グゲ遺跡
最終目的地であるグゲ遺跡に向かう日がやってきた。今日も夜中から停電で、まだ暗い朝のうちにの出発となった。西チベットでは停電は普通のことなのだろうか
出発してしばらくは高原地帯のなだらかな道を進んでいたが、カシュガルへの道と分岐した先からは峠越えとなり、昨日降ったらしい雪がうっすらと道を覆っている。運転手はスピードを落として慎重に運転しているが、ハンドル操作を誤ったらと思うと気が気でない。彼の技量を信じるしかない。
その後も雪道の小刻みなアップダウンは続き、相変わらず低速走行で前進するが、目的地のツァンダまではさほど遠くないので、特に焦ることもない。やがて対岸に荒々しい土林が見えてくるとツァンダは近い。
道路から雪も消えて車はスピードアップし、土林の間を迷路のようにジグザグに急降下して、高度もシガツェを出発して以来3日ぶりに四千メートルを下回るようになった。ツァンダの高度は富士山とほぼ同じだが、五千メートル近い所から降りてくると空気が濃く感じる。
予定ではグゲ遺跡の見学は明日1日を宛て、「空気の濃い」ツァンダで2泊して体力の回復を図ってから、「空気の薄い」帰途につく行程だったが、さきほど苦労した雪の峠越えが雪がもっと積もると通過出来なくなって、ツァンダに閉じ込められてしまう危険があるため、今日中に遺跡見学を終えて明日は早いうちから来た道を戻ることにした。
ツァンダの町に行く道と別れてグゲ遺跡に向かう。車を降りて階段を200メートル近く登るのだが、「高所」から降りてきたのだから楽だろうと思いきや、かなりの息切れを感じた。気が付かないうちに起きていた心肺機能へのダメージが回復しないうちに負荷をかけたからだろう。肝心のグゲ遺跡であるが、チベットのトバン王国が滅んだ後に一族が逃げ延びて、この地に起こした王国の宮殿跡である。岩に掘られた穴が部屋となっており、最上部の王室は木製だが、文化大革命の際に破壊された後に修復されている。この遺跡が知られるようになったのは比較的新しく、彼の河口慧海も訪れてはいない。
遺跡見学後、ツァンダの町に降り、ホテルに向かう前にガイドが公安に寄って帰って来たところ、公安からの情報では峠付近は今夜から雪が降り、明日は峠は閉鎖される可能性があるとのこと。そこで急遽ツァンダ泊まりは取り止めて、今日中に峠を越えてしまうことになった。食料を買い込んで4時過ぎに峠越えを目指して来た道を戻ることとなった。8時頃までは明るいので(北京時間なので、三時間程度の時差あり)、暗くなる前には峠下の安全地帯まで降り立てるだろう。せっかく「濃い空気」を吸えたのに、また「薄い空気」に逆戻りで、つかの間の「オアシス」であった。
峠を目指してアップダウンの道を進んで雪が現れてきても、そこそこの車の往来があったため、行きと比べるとかなり走りやすくなっている。6時半に峠に着くが、そこから見下ろす下りも道路上には雪はあまり残っておらず安心する。20分ほどで峠を下りきりカシュガルからの道と合流し、「脱出行」は無事に終了した。途中でカイラスの西面の写真が撮れることを期待したが、8時近くなっていて薄暗かったため、肉眼では辛うじて見ることはできたが写真は諦めた。
今晩の宿はてっきり前夜と同じホテルかと想ったら、もう少し先にあるガイドの親戚の家だった。ホテルの方が気楽ではあるが、民家泊まりはなかなかできないことなので、貴重な体験であった。バター茶も久しぶりに飲んで美味しかった。
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