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2018年12月28日 (金)

カイラス

カイラス 今日からは今回の旅行のハイライトである西部チベットの極地探訪が始まろうとしているのに、いきなり悲惨なスタートとなった。というのは、前夜に復旧したと思われた停電が夜中からまた始まり、朝になっても真っ暗なままで、先日読み終えた「極夜行」の再現である。シーズンオフで他に泊まり客もおらず、ホテル側のやる気もないようである、朝食サービスもなく、手持ちの食料で間に合わせたが、お湯が沸かせないのは「極夜行」以下であった。

 

北京時間の8時半(現地とは約三時間の時差あり)に暗い中を出発、途中で現地のウドンを食べてからマナサロワール湖とカイラス山に向かう。ここでカイラスを中心とするチベットの魅力にひかれるキッカケを与えてくれた「チベット旅行記」を書いた河口慧海についてふれてみたい。今から100年以上も前のことだが、日本のお坊さんだった慧海は本場の仏教を勉強したいとチベット入国を志してインドのダーリジンでチベット出身者にチベット語を習い、チベット人に成りすまして当時鎖国していたチベットへの潜入を目論んだところ、国境の主要な場所には関所が設けられていて、関所破りをする者には極刑が待っていることを知る。そこで慧海は首都のラサとは反対側にある聖地カイラスを目指してネパールの山中から国境越えを行い、カイラス帰りと言うことで疑いをかけられることなく無事にラサに達することができた。ラサで修行して名声を得てダライ・ラマ13世に拝謁できるまでとなった後に経典を携えて帰国することとなった。帰国後はチベットを訪れた初めての日本人として一躍時の人となり、その体験を記した「チベット旅行記」はベストセラーとなったそうである。

 

今回の旅行のキッカケとしては慧海の足跡を辿ってみたいと言うことが大きかったが、せっかくカイラスまで行くのであれば、さらに足を伸ばして西チベット最奥のグゲ遺跡までと大がかりなものとなってしまった。チベット旅行が今まで延び々々となってしまったのは、シルクロードの遺跡巡りも一段落したこともあるが、2008年の暴動の後、外国人旅行者に対する規制が厳しくなり、個人旅行が不可能となってガイド同伴が義務づけららたわけであるが、そうした状況が緩和されることを期待していたものの、一向にその気配はなく、いくら待っても自分の元気なうちには無理だろうという判断もあった。

 

ドライブはいくつかの峠を越えながら西に進んでいく。最初のうちは感激して見ていたチベット高原の風景も同じような景色が延々と続くと次第に厭きてくるのは贅沢と言うものだろうか?昼食後も景色の大きな変化はないが、両側の山は次第に離れて行き高原は広くなっていく。ひたすら走ると前方にナムナニの雄大な山容が現れてマナサロワール湖が近いことを知る。湖畔で停車して写真を撮るが、シーズンオフのためか湖畔には誰もいなかった。ドライブ初日に雪のために行き損なったヤムドク湖とラサ北方にあるナムツォとともにチベット三大聖湖と讃えられており、90キロもある湖の回りも、巡礼者は一周するそうである。湖の南にはナムナニとそれに連なる峰々が壁のように聳え、振り返れば聖山カイラスの山頂部が手前の山の彼方にひょっこりと姿を現している。いよいよチベットの心臓部に入って来たのだという感が深くなり、自分がここにいることが不思議に思えてくる。

 

カイラスの麓にあり巡礼者の基地になっているタルツェンには30分ほどで到着、ここにはホテルはなく簡易宿泊所しかないので、そのなかでも上位クラスのようたが、今まで泊まってきたホテルよりも質が落ちるのは致し方ない。無線LANにも接続はできるが、ネットには繋がらないという状態なので、ブログ更新もサガに戻ってからとなりそうだ。

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