖地に棲息するハブは冬眠しないらしい)は登山口に戻ってくるまでぬぐい去ることはできなかった。
海が見渡せる山頂には5時に着き、証拠写真を撮ってから下山を開始、途中、1パーティーを抜いて6時に登山口に降りてホッとする。そこからジョギングで県道を目指すが、さきほど追い抜いたパーティーの乗った車にすぐに追い越される。それでも30分ほどで県道に合流するが、まだ元気だったのでタクシーは呼ばずにジョギングでホテルまで頑張ることにする。ところが、下り坂だったのは県道に合流するまでで、そこから先は結構上り坂があったりして、ホテルまでの約11キロに2時間近くかかってしまった。後半あたりから空車のタクシーにも何回かは出会ったが、意地になってホテルまで走り(歩き?)通した。沿道には自衛隊配備に伴う基地反対ののぼりや旗が立てられていたが、別の場所には基地建設推進のものも見られた。太平洋戦争中に悲惨な上陸戦がなかった石垣島では戦争に対する考えにも沖縄本島とは違いがあるのかもしれない。
その晩は、船酔いからまだ完全に回復しておらず体調が万全でない家内にも付き合ってもらって焼肉屋に行き、石垣牛と生ビールで無事登頂を祝う。
最終日は石垣島の最大の観光地である川平公園でグラスボートに乗って、魚や珊瑚を見るつもりであったが、想定外の出来事に出くわした。なんとこの日に石垣島マラソンが行われてコース沿いに交通規制が行われることだった。当初予定していたバスターミナル8時半発のバスは交通規制の始まる8時50分には出発時にはひっかからないが、渋滞如何では途中で規制にかかる恐れがあるため、一本前の7時10分発で行くことにした。幸い、出場選手のためにホテルの朝食開始時間も1時間繰り上がって6時となったので、食事も摂ることができた。
川平公園に着いたのはグラスボートの営業時間の1時間前でどうしたものかと思ったか、団体客の臨時便が間もなく出るということで、それに便乗させてもらうことで時間を無駄にせずにすんだ。グラスボートは以前にも紀伊白浜で経験しているが、30分の見学はそれなりに楽しめた。
その後に空港に向かい、昼前には着いたが、フライトまではかなりの時間があったので、一日券を買っていることでもあり、予定していなかったこともあり、石垣島の北部まっ足を伸ばすことにした。
北部行きのバスは交通規制の影響で10分ほど遅れて到着し、出発直後にマラソンコースを横切る所でランナー待ちでしばらく停車したが、レースのことを知っていれば、エントリーしたのになあと少し悔しい気もした。
終点のちょっと手前で下車しておりたったビーチは、この時期は観光客もいないしずかな所だった。ここはボルダリングの対象にもなっているということで、岩にもさわってみたが、沖縄地方特有のガビガビの岩で、テーピングなしでは痛くてとても登れるものではなかった。
空港に戻り、遅い昼食を摂ってから、帰京する家内を見送り、与那国行きの飛行機を待っ。与那国空港は天候不良で着陸出来ずに引き返すかもしれないと言われたが、なんとか無事に着陸できた。迎えの車で民宿に行き、しばらくしてから夕食を食べに町に出掛けるが、2軒ある居酒屋のうち、一軒は休みでもう一軒は満席のために食事にはありつけず、食料品店で酒とつまみを買って民宿で無事に与那国島到着の祝杯?を上げた。
翌朝は暗いうちから起き出して西崎という半島の突端にある最西端の碑に向かう。次第に夜は明けてきたが、風が強くて前進するのが困難なほどであった。一刻も早くその場を立ち去りたかったので、写真を撮るや否や来た道を戻る。
しばらく進むと場違いな立派な建物が見えてくる。陸上自衛隊の駐屯地で、アメリカの対中戦略に組み込まれた自衛隊の南西諸島配備の一環であるが、住民投票で基地受け入れが多数となってしまった結果だけにやむをえないのかもしれないが、馬が草を食むのどかな地に戦禍が及ぶことがないようにと願うばかりである。
次の集落の比川から進路を北に取って峠越えをして民宿に戻るのであるが、比川の先にドラマの「コトー診療所」のロケ地があるとのことなので寄ってみようと思ったが、判らずじまいであった。まあドラマは見ていないし、なんの思い入れもないんでいいんだけど。
峠道を登っていると、山の上に沿岸監視施設が見えてくる。与那国島の軍事要塞化は着々と進んでいるように見える。
峠を越えるとゆるやかな下りで与那国空港に沿って走る道に出て、後は道なりに行けば民宿に辿り着く。約20キロを3時間かけての朝のジョギングだった。民宿からは車で空港まで送ってもらい、那覇行きのプロベラ機に乗り込めば、今回の八重山列島の旅もピリオドである。
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