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2019年12月

2019年12月31日 (火)

パムッカレ

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九時間ほどの夜間走行でエーゲ海ともさほど遠くないパムッカレに到着。ツアーが始まるまでの間はdayroomで休養することになっていたが、宿の人の「気球に乗りたい人」という声に家内以外の全員が手を挙げて、急遽予定外の気球ツアーにも参加することとなった(家内は新婚旅行の際のナスカ地上絵のフライトで酔ってしまったことがトラウマになっているようで不参加)。ところがしはらくして雨が降り始めたため朝の気球ツアーは昼に延期となってしまい、ツアー開始まで部屋で待機する。

 

午前中のツアーは世界遺産となっているローマ時代の遺跡(円形劇場等)と石灰岩の棚田であるが、後者については天気のせいもあるのか思っていたほど青くならず、ネットにあった「九寨溝の方がきれいだ」というのももっともだと思われ(九寨溝に行ったことはないが)、世界遺産の安売りの感がなきにしもあらずであった。昼近くになっても雨は降りやまず、またもや気球ツアーは中止となった。ある程度予期していたこととは、ちょっぴり残念であった。

 

午後はショッピングと数ヶ所の名所を回ったが、参加者もガイドもなげやりな感じで時間を消化しているだけのようであった。夕方になって現地のツアーオフィスに戻り、中止になった気球ツアーの料金の返還を受けてから最寄りの飛行場に行きイスタンブールに向けてのフライトが飛び立った。イスタンブール空港では、ツアー初日に一緒だった日本人10人のうち、先行してパムッカレからイズミールに行った人も含めて4組8人が合流するというサプライズがあったが、再会も束の間で各組のホテルに向けての送迎車にそれぞれ乗り込んだ。こうして第一番目のトルコの旅は終わりを迎えたが、我々の旅はまだまだ続く。

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カッパドキア

今日からは今回の旅行を思い立ったきっかけとなったカッパドキアのツアーが始まる。今までは個人旅行がほとんどだったが、カッパドキア~バッカレムは移動距離が長く個人で旅行するのは困難に思えたので、現地ツアーに参加することにした。

イスタンブールを早朝に出発してカッパドキア近くまで飛行機で移動し、そこから遺跡までは外国の旅行者と一緒のワゴン車で移動することになったので、てっきり彼らと1日を共にするのかと思いきや、途中のホテルで一人また一人と降りて行って最後は我々二人だけが残ったので、以前にベトナム~カンボジアの現地ツアーで経験したような我々だけのプライベートツアーになるのかと思ってしまった。ところが最終的には日本人10人+日本語ガイドのツアーに参加するという予想外の展開となってカッパドキアツアーは開始した。写真やテレビでよく紹介されるキノコ岩や地下住居を巡ったが、かなり広範囲に移動するのでツアーに参加して正解ではあった。

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ただ途中で絨毯や陶器の工房に立ち寄るショッピングの時間も設けられていたのは仕方ないことではあった。特にじゅうたん工房では高価なじゅうたんに対して家内が興味を示したためにカモが来たとばかりに別室に拉致されて「拷問」?にあったが、なんとか口を割らずに(買い物をせずに)放免されることとなった。
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昼食は洞窟レストランで摂ることとなりメイン料理は壺入りのシシケバブであったが、昨晩のとは違い家内の口にも合ったようである。食事をしながらツアー客同士で談笑したが、ほとんどが30代のカップルで我々だけが場違いのグループに紛れ込んでしまったような気がしないでもなかった。午後も遺跡巡りは続いたが正直言って食傷気味の感もあり、フレスコ画のある教会跡も下の方を少し見ただけで、上の方にある教会跡の洞窟は元気に階段を登って行く若い人たちを見送って我々老夫婦は下で待機することとなった。
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長かった1日のツアーも終わり、メンバーそれぞれの行程に合わせて途中の夜行バスの乗り場や途中のホテルで宿泊する人が下車して行き、最終的には我々を含めた二組が郊外の洞窟ホテルで宿泊することとなった。イスタンブールで宿泊したホテルとは段違いの広さと雰囲気に満ちた部屋に泊まって、明朝の気球ツアーに備えて早めに眠りについた。

 

翌朝はまだ暗い6時半に気球ツアー会社の車が迎えにきて乗り込み気球ツアーが始まるかと思いきや、しばらく走ると雪のためにツアーはキャンセルとの連絡がきてまたホテルに戻るはめになる。昨日急に思い立って申し込んだツアーのため大した思い入れもなかったのでまあ仕方ないか

 

朝食後にしばらく休憩してから二日目のツアーが始まるが、車で移動中に雪の降り方がどんどん激しくなってくる。今日の予定はまずはウラル渓谷のハイキングだが、果たしてこの天気でハイキングができるのか危ぶまれてくる。ウラル渓谷はもっと近い所かと思ったら一時間以上はかかるところだった。渓谷沿いの道はほぼ平らで大して雪もなかったので、両岸の岩壁とそこに掘られた穴を眺めながら30分ほど進んでから引き返し、渓谷入口のレストランで昼食をとる。
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昼食後は車で渓谷上の道に戻り、やや下ってから渓谷を渡った先にある岩穴の教会見物となるが、昨日も同じような景色は見ているので、我々は車の中で他のメンバーが帰ってくるのを待つ。次に行く地下都市も同じようなものは昨日も見たが、パスばかりしててもしょうがないので、今度は真面目に見に行く。敵の侵入を防ぐ石の扉とか、キッチンとか内容的には昨日と同様であったが、規模的には昨日よりもやや大きい感じであった。
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最後はお決まりのショッピングタイム。宝石店で家内はトルコ石をゲットしてご満悦であった。これでカッパドキアでの観光を全て終えて明日の観光地のバムッカレに向かう夜行バスに乗ることになるが、発車時刻まではしばらく時間があったので、カッパドキアの最後の眺めを楽しんだ。

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2019年12月28日 (土)

イスタンブール

年末年始の初の夫婦海外旅行である中東旅行はモスクワ経由のアエロフロート便によるトルコ訪問から始まった。アエロフロートの利用はもっぱら安さが魅力にひかれてのことであるが、フライトの遅れによる乗継失敗もネット上では報告されているので、万一トラブルが発生した場合には、30年以上前に観光済みのイスタンブールは今回は観光をカットすることにより対応することにした。

 

幸いアエロフロートは順調に運行し、イスタンブールには深夜に到着したので、空港の喫茶店で朝まで時間を潰した後、まだ暗いうちにホテルに入り朝食を済ませてから市内観光に出かける。二度目のイスタンブールだというのに、ガラタ橋からガラタ塔、そしてトラムで旧市街に戻ってグランドバザール散策と36年前と同じ観光地を巡る能のなさだったが、違ったのはガラタ橋の下の道を歩いて有名なサバサンドを食べたくらいか。後はブルーモスクやトプカプ宮殿といった前回見た寺院や博物館は全て省略してしまったので、一日でイスタンブール市内を巡ることができた。
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夕食は繁盛しているトルコ料理店に入ったが、シシケバブの臭みのある羊肉が私は美味に感じたが、家内の口には合わなかったようである。前夜の睡眠不足と明日の早出のために夜は早めに眠りについてしまった。

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2019年12月15日 (日)

曲岳、黒富士

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金峰山

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瑞牆山

 

山梨百名山のうち、甲府北方で未登の8山を年初から登り出したが、曲岳と黒富士山が残ってしまったので、年内に片付けようと登りに行った。この2山は甲府からは20キロほど離れている上にバスもないので、マイカー利用でないと行きづらい山である。前回は猛暑日に太刀岡山を加えた三山を、一度に登ってしまおうと目論んで、アプローチに自転車を利用したのだが、暑さにやられてグロッキーとなり、太刀岡山のみの登頂で終わってしまった。今回はトレーニングを兼ねて、竜王駅から曲岳登山口までの距離20キロ、標高差1100メートルの登りと黒富士下山口から竜王駅までの16キロの下りをランニングでやってみることにしたが、スピードは別として何やら一筆書きで百名山を登っている田中陽希君めいてきて年甲斐もなくと思わないでもなかった。

 

8時半に竜王駅を出て4時間で登山口に着く予定だったが、観音峠直下が急傾斜で走ることはできなかったので、4時間半かかってしまった。登山口から曲岳山頂までは200メートルの登りだけなのだが、ロードを走ってきた(つもりの)疲れで苦しい登りとなってしまった。山頂の少し手前に展望台があったが、山頂で眺めればいいやと展望台には寄らなかったところ、山頂は樹木に覆われてほとんど展望はきかなかった。

 

ここから黒富士までは大したアップダウンはないのだが、黒富士手前でミスを犯してしまった。それは今まで通ってきた道が急に不明瞭となり、左側に分岐する道に標識があって「升形山 黒富士」とあったので、地図には書いてないが、升形山という小ピークがあって、それを越えて黒富士にたどり着くのだと勘違いしてしまった。実際は升形山はまったくの寄り道で、一見不明瞭な道をそのまま行くと黒富士にたどり着くのであった。枡形山に着くと黒富士が正面に見えたので、それを目指して進んだつもりだった。実際は来た道を戻っていたのだが、黒富士の方ばかり見ていたので、うかつにもそのことに気がつかなかったのである。

 

黒富士山頂も樹木に覆われてはいたが、八ヶ岳や奥秩父方面の展望は得られた。特に奥秩父の金峰山や瑞牆山は間近に見られて迫力があった。展望を楽しんだ後、来た道を戻ったが、枡形山の分岐点では、寄り道した山だということには気づいていないので、また登りだして、山頂から先の道を歩きだした。一応踏跡はあったし赤テープもあったので先に進んでみたが、どうもこんな不明瞭な道を歩いた記憶はないので、元の場所に戻り地図と磁石を総動員して検討したところ、枡形山は寄り道であることに気づき正しいコースに戻れたが、かれこれ一時間近くは時間をロスしてしまったことになった。なんとか真っ暗になる前には下山口に降りられ、16キロのロード走に移ることができた。体は疲れていたが、下り一方なので、なんとか走り通すことはできた。竜王駅に着いたのは8時半で、ちょうど12時間の50キロ近い耐久レースとなってしまった。

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2019年12月10日 (火)

入笠山

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南アルプスの主要なピークや縦走路は踏破しているが、北部の前衛峰のうち300名山にもなっている入笠山は以前から登ろうと思いながらチャンスがなかったもので、今回ようやく登ることができた。入笠山は頂上直下まで自動車道路が通じているし、ロープウェイもあるので、下から登る人は稀なようだが、トレーニングを兼ねてすずらんの里駅から標高差千メートル以上を登ることにした。

 

地図に載っている道を登っていくが、「この道は自転車専用です。入笠山には登れません」という注意書きが何ヵ所もでてくる。自転車専用と言ったってこんな急な砂利道はマウンテンバイクでもたいへんな道であり、何のための注意書きなのか理解に苦しむので、無視することにした。やがて道は消えて急な斜面の踏跡を登っていくようになる。山慣れしていないと前進は困難なので、「入笠山には登れません」という注意書きはそういう意味だったのかと納得する。やがて尾根の上に出ると歩きやすい道となってくる。

 

急な尾根道を登って行くと、右からロープウェイが近づいてくる。人工スキー場がオープンしていて、平日だというのにそこそこ利用客はいるようだ。ロープウェーの終点で道は合流するが、あたりはだだっ広いところで、入笠山頂上に向かう道が判然とせず、近道をしようとしたら見事に失敗して元いた所に戻ってきてしまった。そこで、先程は遠回りになると思って敬遠した湿原に一度降りてから頂上に向かう道が急がば回れで正解のようであった。湿原は初夏にはすずらんが美事で大勢のハイカーが訪れるようだが、今は静まりかえっている。

 

頂上に向かう途中で2バーティーに出会ったが頂上は独り占めで、北アルプス、南アルプス、富士山、八ヶ岳と360度の眺めが得られ、この眺めだけでも300名山の価値はあると思われた。頂上は寒かったので長居をせずに下山に移ると、しばらくして舗装道路に出て、後は富士見駅までの10キロばかりの長い々々ランニングが待っていた。

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2019年12月 2日 (月)

辺野古と那覇マラソン

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早朝のバスで名護を出発して辺野古に向かう。ところがゲート前のテント着いてみると、人っ子一人いない。早く来すぎたのかと思って辺野古の海岸に降りると大勢のカヌー隊の人がいて、今までどおり変わらないようである。それからゲート前に戻るが、やはり誰もいないし、ゲート前の警備員も少しいるだけである。これで今日の搬入はないことがはっきりとしたが、何故なのか?とネットで必死に検索すると、少し前からゲート前への搬入がなくなったので、運動はもっぱら本部港の安和桟橋に絞られているということであった。そう言えば、昨日本部港に行った時に安和セメントの前で数人の人が抗議行動をしていたが、あの後に大勢が集まったのだろうか?今から本部港に行ってみようかと思ったが、那覇から毎日バスを現地に出している団体があって、そのホームページに出ているバスのスケジュールでは土日は書いてなかっので、多分土日の行動はないのだろうと判断して那覇に戻ることにした。その際に那覇で今日の3時から辺野古の勉強会が開かれることがバスを運航している団体のホームページに載っていたので、那覇マラソンの受付手続きをしてから参加することにした。

那覇に到着して受付手続きを終えても3時の勉強会までは大分時間があったので、ホテルに荷物を置いてから勉強会に参加することにした。2時間の勉強会の内容は多岐に亘っていたが、結論としては、オール沖縄側の知事が続く限りは、政府側の思惑通りに事が運んでも、技術的困難性と法的対応の必要から完成までに20年はかかるということで、両者の我慢比べが続くことになるのだろう。私自身は年齢的にもそれほど長くは運動には加われないが、果たして結末を見ることができるだろうか

勉強会の後は、同じ場所で忘年会ならぬ望年会が開かれた。参加者はほとんどが地元の常連のようであったが、県外からも私を含めて3人が参加していた。料理は地元の名産がたくさん用意され、アルコールも泡盛からマッコリ、ワイン等と各種あったが、明日のレースに影響しないようにとビールだけにとどめておいた。散会後にホテルに戻ったが、酒が効いたのかバタンキューであった。

前夜に早く寝すぎたため、深夜から目覚めてしまい、寝過ごすことを恐れてそのまま起きてしまった。会場にはまだ暗い内に到着して夜明けを待つ。そのうちに参加者が次々とやって来て賑やかになってくる。前回の那覇マラソン出場は15年以上前で、前の日に地元のクライミングジムで登り過ぎたために足にダメージを受けてしまい、当時としては失敗レースとなる3時間41分という記録だった。今となっては夢のような記録で、今回はマラソン復活後初の5時間切りを目指すタイムで申告したが、それでも後ろのグループに回されてしまい、レース開始後スタート地点に到達するまでに15分かかってしまった。

最近は捻挫の古傷が悪化して、関節が温まって痛みがなくなるまではスローペースで進んだため後続のランナーにも抜かれっぱなしとなったが、国際通りが終る頃には関節も温まってきたのでペースアップし、東海岸に出るまでの登り坂でもどんどんとランナーを抜いて、この分なら5時間を切れるなと思ったのも束の間、気温がどんどん上昇して25度まで上がったために急激に足が動かなくなり、歩きも入る有り様であった。

完走に赤信号が灯り始めた頃、33キロの関門手前で突然「後1分」のアナウンスがなされる。回りが一斉に全力疾走に移ったので、つられて自分も全力疾走となる。関門横に待機していた高校生が一斉に横になってランナーの進入を阻もうとするが、なんとかかいくぐって障碍を突破したと思ったのも束の間、いきなり足に強い負担がかかったために足に痙攣が起きて激痛が走る。多少の痙攣ならば、しばらく休んで走り出せるのだが、今までに経験したことがない激しい痛みで、レース続行は不可能と判断して、関門をクリアできなかったランナーたちと一緒にリタイアバスで帰ることにした。もし症状が軽くてそのまま走ったとしても、あのペースでは時間内に完走できなかっただろうから、競技場まで9キロを目標もなく自力で帰らなければならないところで、リタイアしたのはある意味でラッキーであった。今回は思いがけずリタイアという不本意な結果に終わってしまったが、意欲はあるものの体力の衰えはいかんともしがたく、「老兵は消え去るのみ」ということであろうか

競技場に戻って着替えてから、先日火災事故があった首里城に行ってみる。守礼門が火災を免れたことは知っていたが、本殿は全焼したものと思っていたら、本殿あたりと思われる建物も下から望むことができたのは意外だった(本殿付近には立ち入れなかったので、全容は不明であるが)。首里城の帰りに近くにある石畳道にもよってみたが、こちらはどこにでもある感じで、世界遺産ではなく県の文化財に指定されているというのは、首里城に関連付けられて価値があるということだろうか

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