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2020年1月21日 (火)

宮古島から渡嘉敷島へ

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宮古島を去る前にもうひとつ訪れなければならない場所がある。それは中国の脅威を大義名分とする南西諸島の要塞化の一環として島の中央部に新設された自衛隊の基地を見てくることであった。空港の少し先の基地近くのバス停に向かうバスは平良というバス停から出るのだが、同名のバス停はだいぶ離れた所にもあり非常にまぎらわしい。おまけに十分に余裕をもってホテルを出たはずなのに思った以上に遠くて、発車時間ギリギリにやっと着く有り様であった。 陸上自衛隊の基地はバス停から比較的近い場所にあり、真新しい3階建て宿舎が五、六棟が建っており、奥にはより高層の弾薬庫かなにかが建築中であった。ミサイル基地を担当する航空自衛隊の基地は少し離れた高台にありパラボラアンテナも多数見えた。あそこまで行くのは次のバス時刻を考えるとちょっと厳しいのでこのまま帰るつもりだったが、帰りのバスが基地の真下まで寄り道をしてくれて、間近に基地を見ることができたのはラッキーだった。

南西諸島への自衛隊配備の実状については与那国島や石垣島でも見てきたが、着々と進行中のようである。、尖閣近くに中国公船が進出している状況を踏まえて、その必要性を論じる意見もあるが、南西諸島の要塞化は緊張を激化するだけで平和をもたらさないという意見もある。そして何よりも住民にとっては基地の存在が攻撃の対象となるというリスクまあるし、基地の存在によって島の唯一の水源である地下水が不足しかねないという問題もあるようだ。自衛(軍)隊は本来的に住民を守るものではないということは、沖縄戦における集団自決からみても明らかであろう。

空港に移って沖縄本島に戻り慶良間諸島に移動するのだが、船の出発までの時間を利用して首里城に寄ってくる。前回、焼失した直後に訪れた時は、焼失現場は立ち入り禁止だったが、最近になって一部は立入が許されるようになったようである。平日であったが、観光客もそこそこ見られ、沖縄を代表する観光地である首里城の人気を象徴するようであった。焼失現場は報道でも目にしているが、実物を見ると悲惨さが迫ってくる。一刻も早い復旧を願うのみである。

市内に戻り那覇に近い泊港から慶良間諸島の渡嘉敷島に向けて高速船で出航する。太平洋戦争末期に米軍が沖縄に上陸する直前に、その足場とするために上陸したのが慶良間諸島なので、その戦跡を訪れるのが目的である。実は今回訪れる渡嘉敷島よりも1日早く米軍が上陸したのは西側にある座間味島なのだが、座間味島に直行する船便が季節運休となってしまったため、渡嘉敷島にせざるをえなかったのである。 渡嘉敷港は寅さんの映画にでもでてきそうなひなびた港町である。到着したのが夕方だったため、どこにも出掛けずに予約していた民宿風の宿に直行し、夕食は海の幸を肴に泡盛を味わった。

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