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2018年3月13日 (火)

あの日から7年

震災から七年目のあの日がきた。例年は被災地に行っていることが多かったが、今年は東京にいて震災に関わることにした。まずは、参加費の一部が被災地支援に向けられる「震災復興支援ラン」のうち、皇居2周十キロに参加した。いつもは気恥ずかしくて着たことのない「原発反対」のロゴ入りのTシャツも今日ならばいいたろうと着てスタートする。先週の静岡マラソンのダメージの影響が心配だったが、快調に走ることができた。先週のフル十キロ通過時に感じたダメージは一体なんだったのだろう。完走後に参加賞の宮古産のドーナツを食べて現地に思いをはせた。

着替え後にお隣の日比谷公園に移り、公園内で開かれている震災関連のイベントを見て回る。塩釜の豚汁を食べてから福島の生の声や再生エネ普及に取り組んでいる人達のトークショーを聞く。このイベントに参加している人々が震災の記念日を、記憶を風化させない、復興支援に役立つことを考える日とだけ位置付けているのであれば全く不充分である。なぜならば津波によって多くの人命や財産が失われたことは、自然界の力に圧倒されたいわば国難とも呼べるものかもしれないが、福島原発事故は事前に十分な対策をとらなかったことによって生じた人災であり、その責任を明確にさせた上で過ちを繰り返さないためにはどうすべきかを考えかつ行動するのが3.11の正しい過ごし方ではないだろうか。
というわけで、日比谷公園から内幸町の東電ビル前に移動して、東電に対する抗議行動に参加した。

東電はその責任を満足に取らないばかりか、柏崎刈羽等の再稼働を策動していることはまったく許せないことである。とくに問題となるのは老朽化して廃炉目前の東海第二原発の改修費用について日本原電の債務保証を東電が行うとしていることである。改修された東海第二原発が規制委員会の審査をパスして再稼働でもする事態になれば、大きなリスク負わされることになる。なぜならは東海第二原発で福島並みの事故が起きれると東京は人が住めない街となり、首都機能は完全に失われてしまうからである。こんな重大な事態か進行しているにもかかわらずマスコミがほとんど報じないのが不可解であるが、それだけ原子力村がこの国を牛耳っているということだろう。東電の後は地下鉄を乗り継いで小川町に移り、日本原電の前で抗議集会を行って3‥11の活動は全て終わった。
 
盛りだくさんの1日だったが、これで終わりではない。3.11とは直接は関係ないが、私の地元で本日夜に開かれた9条改憲反対の「9条変えるな❗ 杉並市民アクション キックオク集会」に参加した。弁護士や市民活動家の講演の後、三千万人署名の推進と安倍政権打倒の行動強化が提起された。

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