走り納め ラサの見納め
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今日はチベット観光の最終日でラサに戻る日だ。もっとも明日からの青蔵鉄道も前半は北チベットを通るので、チベット観光は続くともいえるのだが。行きはチベット三大聖湖のひとつであるヤムドク湖への峠道が雪で通過できなかったため、シガツェへ直行してしまったが、帰りは日に余裕ができたこたもありヤムドク湖経由で行くことになった。すぐにヤムドク湖には向かったわけではなく、朝飯前に高台にあるお城に登ってくる。現在は修復中で中には入れないので、外側ならば二十四時間OKということで、まだ暗い時間にもかかわらず、他にも登っている人はいた。行きも近道を行くつもりが、GPS地図を持っているにもかかわらず、道を間違えて遠回りの自動車道に出てしまったが、帰りは正しい近道を帰ることができた。
朝食後は迎えの車で、まずは手前のギャンツェ寺に向かうのだが、途中でガイドのお姉さんが車に乗り込んで来て、一時間ほど進んだ所の茶店にガイドの両親が待っていて、朝食を済ませている私を除いての朝食会が始まった。
公私混同と思わないでもなかったが、今日の日程には余裕のあることだし、まあいいか。
ギャンツェ寺の見学もガイドの丁寧な説明があったが、正直の所、寺巡りには少々食傷気味であった。その後はヤムドク湖を目指して山岳地帯に入っていく。氷河見物やチベットの高峰が次々に現れて写真を撮りまくった。東海大学が登頂したクーラカンリはこの地域での最高峰(約7500メートル)なので見られないかと期待したが、奥まった所にあるようで姿を現さなかったのは残念だった。
ヤムドク湖を離れて峠を越えると行きに通った道と合流して高速道路に入るとラサ市内は間もなくである。結果的に予定をすべてクリアできて大満足であるが、これで終わってしまうのかという寂しさも多少は感じた。ただ自分には青蔵鉄道3日間の旅がまだ待っており、期待と不安の時間は今しばらく続くことになる。
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今日は来た道をサガに戻るだけだ。そのため、遅めの10時に出発するはずだったが、ガイドもドライバーも起きてきたのは10時すぎであった。ただ朝食はツァンパとバター茶だけの簡単なものだったので、10時半過ぎには出発できた。ツァンパというのは麦の粉に茶をかける麦こがしのようなもので、チベットでは主食とされている。昔はネバールの山小屋でもバター茶とともに出されることは珍しくなかったが、昨今は外国のトレッカーの口に合うものが提供される傾向にあるため、とんとお目にかかることがなくなったもので、民家(巡礼宿も兼ねているが)に泊まったからゆえに味わえたものである。
出発地点からはカイラスは見えなかったので、行きの時もマナサロワール湖畔からカイラス山頂部分が望めたので、その場まで行って下車してみたが、カイラスは雲に覆われていて姿を見せなかった。昨日、夕闇の中でかすかに仰ぎ見えたのが見納めとなってしまった。そこから先は5200メートルの雪の峠越えであるが、昨日のようなヘアピンカーブが続くわけではないので、特にスリルを感じることはなかった。峠からしばらく下ると雪も消え、チベット高原を東西に一直線に走る道(実際にはカーブしているのだが)をひたすら進む。行きと同じ景色で見飽きてしまったので写真を撮る気にもなれず、ブログ掲載用の写真にも事欠く始末で昨日までとはえらい違いだ。仕方ないので、朝出がけにマナサロワール湖畔で撮ったタルチョー(お経が書かれた旗)でお茶を濁させてもらう。
サガの町には十分明るいうちに着いた。
今日は日本では多くの会社が仕事納めだが、太陰暦のチベットでは正月は日本とは時期が異なるので(中国の旧正月とも違うらしい)、街の様子に変わりは見られない。ホテルは前回と同様だったが、前回同様に停電しっぱなしで、自分にとってはサガは呪われた街である。
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最終目的地であるグゲ遺跡に向かう日がやってきた。今日も夜中から停電で、まだ暗い朝のうちにの出発となった。西チベットでは停電は普通のことなのだろうか
出発してしばらくは高原地帯のなだらかな道を進んでいたが、カシュガルへの道と分岐した先からは峠越えとなり、昨日降ったらしい雪がうっすらと道を覆っている。運転手はスピードを落として慎重に運転しているが、ハンドル操作を誤ったらと思うと気が気でない。彼の技量を信じるしかない。
その後も雪道の小刻みなアップダウンは続き、相変わらず低速走行で前進するが、目的地のツァンダまではさほど遠くないので、特に焦ることもない。やがて対岸に荒々しい土林が見えてくるとツァンダは近い。
道路から雪も消えて車はスピードアップし、土林の間を迷路のようにジグザグに急降下して、高度もシガツェを出発して以来3日ぶりに四千メートルを下回るようになった。ツァンダの高度は富士山とほぼ同じだが、五千メートル近い所から降りてくると空気が濃く感じる。
予定ではグゲ遺跡の見学は明日1日を宛て、「空気の濃い」ツァンダで2泊して体力の回復を図ってから、「空気の薄い」帰途につく行程だったが、さきほど苦労した雪の峠越えが雪がもっと積もると通過出来なくなって、ツァンダに閉じ込められてしまう危険があるため、今日中に遺跡見学を終えて明日は早いうちから来た道を戻ることにした。
ツァンダの町に行く道と別れてグゲ遺跡に向かう。車を降りて階段を200メートル近く登るのだが、「高所」から降りてきたのだから楽だろうと思いきや、かなりの息切れを感じた。気が付かないうちに起きていた心肺機能へのダメージが回復しないうちに負荷をかけたからだろう。肝心のグゲ遺跡であるが、チベットのトバン王国が滅んだ後に一族が逃げ延びて、この地に起こした王国の宮殿跡である。岩に掘られた穴が部屋となっており、最上部の王室は木製だが、文化大革命の際に破壊された後に修復されている。この遺跡が知られるようになったのは比較的新しく、彼の河口慧海も訪れてはいない。
遺跡見学後、ツァンダの町に降り、ホテルに向かう前にガイドが公安に寄って帰って来たところ、公安からの情報では峠付近は今夜から雪が降り、明日は峠は閉鎖される可能性があるとのこと。そこで急遽ツァンダ泊まりは取り止めて、今日中に峠を越えてしまうことになった。食料を買い込んで4時過ぎに峠越えを目指して来た道を戻ることとなった。8時頃までは明るいので(北京時間なので、三時間程度の時差あり)、暗くなる前には峠下の安全地帯まで降り立てるだろう。せっかく「濃い空気」を吸えたのに、また「薄い空気」に逆戻りで、つかの間の「オアシス」であった。
峠を目指してアップダウンの道を進んで雪が現れてきても、そこそこの車の往来があったため、行きと比べるとかなり走りやすくなっている。6時半に峠に着くが、そこから見下ろす下りも道路上には雪はあまり残っておらず安心する。20分ほどで峠を下りきりカシュガルからの道と合流し、「脱出行」は無事に終了した。途中でカイラスの西面の写真が撮れることを期待したが、8時近くなっていて薄暗かったため、肉眼では辛うじて見ることはできたが写真は諦めた。
今晩の宿はてっきり前夜と同じホテルかと想ったら、もう少し先にあるガイドの親戚の家だった。ホテルの方が気楽ではあるが、民家泊まりはなかなかできないことなので、貴重な体験であった。バター茶も久しぶりに飲んで美味しかった。
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今日からは今回の旅行のハイライトである西部チベットの極地探訪が始まろうとしているのに、いきなり悲惨なスタートとなった。というのは、前夜に復旧したと思われた停電が夜中からまた始まり、朝になっても真っ暗なままで、先日読み終えた「極夜行」の再現である。シーズンオフで他に泊まり客もおらず、ホテル側のやる気もないようである、朝食サービスもなく、手持ちの食料で間に合わせたが、お湯が沸かせないのは「極夜行」以下であった。
北京時間の8時半(現地とは約三時間の時差あり)に暗い中を出発、途中で現地のウドンを食べてからマナサロワール湖とカイラス山に向かう。ここでカイラスを中心とするチベットの魅力にひかれるキッカケを与えてくれた「チベット旅行記」を書いた河口慧海についてふれてみたい。今から100年以上も前のことだが、日本のお坊さんだった慧海は本場の仏教を勉強したいとチベット入国を志してインドのダーリジンでチベット出身者にチベット語を習い、チベット人に成りすまして当時鎖国していたチベットへの潜入を目論んだところ、国境の主要な場所には関所が設けられていて、関所破りをする者には極刑が待っていることを知る。そこで慧海は首都のラサとは反対側にある聖地カイラスを目指してネパールの山中から国境越えを行い、カイラス帰りと言うことで疑いをかけられることなく無事にラサに達することができた。ラサで修行して名声を得てダライ・ラマ13世に拝謁できるまでとなった後に経典を携えて帰国することとなった。帰国後はチベットを訪れた初めての日本人として一躍時の人となり、その体験を記した「チベット旅行記」はベストセラーとなったそうである。
今回の旅行のキッカケとしては慧海の足跡を辿ってみたいと言うことが大きかったが、せっかくカイラスまで行くのであれば、さらに足を伸ばして西チベット最奥のグゲ遺跡までと大がかりなものとなってしまった。チベット旅行が今まで延び々々となってしまったのは、シルクロードの遺跡巡りも一段落したこともあるが、2008年の暴動の後、外国人旅行者に対する規制が厳しくなり、個人旅行が不可能となってガイド同伴が義務づけららたわけであるが、そうした状況が緩和されることを期待していたものの、一向にその気配はなく、いくら待っても自分の元気なうちには無理だろうという判断もあった。
ドライブはいくつかの峠を越えながら西に進んでいく。最初のうちは感激して見ていたチベット高原の風景も同じような景色が延々と続くと次第に厭きてくるのは贅沢と言うものだろうか?昼食後も景色の大きな変化はないが、両側の山は次第に離れて行き高原は広くなっていく。ひたすら走ると前方にナムナニの雄大な山容が現れてマナサロワール湖が近いことを知る。湖畔で停車して写真を撮るが、シーズンオフのためか湖畔には誰もいなかった。ドライブ初日に雪のために行き損なったヤムドク湖とラサ北方にあるナムツォとともにチベット三大聖湖と讃えられており、90キロもある湖の回りも、巡礼者は一周するそうである。湖の南にはナムナニとそれに連なる峰々が壁のように聳え、振り返れば聖山カイラスの山頂部が手前の山の彼方にひょっこりと姿を現している。いよいよチベットの心臓部に入って来たのだという感が深くなり、自分がここにいることが不思議に思えてくる。
カイラスの麓にあり巡礼者の基地になっているタルツェンには30分ほどで到着、ここにはホテルはなく簡易宿泊所しかないので、そのなかでも上位クラスのようたが、今まで泊まってきたホテルよりも質が落ちるのは致し方ない。無線LANにも接続はできるが、ネットには繋がらないという状態なので、ブログ更新もサガに戻ってからとなりそうだ。
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今日からいよいよ西チベットに向けての往復三千キロのドライブが始まる。予定ではチベはット三大聖湖のひとつであるヤムドク湖を経由してシガツェに向かうことになっていたが、湖に向かう途中にある峠が雪のために通行が困難になっているということでシガツェに直行することとなった。ヤムドク湖にいけなくなったのは残念であるが、残りの三大聖水海のひとつであるマナサロワール湖には聖地カイラスに向かう際に立ち寄れるはずであるから良しとしよう。
ラサ市街地を抜けてラサ川に沿って西に進むと行けなくなったヤムドク湖の分岐点を過ぎ、その先でラサ川はチベット最大の大河ヤルン・ツァンポ(ツァンポはチベット語で川のこと)に合流する。ヤルン・ツァンポはチベットを東西に流れるが、東部で激しく屈曲して進路を南に変えてヒマラヤ山脈を横切ってプラマナテイ川となってインドに流れ込み、最終的にはガンジス川と合流してインド洋に注ぎ込む。
「極夜行」で本年の本屋大賞を受賞した探検家・角幡唯介の処女作「空白の5マイル」はその屈曲部の大峡谷地帯を突破した時の経験を題材にしたノンフィクションである。今回のチベット旅行を前にしてこの本を読み返し、「極夜行」の方は持参して読み続け、今朝早起きしたので朝食までの間に読み終えたばかりである。これらの探検記を読み終えた後だと、今回の旅行がいかに大名旅行であるかと思わずにはいられない。もう年だからしょうがないともいえるが、たとえ若かったとしてもそんな探検をするための情熱も根性も自分には持ち合わせていないことだけは断言できる。
滔々と流れるヤルン・ツァンポに沿って西に進むとシガツェ手前のチェックポストがあり、その先の食堂でヤク(ヒマラヤ高地に住む牛の一種)入りのカレーを食べる。ヤクを食べるのは久しぶりだが、牛に比べてやや固いものの一種独特の味わいがある。食堂を出てシガツェを目指して最後の一頑張りである(私は後部座席で寛いでいるだけだが)。視線を南側に移すと、雪を戴いたヒマラヤの峰々が迫ってきてチベットの奥地に入り込んだことがヒシヒシと感じられる。
アーチをくぐってチベット第二の都市のシガツェ(標高約3900メートル)市街地に3時過ぎに入ったか、ホテルに向かう前に公安(日本では公安警察を指すが、中国では警察は全て公安である)に出頭する。2008年のチベット暴動以前は日本人も許可書なしで入域する人も結構いて、見つかっても多少の罰金で済んでいたようであるが、暴動後は厳しくなって許可書なしではチベット方面への鉄道も飛行機も乗れなくなったし、ラサ市外では入域許可書とは別に地元の警察の許可も必要になったのである。
公安での手続きを終えてようやくホテルに向かう。ラサでは3つ星ホテルだったが、これから奥地に入るとお湯の出るシャワーのホテルはないということで、4つ星ホテルをえらんでくれていた。別にシャワーもエアコンも効かないモーテルでも一向にさしつかえないのだが、ご親切はありがたく受けさせてもらった。
ホテルで少し休憩してから、市内観光と食事に出かける。と言っても、パスポートはホテルに許可書はガイドに預けているので、公安に呼び止められたりすると面倒なことになるため、近場の古城や寺院を遠くから眺めて写真を撮っただけである。
なお、明日からはネットに繋がらないかもしれないので、その場合には1週間後にラサに戻るまではブログ更新はお休みとなることをお断りしておく。
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ここラサは富士山とほぼ同じ高
度なので、初日は高所順応を兼ねて市内観光をしてから、奥地へ入って行くのが一般的である。市内観光の目玉としては世界遺産にもなっているジョカン寺とポタラ宮殿が双璧である。前者はチベット仏教の総本山的存在で各地から信者が集まり、マニ車を回したり、五体投地をしながらお参りをする所で、後者は言わずと知れたチベットにおける政治と宗教の中心地としてダライ・ラマが君臨したところである(現14世はインドに亡命中)。シーズンオフにもかかわらず両者とも大盛況であった。今回は日本語のガイドだったので内容がよくわかり有意義であった。
2時過ぎに観光は終わったので自由行動となったので、後は食事と市内散策で時間を潰した。
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チベット横断旅行の経由地である北京空港に全日空機は20時半に定刻通りに着陸する。北京空港は2015年にはヨーロッパ、2017年にはパキスタンに向かう際に乗り継いでいるので勝手知ったる空港のつもりだったが、システム等が変わってしまったみたいで、いろいろと手間取って出口に着いたのは10時を回ってしまっていた。翌朝国内線に乗り継ぐので、空港近くのホテルを予約したつもりだったが、GPS地図で調べてみると徒歩では小一時間かかることが判明する。実はホテルで旅行社から送られてくるチベット入域許可書を受けとることになっていたので、本当に送られているかを早く確認したかったためタクシー乗場に向かうことにする。
ところがタクシー乗場で見たのは長蛇の列で、これじゃ歩いた方が早いのではと思ったところ、係員の服装をした人が案内してくれて駐車場の方に連れて行かれる。親切な人だと思ったのが大間違いで、紹介されたのは白タクでチップ代を含めて約六千円もかかってしまった。(多分)役人と白タクがグルになっているなんて日本では考えられないが、ここは中国なんだ!
ホテルでは無事に入域許可書が入手できたので、これで翌日の国内線でのトラブルさへなければチベットにはたどり着けそうだ。
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今日は東海自然歩道踏破の6回目(朝霧高原~身延線井出駅)の予定である。富士宮から乗車したバスは次第に高度をあげて、白糸の滝を経由して河口湖、富士山駅に向かうが、今回は手前の朝霧高原で下車する。なお河口湖方面からも朝霧高原行きのバスはあるが、始発が遅くて、朝霧高原には2時間遅れで到着することになるので、富士宮から乗車することにしたわけである。、
朝霧高原からの道は一旦高度を下げてから長者ケ岳への登り道に入るのだが、なんか下った分だけ登りが多くなるので損をした気分になるし、道も分かりにくく何度か道を間違えて少々タイムロスをしてしまう。登り口は田貫湖湖畔だが、田貫湖では今日はお祭りがあるらしく、登山道のかなり上部までアナウンスの声が聞こえてくる。長者ケ岳は標高差900メートルあるが、今日は是が非でもでも身延線まで行かねばならないと気合いが入っていたので1時間半で登ることができ、1時間の獲得標高600メートルというのは久々の「快挙」である。もっとも、山に取りついた時間が比較的遅かったので、他の登山者を追い抜くことはなく、今日最後の登頂者となってしまった。長者が岳山頂からの富士山(山頂部分だけが雲の上に見える)
頂上に着いた時に、それまで空一面を覆っていた雲が瞬間的に途切れて富士山の頂上部分が現れたが、自然歩道歩きを始めて初めてである。富士山の全容が現れるのを期待してしばらく待機したが、ガスは濃くなる一方だったので、先を急ぐことにする。田貫湖から往復する人はそこそこいるようだが、そこから先に足を伸ばす人はほとんどいないようで、今日は長者ケ岳から先では誰にも会わなかった。
稜線は天子ケ岳方面に延びるが、自然歩道は天子ケ岳手前で上佐野へ下っていくので、時間がないため天子ケ岳はパスする。分岐点から上佐野までは6キロと表示されていたので、飛ばせば1時間ほどで下れるかと思ったが、狭くて崩れやすい巻き道が連続していて、細心の注意を払わないと滑落しかねなかっために思いの外時間を要して2時間近くかかってしまった。
一般的な自然歩道歩きでは上佐野まで下りて1日行程とするのだろうが、今日はもう一山越えて身延線まで下りるつもりなので忙しい。おまけに地図や指導標の不備もあって2回も道を間違えてしまい30分近いタイムロスがあったので、明るいうちに思親山頂に立てるか心配になる。午前中のような元気はなかったが、薄明かりが残っている時間に山頂に立つことができた。山頂に着くと嬉しいことにはガスが晴れて富士山の全容が眺められた。ちょっと残念なことには、標識の山頂名が書いてある面が富士山側なので、山頂名と富士山が一枚の写真に写らないことであった。
山頂で防寒装備とヘッドランプを着けて夜道の下降に移る。比較的歩きやすい道で迷うことなく2時間ほどで舗装道路に降り立つ。いつもならば長い舗装道路の歩きは単調なので嫌なものなのだが、神経を使う夜道を歩き続けた後となると安心して歩ける舗装道路に出るとホッとするものである。30分ほど歩くと身延線の井出駅に降り立ち甲府乗り換えの東京行き最終電車にはギリギリで間に合うことができた。ところが、駅前には店どころか人家も皆無なので、このまま電車に乗ってしまうと空腹のまま甲府まで我慢しなくてはならなくなる。そこで1時間ほど後の東海道線回りの電車で帰れば、さほど変わらない時間で帰れるので、待ち時間の間に対岸のコンビニに買い出しに行くことにした。対岸のコンビニ往復には小一時間かかってしまったが、電車の待ち合わせ時間を有効に活用して目的を果たすことができた。
今回の行程は35キロで私が平地を歩く場合の1日の標準距離30キロを上回っており、獲得標高も1600メートルを越えているなかなかのものであった。東海自然歩道を通して歩く人が少ない理由がわかったのだが、登山口に車を置いて山頂を往復するのが一般的になっている今日、そのようなやり方が通用せず、忠実にコースを辿ろうとするとかなりの労力を要する一方、縦走登山のような醍醐味もない東海自然歩道は現代人のニーズには合わないからなのだろう。
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18切符を利用して静岡県の島田まで始発で移動し、夏に大井川を下降した際に走り残した島田から河口までの約15キロを走ることにする。島田駅からジョギングを開始すると、しばらくして大井川に合流する。ここから(上流から見て)左岸の道は以前に自転車で河口まで行ったことがあるので、橋を渡って右岸に移動する。ところが、こちら側はすぐに廃棄物処理場にぶつかってしまい、そこから抜け出すのにしばらく右往左往してしまう。やがて道は大井川まで下りて堤防上の道を行くようになる。いくつかの橋の下を通ると、ようやく河口まで0メートルの標識が現れ、前方に太平洋の荒波が見えてくる。道はまだ前方に続いているが、ここをゴールとして引き返すことにする。バス停のある吉田町役場までは三キロ以上あるので、結構時間がかかってしまう。吉田町役場からは藤枝駅まで行くつもりだったが、藤枝行きのバスまではだいぶ時間があったので、その前の静岡行きの直通バスに乗ってしまう。
静岡駅から富士駅までJRで移動して昔の山の友達と合流して近くのジムに行きボルダリングをする。久しぶりのジムで全然登れなかったが、楽しい時間を過ごせた。
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ネットカフェでは体を横たえることはできたが、ほとんど眠れないまま8時に出発する。まずは新潟駅を目指すが、睡眠不足でチンタラ漕いでいるため、結構時間がかかる。ここからは初日の最終到達地点である寺泊駅に向かう。最短距離ならば40キロ程度だが、今日は余裕があるため、海岸線に沿って歩くつもりなのでさらに10キロ以上走らなけれならない。
海岸沿いと言っても、最初は海からだいぶ離れた平坦な道を行くため海は見えずに単調で睡魔に襲われる。コンビニに入ってしばらく休んでいると眠気も消し飛んだので、また走り出す。道はやがて七浦シーサイドラインとなって、海原の絶景が展望できるようになるとともにアップダウンも激しくなる。前方に灯台が立っている岬が見えてくる。かなりの登りとなりそうなので一休みしようと自転車を停めると、そこには建物がありこのあたりでは唯一のレストランだった。早速中に入って地元産の肉を使ったハヤシカレーを注文する。
空腹を満たしてから岬を越えると向こう側の海には日光に照らされていた。さらに時間が立つと今度は海面は夕日に照らされるようになる。完全に暗くなる前にシーサイドラインのゴールの寺泊港に着く。道路脇には多数の海産物屋が建ち並び観光客が買い物をしていた。そこから五キロばかり行った所が今回のゴールの寺泊駅である。これで目的であった酒田から直江津までのツーリングは無事フィナーレを迎えることができた。
新潟駅付近を流れる信濃川
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今日の出発地の酒田へは始発に乗っても到着が10時半過ぎと遅いため、あまり距離は稼げないので、3日間の中日ということもあり半分休養というか、短い行程にならざるをえないため、以前に酒田~新潟で強風により代行バスに振替られて乗り損なった臨時快速きらきらうえつに乗って新潟に戻ることにした。ところが、低気圧による海岸線の強風のため、何度も停車して、酒田到着は1時間以上遅延し、私には関係ないが酒田以北は運休となって代行バスが用意されていた。私も何度か経験しているが、坂田駅での代行バスは
珍しいことではないようだ。
お蔭で帰りのきらきらうえつには乗れないことになったが、代替プランは未定のまま酒田からの南下ツーリングはスタートした。昨日ほどではないが、悪天のために行程は遅れがちで、当初きらきらうえつに乗車予定だった勝木駅には、酒田到着の遅延1時間を上回る2時間遅れの到着となった。新潟行きの普通電車ならば、最終までまだ何本かあるようだったので、新潟に戻って宿を求めるつもりで、もう一駅か二駅先を目指すことにした。
30分ほど登り終えて現在地を確認すると、にわかには信じられないことであったが、海岸線沿いに村上を目指すルートではなく、山越えで村上を目指すルートになってるではないが!海沿いならば、途中の適当なところで乗車して新潟に戻れるが、山越えとなると村上に着いた時に果して新潟行きの最終に間に合うかがわからないが、村上で宿を求めることもできるかもしれないので、腹をくくって山越えを続けることに決め、後戻りするという選択肢は思い浮かばなかった。一番の理由は今日中に村上まで到達してしまえば、最終日の行程が格段に楽になるからである。
かなりの登りとアップダウンが続いた後、村上目指しての長い下りが始まる所で事件が起きた。後輪がパンクしたのである。修理道具は持参してはいるものの、暗闇の中でのチューブ交換はやったことはないので、どうしたものかと思っていたところ前方になにやら明かりが見えるではないか。近寄ってみると、無人のゲームセンターであった。人家もない山の中にゲームセンターがあるのは驚きだったが、ドアで外気が遮断されていて零度近い吹曝しの中で作業できるのはありがたかった。おまけに自販機があって飲み物だけでなく、ソバやうどんまで食べられるという至れり尽くせりであった。
肝心のチューブ交換はひさしぶりのことで思い出しながらやったので1時間以上かかってしまい、村上に下りても最終に間に合わないことは確定的であった。それならば、ここで夜を明かそうかという考えも浮かんだが、こんな辺鄙な場所にもきわらず、入れ替り立ち替り人はやってくるし、部屋の中は明るいのはともかさひくとして音楽がうるさくて眠れたものではないので、やはり村上におりることにした。
村上に下りたのは零時近くで、土曜のこんな時間に数少ないホテルを訪ね回るのもいやだったので、35キロ先の新発田にあるネットカフェまでもう一頑張りすることにした。3時過ぎになんとかネットカフェについたが、今日1日の走行距離は150キロ近くに達し、連日行動の走行距離としては最長のものとなった。お陰で最終日の行程がかなり余裕のあるものとなった。
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日本列島海岸線一周ツーリングは前回のゴールの酒田から直江津を予定しているが、三日間では日程的にやや苦しく一部は残してしまう可能性もあったので、その部分はいつか佐渡一周でも行った際の前後に行うことにすると、新潟駅近辺の方が都合がよいということもあった。
新幹線と第三セクターを乗り継いで直江津駅からスタートしたが、予想されたことではあるが、雨中のツーリングとなった。朝食が早く午前中から空腹だったので、20キロほど進んだ柿崎駅近くでようやく飲食店を見つけ早めの昼食をとる。柏原駅の手前10キロ近くは、以前にマラソンで通過したことがあるので、電車に乗ってしまってもよかったのだが、自転車をばらしたり組立てをするのも面倒なため、そのままツーリングを続ける。道はやがて再稼働が問題となっている狩羽原発の脇を通る。全然意識していなかったので不意に現れたという感じだったので、原発入口が見渡せる国道の上で眺めていると、警備員が立ち去れと合図するので、トラブルになるのもいやで、早々に移動する。
今回のツーリングの中で一番の見所である出雲崎に着いた時は既に暗くなっていた。芭蕉が奥の細道で訪れた所でゆっくりしたかったが、ほとんど通過するだけだった。その後は海岸線を離れて越後線の寺泊駅から燕三条駅に向かい、昔仕事で毎月泊まった馴染みのホテルに今回も泊まることにした。
狩羽原発出入口付近
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