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2018年6月

2018年6月30日 (土)

男鹿半島

男鹿半島の先端・入道崎で青い海を見てウニ丼を食べた。
男鹿駅までの24キロを頑張って一時間強で走行し(4日間で延べ300キロ弱と白神岳登頂による獲得標高1200メートル)、男鹿線に乗って秋田駅に向かう。
これでJR東日本の未乗車区間は三陸や只見線の運休区間を除くと気仙沼線の前谷地~柳津17.5キロを残すのみとなった。来年3月に山田線の釜石~宮古が復旧して三陸鉄道に移管されて三陸復興のひとつの区切りがつくので、石巻復興マラソンに出場し、その前後に石巻から久慈までを乗車して(柳津~盛はバス専用路線のBRTだが)、JR東日本の全線乗車も果たしたい。
石巻復興マラソンはハーフまでしかないのが不満だが、石巻は震災直後に1週間連続でボランティアに入った思い出の地であり、その後も何度か訪れているが、久慈までの鉄道復旧にあわせて行って復興を肌で感じて見たいと思っている。2018063006333800


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2018年6月25日 (月)

秋田で旧交を暖める

白神岳の水場のテントを早朝に撤収して国道に降り、秋田への旅を再開。当初の予定では秋田まで行くつもりだったが、前日の頑張りによる疲労が大きかったので、能代から先は翌日回しとしてJRで秋田に向かい、早目にホテルに入ってシャワーをを浴び、駅近くの居酒屋で若い時に勤務していた職場の先輩と30数年ぶりに再会し、楽しい一夜を過ごした。

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2018年6月24日 (日)

白神岳

津軽から白神岳登山口までの約90キロを自転車で箸ってから白神岳を登ったが、頂上に着いた時は真っ暗になってしまい、ライトを着けてテントに戻った。
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2018年6月22日 (金)

小説「津軽」の世界

今回は津軽に来ている。小泊をスタートして秋田に向かう旅だ。小泊は太宰治(本名、津島修治)が小説「津軽」のラストシーンで、津島家の元使用人で太宰にとっては育ての母ともいうべき「たけ」と30年振りに再会を果たす感動の場面の舞台として有名で、二人の記念碑も建っている。
太宰と言えば、彼の生家があった金木の斜陽館も外せない。小説「斜陽」で没落貴族を描いているが、太宰の兄が継いだ津島家も戦前は大地主で豪邸を構えていたが、戦後の農地解放により土地の大半を失い豪邸も手放さざるを得なくなった。その建物は旅館として営業された時期を経て、その後記念館となり太宰ファンにとっては聖地のような存在となっている。
奇しくも今年は太宰の没後70年に当たり、今月19日は桜桃忌(誕生日で自殺遺体が発見された日)でもあるため、テレビでは連日のように特集番組を放映していた。と言っても、私は太宰の作品は何冊か読んだことがある程度で、格別太宰ファンというわけではなく、この時期に訪れたのは全くの偶然であることをお断りしておく。
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2018年6月19日 (火)

東急線全線乗車

東急線沿線の数ヶ所に仕事で立ち寄る機会があったので、東急ワンデーオープンチケット(660円)を利用して、一部未乗車区間のあった池上線と大井町線も乗車して、これで関東地方のJR、私鉄、地下鉄、高架鉄道は全線乗車をしたことになる(だから、どうなんだと言われればみもふたもないが)。同じ行き先には以前にも何度も行っているのだが、歩けない距離でもないので今までは歩いていたのだが、日曜に62キロを走った疲れがまだ残っているので、東急線全線乗車をしてみようという気になったものである。
池上線は五反田から戸越銀座まではかなり以前に仕事でよく来たことがあるので、反対方向から戸越銀座まで乗車し、戸越銀座で下車して以前に通った所がどうなったのか訪ねてみることにした。あいにく以前とは様変わりしてしまい、以前の家主がどうなったのか知るよしもなかったが、月日の経つ早さを感ぜざるを得なかった。
戸越銀座からは元に戻り、雪谷大塚で用件を済ませてから蒲田に向かったが、この路線は西島三重子の名曲「池上線」でも歌われているが、自分にとっては若い時の仕事上の苦い思い出とともに忘れ難いものである。
蒲田からは二子玉川、自由が丘と乗り継いで大井町線に乗り換えたが、大井町線にはこれといった思い出はないので、写真を撮るだけで田園調布線に乗り換えて渋谷に向かい東急線全線乗車の旅は終った(ちゃんと仕事もすましてきたんですよ)。2018061917014700

 

 

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日光62キロ

日光62キロを走ってきました。
前回、四万十100キロで70キロで関門リタイアになった時から9年ぶり、サロマ100キロで完走した時からは実に13年ぶりで、果して走りきるだけの走力がまだ残っているかどうか半信半疑でおっかなびっくりの参加でした。

スタートは100キロ参加者の半分以下でしたので、大した渋滞もありませんでした(もっとも自分は最後尾近くだったので、どっちにしても関係ありませんが)。コースは日光江戸村、ワールドスクエアといった観光地を巡って行く楽しいものです(余裕かあればの話しですが)。

フルマラソンの距離の通過タイムは六時間で、ほぼ予定どおりでした。その後45キロ地点で足が痙攣しかかったので更にペースを落とし、タイムは気にせずに歩かずに走りきるだけを目標としました。スローペースのため、100キロ走の時に感じるようなゴール前の苦しさはありませんでしたが、一度落としたペースは元には戻らず、100キロのランナーに次々と抜かれて行きます。

最終関門は閉鎖8分前に通過できたので、なんとか制限時間内にゴールできるのではと期待しましたが、ゴール前の登り坂で力尽きて制限時間には15分及ばないゴールとなってしまいました。走り終わっての感想は、「ここまで力が落ちてしまったのか!」という落胆と、とにかく「完走」できたという安堵感の入り交じった複雑なものでした。

制限時間内の完走ではないためにゴールの写真がありませんので、代わりにサロマのゴールの時の写真を掲載します。この時は9時間53分(ネットタイム)で走ったので、13時間の制限時間などは全く眼中にありませんでしたが、今ではそれが絶望的なタイムに思えてきます。もう100キロ走るのは無理かなぁ
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2018年6月10日 (日)

三世代の箱根旅行

毎年恒例となっている娘夫婦、孫との三世代の旅行は今年は箱根に行くことにした。例年は秋に出かけていたが、せっかくならばアジサイの間を登山鉄道が進むシーズンに行くことにした。今年は梅雨入りが例年より早くて、梅雨入り後の旅行となってしまったが、幸い土曜日は天候に恵まれ、大涌谷をロープウェイで越え、芦ノ湖を観光船で渡る際も展望に恵まれてラッキーだった。
翌日は梅雨空が戻って雨となってしまったが、今日は観光の予定はなく帰るだけなので支障はなかった。帰りのロマンスカーは発売と同時に売り切れとなるプラチナ席である先頭車両の展望席がラッキーにもゲットできたので、孫を座らせて楽しんでもらう。
楽しみにしていた旅行だったが、あっという間に終わってしまった。来年はどこに行こうかと早くも思案しているが、孫がいつまでジジババと一緒にいってくれるかということもだんだん気がかりになってきた。
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2018年6月 5日 (火)

ダイナブックの身売り

不正会計問題に端を発して業績悪化の著しい東芝がダイナブックで一世を風靡したパソコン事業を台湾資本の傘下に入って業績を回復しているシャープに譲渡するとの報道を聞いて一抹の寂しさを感ぜざるをえなかった。
私が初めてパソコンに接したのは三十数年前で、当時ベンチャー企業として台頭してきたソードという会社のパソコンであった。その後ソードは東芝の傘下に入ったこともあり、東芝のラップトップJ3100シリーズという移動可能なパソコンを使用するようになった。移動可能といっても二キロ以上もあり、とても気軽に持ち運びできる代物ではなかったが、そんな時に東芝から一キロ以下の文字通り携帯可能なダイナブックが発売されると、すぐに飛び付いてカバンに入れて持ち歩いたものだ。
初代ダイナブックはCPUが8086という非力なものだったが、80286、80386と強力なCPUが搭載されたダイナブックが発売されるたびに買い替えていた。その間に他社のノートパソコンの性能も向上してダイナブックの優位性も薄れ、ノートパソコンではソニーのVAIOが人気を集めるようになったこともあり、VAIOに乗り換えてしまった。VAIO も長く使用したが、その間にソニー本体の業績が悪化して、パソコン事業を別会社として分離独立させる羽目に陥った。
次に買い替えたのは、当時最薄とされたNECのノートパソコンで、現在も使用中であるが、NECもパソコン事業を中国メーカーに譲渡せざるをえなくなった。そんなわけで、使用してきたノートパソコンのメーカーは今回の東芝を含めて全てパソコン事業を手放してきたわけだが、それだけ競争の激しい分野だということだろう。
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初代ダイナブック

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ボルダリングの隆盛に隔世の感あり

新聞のスポーツ欄のトップを野口選手のボルダリングワールドカップ三連覇の記事が飾り、社会面にも大きく掲載されているのを見て驚いた。ちょっと前まではマイナーなスポーツだったのに、これもオリンピックの正式競技になった影響だろう。
私がボルダリングを始めた頃は、ボルダリングのジムは都内に数ヶ所しかなく、いずれも場末の空き倉庫の薄暗い所でやっていたものだが、その後は都心にも雨後のタケノコのようにジムが増えた現在の隆盛ぶりは隔世の感がある。

自分が現役でクライミングをやっている頃は、トップクラスとはレベルの違いがありすぎて、競技会には出場も観戦もする気がなかったが、現役を離れた今は、テレビ放映もされるようになったこともあり、スポーツ番組としてとらえて観戦を楽しむようになってしまった。
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大菩薩トレイルランニング

2週間後の日光62キロの準備は平地の長距離走についてはそこそこやったつもりだが、アップダウンのコースへの準備がしていないことに気付き、若い頃によく登って勝手知ったる大菩薩連嶺でトレイルランニング(トレラン)をやってアップダウン走(特にアップ走)に慣れておくことにした。
塩山からのバスを柳沢峠で下車したが、かなりの登山者も降りて皆さん大菩薩を目指すようである。しばらくは調子が出ないので走らずに急ぎ足で進んだが、一人の登山者が背後にピッタリ着いてくる。せかされているような気分になったので先にいってもらったが、たちまち視界から消えていった。ちょっと出鼻をくじかれてしまった。
しばらくは緩い登り坂が続くのでアップ走の練習を開始するが、久しぶりにもかかわらず快調である。途中で大菩薩への道と別れて黒川山(鶏冠山とも言う)に寄り道する。大菩薩連嶺のコースはほとんど歩いているが、黒川山だけは奥まった所にあるためまだ登ったことがなかったのだ。未知のコースだったので、トレランに適した道かどうかが心配だったが、しっかりした走りやすい道だったが、山頂近くの急登では歩きに変わってしまったものの、本番のレースではこんな急登はでてこないだろう。黒川山頂は三角点があるだけで、山名の標識もない不遇の山だった。
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大菩薩縦走路に戻ると、後は勝手知ったる道なので気持ちよくトレランをすることができた。気温が上がって暑くなってきたので、一昨日の皇居ランの時の服装に着替えたが、お荷物にならずに済んでよかった。
下山は路線バスの通っている所まで下るか、途中の上日川峠から最寄り駅まで走るかのいずれかにしようと思っていたら、なんと上日川峠に最寄り駅まで行くマイクロバスが停まっているではないか。これで18キロを走らずに済むので、喜んでマイクロバスに乗りこんだ。
2週間後のレースの準備としてやれることは一応はやりきった。あとは本番を待つだけだ。

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大菩薩嶺山頂

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大菩薩峠遠望

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