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2019年3月

2019年3月31日 (日)

東海地区の私鉄未乗車路線の乗り鉄

名古屋にある家内の実家に物を届ける用事があったので、18切符を利用して東海地区の私鉄の未乗車区間を乗り潰すことにする。始発に乗って何回か乗り返して名古屋に着いて用事を済ませた後、枇杷島から東海交通事業の城北線に乗り換える。乗り換え時間が4分しかないので、ダッシュして改札口を出るが乗り換え口が見つからない。次の電車に乗り遅れると後の予定に響くので少々焦るが、改札口に戻ると城北線は改札内にあることかわかり、滑り込みでセーフとなる。

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終点の 勝川駅はJR勝川駅から少し離れた所にあり、駅周辺には飲食店もないようだったので、コンビニで弁当を買って待時間を利用して昼食を摂る。次の目的は西桑名からの三岐鉄道北勢線である。近くを通る三岐鉄道三岐線は昔名古屋に勤務していた当時、鈴鹿の山を登る際に何度か乗ったことがあるが、北勢線は乗らずじまいであった。電車は懐かしい鈴鹿の山に向かって田園地帯を進んで行くが、山麓までは行かずに阿下喜で終点となる。そういえば、阿下喜には家内の親戚がいて家内も行ったことがあるそうだ。

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北勢線は新幹線の半分ほどの線路幅の日本では数少ない超狭軌路線で、阿下喜の駅には軽便鉄道博物館が隣接しており、今日は閉まっていたが北勢線に関する様々なものが展示されているそうである。また博物館の前にはホ ームに平行して周回線路も敷かれていて古い電車も陳列されていて、有料の免許を取得すれば運転までできるそうである。そんなわけで30分ほどの、待時間も退屈せずに過ごすことができた。

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ここから先は来たみちとほぼ同じ経路を戻るだけの長~い長~い道のりである。

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2019年3月28日 (木)

琵琶湖一周

今日のゴールの長浜までは70キロだから比較的楽な行動である。もっともこれは最低限の目標であり、余力があればブラスアルファの予定もたてているので、決して楽はさせてもらえそうにもない。昨年はアクシデントのために湖西線を輪行で行ったものだが、今日はなく、念願のサイクリングで行くことができる。湖上には昨年訪れた西国三十三札所の三十番札所である宝厳寺がある竹生島も眺められて懐かしかった。

やがて道は琵琶湖を離れて緩い登りとなり、トンネルを抜けると長浜市に入り琵琶湖の東側に回り込んだ。ここまでは比較的順調だったので、賤ヶ岳に寄り道することにした。織田信長亡き後、有力家臣であった柴田勝家と羽柴秀吉が争った古戦場である。急ぎ足で往復しても一時間もかかるが、琵琶湖を眺められる風光明媚な所で、古に想いを馳せてのんびりしたいところだが、次の予定があるため先を急ぐ。

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そこからは一時間半ほどで長浜駅に着く。昨年琵琶湖一周をスタートした地点に戻ってきたわけだ。寄り道しなければ2日で楽勝な琵琶湖一周を2年間かけて行ったことになる。これで、今回の目標の大半は果たしたことになるが、ここまで来た際だからやっておきたいことがもうひとつある。それはかなり前に終えた中山道の街道歩きのうち、時間切れでホテルの自転車を借りて走破した彦根~柏原21キロをジョギングで踏破することだ。結局は時間が足りなくなって彦根~醒ヶ井12キロのみに終わったが、道がわかりにくく峠越えもあって大変な部分は終わらせたので、平坦で道も明瞭な醒ヶ井~柏原9キロは次回にまわすことにした。 

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皆子山

朝は膳所から堅田までの14キロを自転車で移動し、堅田からバスに乗って皆子山の登山口に向かう。登山者が結構大勢乗っていたが、平で下車したのは私1人だった。ここからは最初に登る京都府最高峰の皆子山の外、時間があれば次に登るつもりの300名山でもある蓬莱山の登山口にもなっているのにもかかわらず誰も降りないということは、みなさんは、この奥にある武奈ヶ岳(蓬莱山と同じ比良山地の最高峰で200名山)をめざしているのだろうか?

歩き出してしばらくすると、前方から登山者が二人やってきて、「皆子山の登山口の沢は水量が多いので気を付けてください」と言われる。この時間に降りてきたのは、沢を渡れずに引き返してきたからなのだろう。足下の沢を覗いてみると、それほどの水量ではなく何故引き返してしまったんだろうと思ったが、現地を見てから判断することにした。現地に行ってみると、裸足になってズボンを膝までまくれば難なく渡れる水量だったので、向う岸に渡って登山を開始する。

事前にコースタイムを調べた時には山頂まで登り二時間となっていたので、飛ばせば往復三時間で往復でき、蓬莱山にも登れるだろうと踏んでいたのだが、この考え甘かったことにすぐに気がついた。と言うのは、コースは踏み跡のしっかりしたハイキングコースではなく、赤テープが要所々々にあることを除けば完全に沢歩きのコースで、飛ばして登下降できるようなコースではないのだ。

二時間ばかりで誰もいない頂上に着く。同じ道を下るとかなり時間がかかりそうだったので、北面コースならば道はしっかりしているのではと期待して北面コースを下ることにした。ところが、こちらも踏み跡はほとんどなく、さっさと降りてこられるコースでないことがわかった。それでも、蓬莱山に行くのを諦めたのだから、最終バスには楽勝かと思いきや、ラストを走ってギリギリ間に合う羽目となった。もし、間に合わないと、かなり歩いてバスに乗らなければならない所だったので助かった。

宿を予約してある近江舞子までは17キロ近くあるが、宿の近くにはお店はないようだったので、四キロほど手前のコンビニと飲食店のある所で自転車を停めたのだが、コンビニにはどういうわけか酒がなく、飲食店では予約でいっぱいだということで断られてしまい空振りであった。おかげで、一度宿にはいってから随分と遠いコンビニまで買い出しに行かされる羽目になってしまった。2019032323010400

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比叡山 千日回峰

     

今朝は淀屋橋から京阪本線に乗車して、地下鉄、JRと乗り継いで、昨年アクシデントのために途中でリタイアした守山から琵琶湖周遊ツーリングを再開する。途中、草津駅から東海道と中山道の合流点までの1キロほどは自転車は漕がずに引いていく。、と言うのは、完歩した中山道の最終日に時間切れで、草津駅で乗車してしまい、「空白の1キロ」が残ってしまったからだ。合流点から大津までは東海道の街道歩きで経験済みなので、そこはスキップしてもよかったのだが、また自転車を分解するのも面倒だったので、そのまま進み京阪膳所で自転車を駐輪し、京阪線で比叡山坂本に向かった。

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坂本からはケーブルカーがあるので、ほとんどの人はそれを利用するようだが、今回は千日回峰のコースを行くつもりなので、誰にも会わない静かな道を比叡山に向かう。比叡山近くになると大勢の人が現れ、平日でも結構にぎわっているようだ。ただ肝心の根本中堂は本格修理中で、シェルターに覆われていて少し興ざめであった。

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ここで千日回峰のコースからは外れて比叡山の山頂である大比叡を目指すが、道がなかなか見つからず苦労した。ようやく大比叡についても、ここまで登ってくる人はいないようで静かな山頂であった。

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西塔に戻って千日回峰の道を進んだが、1人すれ違っただけの静かな道であった。横川中堂までドライブウェイ沿いの道を進んでから坂本に下る。1日だけなら、さほどきつい道ではないが、3年以上に渡って連続行動というのは大変なことである。

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アクシデント

ムーンライトながらを下車してから最初の目的は阪急京都線の全線(河原町~梅田)乗車である。それを済まして神戸三宮まで移動して和歌山までのツーリングを開始した時は、雨もあがって幸先の良いスタートだった。ところが、走り出して30分もしないうちに後輪がパンクしてしまった。予備のチューブは二本持っていたので、小一時間かけて交換してツーリングを再開する。ところが、昼食後に走り出すと、プシュという音がして後輪がまたパンクしてしまう。1日に2回パンクするなんて前代未聞で、これはタイヤに何か問題があるに違いないと考え、プロに見てもらったほうがいいと判断して、最寄りの自転車数店にパンク修理してもらえるか聞いてみると、どの店も「一般車なら直すが、ロードバイクの修理は断っている」という。パンクの修理に車種の違いは関係ないのに何故とおもったが、どうやら、ロードバイクの中には高級なものもあるらしいので、クレームがついて多額の損害賠償を請求されることを怖れてのことらしい。他所ではそんなことを言われたことがないが、神戸では業者で申し合わせをしているのだろう。ただ1店だけは直せるかもしれないので、現物を見せてくれというものだから、30分くらい自転車を引いて行ってみると、即座に「出来ません」と言われてしまった。それはないだろう!

しょうがないので、予備のチューブをもうひとつその店で買ってからチューブの交換を始める。今度は15分くらいでできた。1日に2回もやれば慣れてくるのだろう。そして、空気を入れてからタッチ車輪を車体に取り付けている時に異常に気付く。タイヤが何ヵ所か裂けていて、そこから満タンのチューブの一部がいくつも小さな頭をだしているではないか。連続パンクの原因はこれだ。このタイヤは出発前に新しいタイヤに交換してもらったものだが、おそらく初期不良だったのだろう。文句は帰ってから言うことにして、今はタイヤを交換することが専決だ。幸い、その店でも交換用のタイヤは入手できたので、タイヤとチューブを両方交換したら、今度はパンクせずに走ることができた。まあ店まで出向いたから交換用タイヤを買えたのだし、そもそも田舎をツーリングしていたら、自転車屋もなかっただろう。そういう意味では運が良かったのだとポジティブに考えるしかあるまい。

パンク騒動で大幅に時間を食ってしまったので、和歌山まで行くのは難しくなったので、自転車では堺あたりまで行き、その後は18切符で和歌山市まで行き、帰りは2番目の目的である南海本線の全線(和歌山市~難波)乗車を行ってきた。なお堺に拘ったのは、学生時代に読んだ歴史家の羽仁五郎の「都市の論理」で堺の町をフィレンツェに匹敵する自治の街として高く評価していたので、それん偲ぶものが残っていないかと思ったのだが、事前調査が不足していて成果は得られなかった。また堺市の郊外には仁徳天皇の前方後円墳があるということで近くまで行ってみたが、夜だったこともあるが、木の生い茂った丘が見えるだけで、
教科書に載っている航空写真とはえらい違いである。

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大蔵経寺山と兜山

明日から関西方面に行くので夜行のムーンライトながらに乗って行くのだが、18キップは日付を跨ぐので2日分使用するか、小田原までの切符を別途買わなければならない。そこで、2日分使用して夜までは山梨の山を登ってくることにした。夜行列車に乗り継ぐ関係で9時頃までには確実に帰宅しなければならないので、駅に直接下山できる山ということで、甲府北方の山梨百名山を登ることにした。

最初は石和駅から直接登れる大蔵寺経山という低山(670m)だ。馬鹿にしていたわけではないが、一時間もあれば登れるだろうと思ったのに取付きから難航する。登山口がわからないのだ。地図の道を辿ると民家の間を入っていくようになり、一応踏み跡はあるのだが藪がひどく、とてもハイキングの山とは思えない。その後も、スマホにダウンロードしてある国土地理院の五万図と他の地図のいずれのGPSでも登山路上にいるはずなのに、踏み跡もほとんどなく、ただ尾根を真っ直ぐ登って他の道と合流すれば、道も良くなるだろうと期待しながら登っていく。案の定、しばらく登って行くと左側からしっかりした道と合流して、格段にペースがあがる。ただここまで登るのに二時間と予想外の時間がかかってしまい、要害山まで行くという当初の計画は難しくなってきたが、とにかく大蔵経寺山は登らなければならない。

山梨百名山60座目となる大蔵経寺山は山というよりも、稜線上のコブのような地味な山であった。要害山まで行けなくなったとしても、このまま下山してしまうのではもったいないが、最後に登るつもりだった山梨百名山の兜山はここからだと随分遠い。要害山方面に延びる稜線上にある岩堂峠から下るよりも、大蔵経寺山から長谷寺に下る道を経て尾根を回り込んで取り付く方が近道だろうと考え、こちらを行くことにした。

道はアップダウンもそれほどではなく、途中から舗装道路を行くようになったが、来月のネパール登山に備えた試し歩きの高所靴には少々ハードであった。兜山は沢から回り込んで岩場を通って行くコースと尾根を回り込んで行くコースがある。前者の方が面白そうだが、後者の方が早く登れそうだったので、帰りの時間が心配で時間に追われている身としては後者を選択せざるを得ない。300メートルほどの高度差を約一時間半で往復する。春日居町駅までは五キロで約一時間後に発車する列車があったので楽勝だと思ったが、途中で道を間違えたこともあり、  の差で乗り損ねてしまった。それでも次の列車でも、夜行列車には無事に間に合ったので、メデタシメデタシである。

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高尾トレランもどき

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お彼岸の墓参りに家内が風邪気味で不参加となったので、墓参りの後に近くの山をトレラン(もどき)で登ってくることにした。墓地から少し奥に入ると豊臣秀吉配下の前田、上杉連合軍に滅ぼされた八王子城跡が山の中腹にあり、裏高尾縦走路に繋がっている。裏高尾縦走路自体はだいぶ前に歩いたことがあるが、今回はトレラン(もどき)なので堂所山まで行き、そこから表高尾縦走路を降りてくるという欲張った計画をたてた。いざ登り出してみると、昔取った杵柄というわけにはいかず、少し急な登りとなると歩きだしてしまい、トレランもどきとなってしまった。このペースで堂所山まで行くと、高尾山に着く頃には暗くなってしまうので、ショートカットして表高尾縦走路の影信山に向かう。

影信山から高尾山までは多少のアップダウンはあるが、大した登りはないのでまたトレランもどきで行く。高尾山から影信山を越して陣馬山までの往復30キロのコースは東京近辺では最も人気のあるトレラン練習コースで、自分も現役の頃は良く走ったものだが、今日も何人かのランナーが走っていて、すぐに追い抜かされてしまう。自分も昔はあんなスピードで走れたんだなあと思いながら、昔を思い出しながら進んで行く。遅いといっても歩くよりはよっぽど早いので、暗くなる前には高尾山口駅に着くことができた

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2019年3月11日 (月)

福島3.11

福島3.11夕暮れの浪江町で唯一明かりが灯っていた建物も住宅ではなく事業所だった 福島3.11 福島3.11途中下車した水戸偕楽園

行きは常磐線経由で福島に向かう。途中、時間があったので水戸の偕楽園に立ち寄る。梅が見頃であった。常磐線の不通区間には代行バスが走っているが、前回乗車した時よりも立ち入り禁止区間は縮小しているので、前回はバスで通過した約23キロもジョギングで行ってみる。道端には桜の木が延々と植えてある。開花するまでに成長するのには何年かかるだろうが、桜並木に沿ってマラソン大会が開かれたら復興を象徴するイベントとして素晴らしいものになるだろう。果たして、その時も自分が走れるかどうかはわからないが

 

富岡から代行バスに乗って浪江に着くと、夕暮れだというのに、家々の明かりは灯っておらず人影も見当たらない。辛うじて灯りの見える所まで行ってみると、事業所の建物だった。元の街に戻るのには長い々々年月がかかるのだろう。その後は常磐線に乗って仙台に向かう。

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