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2019年12月 2日 (月)

辺野古と那覇マラソン

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早朝のバスで名護を出発して辺野古に向かう。ところがゲート前のテント着いてみると、人っ子一人いない。早く来すぎたのかと思って辺野古の海岸に降りると大勢のカヌー隊の人がいて、今までどおり変わらないようである。それからゲート前に戻るが、やはり誰もいないし、ゲート前の警備員も少しいるだけである。これで今日の搬入はないことがはっきりとしたが、何故なのか?とネットで必死に検索すると、少し前からゲート前への搬入がなくなったので、運動はもっぱら本部港の安和桟橋に絞られているということであった。そう言えば、昨日本部港に行った時に安和セメントの前で数人の人が抗議行動をしていたが、あの後に大勢が集まったのだろうか?今から本部港に行ってみようかと思ったが、那覇から毎日バスを現地に出している団体があって、そのホームページに出ているバスのスケジュールでは土日は書いてなかっので、多分土日の行動はないのだろうと判断して那覇に戻ることにした。その際に那覇で今日の3時から辺野古の勉強会が開かれることがバスを運航している団体のホームページに載っていたので、那覇マラソンの受付手続きをしてから参加することにした。

那覇に到着して受付手続きを終えても3時の勉強会までは大分時間があったので、ホテルに荷物を置いてから勉強会に参加することにした。2時間の勉強会の内容は多岐に亘っていたが、結論としては、オール沖縄側の知事が続く限りは、政府側の思惑通りに事が運んでも、技術的困難性と法的対応の必要から完成までに20年はかかるということで、両者の我慢比べが続くことになるのだろう。私自身は年齢的にもそれほど長くは運動には加われないが、果たして結末を見ることができるだろうか

勉強会の後は、同じ場所で忘年会ならぬ望年会が開かれた。参加者はほとんどが地元の常連のようであったが、県外からも私を含めて3人が参加していた。料理は地元の名産がたくさん用意され、アルコールも泡盛からマッコリ、ワイン等と各種あったが、明日のレースに影響しないようにとビールだけにとどめておいた。散会後にホテルに戻ったが、酒が効いたのかバタンキューであった。

前夜に早く寝すぎたため、深夜から目覚めてしまい、寝過ごすことを恐れてそのまま起きてしまった。会場にはまだ暗い内に到着して夜明けを待つ。そのうちに参加者が次々とやって来て賑やかになってくる。前回の那覇マラソン出場は15年以上前で、前の日に地元のクライミングジムで登り過ぎたために足にダメージを受けてしまい、当時としては失敗レースとなる3時間41分という記録だった。今となっては夢のような記録で、今回はマラソン復活後初の5時間切りを目指すタイムで申告したが、それでも後ろのグループに回されてしまい、レース開始後スタート地点に到達するまでに15分かかってしまった。

最近は捻挫の古傷が悪化して、関節が温まって痛みがなくなるまではスローペースで進んだため後続のランナーにも抜かれっぱなしとなったが、国際通りが終る頃には関節も温まってきたのでペースアップし、東海岸に出るまでの登り坂でもどんどんとランナーを抜いて、この分なら5時間を切れるなと思ったのも束の間、気温がどんどん上昇して25度まで上がったために急激に足が動かなくなり、歩きも入る有り様であった。

完走に赤信号が灯り始めた頃、33キロの関門手前で突然「後1分」のアナウンスがなされる。回りが一斉に全力疾走に移ったので、つられて自分も全力疾走となる。関門横に待機していた高校生が一斉に横になってランナーの進入を阻もうとするが、なんとかかいくぐって障碍を突破したと思ったのも束の間、いきなり足に強い負担がかかったために足に痙攣が起きて激痛が走る。多少の痙攣ならば、しばらく休んで走り出せるのだが、今までに経験したことがない激しい痛みで、レース続行は不可能と判断して、関門をクリアできなかったランナーたちと一緒にリタイアバスで帰ることにした。もし症状が軽くてそのまま走ったとしても、あのペースでは時間内に完走できなかっただろうから、競技場まで9キロを目標もなく自力で帰らなければならないところで、リタイアしたのはある意味でラッキーであった。今回は思いがけずリタイアという不本意な結果に終わってしまったが、意欲はあるものの体力の衰えはいかんともしがたく、「老兵は消え去るのみ」ということであろうか

競技場に戻って着替えてから、先日火災事故があった首里城に行ってみる。守礼門が火災を免れたことは知っていたが、本殿は全焼したものと思っていたら、本殿あたりと思われる建物も下から望むことができたのは意外だった(本殿付近には立ち入れなかったので、全容は不明であるが)。首里城の帰りに近くにある石畳道にもよってみたが、こちらはどこにでもある感じで、世界遺産ではなく県の文化財に指定されているというのは、首里城に関連付けられて価値があるということだろうか

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コメント

屁野古も団怪ジジィばっかで哀れだねw

投稿: | 2019年12月 2日 (月) 21時13分

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