若狭・琵琶湖周遊最終目
あっという間に最終日となってしまった。今日は三十三番札所にいくだけなのでゆっくりと出発する。数回の乗換で大垣に着き樽見鉄道に乗り換えて札所最寄り駅の谷汲口に向かうのだが、待ち時間がかなりあるため未乗車である東海道線の支線の美濃赤坂行きの路線を往復しておく。大垣駅に戻ってもまだ待ち時間が1時間ちょっとあるので、少し早いが昼食を摂っておく。
樽見線には自転車が故障しているため、大垣駅に置いて乗り込む。帰りは遠回りだが未乗車の養老鉄道の北半分(桑名までの南半分は乗車済)経由にしたいので大垣駅に置かざるをえないのだ。
今回は三十三番札所の谷汲山を経て養老線の揖斐駅までは自転車で行くつもりだったのでバスの便は全然調べておらず、全行程15キロ4時間近くの歩きは覚悟していた。ところが、谷汲口の駅前にはバスが停まって待っており、谷汲山から揖斐駅行きのバスもあるという。なにやらテレビでやっている「路線バスの旅」めいてきたようだ。
谷汲山は三十三ヵ所満願の札所であるだけに参道の両側にはお店が立ち並び、大勢の参拝客で賑わっていた。山門を潜ってまっすぐに本堂に向かい、西国三十三ヵ所巡礼の最後となるお参りをし、一番からのお遍路に思いを馳せながら寺を辞す。
コミュニティバスで揖斐駅に着き養老線に乗り込むが、日本では珍しい自転車をそのまま持ち込めるサイクルトレインであった。そんな時に限って自転車を携行していないのは皮肉なものである。
大垣に戻ったのはまだ4時前で、18切符でも今日中に帰れる時間だったが、輪行しながら何度も乗り換えるのは大変だし、せっかくムーンライトながらの指定席もとったことだしと、大垣城や松尾芭蕉の記念碑を訪ねることにした。前者は関ヶ原の決戦前日まで石田三成らの西軍主力が立てこもったところであるし、後者は芭蕉が奥の細道で江戸を出発した旅の終焉の地が大垣であることを記念したものである。いずれも良く知っていることばかりなので目新しいことはなかったが、駅への帰り道をお堀沿いの遊歩道を通っていくと、タイムマシーンに乗ったような錯覚に襲われ、街の風情を感じながら旅することができた。
南紀那智の一番から数年かけて三十三番札所までの参拝を達成したが、今年が西国三十三番札所の開創1300年だそうで記念の年に達成できてなによりだった。そういえば四国の八十八番札所も開創1300年の年に終えることができたっけ・・・。これらに既に終えている東国三十三番札所、秩父三十四番札所を加えると188番というゲンのいい数字になるそうだが、まあスタンプラリーが終わったくらいの気分であり(もっともスタンプならぬご朱印も押してもらわずじまいだったが)、悟りの境地とは程遠く煩悩からはなかなかぬけだせそうもないようである。
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