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2019年2月

2019年2月17日 (日)

沖縄マラソン

沖縄マラソン30キロ過ぎからコースは嘉手納基地へ 沖縄マラソン背中のポスターとゼッケン 沖縄マラソンゴール直後

県知事選応援以来の5ヶ月ぶりの沖縄である。今回の沖縄来訪の目的は三つあって、一つは沖縄マラソン参加であり、もう一つは1週間後に迫った辺野古埋立についての県民投票での反対票を増やすためのアッピール参加と最後はいつも通りの辺野古ゲート前の座り込みである。

 

沖縄県内でのマラソン大会参加は十数年前に参加した那覇マラソン以来で今回が二回目となる。那覇マラソンも前半部分に峠越えがあったが、本島中部の沖縄市で行われる沖縄マラソンは後半を中心にアップダウンの連続で、獲得標高の累計が450メートルとフルマラソンとしては自分がかつて経験したことのない厳しいものである。因みに昨秋走った富士山マラソンは230メートル、アップダウンが激しいことで知られている青梅マラソン30Kでも250メートルに過ぎないから、沖縄マラソンがいかにハードであるかを示している。もっとも今回は二番目の目的である辺野古埋立反対のアッピールがメインであるから、記録は二の次で、初めて埋立反対を訴える仮装をして走ることにした。まあ仮装といっても大したものではないが、前面には反対運動の合言葉である「負けない方法・・・勝つまで諦めないこと」のロゴが入り、背面には「辺野古新基地NO」のプラカードを貼り付けたシャツを着て、頭には埋立により大浦湾での棲息が脅かされるジュゴンの帽子を被って走るだけである。記録は二の次と言っても、途中でリタイアするとアッピールできる時間が減ってしまうので、完走だけはしておかないと。制限時間ギリギリでゴールするのが理想的かな!?

 

県庁前でモノレールから沖縄市方面のバスに乗り換えたが、県庁前の広場ではオール沖縄の人たちが「県民投票で反対票」を呼び掛ける集会を開いていたが、マラソン大会受付の終了時間が迫っていたので、集会には参加せずに沖縄市にある運動公園に向けてバスに乗り込んだ。

 

沖縄市の総合運動公園でマラソンの受付を済ませてから宿に向かうが、周辺には宿がなくかなり離れた所まで行かなければならなかった。ところが、これは自分の調査不足で(多分那覇からの)シャトルバスが出ていて、多くの人がこれを利用しているようだった。もっとも片道利用が可能かどうかはわからないが・・・。その晩泊まったゲストハウスは対応が悪く、オーナーが不在で電話も通じなくて、小一時間も待たされる羽目になってしまった。

 

翌朝は昨夜の会場に戻るために6時前に宿をでる。日曜の早朝はマラソン会場行きのバスの本数が極端に少ないので、早出せざるをえなかったのだが、結局、乗車予定のバスは30分待っても来ず、仕方がないので別のバスでコザまで行き、そこから4キロ弱歩かされることになった。

 

最初は仮装して走ることに恥ずかしさもあったが、走り出してしまうと全然気にならなくなってしまった。ただ、何人かのランナーからは背中の「辺野古新基地No」のプラカードを見て「ともに頑張りましょう!」の声をかけてくれたし、ジュゴンの帽子はかなり目立ったようである。残念なのは子供たちにはなかなかジュゴンと認めてもらえず、一番多かったのはイルカで次はクジラ、なかにはジンベイザメという声まで聞こえてきた。アッピール度は今ひとつだったかもしれないが、曇り空で気温も20度を下回ったため、頭が蒸れずにすんだのはラッキーだった。

 

アップダウンが激しいことは覚悟していたか、箱根5区のように登りっぱなしではなく、ある程度登れば必ず下りは出てくるのは助かった。また30キロ前後では普段は入れない嘉手納基地の中を走る三キロばかりの区間はフラットだったことも有り難かった。ハードなコースにもかかわらず、このところ必ず見舞われている足の痙攣が起きなかったので、このまま逃げきれるかと思ったが35キロ辺りで再発し、しばらく休んでから走り出したが、すっかりペースは落ちてしまった。ただ最後の4キロほどは下りだったので、なんとかゴールすることができた。結果的には富士山マラソンのときとほぼ同じタイムだったが、コースのハードさは全然上だったのだから良しとしよう。

 

マラソン会場から名護へ向かう直通バスはないので、その昔に米兵による少女暴行事件をきっかけとして大暴動が発生した町として有名なコザで途中下車して、焼鳥屋でビールで無事完走したことを祝ってから名護に向かう。名護ではすっかり定宿になってしまったドミトリーに泊まる。名護に来はじめた頃はビジネスホテルに泊まっていたのだが、自分は観光で名護に来ているわけではないのだという意識からドミトリーが定宿になってしまった。

 

辺野古ゲート前座込みに来る際に土日の休みをかけて来ると、土曜日は名護までの移動で1日が潰れ、日曜日は資材搬入は行われないので座り込みをしてもあまり意味がなく、時間をもて余してしまい、月曜日は通常1日三回行われる資材搬入に対して朝と午後イチの搬入に対して座り込みをするだけで、夕方の搬入に対しては帰りの飛行機に間に合うためには座り込みを諦めざるをえず、日曜の1日がもったいないことになっていたが、本島や離島でのマラソン大会は冬場を中心に結構あるので、それに参加してから名護に移動すれば一石二鳥であることを今回気付いた。

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2019年2月11日 (月)

冬の鳩待峠

冬の鳩待峠この背後に肉眼では至仏山がうっすらと見えたんだけど・・・ 冬の鳩待峠小屋は冬季休業中 冬の鳩待峠峠下に張ったテント

春と夏しか行ったことがなかった尾瀬に昨秋行ってきたので、今度は冬の尾瀬に行ってみようと、お手軽な(筈だった)鳩待峠往復コースを選んだ。冬はバスは麓の戸倉までしか行かないが、鳩待峠までは12キロ程度の距離なので五時間もあれば着くだろうとたかをくくっていた。

 

古いトレースはあったが、そこそこ潜るのでわかんじきをつける。まもなく二人連れのスノーボーダーとすれ違ったが、彼らのトレースはしっかりしていてそれを辿れば潜らないように思えたものの、ワカンを脱ぐのも面倒なため、そのまま進む。

 

さほど傾斜があるわけでもなく潜るわけでもないのに時速二キロペースでしか進めず、12時に戸倉を出発して夕闇迫る5時には鳩待峠どころか4キロも手前の水上に向かう道路との分岐点のちょっと上までしか行けなかった。

 

その晩は久しぶりの冬山ということで、いろいろと失敗もあった。雪落とし用のタワシを忘れたり、厳冬期用のカートリッジでなかったために調理に時間がかかったりしたが、なんとかしのぐことはできた。

 

翌朝は軽装で鳩待峠を往復してくるため暗いうちから出発する。歩きだしてしばらくすると、だいぶ後方にライトの明りが見える。かなり早く戸倉を出たのだろうが、ペースもだいぶ早いと思われるので、鳩待峠の途中で追い抜かれるかと、後ろばかり気にしながら歩いたがら2時間ほどかかって峠に着くまで追い抜かれずに済んだ。

 

夜間は満天の星空だったが段々と薄曇りとなり、期待していた至仏山の眺望は肉眼では辛うじて見ることはできたが、写真では全く写ってなかった(ここに至仏山があったんだということで、写真だけは添付しておく)。尾瀬ヶ原にも行ってみたい気はしたが、今のコンディションでは往復するだけで半日はかかりそうなので、あきらめて戸倉に向けて下山する。

 

途中でテントを回収した時間を除くと時速三キロくらいでは歩けたようである。出発時のライトの人とは会わずじまいだったので変だなと思っていたら、後ろからスノボーに追い抜かれてハタと気づいた。林道を滑るだけのスキーヤーやボーダーが結構いるようなので、朝見たライトはその人のものだったのだろう。林道をわざわざ滑りに来るなんて物好きだなあと思ったが、鳩待峠までわざわざ登りに来る方がよっぽど物好きかもしれない。

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