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2020年2月 5日 (水)

出雲と大和展

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3月に山陰方面に出かける予定で途中、(天皇家との直接的な関連性は深くはない)出雲大社にも立ち寄るつもりなので、国立博物館で開催中の「出雲と大和展」を見てきた。

なぜ出雲に興味を持ったかというと、古事記や日本書紀に出てくる出雲の国譲りという物語をどう解釈すべきかということに関心を持ったからである。戦後、皇国史観から解き放たれた歴史学者にとっては古代史の論点は邪馬台国論争や大和王国の成立過程が中心テーマであり、山陰地方についてはせいぜい大陸との交流が言及される程度で出雲王国などというものは神話の世界での話としてまともにとりあげようとはしてこなかった。ところが、近年になって大和王国の遺跡では見られなかったような大量の銅剣出土(上の写真参照。今回の展示ではこれを見に来たようなものである)となった出雲大社近くの荒神谷遺跡の発掘により、出雲王国の存在の信憑性が高まったため、一部の歴史学者は出雲王国についても言及するようになったが、肝心の「国譲り」については(皇国史観を払拭しきれてないからかもしれないが)日本書紀や古事記の記述を肯定的にとらえているように思われる。

さて肝心の「国譲り」であるが、古今東西を通じて圧倒的な兵力差がある場合は別として、交戦権を放棄して戦わずして軍門に降ったという事例は聞いたことがない。批判を恐れずに敢えて仮説を述べさせてもらえば、出雲王国と大和王国の決戦は行われ、出雲王国は敗れたのである。

通常は敗者の歴史は抹殺されるものだが、出雲王国はあまりにも大きく、たとえ歴史を抹殺しても出雲の民の恨みは伝承として後生に伝えられ、いつの日か大和王国に対する反抗の火の手が上がることを恐れた大和側は、大国主命を立役者とする「国譲り」という物語を作り出し、大国主命を出雲大社に祀ることにより出雲の民心の安寧を得ようとしたのではないだろうか?

この仮説は全くもって自分のオリジナルであり何の物証もないのだが、そう考えることにより全てが合理的に説明できるのではないだろうか?いつの日か両王国の決戦につながる遺跡が発見されることを期待している。

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