青蔵鉄道
ラサ駅窓口でガイドが取ってくれた切符を受け取って改札を抜ければ十日間一緒だったガイドともお別れである。日本語の会話がまあまあできるので、各家に(半強制的に)中国国旗が掲げられ、ラサ市内の西部には移住漢族の高層住宅が次々と立ち並んでいる状況をどのように思っているのか聞いてみたい気持ちもあったが、結局やめにした。聞いたところでどうなるものでもないし、しょせん自分は「♪ただの通りすがり・・・異邦人」なのだから。
1936年のベルリンオリンピックの9年後の1945年にナチスが、1980年のモスクワオリンピックの9年後の1989年にソ連がそれぞれ崩壊したことから、独裁国家がオリンピックを開催すると、10年以内に体制崩壊するというジンクスがあって、北京オリンピックから10年目にあたる2018年の中国の動向には注目していたが、2018年もまもなく終わろうとしている(執筆時点)にもかかわらず磐石の体制を誇っているかのようである。これは次の理由によっているのだと思われる。中国が前二者と決定的に違うのは、この間にかなりの経済成長を果たし、曲がりなりにも国民の生活水準を向上させてきたことである。たとえ貧富の差が拡大し、民主主義の不十分さと少数民族問題というアキレス腱をかかえているとしてもである。
二段ベッドの四人部屋に入ると、他の三人全員中国人で向い側は父親と息子、私の上の段は若い女性であるが、向い側とは他人のようであった。3日間の長い旅であるが、中国語しか通じないようなので多分交流はないだろう。そう言えば、過去に海外で寝台を利用したのは、インドで五~六回、中国で二回、ロシアで二回あるが、いずれも他の乗客との交流はなかったように記憶している。NHKで放映していた関口Jr.の中国鉄道の旅ではどのようにしてコミュニケーションをとっていたのだろう。
ラサを発車して最初の駅(通過駅)付近では、高峰の展望が得られるとガイドブックには書いてあり、向い側の父親は超望遠レンズで写真を撮りまくっていたが、もっと迫力のある景色を見飽きてきた身にとっては、写真を撮る気にもならなかった。やがて暗闇が迫ってきて夕食時間となり、隣の親子は食堂車へ、二階のお姉さんは車内販売の弁当で済ませたようだが、私は日本から持参したフリーズドライである。別にケチったわけではなく、ガイドブックに食料は持参した方が良いと書いてあったから従ったまでだが、「地球の歩き方」の面目躍如か?超簡単な夕食を済ませると、もう後はやることがない。各ベッドにライトは付いているのだが、老化している目(老眼にはあらず)には薄暗くて本を読むのがつらい。もっともホテルの電気も暗かったり、停電だったりして、まともに本を読む環境じゃなかったし、テレビはついてもちんぷんかんぷんで見る気がせず、長い夜はずっと続いているのであるが・・・
車内の設備自体はかつてのブルートレインと比べて遜色のないものであるが(今回乗車した北京西行きが一番設備が良いそうなので、他の列車がどうかはわからないが)、トイレ使用後に水を流さないといったマナーの悪さは民度の低さを物語っているように感じた。
寝台の揺れが揺りかごの役割を果たしたのか、睡眠時間は九時間と今回旅行中で一番の熟睡となった。夜中に目覚めた時の高度は5千メートルを越えていたのに、朝目覚めた時の高度は3千メートルを下回っていて急降下したようで、ペットボトルが外側の濃い空気に押されてひしゃげていた。自分にとっても10日ぶりの濃い空気である。
朝8時にようやく東の空が明るくなってきて夜が明けて新年を迎えた実感が湧いてくる。考えてみれば、海外で新年を迎えるのはこの年になって初めてのことである。まあ新年になっても、車内ではなにも変わったことはない。中国本土の人もチベット族もそれぞれの旧正月を祝うようで、西暦の正月には特に関心はないようだ。
完全に夜が明けないと食欲も湧いてこないが、隣の親子は食堂車に行ってしまい、二階のお姉さんは、今回はカップラーメンを食べている。これで我が部屋は外食派と自炊派が半々となった。中国のカップラーメンには必ず折り畳み式のフォークがついているが、これなども旅先での自炊派が多いことの表れなのだろう。
完全に夜が明けて私が朝食の準備に取り掛かった頃に駅に停車したので時間を確認したところ15分程度の遅れだったが、中国ではこの程度は遅れのうちにはいらないのだろう。私にしても、北京に到着後に決まった予定があるわけではないので(いくつかの計画は用意はしているが)、遅れは一向に気にならない。
列車が停車駅をスタートすると、次は青蔵鉄道本来の終点である西寧だ。もっとも北京の外、上海、広州等へと遠伸されている列車も多い。
昼前に車内販売で弁当を売りにきたので、まだ食欲はなかったが売り切れにならないうちに買っておくことにした。フリーズドライの予備はまだあったのだが、一度くらいは中国の弁当も食べてみたいと思ったのである。
いつも早めに食堂車に行く親子が行こうとしないので、どうしたのかなと思ったら、荷物の整理を始めたので合点がいった。多分、次の西寧でおりるからであろう。それにしても時間的には西寧手前にある青蔵鉄道の見所のひとつである青海湖が一向に見えてこないのは列車がかなり遅延しているからであろうか
結局、青海湖を見ることなく西寧に着いてしまった。粗い地図では湖の近くを通っているように見えても、地図を拡大して見ると湖岸を通っているわけではないことがわかった。期待に反して親子連れは降りてくれなかった。息子(といっても成人のようだが)の方が時々奇声を発して耳障りだったので降りてくれるとありがたかったのだが、仮に降りてくれたとしても、これから北京までは長いので誰かが乗ってくるだろうが
西寧での長い停車中に父綾はカップラーメンを買ってきたが、二人で一個しか買ってこなかったので、おそらく次の駅で下車するまでの繋ぎなのだろうが、次は多分蘭州だろうから、ずいぶんと遠いのだけれど、それで持つのだろうかと他人ごとながら心配になってしまった。
二時間ほどで蘭州に着いた。ここは、ウルムチ、敦煌からの路線と合流する交通の要衝で、10年ほど前に家内と西安から敦煌まで旅行した時に途中下車して壁画を見に行った懐かしい場所である。ここからならば日本への通信も可能だろうから、家内に新年の挨拶のショートメールでも送ろうと思ったが、やはり通じない。ホームに降りたら通じるかなとも思ったが、各車両の出入口には係員が出入りをチェックしているので、わけのわからはい中国語の問いかけに対応するのも面倒だったので、ホームひに降りるのはあきらめた。
気がついたら親子連れの姿が見かけないので、やはり蘭州でおりてしまったのかと思ったら、ホームで買ったらしい果物や菓子を抱えてもどってきた。ホームに降りても問題ないことがわかったので西安で降りてみようと思った。それにしても親子連れの下車の期待は何度裏切られたことか。こうなったら北京まで付き合うことにするか。代わりにどんな客が乗ってくるかわかないし。とりあえず、少々うるさいのを我慢すればよいだけなのだから
考えてみれば、今回は鉄道に乗って以来、外の景色は一度も撮していない。高原の荒涼たる風景やその中に点在して見られるチベット人の生活と放牧中の家畜、さらには遠くに望める雪をまとった峰々といったものが、青蔵鉄道旅行の魅力なのだろうが、チベット奥地を旅行した後からは新鮮さが失われてしまうようだ。ここはやはり多くの日本人旅行者が行っているように(というよりも「旅行会社が企画しているように」という方が正確だが)、行きは鉄道、帰りは飛行機とした方が、高所順化という面だけでなく、旅の感動という面からも望ましいのだろう。
蘭州から五時間くらい経ったあたりで列車が停車したので、てっきり西安かと思ってホームに降り立つとホームは閑散としていて手前の小さな駅だった。ここで、ようやく通信がオーケーとなったようなので、家内にショートメールでハッピーニューイヤーを送っておく。
一眠りして目覚めると、明け方に大源という駅に停車したのでホームに降りてみる。ホーム上だとGPSが機能するので現在地を確認すると、どうも西安は経由せずに北京に直接向かっているようだ。西安を経由する列車は多分、上海行きなのだろう。北京まではもう一眠りできるなと思ってたら、車掌が隣の親子連れを起こしに来る。乗車時に切符と交換した引換券の回収が下車30分ほど前にあるのだ。何らかの不正防止策かなと思っていたが、睡眠中の乗客を起こすことと切符の所持を確認して下車させるためのようだ。というのは、ほとんどの外国の駅では下車時の改札はないものだが、青蔵鉄道からの列車に限られるのかどうかは知らないが、下車時に自動改札があるので切符を所持して下車しないとまずいということなのだろう。
親子連れが荷物の整理でゴソゴソしだしたので、そのまま起きていると、やがて親子連れは下車して行く。北京まで一緒だと思い込んでいたのに予想を裏切り続ける連中である。あれほど嫌っていたのに、二晩も同宿すると寂しさまで感じるのは妙なものだ。終着の北京までは数時間の乗車だし、早朝ということもあり誰も乗ってこないだろうと思ったら、入れ替わりに若いカップルが乗り込んできたのは意外だった。日本と違い鉄道人気は高いということなのか
数時間のこととはいえ貴重な睡眠時間なのか、さっきまで親子連れが使っていた布団でカップルは寝入ってしまつたので、睡眠を妨げないようにと廊下で朝食の準備に取り掛かる(カップラーメンの容器にお湯をいれるだけだが)。食事をしていると、東の空がしらじんでくる。チベットの7時はまだ真っ暗だったのに・・・、それだけ、この二泊三日の鉄道の旅で東に大きく移動したことが実感として納得させられた。やがて列車は北京西駅に到着し、天空列車の長い旅は終わった。帰国まではもうちょっとである。
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