« 2019年3月 | トップページ | 2019年5月 »

2019年4月

2019年4月22日 (月)

カリガンダキからムクチナート

Jointpics_20190422_182957

カトマンズから夜行バスで来るコックやポーターとバス停で合流してムクチナートに向かう。39年前に来た時は何日もかけて歩いた所を1日で車で行けるようになったことは驚きであるが、道自体は期待に反して悪路の連続であった。特に湖の上部の道が大河カリガンダキに合流する地点から、前回(39年前)通ったゴラパニ峠から下ってくる道と合流するあたりまでは特に悪く、出来れば帰りは通りたくないくらいだが、そういうわけにもいかないので、運転手の技倆を信じるしかない。まああれだけたくさんの車が通っているのに事故がないのだから、こちらの人は慣れっこなのだろう。車のすれ違いに長時間待たされることもあるが、その間にヒマラヤが眺められたりするのも楽しみである。ゴラパニ峠からの道と合流すると、そこから先は前回は歩いて通過したところだ。当時は歩きか馬に乗るかしか交通手段がなかったのに、今は車がひっきりなしに通って行く。だんだんと河原が広くなっていくにつれて道も広くなっていき、車のすれ違いもスムーズになって行程もはかどるようになる。だいぶ行程を稼いだところで遅めのランチとなる。ガイドも含めたネパール人のスタッフ5人は定番のタルカリ(野菜カレー)を注文していたが、その店はトレッカー相手の施設で外人用のメニューも豊富だったのでフライドライスを注文したが皆がタルカリを食べるのを見たら、私もタルカリを食べたくなってしまった。食後も快調なドライブが続き、やがてカリガンダキを離れてムクチナートに向けての急登となるが、今までのダートから舗装路に変わったので、逆に大幅にスピードアップするようになった。前回は砂漠を思わすような砂っぽい道を馬に荷物を乗せた隊商とすれ違ったりして、当時流行っていた久保田早紀の「異邦人」を思わせる世界だったが、まったくの様変わりである。やがて、チベット仏教の聖地であるムクチナートに到着する。前回は数件のロッジがあるだけの寂しいところであったが、今はロッジが立ち並ぶリゾート地のようで、隔世の感がある。ただ我々はロッジには泊まらずテント泊まりとなるので、いよいよヒマラヤ登山が始まったという気分になってくる。

| | コメント (0)

2019年4月21日 (日)

ポカラ到着

20190421195854012019042119585400

早朝にガイドが迎えに来て、ツーリストバスでネパール第二の都市であるポカラに向かう。6年前にポカラに向かった時に乗った路線バスに比べれば快適だが、さほどスピードアップするわけではなく、日本なら3~4時間で行けるところを道路事情等のために丸1日の行程となる。もっとも飛行機もそこそこの本数は出ているのだが、ガイドやコックの分まで含めると結構な負担になる上、移動時間の短縮にはなっても日程短縮にはつながらないのである(その分、ポカラでノンビリできることにはなるのだが)。それに陸路で行ったほうが、現地の暮らしぶりを間近にみられるというメリットもあるのだ。

 

ポカラまでの真ん中あたりまで来た頃にお昼となり、ランチタイムでバスを降りて食堂に入る。食事の写真を撮り忘れたが、ネパール人の標準的なランチであるタルカリ(野菜カレー)とダルスープ(豆スープ)に一点豪華?に骨付きチキンの小皿である。昨夜のモモ(ネバール餃子)と違って、日本人の口には合わない気がするが、私は結構現地化されてしまっているのか毎日食べても飽きない味だ。

 

6年前に来た時のような渋滞もなく、まだ明るいうちにポカラに着けたのは幸いだった。ただ夕立があったためヒマラヤの峰々が望めなかったのは残念だった。ここからキャラバン開始地点のムクチナートまでの間は以前は何日かかけて歩いたものだが、今では道が整備されて車で1日で行けるようになっている。そうは言っても文明の恩恵に与れるのは、ここポカラまでで、ここから先はインターネットの環境もないようなので、ブログ更新もしばらくはお休みになりそうだ。

| | コメント (0)

カトマンズ

2019042102472400201904210247470020190421024803002019042102481800

3年ぶり5回目のネバール訪問となった。訪問国としては、中国とフランスの各6回に次ぐことになるが、中国の場合には毎回訪問地が違っているのに対して、ネバール訪問に際しては必ず訪れる首都カトマンズは訪問都市としては、フランスの山岳リゾートであるシャモニと並ぶ最多の5回目となる。前回のカトマンズ訪問の際は地震の爪痕が随所に見られたが、復興が進んだためか今回は地震の影響はほとんど感じられなかった。

 

エージェントの送迎車に乗って観光客でごった返すタメルのはずれにあるホテルに着く。ここタメルは私が海外でも地図なしで歩ける所としてはシャモニ中心部と並ぶ数少ない場所である。このあたりには、リーズナブルな値段で食べられる上、日本人にとっても違和感のない和食の店がいくつかあるのだが、それは山から降りてからの楽しみにとっておいて、せっかくネパールに来たのだから、ネバール名物のモモ(ネパール餃子)を食べに行く。店は露店に毛が生えた程度の貧相な造りだが、カトマンズ一と評判があるだけに夕方なのに満員である。客は観光客と地元の人が半々である。メニューは一種類だけだが、モモにかけるスープのこってりした味が絶品である。
食後はスーパーでビール(その名もエベレストビール)とつまみを買って、タメルの町を散策しながらホテルに戻る。

| | コメント (0)

2019年4月 7日 (日)

要害山から帯那山

18切符を利用した「甲府北方の山」第二回は要害山と帯那山である。要害山の登山口である積翠寺までのバスはあるものの、本数が少なく時間も利用しにくい時間のためどうしたものかと思ったが、5キロちょっとの距離なので歩いていくことにした。当日は信玄公祭りで信玄の館跡である武田神社は大勢の人で賑わっていた。武田館は「人は石垣、人は城♪」の歌でも知られる信玄の方針に従って、他の戦国大名のような石垣や天守閣はなく、ただ堀に囲まれているだけである。その代わり緊急時には、これから向かう要害山に立てこもって交戦する備えはとっていたようである。実際に要害山に登ってみると、尾根道には何重にも縦堀が掘られていて、山名どおり要害堅固であることが実感できた。

要害山から次に向かう帯那山までは尾根通しには行けず、一度谷まで降りて林道伝いに行かなければならない。ただ林道はかなり迂回しながら高度を上げて行くようなので、五万図にもGPS地図にもあるショートカットする道を辿ろうと思ったのだが、対岸には地図にあるような道などはなく、急がば回れで林道を忠実に行くことにした。やがて林道から分かれた尾根道を行くと五万図で帯那山と記載されている地点に着いたので、これでゴールでバス停のある戸市までは三キロ程度の距離なので時間は1時間半ほどあるし楽勝だと思ったのだが、写真を撮るために山頂まで行ってみて、見頃山と書いてあるのでガッカリする。山梨100名山の帯那山はさらに奥にあって100メートルほど高い奥帯那山であることがわかり、そちらに向かって行くことにした。

奥帯那山に着くとすぐに戸市に向かって下降を開始する。3.5キロを一時間は走れば楽勝だろうと飛ばして行く。だいぶ降りてGPS地図を見ると現在位置がさきほどと変わってないでないか。再起動しても変わらない(そういえば4月7日はGPSに障害が出る可能性があると報じられていたが、その影響か)。しょうがないのでGPSは無視して一目散に下って行ったところ、GPSが回復したようなので現在位置を確認すると、GPSが不調な間に分岐点を見落として、バス停のある戸市とは別の方向へ下っていることがわかった。今から正しい道に戻っても戸市の最終バスに間に合わないことは明らかだ。ショックではあったが、こうなってしまった以上は甲府まで自力で帰るしかない。距離を調べると12キロ程度だったので、下り一方だし二時間もかからないだろうと甲府を目指すことにした。結局帰宅したのは戸市からの最終バスに乗れた時と比べて一時間程度の遅れで済んだが、奥帯那山直下から甲府まで約15キロの林道及び舗装道路を走って下ったことになり、いい年をして(100名山一筆登山の)田中陽希君みたいなことをしてしまったわけである。

2019040721045100201904072105550020190407210636002019040721065300

| | コメント (0)

« 2019年3月 | トップページ | 2019年5月 »