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2020年11月

2020年11月27日 (金)

日本アルプス縦走一筆書き

 徒歩のみによる日本海から太平洋までの日本アルプス縦走の一筆書きは若い時から歩いたコースを繋げたものだが、北アルプスは親不知から直接山稜を登って後立山連峰を南下するものと、富山湾から早月川を遡って剣北方稜線に達し、そこから立山連峰を南下するものがあり、両者は合流して槍・穂高を経て上高地に至っている。そこからはジョギングで木曽谷に降り、木曽駒を登って中央アルプスに達する。中央アルプスの稜線は摺古木山を経て大平峠に至って終わるが、途中の越百山から伊那谷に下り、そこから甲斐駒ケ岳に登って南アルプスの縦走がスタートする。南アルプス主稜は日本第二の高峰の北岳から南下して三千メートル峰6座を経て、日本最南端の2500目メートル峰である光岳に達している。一方、北岳の隣の三千メートル峰である間ノ岳からは白峰南嶺という稜線が南アルプス主稜と平行して南下している。

南アルプス主稜は日本最南三千メートル峰である聖岳の先から大井川に降り立ち、そこから100キロ近い距離をジョギングと歩きで駿河湾に達している。一方、白峰南嶺の方はほとんど人の通らない地味な稜線であるが、山伏まで達した後、安倍川を駿河湾まで歩いている。北アルプスの方は親不知から後立山連峰については海と山が繋がっているが、南アルプスの方は海と山は直接は繋がらずに川沿いの長い歩き又はジョギングを経由せざるを得なかった。南アルプス主稜は光岳以南はほとんど歩かれていない長い稜線が続くので踏破は困難である。一方、白峰南嶺は山伏から先も歩かれているようなので、検討を 重ねた結果、山伏から十枚山までは縦走するとなると泊りがけとなるが、梅ヶ島温泉をベースにして複数回行けばそれぞれ日帰りが可能であるし、それより南は日帰り山行を重ねれば駿河湾近くの平野まで降りられることがわかったので(点線部分)、足腰が弱りきってしまう前には踏破はできそうである。

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2020年11月22日 (日)

東海自然歩道の静岡県踏破はお預け

明るくなってから春埜山への登路を探すが、踏み跡程度しかなく判然としない。適当に登っていると、だんだん踏み跡もはっきりしてきたし赤布も現れたので、これで間違いないと思って前進をしていたら道が急降下しだした。変だと思ったが、そのまま下っていくとなんと沢に降りたってしまった。GPSで確認すると、さきほどの登り口の少し上流に降りてしまったことがわかった。尾根上で道を踏み外して支尾根を下ってしまったのだろう。さあて、どうしよう。行程が遅れている上に、この道間違いは致命的である。しばし考えた上で今回はリタイして他日を期すことにした。

 

こんなところでリタイアするなどとは思ってもなかったので、交通機関については全然調べてない。取りあえずJRの最寄り駅までの距離を調べると20キロ以上もあるではないか。地図で調べると一時間程度歩くとバス停があるようなので、そこまで行ってみる。辿り着いたバス停の時刻表をみると、本数は少ないが予約不要の便もあるようだ。と思ってよく見ると、運行は平日のみで土日は全便運休と書いてある。ガーンである。もう一度地図を見ると、途中で秋葉神社からの道と合流しているので、そこまで行けば休日運行のバスもあるかもしれないと、10キロばかり歩くことにする。

 

二時間ばかり歩いて合流点のバス停に着くと、 一応、休日も運行はしているようだが、休日は昼間の便はなく、次の便までは3時間半も待たなければならない。最寄り駅までは10キロ程度なので、歩いた方が早いと歩き出す。最後はあえぎながら、なんとか最寄り駅に着いたが、まだ時間は早かったので、新幹線に乗ることもないと各駅に乗ったのだが、途中で人身事故のために富士川駅で一時間以上停車してしまう。本当は東京に戻ってから夕食を摂るつもりだったが、しょうがないので食事のために途中下車することにした。ところが、富士川駅周辺には飲食店としては割烹料理店しかなく、場違いではあったが、締めの一品と思われる漬け丼だけを注文して酒も飲まずに店を出る。熱海で新幹線に乗り換えるという選択肢もあったが、どうせ遅れついでだとそのまま各駅で帰ってしまう。それにしても、ついてない日とはこんな日を言うのか、散々な1日であった。

 

 

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東海自然歩道 静岡最終編 二日目

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電車を乗り継いで大井川鉄道の家山駅から大井川以西の東海自然歩道の旅を始める。3日間の食料装備を詰め込んだザックはズシリと重い。最近は日帰りか、泊まりでも夏の軽装のことが多かったので、久しぶりの重荷(といっても20キロ程度なのだが)はこたえる。ゆっくりと歩いているので、行程は捗らないかやむを得ない。それでも昼過ぎあたりから少しは慣れてきて金剛院への長い登りも我慢しながら登っていく。途中でトレランで登ってくる人に抜かれる。東海自然歩道を歩いていてトレランの人に出会ったのは初めてである。彼とは途中折り返しで再度会ったが、それ以外は自然歩道を歩く人とは昨日以来、誰にも会ってない。三連休だから、もう少し人に会うかと思ったのだが、コロナの影響で自粛してしまったのだろうか。

 

昼過ぎには着きたいと思っていた大日山金剛院に着いたのはなんと3時半であった。この分では今日の予定であった新宮神社にはとても着きそうもないので、コースをショートカットして進むことにしたが、春埜山の登り口がどうしてもみつからない。だんだん暗くなってきたので、適当に突っ込んで正しい道を見つけるというわけにはいかないので、予定を大きく下回ってはいるが、ここにテントを張って明日明るくなってから正しい道を見つけることにした。

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2020年11月20日 (金)

東海自然歩道 静岡最終編 初日

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勤労感謝の日までの四日間で静岡県内の東海自然歩道の歩き残した分を全部終えてしまおうという計画を立てた。初日は大井川以東で歩き残している安倍川から興津川までの分を歩き、その後の3日間で大井川以西を歩き通して、愛知県に抜けるという計画である。

 

初日は静岡駅で下車してから荷物をコインロッカーに預けて軽装でバスに乗り込む。と言うのは、夜にまた静岡に戻ってくるからである。安倍川中流の牛妻坂下で下車して竜爪山を目指して登りだす。荷物は軽いのだから、その気になれば飛ばすこともできるかも知れないが、四日間の長丁場でもあり、初日はセーブして行くことにする。ただセーブしすぎたのか竜爪山に着いたのは予定よりも一時間遅れて2時を回ってしまっていた。

 

朝から小雨模様であったが、頂上近くで本降りになる(スマホの画面には清水方面に集中豪雨の予報がでているーーードヒャ)。4日間も好天が続くことは希なので、初日の悪天は覚悟はしていたが、これほど悪化するとは思わなかった。そのため、頂上では写真を撮っただけで、昼食も取らずに下山に移る。

 

長い長い階段が続く道を降りきると穂積神社の境内で3時前の遅い昼食を摂る。神社の参拝のためか舗装道路が下まで続いており、二時間ほどの下りでヤマセミ温泉に着く。到着したのが5時少し過ぎで最終バスまで一時間半あるので、一風呂浴びるにはちょうどいい時間だと思ったら、風呂の受付は5時までだということで風呂に入り損なう。頼み込めば入れてくれたかも知れないが、風呂を出てからまた濡れた服を着ることを考えると嫌気がさして入らずじまいとなる。以前の自然歩道歩きで反対側から辿り着いた際には、月曜日で休業日のために風呂に入れなかったが、どうも自分には縁のない温泉のようだ。

 

その後はバスと電車を乗り継いで静岡駅に戻り、駅前に予約しておいたホテルに泊まるが、ここもGOTOトラベルのおかげで割引料金で安く泊まれることとなった。前日の国会前の集会ではシュプレヒコールの中にGOTOキャンペーン反対というのもあり、耳が痛い気がしないこともなかったが、GOTOトラベルを実際に利用してみると、感染対策に気をつけてさへいれば、それほどリスクがあるようには感じられない。GOTOトラベルでの感染事例はあるようだが、それは利用者の不注意のためであり、そのような人は遠出しなくても身の回りで感染を撒き散らしているのだろう。。

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2020年11月 9日 (月)

秩父札所一筆書き 最終日

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一筆書きによる秩父札所巡りを目指しているわけだから、本来は昨日の最終地点である白久駅からスタートすべきであるが、白久駅から31番札所までは18キロもあってめちゃくちゃ遠いので、31番と32番の順序を入れ替えて、32番を先に参拝することとする。これならば武州日野駅からは10キロほどの距離ですむことになる。ただその場合には白久と武州日野の間は片道しか通ってないことになり、札所間を歩きで繋げることはできても、一筆書きとはならないことになる。これについては、だいぶ昔ではあるが、荒川の源流から河口まで細切れではあるが走っているので、それで代用させてもらうことにした。

 

スタート直後は足が痛むのでゆっくり歩いたが、そのうちに関節が温まってくると痛みもなくなってきたので、ジョギングと早歩きを混ぜて進んで行く。32番の登りは思ったほどではなかったが、小鹿野へはかなりの下りとなり、小鹿野からの登りを選択しなくてよかったと思った。

 

初めは31番を目指して西に向かうが、帰りは33番を目指して東に進むので、平行した道があるところは、行きと帰りは違う道を通るようにして退屈しないようにした。31番の仁王門から先の登りは100段以上の階段が続き、秩父札所の中では最もたいへんな登りである。 32番と33番への札所間の距離はいずれも10キロはどあるが、33番への移動は緩い下りが続くので楽である。

 

33番に着いたのは4時前で、いよいよ残すのは34番のみである。ネットで調べた資料では15キロとされていたが、グーグルマップで調べると山道に入らずに車道を進むと10キロとなっていたので、距離の短さもさることながら、途中で暗くなるであろうから車道の方が良いだろうと判断をした(因みに前回は山道を行った記憶がある)。ただ車道は途中から狭くなり傾斜も増してきた外、いくつもの派生する道があって迷いやすく、けっして楽なものではなかった。

 

3時間ほどかかって34番札所に着いた時は真っ暗となってしまったが、門がなくて参拝はできたのはラッキーだった。ただストロボがないので、寺全体を写すことはできなかったが、ライトをあてて証拠写真だけは撮っておいた。もう最終バスはとうに出てしまっているので、皆野駅までの長い長い下りが待っていた。途中で満願の湯を通り過ぎる。34ヵ所札所の参拝を終えて満願の湯に入るというのがならわしとなっているそうだが、前回と同様に今回もバスせざるをえなくなった。

 

皆野駅について長い1日は終わったが、今日の移動距離はなんと50キロを越えていた。帰宅は最終となり、怒涛の1日の幕を閉じた。

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2020年11月 7日 (土)

秩父札所一筆書き 二日目

今日は、昨日門が閉められて参拝できなかった札所18番からスタートすることとしたので、近くまではバスを利用することにした。今日は札所間の距離が短いため行程が捗り、お昼前には23番の音楽寺に着く。
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この寺は名前がユニークなことと、秩父市街地を一望できるロケーションの良さで秩父34箇所の札所の中で一番印象の強い寺である。明治初めに起きた秩父事件では、秩父の奥の吉田町で武装放棄した困民党の数千人の一向はこの音楽寺に集結して秩父市街地を眼下にとらえ、気勢をあげて秩父市街地になだれ込んだといわれている。前回、来た時は、音楽寺から秩父市街地を眺めた後、市街地に降りて秩父夜祭りを樂しんだのだが、残りの札所は翌春の桜の時期にでも行こうと思ってたら、東日本大震災が勃発して延期せざるをえなくなり、その年の年末にやっと満願達成となった。

 

この後は札所間の距離も多少長くなって行程消化もたいへんとなってきたが、荒川添いの一番奥の札所である30番までは、今日中にクリアしたいと頑張ったが、札所間の距離としてネットにあったデータをダウンロードしたのだが、そこには29番と30番の距離が3キロとあったのだが実際は7キロあって、30番札所に着いた時は5時を回っていて真っ暗となってしまった。時間的に今日も門を閉められて参拝できないことを覚悟し、明日もう一度来なければいけないかと心配したが、山の中にあるせいか門はなくて参拝できたのはラッキーであった。ただ真っ暗で写真をとれなかったのは残念だった。

 

残す札所は四ヶ所となったが、札所間の距離が今までとは比較にならないほど長いので、明日もたいへんな一日となりそうである。

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2020年11月 6日 (金)

秩父札所一筆書き 初日

ちょうど10年前の11月に秩父34箇所の札所巡りを思いついたのは、この年に60歳になったのがきっかけであった。この時は家内と一緒に9回に渡って翌年にかけて細切れで参拝を行ったが、70歳となった本年は全行程を一筆書きで廻ることにした。全行程は100キロ強だから、3日で十分に回れる距離である。

 

札所である寺院の門は8時頃から5時頃まで開いているのが通常なので、開門中に参拝しようとすると、1日の行動時間は限られてくるので早く最寄り駅に到着する必要があるため、秩父方面行きではいつもは利用しない特急に乗って行くことにした。また池袋線を利用する時はバスで石神井公園まで行き、そこから乗車するのが通例なのだが、始発バスの時間が遅いので、それでは秩父行きの始発特急には間に合わないので、2回乗り換えとはなるが新宿回りで行くことにした。

 

秩父行きの特急は以前のレッドアローの時には何度か乗ったことがあるが、新型のlavieになってからは初めてである。写真の通りのスマートな車体で内部も明るい落ち着いた雰囲気であるが、飯能で進行方向が変わるので座席を回転させようとした時に、前の席の客が椅子を倒したままで回転せずにいると、こちらの椅子を回転するときにぶつかってしまい、前の席の客に椅子のもたれを戻してもらわなけらばならないのが難点である。座席間の距離をもう少し広げればいいのだが、混雑時の輸送力確保のためにはヤムを得ないのだろうか。

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終点の秩父池袋で下車して秩父鉄道に乗り換えて大野原で下車、ここから札所巡りをスタートする。
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午前中は札所間の距離もそこそこあり、2番札所はかなりの登りもあって行程が捗らず10番札所に着いたのは2時を回ってしまい、山門が閉まると思われる5時までには3時間弱の余裕しかなくなったが、その後は札所間の距離も短くなってきたので、予定していた23番の音楽寺まで行けるかと期待したが、18番の神門寺には5時10分前に着いたにもかかわらず、既に山門は閉まっていたので、本日はこれで打ち止めとなった。

 

慌ただしい1日ではあったが、武甲山をはじめとした秩父の山並を眺めながらの歩きは楽しいものであったし、紅葉や柿の実などの季節を感じさせるものもあって、退屈することはなかった。ただ明日は行程こ遅れを取り戻すためには、相当頑張らないといけないと思いを新たにした。

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