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2020年2月

2020年2月24日 (月)

秩父七峰北部

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前回は外秩父七峰のうち南部の四つだけを縦走したので、残りの三山の完登を目指す。
11時半に小川町で下車して七峰の最初の山の官ノ倉山に向かう。駅前からジョギングで進んでいくと、七峰ハイキングの立札が要所々々に現れるので、地図を見ないでも進んでいく。ところが、そのうちに立札がピタリと現れなくなる。立札がないということは、道をそのまま進んで行けということなのだろうが、随分遠回りをするような気がしたし、スマホの地図では左折して沢通しに行けば最短距離で行けそうだったので、立札は無視して沢通しに進む。途中までは明瞭な道があったのだが途中から判然としなくなり、かすかな踏み跡を辿って急斜面を登っていく。所々に古い赤布が見られるので、道を踏み外したわけではなさそうだが、落ち葉で滑りやすい斜面をしばらく登ると立派な登山道に出くわした。ようやくハイキングコースと合流したわけだが、近道を選択したつもりが本島に近道になっていたかどうかは定かではない。

 

官ノ倉山は目と鼻の先であった。ポピュラーな山らしく3パーティーが頂上で休んでいた。頂上からは北側には寄居方面の大展望が広がり、南側には先日登った七峰南部の峰々が望まれる。時間の余裕がなかったので、遅い昼食を終えると早々に出発する。東武竹沢駅への下山口までは、何人かのハイカーとすれ違ったし、ハイキングコースの標識もそこそこあったのだが、そこから先は誰とも会わなくなったし、ハイキングコースの標識もなくなったので、果たして自分がハイキングコース上にいるのかどうかがわからないまま(現在位置はGPSと地図で確認済みであるが)、尾根の西端の臼土山に来てしまった。なかなか登りがいのあるピークであるにもかかわらず、七峰に入ってないのは、七峰のハイキングコースは違う尾根を通っているからだろうか?

 

そこからは一度下の谷間まで降りてから次のピークに向かう。本当は前回最初に登った笠山の登山口まで行き、その次に最後に降りた林道まで行って、そこから登り出すと道が繋がることになるのだが、時間が迫っているので直接七峰六番目の皇令山を目指すことにする。ある程度登ってから地図で確認すると、道を取り違えて一本南側の道を登っていて、しかもその道は稜線まで達せず途中で消えているではないか!ただ正しい道に戻るとなるとかなり時間を要してしまう。さてどうするか。結論としては、このまま道を進んで行くことにした。というのは地図上では道は消えているが、おそらくその先も踏み跡程度の道は稜線まで続いているだろうという予感がしたからである。もし、宛が外れて道が途絶えている時は潔く引き返すまでだと心に決めた。そして地図上の道の終了点手前まで来ると、右から上に続く道が合流しており、車が進入できないようにロープが張ってあるが、赤テープがずっと上まで続いているので、稜線に繋がる道であることを確信した。

 

30分ほど登ると稜線に達し、左に少し登れば皇令山の頂上であった。もう日が傾いている時間なので誰もいないだろうと思ったら観光客がいるではないか。頂上直下まで自動車道が来ているので、車を停めて歩いてきたらしい。そう言えば、前回七峰南部の山を登ったときも、稜線直下を自動車道が平行して通っていたことを思い出した。この次は七峰最後の山である登谷山だ。大したアップダウンもなく着いたが、丁度夕日が秩父ぶの山に沈むところであった。頂上直下まで自動車道が通っているので、その道を目指して降り始めたら下から人が登ってくる。普通はこんな時間に山に登りにくる人はいないものだが、自動車道が頂上直下まで通っているこの山域特有の現象のようだ。

 

自動車道まで降りて寄居駅までの距離を調べると十キロ弱だった。以前ならば、そんな長い自動車道を歩くとなるとウンザリしたものだが、最近は山はトレランもどきで走っているので(と言ってもジョギング程度だが)、あまり苦にならなくなった。下り始めてしばらくすると、夜の帳が降りて寄居方面の夜景が見事である。昼間に見た展望とは一味違った趣である。やがて高度を下げて荒川を渡ると寄居駅はもうすぐである。駅に着いてみると、駅近くにはお店が皆無であるのにはガッカリした。ただ次の電車の出発までには30分あったのでコンビニまで走ってビールと弁当をゲットできたのはラッキーだった。

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2020年2月11日 (火)

帰国

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最終日は午後の便で帰国するだけののんびりした行程である。午前中は自由行動という認識だったので、9時過ぎにネットで調べたチェジュ市内の朝食人気店のN01に紹介されていたお店に行ってみる。ホテルからは歩いて15分くらいの大通りに面した店だったので、すぐにわかった。一番人気のヘジャングッという汁物料理を注文する。二日酔いを抑える効果のある料理だとのことで、昨晩飲みすぎた翌朝には最適の食事である。韓国料理だけに辛さは半端ではないが、味は一番人気だけのことはあった。

 

帰りはバスカードのチャージ残が大分残っているようなので、最寄りのバス停から行き先も確認せずに最初に来たバスに乗り込む。ところが、次の信号でホテル方向とは逆の西側に曲がってしまう。あわてて最初のバス停で下車して、反対方向のバス停に移動し先ほどとは違う路線番号のバスに乗り込むが、どうしたことかまた最初のバス停まで戻ってしまった。、こんなことをしてもらちが明かないので、帰りも歩いて帰ることにした。

 

ホテルに戻って荷物を整理し、予定どおり11時にロビーに降りて皆が集合する。このまま空港に直行するのかと思ったらレストランに行くとのこと。そう言えば昨晩そのような予定を聞いたような記憶もあるが、酔っていたので記憶が飛んでしまっていたようだ。先程の朝食から一時間ほどしか経っていなかったが、軽めの麺類を注文して完食する。

 

ホテルに戻ってからタクシーで空港に向かいチェジュ島の旅は終わる。天候にも恵まれ予定もほぼ達成できて満足できる4日間だった。

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ハルラ山登頂

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11年ぶりのハルラ山リベンジに行って来ました。城山岳尾根からの

韓国最高峰(1950メートル)の登頂は北八ヶ岳の山旅を思い出させるものであった。市内に戻ってからは海鮮料理に舌鼓をうって、チェジュ最後の夜を終えた。

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2020年2月 9日 (日)

牛島(ウド)

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今回のチェジュ島滞在は4日間で、間の2日間のうち1日をハルラ山登山に充てていたが、出発直前になって今月からハルラ山登山には、事前に許可を取得する必要があることが判明し、あわてて申請をするも9日の日曜日は予約でいっぱい、かろうじて翌日の予約をとることはできたが、そんなわけで今日はフリーとなってしまった。今回の同行者はハルラ山に一緒に登る夫婦にその家族三人を加えた5人で、彼らはチェジュ島は初めてなので、世界遺産を含めた観光地に行きたいだろうが、私は前回に主な観光地は見ているので、前回行ってない離島の牛島に渡って島一周をした後、本島に戻って路線バスでチェジュ島一周を行うこととして、彼らとは別行動を取ることとした。

 

コンビニでバスのカードを取得してから牛島方面のバスに乗り込み、市外バスターミナルでバスターミナルで乗り換える。バスに関しては全てハングル表記のみで外国人に優しくないのは前回同様だが、バスの中でwifiが使えるようになったので、グーグルマップを利用することにより、乗り換え等は多少はやりやすくなった。

 

乗車した201路線のバスは海岸線沿いに東に向かって走っていくので、方向は間違ってないようだ。あとは途中で牛島行のフェリーが出る城山港方面に寄り道してくれるかどうかであるが、期待した通りに城山港方面に左折してくれたので城山港まで行くのかと思いきや手前で右折してしまったので、慌てて下車して港までは15分ほど歩いていく。

 

日曜日ということもあってフェリーは結構込んでいた。15分ほど牛島(ウド)着き、早速自転車を借りて島内一周サイクリングに出発する。走り出してしばらくすると、若い女の子たちにあっさり追い抜かれる。あれーと思って見たら、彼女らの自転車は電動自転車だった。その後に出会った自転車も全て電動で、電動でない自転車を濃いでいるのは私だけみたいであった。ただ、一周道路は海岸線を忠実に走っていてアップダウンがほとんどなく、人力車でも特に支障はなかった。

 

牛島は全島はリゾート地のようで観光施設ひしめいている。なかでも北端灯台のある所が人気が高いようであったが、私もそこで一休みして(レストランで食事ではなく)持参したビスケットをかじる。その後もフラットな快適な道が続いていたが、フェリーの船着き場まで後三キロばかりまできたところで岩壁を擁した山に海岸線は塞がれて、初めて登りの道になったっため、自転車を降りて歩いて行く羽目になる。だが、それもわずかで間もなく下りになりフェリー乗り場に到着した。一周15キロのところを休み休みしながら走って1時間半だったからまずまずのペースである。

 

本島に戻ってチェジュ島一周の路線バスの旅を続けることになるが、南部のチェジュ島第二の街である西帰浦市行のバスには何番のバスに乗ればいいのかがわからなかった。フェリーを下船した人のほとんどは駐車場に向かっており、そこから先を歩いているのは私だけだった。こうなったら、さきほど乗った201番のバスに乗っていくしかないと考えて下車したバス停まで戻って201番のバスに乗り込んだ。行く先知らずのバスであったが、一時間ちょっと乗ると、目的の西帰浦バスターミナルまで行くことができた。番号の三桁目が1番だったので、多分幹線路線で西帰浦まで行くのではないかという読みはあったのだが

 

西帰浦バスターミナルからチェジュ市行のバスは101番と102番の二本出ており、いずれのバスとも201番乗車中はすれ違わなかったので西回りのバスだと断定し、101番のバスの方が乗車時間が長かったので海岸線を行くバスに違いないと判断して乗り込むことにした。ところが、発車して西側に向かうと思いきや東側に向かっているではないか!そのうち、左折して西側に向かうだろうという予測は見事に外れて一路東側へと向かっている。しかも2:01番よりもさらに海岸寄りの道を通っているので、さほどはすれ違わなかったわけである。結局は牛島へのフェリー乗り場入口を経由するかしないかの違いだけで、あとはほとんど同じ路線を通っていることがわかった。

 

西帰浦バスターミナルから西回りでチェジュ市に戻るためには直通はないので乗り継ぎが必要になるということなのだろうが、路線番号の情報を事前に得てないとハングルを読めない人は西回りのバスに乗るのは難しいということなのだろう。結局ホテルに戻ったのは8時半で半日目一杯の行動となり、一日中まともな食事は取れなかった。

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2020年2月 8日 (土)

11年ぶりのチェジュ島

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約11年ぶりのチェジュ島である。前回はチェジュマラソンに参加した翌日に韓国最高峰のハルラ山を登るつもりだったが、足が痛くて断念したためのリベンジでもあるが、日韓関係が冷え込んでいる現在、民間レベルでの交流が少しでもできればという気持ちもあった。

 

新型肺炎騒ぎで成田空港は閑散としているかと思いきや、そんなことは全然なく飛行機もほぼ満席であった。ホテルに着いて荷物を置いた後に街をぶらついてから焼肉屋で焼肉をたらふく食べて韓国気分を満喫した。

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2020年2月 5日 (水)

出雲と大和展

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3月に山陰方面に出かける予定で途中、(天皇家との直接的な関連性は深くはない)出雲大社にも立ち寄るつもりなので、国立博物館で開催中の「出雲と大和展」を見てきた。

なぜ出雲に興味を持ったかというと、古事記や日本書紀に出てくる出雲の国譲りという物語をどう解釈すべきかということに関心を持ったからである。戦後、皇国史観から解き放たれた歴史学者にとっては古代史の論点は邪馬台国論争や大和王国の成立過程が中心テーマであり、山陰地方についてはせいぜい大陸との交流が言及される程度で出雲王国などというものは神話の世界での話としてまともにとりあげようとはしてこなかった。ところが、近年になって大和王国の遺跡では見られなかったような大量の銅剣出土(上の写真参照。今回の展示ではこれを見に来たようなものである)となった出雲大社近くの荒神谷遺跡の発掘により、出雲王国の存在の信憑性が高まったため、一部の歴史学者は出雲王国についても言及するようになったが、肝心の「国譲り」については(皇国史観を払拭しきれてないからかもしれないが)日本書紀や古事記の記述を肯定的にとらえているように思われる。

さて肝心の「国譲り」であるが、古今東西を通じて圧倒的な兵力差がある場合は別として、交戦権を放棄して戦わずして軍門に降ったという事例は聞いたことがない。批判を恐れずに敢えて仮説を述べさせてもらえば、出雲王国と大和王国の決戦は行われ、出雲王国は敗れたのである。

通常は敗者の歴史は抹殺されるものだが、出雲王国はあまりにも大きく、たとえ歴史を抹殺しても出雲の民の恨みは伝承として後生に伝えられ、いつの日か大和王国に対する反抗の火の手が上がることを恐れた大和側は、大国主命を立役者とする「国譲り」という物語を作り出し、大国主命を出雲大社に祀ることにより出雲の民心の安寧を得ようとしたのではないだろうか?

この仮説は全くもって自分のオリジナルであり何の物証もないのだが、そう考えることにより全てが合理的に説明できるのではないだろうか?いつの日か両王国の決戦につながる遺跡が発見されることを期待している。

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2020年2月 4日 (火)

外秩父ハイキング

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日曜日に急遽、秩父のハイキングに行ってきた。寄居から登山口までは自転車を利用するつもりなので、寄居までの東上線乗車は始発駅の池袋からではなく、途中駅の成増まで自転車で行くことにした。中村橋までは真っ直ぐな道があるが、そこから成増までは道に迷いながら行ったので時間がかかり、登山口に着いたのは11時半となってしまったので、大霧山から笠山まで馬蹄形に縦走するのは時間的に厳しいので、関東百名山の大霧山と笠山をピストンすることにした。 登山口に駐輪して、まずは笠山への登山を開始する。ハイキングコースなのに誰も登ってないなと思ったら、途中で何度も林道と交差するので、大半のハイカーは山頂近くまで車で行って山頂を目指すようだ。そのため、山頂近くには大勢のハイカーがいて、子連れの家族まで休んでいた。頂上からは関東平野が一望できる素晴らしいロケーションで人気があるのも頷ける。 稜線に出てから山頂まではかなり南下したので、ここから登山口まで降りて大霧山まで登り返すのだったら、このまま馬蹄形に大霧山まで縦走しても大差ない気がして、当初の予定どおり縦走をすることにした。すぐ隣の堂平山に向かうと途端にひと気がなくなると思ったら、山頂にドームが設置してある堂平山の頂上直下の平坦地はパラグライダーをやる人で大にぎわいであった。そこからしばらくは自動車道路と平行したり車道を歩いたりで、ちょっと興ざめであった。 白石峠から城峰峠までは縦走路の山道と山腹を巻く林道に別れるが、時間を短縮するために後者の道を走って行くことにした。城峰峠から先は林道と別れて稜線を行き大霧山に向かう。大霧山に着いたのは日没直後で勿論誰もいなかった。、山頂で衣服を着込んでから下山を開始し、粥新田峠からは林道に降りて登山口まで走って戻る。当初の予定では寄居まで戻って寄居北方の関東百名山の鐘撞堂山も登るつもりだったが、時間的に無理なので途中の八高線折原駅から帰ることとなった。自転車、歩き、走りとフル回転のなかなかたいへんな「ハイキング」だった。

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