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2018年4月

2018年4月29日 (日)

山陰東部ツーリング三日目

今朝も他のキャンパーがまだ寝静まっている時間にキャンプ場を後にする。
今日の前半は岩屋駅まで35キロだけだし、海岸沿いの道だからアップダウンがあってもたいしたことはあるまいとたかをくくっていたら、標高差200メートルくらいの峠が連続する厳しいものであった。
岩屋駅まで11キロの地点で乗車予定の列車の発車時刻まで一時間ちょっと、平地なら楽勝だが、このアップダウンの激しさでは無理と判断してひとつ手前の東浜に予定を変更する。こちらの距離は6キロだが、そはでも小一時間かかってしまった。、JRに乗るのにはわけがあって、別のプロジェクトとして進行中の都道府県最高峰登頂の岡山県版を実行するためである。鳥取から智頭急行線に乗り換えて西粟倉に向かう。西粟倉キャンプ場までは9キロある以外の情報がなかったので、初端から急登が続いたときはどうなることかと思ったが、やがて傾斜が落ちさいごにまた急登となったので、たまらず自転車を降りてしまった。
キャンプ場てテントを張るとすぐに登りを開始する。標高差600メートル強の山なので四時間くらいで往復してこれた。20時前にテントに入れたのは今回はじめてである。2018042921443100


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2018年4月28日 (土)

山陰東部ツーリング二日目

暗いうちから起き出してチューブを交換し、テントを撤収してから駅に向かう。
昨夜リタイアした駅まで輪行し、さこから西舞鶴を目指す。しばらくして後輪がまたガタガタしているのに気付く。またまたパンクしたかと思ったが、今朝チューブ交換後に空気を入れた際に入れ方が足りなかっただけのようなので、西舞鶴駅で入れ直すことにしてそのまま走り続ける。
西舞鶴駅に着くとまた輪行して天橋立に戻る。前月以来、このあたりを何度も行ったり来たりしているような気がする。天橋立に着くと当初の目的である「とちみたキャンプ場」を目指す。計画段階では丹後半島を忠実に辿るか、最短経路で行くかで迷ってたが、アクシデントで出遅れてしまった以上は後者を選択せざるをえない。それにテントを含めて10キロ以上を走ったのでは明日からの長丁場にも影響しかねない。
丹後半島の周遊ができずに半島の付け根を横断しただけだったので、絶景もなく特に報告すべきこともない(そういえば写真も一枚もとらなかった)。
今日の一番の苦労は最後にやってきた。キャンプ場のある香住までグーグルマップの最短経路で15キロの地点まで来たので一時間もすれば着くだろうと思ったのが甘かった。なんと最短経路の道は自動車専用で自転車は通れないのだ!やむをえず歩行者モードで検索すると山越えの道で20キロもあるではないか。ここまで来てしまった以上は選択の余地はない。200メートルの標高差を越えて香住に下った時はとっぷりと日が暮れてしまっていた。
以下は写真がないと寂しいので、翌朝のキャンプ場付近のものです。


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2018年4月27日 (金)

山陰東部ツーリング初日(加古川線、竹田城経由)

先月行った若狭湾ツーリングの続きとして天橋立から西へ向かう山陰東部ツーリングを行うこととしたが、併せてJR西日本の未乗車区間の乗り鉄も行うために夜行バスで大阪に向かい、加古川線経由で日本海側に出ることにした。加古川線は全線を直通する電車はなく、西脇市で乗り換えなければならず、乗り換えの際にも階段を登ってホームを変えなければならず、輪行の旅にとってはなかなかたいへんである。
終点の谷川で福知山線に乗り換え、福知山で舞鶴線に乗り換えれば天橋立への最短経路となるのだが、福知山ではあえて寄り道して山陰線経由で竹田城の最寄駅である竹田に向かう。

 

日本のマチュピチュとも言われて天空の城として名高い城はいくつかあるが、その中でも代表的なのが、越前大野城、竹田城、備中松山城の三城であるが、そのうち越前大野城は以前に行ったことがあるが、残りの二つはいずれも山陰東部にあるので、今回の旅の行き帰りに寄っていくことにした。最初に寄ることにした竹田城は数年前にコマーシャルでも取り上げられ、天空の城というイメージを定着させたことで記憶してらっしゃる方も多いのではないかと思われる。また高倉健の晩年の映画「あなた」で妻役の田中裕子が熱唱している舞台でもあった。

 

竹田城へは駅の裏から登山道があるが、戦国時代に建てられた山城だけあってかなりなの勾配である。もっともメインの登山口は別にあって、そちらはお城の下まで舗装されていてマイクロバスも運行されているようである。そのため、裏登山道では人もまばらであったが、山頂のお城では平日にもかかわらず結構賑わっていた。

 

竹田城は正確には竹田城跡と言うべきであって、石垣を残しているのみである。そのため、あまり期待するとがっかりするかもしれない。この城の魅力は間近にみるのではなく、離れた場所から望遠して天空の城な雰囲気を味わうことにあるのだろう(霧がかかっていれば、さらに素晴らしいが)。そういうわけで、駅に戻っても次の列車まではしばらく時間があったので対岸に移り、竹田城の石垣の見える所まで行ってみた。こちらの方は天空の城=日本のマチュピチュのイメージがなきにしもあらずであったが、かなり離れていたためスマホで撮るにはちょっと無理があった。

 

竹田から天橋立に向かうのにもうひとつ寄り道して豊岡経由として、JRだけでなく丹後鉄道の乗り鉄も楽しむことにした。豊岡で天橋立行きの電車の待ち時間が30分ほどあったので、早めの夕食をとろうと駅弁を買う。但馬牛とカニ飯の豪華セットである。自転車だとなかなか駅弁を食べる機会がないのでラッキーだった。
丹後鉄道で天橋立に移動し、駅近くのキャンプ場にテントを張る。そのあと西舞鶴までの区間30キロがまだ未走破なので夜間ではあるが、ひとっ走りすることに決めてあった。半分強走ったところで後輪のバンクに気付いた。修理道具は持っているが、暗いところで直すのはたいへんだし、直して前進したとしても帰りの電車に間に合わなくなるおそれがある。グーグルマップで調べると幸運にも比較的近くに駅があるではないか。そこで今日の前進は諦めて駅に向かうことにした。ただし、このまま天橋立に戻るのではなく、西舞鶴まで行って、未乗車のJR舞鶴線と丹後鉄道京都線の乗車という当初の予定はクリアしておくことにした。パンクの修理と行程の遅れをどうするかの検討は明日になってからにしよう。

 

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2018年4月26日 (木)

座り込み二日目

座り込み二日目

今日は最終便で帰るので午後の座り込みに参加して長時間の拘束をされると飛行機に間に合わなくなるおそれがあるため、座り込みは午前中だけ行うことにする。
ゲート前に着いて驚いたのは警備体制がさらに強化されていることだった。国道の片側車線が100メートル近くにわたって警察によって封鎖されて何台もの警備車両が並べられ巨大な仮留置所のスペースが用意されていたのである。
今日も500人以上の参加者があったが、機動隊も300人近くまで増員されたために1時間近くで全員が仮留置所に閉じこめられてしまった。その中には前名護市長の稲嶺さんの姿もあったのには驚いた。
今日もまた長時間の拘束かと覚悟していたが、リーダーが警察と交渉して「解放後はゲート前には戻らずにテント方向に向かうということで話がついたようで、昨日ほどの長時間の拘束にはならずにほっとした。
午後は座り込みには参加しないことは先ほども書いたが、反対側から抗議の声をあげるだけではあまり意味がないので、工事車両がやって来る途中で進行を妨害してやろうと、名護の方に向かって歩きだした。第二ゲート(米軍車両専用で工事車両は使用しない)まで来ると10人近くがたむろしている。私もそこにとどまっていると、しばらくして基地内から大型の米軍車両が出てくると、彼らは進路をさえぎってしまう。すかさず、基地内の日本人MPが出てきて警告を発し続けるが、彼らには基地外の警察権はないので手も足もでない。そのうちに連絡を受けた機動隊の車がやってきて我々を排除したので米軍車両は道路に出られたが、我々がなにかまた「悪さ」をするとでも思ったのか機動隊車両はそのままそこに待機してしまう。まあ機動隊の力を多少なりとも分散できたと思えばそれなりの効果はあったとことにはなるが
その後もしばらくはそこに留まっていたが、本日の2回目の資材搬入は夕方になりそうだとの情報が入ったので、そんなには待てないということで、那覇に向かうことにした。

当初考えていたような「奇跡の1週間」とまではいかなかったが、通常は1日3回行われる搬入を2回に抑えることはできたし、マスコミにも報道されて辺野古の闘いはまだまだ続いていることを国民に知らせることができたという意味で、遠路はるばるやってきたことは決して無駄ではなかったと思う。
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仮留置所に入れられた稲嶺前名護市長(真ん中の青い服)


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2018年4月24日 (火)

座り込み初日

ドミトリーは隣のベッドのいびきがうるさくて暗いうちから出発する。昨日の座り込みの記録で第一回の資材搬入は9時頃でまだ時間があるようなので、距離も10キロ程度だし走って行くことにした。道は途中から緩い登りが続くようになりトレーニングには最適と思っていたところ、座り込みに向かう人たちの車から乗っていけという誘いが相次ぎ、丁重に断るのに苦労する。

ゲート前に到着すると今日も500人近い人が集まっているので、昨日の五時間近くトラックをストップさせた成果を今日もあげられると思ったら、敵もさるもので機動隊を増員し、排除した参加者を歩道に囲いこむために壁代わりに使用する警察車両を増やしたために「仮留置所」の収容人員が増えて午前午後とも二時間くらいしかトラックをストップさせることができなかった。

「仮留置所」での扱いもひどいものだった。従来は工事車両が全部基地内に入ると「仮留置所」から解放していたのに、今回は資材の搬入が終わっても一向に解放せず三時間も閉じ込めたままでトイレにも行かせないという非人道的な弾圧が行われた。

思ってたような「奇跡の1週間」というわけにはいかなかったが、1日三回行われる資材搬入を二回に抑えられただけでもよしとしなければならないのだろうか。明日はもう少し善戦したいものだが
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座り込み参加者の前に機動隊員が並んで威圧する

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ゴボウ抜き開始

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警備車両による仮留置所

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2018年4月23日 (月)

奇跡の一週間

GW直前の1週間連続で500人以上が辺野古ゲート前に座りこんて工事車両の進入を阻止して新基調建設をストップさせようという呼び掛けが行われたので、1週間連続は無理だが数日ならば可能なので参加することにした、名護や各地のな市長選で基地反対派が相次いで敗れ、翁長知事を支えるオール沖縄陣営からの離反者も目立つ一方で、基地建設工事ま本格化してきているという厳しい状況の中で、連続して工事を止めるという「奇跡」が実現できれば、状況を反転させるキッカケとなることが期待できるし、自分自身も過去十数回の辺野古ゲート前座り込みでは数十人程度の参加者しかなかったため、簡単に排除されて工事車両の進入をストップできなかったという悔しさがあったので、自分の手で工事をストップさせたいという思いも強かった。

那覇空港から辺野古までは高速バスを利用しても二時間以上かかるので、東京からとなると1日がかりとやる。辺野古には宿泊施設はないので通常は名護市内泊まりになるため、名護行きの高速バスを利用することになるが、乗り継ぎまでな時間を利用して空港で早めの夕食をとる。沖縄で最もポビュラーな食事である沖縄ソバを注文するが、よく似たものでソーキそばというものもある。違いは何だろうと前から疑問に思っていたのだが、店内の張り紙によると、両者の違いはトッピングで沖縄ソバは三枚肉、ソーキそばは骨ソーキというちがいだそうである。いずれも特別旨いというものではないが、これを食べると沖縄に来たなとという気はしてくる。

名護では前にも利用したこともあるドミトリーに宿泊することにしたが、2泊で五千円と安い割には快適である。今回は飛行機もLCCなのでバス代を入れても総費用は三万円以内という格安だが、別に遊びにきたわけではないので、衣食住は最低限のものがあればそれで十分なのである。
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2018年4月16日 (月)

トレラン復活

お台場で制限時間オーバーながらもフルを完走できたので、次はトレイルランニング(トレラン)の復活を目指す。以前よく走った高尾~陣馬などをやると体力低下にガッカリするのは目に見えているので、未経験のコースということで、山中湖から北上する尾根をコースに選んだ。

天気予報では午前中は大荒れで午後は回復するとのことだったので、遅めの高速バスで平野に着く。しばらく一般道を行くと登山口に出るが、天まで達するかと思われるような石段の連続に驚く。最初は駆け足で行ってみたが、すぐに疲れて歩きとなってしまう。出発が遅かったので誰にも会わないかと思ったら、結構多くのバーティを追い抜いていけた。石割山はそこそこ人気のある山らしい。頂上からは正面に富士山の大展望が得られるのか売りなのだろうが、今日の富士山は雲の中である。

石割山から北上すると途端に人の姿を見かけなくなる。その代わり比較的なだらかな尾根が続くのでトレランには最適である。ただ御正体山が近づいてくると徐々に傾斜が増して標高差300メートル以上を登らされるので、走るどころではなくなり普通の山歩きになってしまう。

時間は2時ちょっと前で普通ならば下山を考える時間だが、今日はトレランなのだからとそのまま北上を続ける。あいかわらず人気のない道を二時間ほど進んで今倉山の頂上にたつ。予定ではさらに二時間ほど進んだ菜畑山まで行くつもりだったが、時間は4時をまわっているので今日はこれまでと下山に移る。

自動車道まで降り立っても最寄りの駅まではまだ12キロもある。普通ならばイヤになってしまうところだが、今日はトレランなんだからと弱気にならずに二時間近くをかけながらも走り続けることができた。次回は昔よく走った高尾~陣馬にでも行ってみようか
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2018年4月 9日 (月)

塩の道・静岡糸魚川構造線

今朝もまた雨で4日連続である。なんか慣れっこになってしまい、雨天の出発も苦にならなくなる。今日の目的地は塩尻で120キロ以上あるが、大糸線沿いに進むので時間切れやトラブル発生でも最寄駅から乗車すればよいので気が楽だ。

今日のコースの呼称、特にはひとつは塩の道と呼ばれていて、古来、日本海側と信州を結ぶ物流路で、特に信州の人にとっては生命線である塩の確保のためには欠かせない重要なルートであった。歴史上有名な話としては甲斐信濃を領有する武田信玄が塩の調達を駿河の今川義元によって妨害された時に、義に厚い越後の上杉謙信が信玄とはライバル関係にあるにもかかわらず塩を送ったのもこのルートである。所々に旧道が残っているが、登り下りの激しい道で忠実に辿ろうとすると時間をロスしがちである。

このコースをもうひとつ有名にしているのは静岡糸魚川構造線という日本列島を東西に分けている大断層帯が通っていることである。構造線の南部のうち静岡から塩尻まではトレース済みなので、今日塩尻まで行ければ一石二鳥になると取らぬ狸の皮算用をしていたのだが
ホテルのすぐ裏手は日本海なので、そこからスタートすることにした。しばらく行くと断層帯を見学出来る所があるようなので寄り道してみるすが、あいにく工事中で現場にはちかづけなかった。同じ構造線上の静岡県の富士川流域の新倉という所で、多分同じようなもなをのを見たことがあるのでまあいいか。

長野との県境近くになるとトンネルが連続するようになるが、自転車が通るにしては狭すぎる歩道しかないため、車道の端を徐行して通らざるをえはくなり、それを繰り返すことにより時間はどんどんロスしてしまった。長野県に入るとトンネルはなくなるが、緩い登りが延々と続き、おまけにコンビニも食物屋も皆無のためにガス欠となって、自転車を降りてしまう始末。坂を登り切った所に蕎麦屋があったので、迷うことなく入る。

今後の予定を検討すると、塩尻の最終電車に に間に合うのは絶対に無理、松本も厳しいので、中途半端な距離を残しても仕方ないので信濃大町から帰ることにした。そのため後は余裕を持って帰ることができた。

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2018年4月 8日 (日)

伊折から日本海へ

今日こそはと好天を期待したのだが、またしても雨模様である。今晩の宿泊予定の糸魚川までは頑張れば1日で行けなくもなかったが、連日の目一杯の行動で疲れもたまっているので、劔岳の麓の伊折を訪れることにした。

これには二つの目的があり、ひとつは日本アルプスを太平洋から日本海までトレースする計画のうち、南アルプスについては三千メートル峰が連なる主脈とそれと並走する白峰南嶺はトレース(前者の平野部分は自転車だが)、北アルプスは後立山から親不知に連なるラインはトレースしているが、槍から剣に連なるラインは伊折から日本海までは未踏であったので、そこをトレースすることだった
もうひとつは10年ほど前の冬に伊折から劔岳を目指したのだが悪天のため途中断念し、もうすこしで指を切断しかねない凍傷を負った忘れられない経験をしたが、それ以来伊折を訪れていないので、再度オトズレテみたかったからである。

前回は伊折までは車で行ったので記憶がなかったが、実際に上市から自転車で登ってみると、尾根を乗越さねばならないのでなかなかたいへんだった。伊折に着くと明りの付いている店があったので入って見ると、連休に営業するための準備中でまだ営業はしていないと言う。やむをえないので帰ろうとすると、山菜そばならできるということで、思いがけずに昼食にありつけることができた。

帰りは上市を経由せずに直接に日本語を目指したので、苦労せずに目的を果たすことができた。その後は多少は時間があったので、黒部までは海岸線を進んでから、電車で糸魚川に移動した。
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伊折から剣方面を望む


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伊折から下って日本海を望む


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さくら道 二日目

天候回復を期待したが、冬型の気圧配置になるため午後には着いているであろう富山地方は終日天気は悪そうである。昨日同様に雨具を三重に着込む完全装備で出発するが、泊まった民宿が位置する岐阜県最北部が今は桜の満開時期に当たっているようである。

分水嶺は富山との県境よりもだいぶ手前にあるが、心配したほどの登りもなく到達することができた。反対側にしばらく降りると大きなレストランがあったので昼飯を食べようとしたが、本日は予約で貸切だという。しばらくすると中国人団体客のバスが次々とやってきて、中国バワーをまざまざと見せつけられた。

御母衣湖まで降りれば名所の荘川桜があるのでお店も開いているのでわと期待して降りるが、店はなく桜もまだつぼみだった。やむを得ず白川郷まで我慢して2時過ぎに遅い昼食を摂る。白川郷はさすがに世界遺産だけあって悪天にもかかわらず観光客で賑わっていた。白川郷は前にも二度来たことがあるので、食事と写真だけで早々と切り上げる。こちらの桜もまだまだであった。

白川郷から少し降りた所に同じく合掌造りの五箇山があり、ウルトラマラソンのコースはここから兼六園を目指すが、今回は後の行程との関係から富山方面に下る。こちらのコースは全般的には下りだが、最後近くに大きな登りがあってなかなかタフなコースであった。

数年来暖めてきた計画ざ予定通り実現できて大満足である。明日からの行程はまあ付録のようなものてあるが
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民宿近くの桜

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荘川桜

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白川郷

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2018年4月 6日 (金)

さくら道 一日目

太平洋と日本海を桜のトンネルで繋げる「さくら道」という道をご存知だろうか
かなり以前のことだが、名古屋と金沢を結ぶ直通バスがあった頃に、その車掌だった人が沿道に桜を植え始めた。残念ながら完成を見ずに他界されてしまったが、その物語は映画やドラマにもなったそうである。その話しに感動したランナーが名古屋城から兼六園までの約260キロの超ウルトラマラソンを行っているとのことだが、今の自分の走力では無理なので、代わりに自転車で行ってみることにした。
夜行バスを名古屋で降りて名古屋城に向かうと、ソメイヨシノは終わっていたが遅咲きの桜が咲いていた。その後は岐阜を経て郡上八幡に向かうが、どしゃ降りとなって難渋する。それでも暗くなる前には目的地の美濃白鳥の民宿に着くことができた。風呂で冷えきった体を温め、濡れた衣服を乾かしてホッとする。明日は天気も持ち直しそうなのが救いである。
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