座り込み二日目
座り込み二日目
今日は最終便で帰るので午後の座り込みに参加して長時間の拘束をされると飛行機に間に合わなくなるおそれがあるため、座り込みは午前中だけ行うことにする。
ゲート前に着いて驚いたのは警備体制がさらに強化されていることだった。国道の片側車線が100メートル近くにわたって警察によって封鎖されて何台もの警備車両が並べられ巨大な仮留置所のスペースが用意されていたのである。
今日も500人以上の参加者があったが、機動隊も300人近くまで増員されたために1時間近くで全員が仮留置所に閉じこめられてしまった。その中には前名護市長の稲嶺さんの姿もあったのには驚いた。
今日もまた長時間の拘束かと覚悟していたが、リーダーが警察と交渉して「解放後はゲート前には戻らずにテント方向に向かうということで話がついたようで、昨日ほどの長時間の拘束にはならずにほっとした。
午後は座り込みには参加しないことは先ほども書いたが、反対側から抗議の声をあげるだけではあまり意味がないので、工事車両がやって来る途中で進行を妨害してやろうと、名護の方に向かって歩きだした。第二ゲート(米軍車両専用で工事車両は使用しない)まで来ると10人近くがたむろしている。私もそこにとどまっていると、しばらくして基地内から大型の米軍車両が出てくると、彼らは進路をさえぎってしまう。すかさず、基地内の日本人MPが出てきて警告を発し続けるが、彼らには基地外の警察権はないので手も足もでない。そのうちに連絡を受けた機動隊の車がやってきて我々を排除したので米軍車両は道路に出られたが、我々がなにかまた「悪さ」をするとでも思ったのか機動隊車両はそのままそこに待機してしまう。まあ機動隊の力を多少なりとも分散できたと思えばそれなりの効果はあったとことにはなるが
その後もしばらくはそこに留まっていたが、本日の2回目の資材搬入は夕方になりそうだとの情報が入ったので、そんなには待てないということで、那覇に向かうことにした。
当初考えていたような「奇跡の1週間」とまではいかなかったが、通常は1日3回行われる搬入を2回に抑えることはできたし、マスコミにも報道されて辺野古の闘いはまだまだ続いていることを国民に知らせることができたという意味で、遠路はるばるやってきたことは決して無駄ではなかったと思う。
仮留置所に入れられた稲嶺前名護市長(真ん中の青い服)
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