中国地方西部旅行 一日目 はるばる広島へ
今回の旅行の一番の目的は日本列島海岸線走破計画の本州の仕上げであるが、それとともにJR全線乗車達成のために未乗車区間のいくつかに乗車することもあり、まずは因美線の智頭以南から津山線経由で岡山までを乗車するために新幹線を姫路駅で下車して在来線と智頭急行を乗り継いで智頭駅に向かった。智頭急行線は数年前に山陰東部に行った時に岡山県最高峰の後山に登るために鳥取から因美線を経由して智頭から数駅先までは往復したことはあるのだが、今回の乗車により全線乗車になるのでJR線ではなく私鉄だはあるものの乗る価値はあると言える。乗車したのは1両編成の典型的なローカル電車であるが、不思議なことに鳥取~岡山の特急は智頭~岡山は遠回りになるにもかかわらず、智頭急行経由となるのである。乗車した電車の出発を待っている間にも鳥取行きの特急が通過するところであった。

山間を縫って一時間半強で終点の智頭駅に着く。ここは新型肺炎感染者の報告がゼロの鳥取県内ということもあるのかマスクをしている人はほとんどいない(花粉症の人も少ないのかしら?)。数ヶ月前の日本に戻ったようである。先ほども書いたように智頭から津山に向う列車は本数が少ないので、一時間半も乗継時間がある。そこで、テレビの旅番組ではないが、町をぶらりと散策することにした。智頭宿は鳥取藩最大の宿場町として栄えた所で、智頭往来は往時には多くの人が行き交う道であったようだ。さらには戦国時代末期には織田信長配下の羽柴秀吉軍と毛利軍が対峙して番屋が置かれたということもあって、歴史オタク、街道オタクの自分にとっては、たまらないところである。
さらには試飲のできる酒造も見つけて三種類ほど試飲させてもらう。自分としては最初に飲ませてもらったのが一番口にあったが、瓶売りしかないと言われてバック売りの大吟醸を買って車内で景色を眺めながらいただき、呑み鉄の六角青児と同じになってしまった。
酒を飲んでひと眠りをしたら因美線の終点の津山駅に着いてしまった。再び岡山県に入ったせいか、またマスク姿が多くなる。津山駅では乗り換え時間が小一時間あったので町に出てみる。夕日に照らされた川を渡ると、そこは津山藩の城下町である。本能寺の変で討死した森蘭丸の弟が築城した津山城も川畔からよく望める。城のあたりは公園にもなっているそうだが、近くまで行く時間はなかったので、遠くから写真だけを撮って駅に引き返す。
津山駅を電車が発車すると、まもなくあたりは暗くなり景色も楽しめなくなる。その後も岡山、福山、糸崎と乗り換えたが、いずれも乗り換え時間は短かったものの、18きっぷを利用した在来線の旅のため時間がかかったので、ブログを書いたり本を読んだりして時間を潰す。
広島の手前の西条駅で下車したのは10時を回っていた。広島まで行かずに西条で降りたのには訳がある。数年前の真備町の水害ボランティアの後に広島までの約60キロを夜間にジョギングして翌朝の原爆式典に出席しようと思っていたら、中間あたりの東広島あたりでリタイアしてしまったため、今回は明朝に広島までの残りの区間を今回は自転車で走破するためである。前回ももうしばらく先までは行く元気はあったのだが、水害によって在来線は広島駅近くまでは不通となっていたため、前進するのならば一気に広島駅近くまで行かねばならなかったため、たまらないところである。かろうじて動いていた新幹線の始発で東広島駅から乗車するために駅舎がオープンするまで、駅前のベンチでまんじりともせずに待ち続けたものである。なお、当時は呉経由の海岸線は道路が寸断されて通行不能ということで新幹線沿いに進んだため、今回もその続きを行くことにしたが、海岸線走破という目的からは呉経由で行くべきなので、可能であればそちらからも回っていきたい。
在来線の西条駅と新幹線の東広島駅とは五キロほど離れているが、今夜の泊まりはちょうど真ん中辺りにあるが、自転車を組み立てたりしてから出発したので、チェックインを済ませて入室したのは11時近くになっていたが、深夜でも温泉に入れたので、入浴後にビールを飲んで快適に眠ることができた。
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