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2018年3月

2018年3月25日 (日)

若狭・琵琶湖周遊最終目

あっという間に最終日となってしまった。今日は三十三番札所にいくだけなのでゆっくりと出発する。数回の乗換で大垣に着き樽見鉄道に乗り換えて札所最寄り駅の谷汲口に向かうのだが、待ち時間がかなりあるため未乗車である東海道線の支線の美濃赤坂行きの路線を往復しておく。大垣駅に戻ってもまだ待ち時間が1時間ちょっとあるので、少し早いが昼食を摂っておく。
樽見線には自転車が故障しているため、大垣駅に置いて乗り込む。帰りは遠回りだが未乗車の養老鉄道の北半分(桑名までの南半分は乗車済)経由にしたいので大垣駅に置かざるをえないのだ。

今回は三十三番札所の谷汲山を経て養老線の揖斐駅までは自転車で行くつもりだったのでバスの便は全然調べておらず、全行程15キロ4時間近くの歩きは覚悟していた。ところが、谷汲口の駅前にはバスが停まって待っており、谷汲山から揖斐駅行きのバスもあるという。なにやらテレビでやっている「路線バスの旅」めいてきたようだ。

谷汲山は三十三ヵ所満願の札所であるだけに参道の両側にはお店が立ち並び、大勢の参拝客で賑わっていた。山門を潜ってまっすぐに本堂に向かい、西国三十三ヵ所巡礼の最後となるお参りをし、一番からのお遍路に思いを馳せながら寺を辞す。

コミュニティバスで揖斐駅に着き養老線に乗り込むが、日本では珍しい自転車をそのまま持ち込めるサイクルトレインであった。そんな時に限って自転車を携行していないのは皮肉なものである。

大垣に戻ったのはまだ4時前で、18切符でも今日中に帰れる時間だったが、輪行しながら何度も乗り換えるのは大変だし、せっかくムーンライトながらの指定席もとったことだしと、大垣城や松尾芭蕉の記念碑を訪ねることにした。前者は関ヶ原の決戦前日まで石田三成らの西軍主力が立てこもったところであるし、後者は芭蕉が奥の細道で江戸を出発した旅の終焉の地が大垣であることを記念したものである。いずれも良く知っていることばかりなので目新しいことはなかったが、駅への帰り道をお堀沿いの遊歩道を通っていくと、タイムマシーンに乗ったような錯覚に襲われ、街の風情を感じながら旅することができた。

南紀那智の一番から数年かけて三十三番札所までの参拝を達成したが、今年が西国三十三番札所の開創1300年だそうで記念の年に達成できてなによりだった。そういえば四国の八十八番札所も開創1300年の年に終えることができたっけ・・・。これらに既に終えている東国三十三番札所、秩父三十四番札所を加えると188番というゲンのいい数字になるそうだが、まあスタンプラリーが終わったくらいの気分であり(もっともスタンプならぬご朱印も押してもらわずじまいだったが)、悟りの境地とは程遠く煩悩からはなかなかぬけだせそうもないようである。
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2018年3月24日 (土)

若狭・琵琶湖周遊四日目

自転車走行ができないので、JRで今日の宿のある近江今津に向かう。自転車で琵琶湖周遊するつもりが、大部分がJRとなってしまったが、まあいいか。

 

宿に向かう前に竹生島への観光船乗り場に向かう。長浜から30番札所に参拝すれば順番通りになるのだが、素通りしてしまったので順番が逆になるけれど先に参拝を済ませておくことにした。

 

往復乗船券と入山料で約三千円と西国三十三札所の中で一番費用のかかる札所だ。なんか観光客目当ての札所のような気がするなあ。雪をいただいた伊吹山をな眺めならの湖上の遊覧は楽しいのだが

 

竹生島に着いてから帰りの便まで75分もあるので、参拝後もゆっくりできる。いつもの慌ただしい札所巡りとは一風変わった経験だった。

 

今津に戻りホテルに向かう。3時前にチェックインするなどということは滅多にないことである。おまけにホテルも皇太子夫妻がとまったことのある所だそうで場違い続きの1日だった。
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若狭・琵琶湖周遊三日目

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今日はそれほどきつい行程ではないと思ってゆっくり出発するが、宛が外れてしまう。32番札所の観世寺は急峻な登りが300メートル以上続き、もちろん自転車は置いて行ったが、思った以上に時間がかかってしまった。近くの安土城にも立ちよったが、こちらも結構な登りであった。
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31番札所の長命寺に向かう途中で自転車が不調となり、自転車屋に見てもらうが、すぐにはなおらないということで、琵琶湖1周は断念する。後は西国三十三ヵ所を終わらせることと湖西線を乗車することだけに目標を絞ることにした。

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2018年3月22日 (木)

若狭・琵琶湖周遊二日目

二度寝をしてしまい始発時間の20分前に目覚め、ダッシュして辛うじて始発に間に合う。約一時間半乗車で青郷に戻りツーリングを再開する。まずは高浜原発を目指す。

原発が近づけば「再稼働反対」のハリガミ等が現れるかなと思ったが、なにもないうちに原発前に着いてしまった。2基の原子炉は足場が組まれてなにやら工事中だった。事故につながるような不具合でなければよいが

続いて大飯原発に向かう。1週間前に再稼働したばかりで、反対派がいるのではと思ったが、警備員以外には誰もいなかった。

写真を撮っていると警備員が近づいてきて、「写真を撮らないように」と言うので、「再稼働反対」のプラカードを広げると、ややこしい事に捲き込まれたくないと思ったのか引き上げていった。ただトランシーバーで「再稼働反対」どうのこうのという声が聞こえてきたので、警察がやってきたりすると面倒なので、こちらも引き上げることにした。

若狭湾にはこの他にも美浜その他の原発があるが、それらは稼働してないので、パスして敦賀に向かうことにした。

午後から風雨が強くなって難渋したが、頑張って敦賀までツーリングを行い、その後は長浜まで電車で移動し、明日からは琵琶湖1周のツーリングに移る予定だ。
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2018年3月21日 (水)

若狭・琵琶湖周遊一日目

今回の旅の目的は盛り沢山である。列挙すると以下のようになる。
・西国三十三ヵ所札所巡礼の仕上げ(28番〜33番)
・琵琶湖一周ツーリング
・若狭湾周遊ツーリング(日本列島海岸線走破の一環)
・小浜線、湖西線、東海道線支線(大垣〜美濃赤坂)乗車(JR全線乗車の一環)
・若狭原発銀座視察と原発再稼働反対の抗議行動
・皆子山(京都府最高峰)登頂(全国都道府県最高峰登頂の一環)
・比叡山千日回峰の道の体験
・琵琶湖周辺の古戦場と城跡巡り

 

ざっとこんなものであるが、5日間で全部やろうというのだから忙しい。そのため5日間を有効に活用すべく、行き帰りはムーンライトながらの夜行列車を利用することにした。

 

ムーンライトながらは臨時運行で発売直後に完売となるため指定券の確保自体が難しいが、乗車1ヶ月にはなんとか確保する。その次に自転車を輪行するに際しては新幹線のようなスペースがないことがネックである。車両の最後尾席の後ろに置くのが合理的なのだが、着席済みの席の後ろに置くとイヤな顔をされかねないので、一番に乗り込んで着席前の最後尾席の後ろに置いてからデッキに出て、着席した人がリクライニングシートを倒しても大丈夫なことを確認して自分の席に移動する。

 

もうひとつやっかいなのは終点の大垣駅での米原方面への乗換時間が3分しかなく、隣のホームまで跨線橋で移動するのにダッシュしなければならないことである。以前にも経験済みであるが、その時は身軽だったのに対して今回は輪行なので、事前に跨線橋の場所を調べておいて、一番近い降車口から降りることにした。ここで乗換に失敗すると後の行程に大きく影響するので失敗は許されないのだ。事前の準備が功を奏してなんとか乗り換えには間に合った。米原までは30分ほどの乗車で、ここでまた乗換がある。大阪方面への乗換はまたダッシュが必要なようだが、今回は敦賀方面なので比較的余裕がある。

 

米原駅で朝食を摂ろうと思っていたのだが、ホーム上の売店は開いておらず、改札を出ても売店はない。ロータリーまで行けばあるかもしれないが、それだけの時間的余裕はないので、自販機で缶スープを買って北陸線に乗り込む。敦賀の乗換時間が短いので東舞鶴に9時半過ぎに着くまで絶食を強いられてしまった。

 

天橋立は自転車や125CC以下の単車は通行可能となっているので、往復だけなのだが自転車を組み立てる。舗装はされてないが、砂利道というより砂の道に近いので、ロードバイクのような細いタイヤでもパンクの心配はない。その代わり、砂がブレーキ部分にもいっぱいついてしまい、キーキーと不快な音を発するのが気になる。

 

対岸に着いてすぐに28番札所方面に向かうロープウェイの乗り場がある。歩いても大した距離ではないが、行程に余裕がないのでロープウェイ、バス往復と入山料とのセット券を買う。ロープウェイに乗った人はほとんどが終点の公園までしか行かず、展望台から天橋立を眺めるだけのようで、札所までのバスに乗ったのは他に一人だけだった。

 

札所には暗に反して結構参拝者がいたが、札所近くまでは自動車道路もあるようなので、多分そちらから参拝する人が多いのだろう。参拝後に駅に戻り、行きと同じ丹後鉄道に乗って西舞鶴に戻り、ここから若狭湾ツーリングを開始する。

 

雨が降り続いたことに加えてツーリング開始が3時半と遅くなってしまったこともあって、29番札所の松尾寺に行くだけで終わってしまった。敦賀の近くまで行くつもりだったのに、はるかに遠い所までしか行けなかった。明日また戻って今日の続きをやるので、最寄り駅に自転車をデポして敦賀のホテルに向かった。
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2018年3月13日 (火)

私のモバイル歴

愛用していたタブレットを不注意で水没させてしまい、すぐに拾い上げたものの直に起動しなくなったため、これでガラ携とタブレットの二刀流からスマホ1本に移行せざるをえないかと思ったのだが、ダメ元で一晩中充電しっぱなしにしておいたら、なんと元通りに回復してくれたのでビックリした。

タブレットとしては二代目だが、先代のソニーのエックスぺディアが使用中にGPSが効かなくなる不具合があった上に買って一年くらいで原因不明で動かなくなってしまっために買い替えたものである。手元から落下した際に地面を回転しながら路面にあたりまくったため変形して少し反り返ってしまったが、機能的には問題は生じなかったし、ズボンの後ろポケットに入れたまま座ったために液晶にヒビが入るなど、「虐待」されっぱなしでも頑張っている健気なタブレットである。中国製なのだが、「安かろう悪かろう」のイメージはもはや過去のものになってしまったのだろうか
考えてみれば私のモバイル機器との付き合いもずいぶんと長くなる。一番最初のモバイル機器は携帯することが拷問のように思えたLAPTOPだったが、実用的になったのはノートパソコンの走りである東芝のダイナブックからである。さらにパソコンとでは機能面は劣るが、携帯性を大きく向上させた本当の意味でのモバイル機器の登場である。HP社のLX100である。

時あたかもNECのPC98がバソコン市場を席巻している時代で日本語表示の特殊性が障壁となって外国メーカーは日本市場には参入できなかった。そこに登場したのがDOS/Vという技術で、これにより外国のPCでも日本語が表示できるようになりパソコン市場は様変わりとなったが、その技術を応用したDOS/Cが片手に持って操作できる100LXに搭載されて、メールから表計算まで可能な本当の意味でのモバイル機器の登場である。

その次に登場したのが、PALM−TOPという文字通り手のひらに収まるモバイル機器である。略字での手入力に慣れてしまえば使いやすいものであったが、アプリの充実が今一つだったのが難点だった。

さらにはウィンドウズの機能を制限したOSを搭載したモバイルWindows機が登場し、それなりに使いやすかったが、スマホの普及により淘汰されてしまった。

実は私もスマホに一度手を出したことはある。SIMフリー機に格安SIMを使用してお試しスマホを体験したのだが、電話機能、バッテリーの持ち、文字入力のしやすさで携帯電話の方が勝っているといぅ判断からガラ携てタブレットの二刀流になってしまったのである。今回、タブレットが復活したことにより、今しばらく二刀流が続きそうだが、いつかはスマホの軍門に下る日がくるだろうか?それとももっと進化したモバイル機に乗り換えているだろうか

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あの日から7年

震災から七年目のあの日がきた。例年は被災地に行っていることが多かったが、今年は東京にいて震災に関わることにした。まずは、参加費の一部が被災地支援に向けられる「震災復興支援ラン」のうち、皇居2周十キロに参加した。いつもは気恥ずかしくて着たことのない「原発反対」のロゴ入りのTシャツも今日ならばいいたろうと着てスタートする。先週の静岡マラソンのダメージの影響が心配だったが、快調に走ることができた。先週のフル十キロ通過時に感じたダメージは一体なんだったのだろう。完走後に参加賞の宮古産のドーナツを食べて現地に思いをはせた。

着替え後にお隣の日比谷公園に移り、公園内で開かれている震災関連のイベントを見て回る。塩釜の豚汁を食べてから福島の生の声や再生エネ普及に取り組んでいる人達のトークショーを聞く。このイベントに参加している人々が震災の記念日を、記憶を風化させない、復興支援に役立つことを考える日とだけ位置付けているのであれば全く不充分である。なぜならば津波によって多くの人命や財産が失われたことは、自然界の力に圧倒されたいわば国難とも呼べるものかもしれないが、福島原発事故は事前に十分な対策をとらなかったことによって生じた人災であり、その責任を明確にさせた上で過ちを繰り返さないためにはどうすべきかを考えかつ行動するのが3.11の正しい過ごし方ではないだろうか。
というわけで、日比谷公園から内幸町の東電ビル前に移動して、東電に対する抗議行動に参加した。

東電はその責任を満足に取らないばかりか、柏崎刈羽等の再稼働を策動していることはまったく許せないことである。とくに問題となるのは老朽化して廃炉目前の東海第二原発の改修費用について日本原電の債務保証を東電が行うとしていることである。改修された東海第二原発が規制委員会の審査をパスして再稼働でもする事態になれば、大きなリスク負わされることになる。なぜならは東海第二原発で福島並みの事故が起きれると東京は人が住めない街となり、首都機能は完全に失われてしまうからである。こんな重大な事態か進行しているにもかかわらずマスコミがほとんど報じないのが不可解であるが、それだけ原子力村がこの国を牛耳っているということだろう。東電の後は地下鉄を乗り継いで小川町に移り、日本原電の前で抗議集会を行って3‥11の活動は全て終わった。
 
盛りだくさんの1日だったが、これで終わりではない。3.11とは直接は関係ないが、私の地元で本日夜に開かれた9条改憲反対の「9条変えるな❗ 杉並市民アクション キックオク集会」に参加した。弁護士や市民活動家の講演の後、三千万人署名の推進と安倍政権打倒の行動強化が提起された。

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2018年3月 4日 (日)

静岡マラソンとその前後

5年ぶりとなるフルマラソンであるが、2週間前に走った青梅マラソンがゆっくりペースながら、比較的余裕をもって走れたので、今回も完走狙いならなんとかなるだろうとたかをくくっていた。。スタートが8時20分と早く、始発の新幹線でも間に合わないので、前日の土曜日から静岡近辺に宿泊しておかなければならない。土曜日は午前中から娘夫婦が孫を連れて遊びに来たので、夕方近くまで在宅でもよかったのだが、いろいろと欲張ってスケジュールをたててしまったので、昼食を済ませると、孫とのつらい別れをしなければならない。

 

まずは国会議事堂前に行き、毎月3日に作家の澤地久枝さんの呼び掛けで行われているスタンディングに参加する。スタンディングの際に掲げる「アベ政治を許さない」のポスターを書かれた詩人の金子さんが亡くなられたので、その追悼でも行うのかと思ったが、どうも前回からコールなしのサイレントスタンディングになってしまったようである。10分間、無言でボスターを掲げ続けるのもなかなかたいへんである。

 

スタンディングが終わると解散して三々五々散っていくのが通例なのだが、今日は参加者の多くが同じ方向に歩いていく。行き先は言わずと知れた財務省・国税庁の建物である。ウソつき佐川長官の責任を追及する2月16日の確定申告初日に続く2回目の抗議集会に参加するためである。約二千人の参加者があり、コールとメッセージの後に銀座方面のデモに移った。

 

デモ終了後、静岡方面に向かうが、東田子の浦で途中下車する。というのは、そこから三キロほど北の岳南江尾から東海道線の吉原駅までを繋いでいる岳南鉄道に乗車するためである。前から気になってはいたが、岳南江尾までのアプローチが歩く以外にないのがネックとなって乗らずじまいだったので、この際、良い機会だと乗ってみることにした。

 

吉原からはJRに乗車するが、静岡まで行かずに次の富士で下車してしまう。実は昔の山友達が富士に住んでいるので、久しぶりに会おうと思って早々と宿を確保したのだが、友人に連絡するのが遅かったのが災いして、先約があるとのことで会えないことになってしまった。そこで、慌てて宿泊先を静岡に変更しようと思ったのだが、静岡周辺のホテルはマラソン参加者のためか空室なしだったので、当初どおり富士に泊まらざるをえなくなったのである。静岡に比べて30分ほど早くホテルをでなくてはならなくなったが、そもそもレーススタートの3時間前には朝食を済ませておくのが理想とされているので、起床時間自体は変わらないことにはなる。

 

翌朝は暗いうちからホテルを出て駅に向かう。乗り込んだ列車はランナーでいっぱいでまるで専用列車のようだ。沼津方面から来る友人と車内で落ち合うことぬっていたが、混雑しているのでスタート地点付近で落ち合うことにした。

 

 

 

久しくフルマラソンを走ってないので後ろの方からのスタートとなり、スタート地点ははるか前方でスタート時間から10分ほどかかってようやく着くことができた。スタートしてしばらくは青梅同様に超スローペースで行き、足の関節が温まった五キロ過ぎからペースを上げていくのは青梅と同様てあったが、違うのは思ったようにペースが上がらず足の疲労がどんどんたまっていくことであった。10キロ通過時の足へのダメージは青梅30キロ終了時よりもはるかに大きく、ペースはどんどん落ちていった。さらに15キロを過ぎると太ももに痙攣が走りっぱなしになり、そのたびに立ち止まらざるをえないので完走は絶望的になった。なんとか中間点までは頑張ったが、22キロの関門でリタイアとなった。

 

収容バスに乗せられてゴールの清水に向かうが、レースとは別の道を行くので走り損ねたコースは見られないと思ったら、車内のテレビで地元のテレビ局による静岡マラソンの実況放送をやっていたので、本来は走るはずだったコースの一部を見ることもできた。トップの選手がゴールして倒れこんだ時に収容バスも清水駅前に到着して私の静岡マラソンも終わりを告げた。

 

今回のリタイアの一番の原因は自分の体力低下によるものだが、青梅30キロから2週間しかたってなかったので、(回復力の衰えている今の自分は)疲労が抜けきれてなかったことも影響していたかもしれない。いずれにしても、フルマラソンの完全復活は制限時間のないホノルルマラソンかあっても超緩い東京マラソンまでお預けとしておこう。

 

18切符を利用しているので清水からは各駅停車で帰ったが、それでもずいぶん早く帰れそうだったので、少し寄り道して前から行ってみたかった建長寺の釈迦苦行像を訪ねに行く。釈迦が荒行により骨と皮となってしまった像でガンダーラ美術の最高傑作と言われており、本物はパキスタンのラホール博物館に収蔵されていて、2008年にパキスタンに行った時に見たかったのだが、諸般の事情で見学がかなわなかっものである。建長寺にある像は名古屋万博の際に展示されたレプリカが、万博終了後に寄贈されたものであるが、世界では他に例を見ない貴重なものだそうだ。

 

北鎌倉から建長寺までは思ったよりも遠く、おまけに登り坂だったので、疲れた足には負担が大きかったが、見学したい一心でなんとかがんばる。建長寺に着くとはやる気持ちを抑えて境内の奥に向かい、久しく憧れていた釈迦苦行像と対面する。しばし沈黙して至福の時を過ごしてから寺を辞す。帰りは北鎌倉に戻っても下り坂にはなるのだが、疲れた足で目的もなく長い距離を歩くのはしんどかったので、少々時間待ちをして鎌倉行きのバスに乗り込んだ。
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