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2021年3月

2021年3月27日 (土)

達沢山ほか

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今回も山梨百名山であるが、達沢山と高川山はいずれも以前に計画しながら登れず仕舞いとなっていた山である。まずは達沢山であるが、以前に同じく山梨百名山の大栃山と釈迦ケ岳を登った際に一緒に登ってしまうつもりだったのだが、時間切れで登れなかったものである。ただ前回は登山口までの緩やかな登りを2時間近くかけて漕いで行ったものを今回は甲府から河口湖に向かうバスを利用したので、30分くらいで着くことができた。

 

立沢で下車して達沢山に向かう林道を1時間ほど登ると林道は終わり、左側の斜面を登っていくことになる。ここから先は5万図には道の表示がないのだが、ネットで見ると登られてはいるようであり、テープもある程度はあるのだが、踏跡は不明瞭であまり登られてはないようだ。予定ではバス停から1時間ちょっとで登頂できるだろうと思ったのだが、結局は2時間近くかかってしまった。

 

思いがけず時間を要してしまったので、立沢のバス停から2時間で往復してぎりぎり間に合うバスで石和温泉に戻るという目論見か外れたが、このまま同じ道を戻るとなると、バス停で次のバスを1時間半近く待つことになりそうだし、林道まで降りる道もあまり良くない道であるのに対し、達沢山から尾根を西に延びる道はしっかりした道で快適な尾根歩きを楽しめそうだし、尾根の途中からバスの通っている道に降りる道も5万図に記載されていて、時間的にも十分に次のバスに間に合いそうなので、急遽予定を変更することにした。

 

麓の集落を眺めながら行く稜線歩きは低山歩きの楽しさを満喫させてくれるものであったが、稜線を離れて自動車道に向かって急降下するあたりから状況は一変する。GPSで確認する限りは5万図上の道を降りているはずなのだが、テープも踏跡もないので廃道となってしまった道を降りているのかもしれない。と言っても、下降自体には問題はないのだが、眼下の集落が間近にあるにもかかわらずちっとも近づかずに時間ばかりが過ぎていき、次のバスに間に合うかどうかが微妙になってくる。

 

ようやくバス停まて辿り着くと、通過時間を10分ほど過ぎている。バスは多少は遅れてくることもしばしばなので、しばらく待ってみるが、一向に現れないので、次のバスまでさらに1時間半近く待たされることが避けられなくなった。これで、もう一つの百名山を今日登ることは不可能になったが、こんなことなら稜線をそのまま歩いて中央線の駅まで行けばよかったと思ったが後の祭りである。

 

次のバスは通過時間を過ぎてもなかなか来ず、15分近く遅れてやっと来たが、前のバスもこのくらい遅れてくれれば間に合ったんだけどとグチもでてしまう。もつとも石和温泉駅でのバスと電車の接続が悪く(18切符利用のため接続している特急には乗らなかっただけのことであるが)、石和温泉駅では30分以上の待ち時間があったので焦ることもなかった。そして遅れて到着したにもかかわらず駅前の足湯につかりながら、ビールを飲むという経験も味わうことができた。

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電車に乗り込んだのはまだ4時前であり、こんな早い時間に山から帰るのは珍しいのであるが、今日はこの後にもう一つの目的があったのである。それは毎週金曜夜に首相官邸前で開かれていて、私も時々参加していた原発反対の集会が本日をもって最終回になるというので、それに参加することである。原発事故直後には20万人も参加して官邸前の道路を完全に封鎖してしまったこともあったが、熱しやすく冷めやすい国民性からか、次第に参加者が減ってしまって100人前後までに減ってしまったため、運動の行き詰まりを生じてしまったからであろうか。もっとも最終回ということで、今回は久々に千人以上の参加者があったが、運動を継続させることの難しさを考えさせられた。

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2021年3月24日 (水)

千頭星山と日向山

緊急事態宣言のために夫婦旅行のキャンセルが続いたが、ようやく解除されたので、大手を振って出かけることが出来るようになった。そこで感染リスクの少ない地域で手近でもあるところとして、甲府のひとつ先の竜王にある神の湯という温泉に一泊することにした。ここは以前にも一回泊まったことがあるのだが、住宅地の中にポツンと1軒だけ温泉宿があるという変わった立地で、甲府の夜景が売り物となっているようだが、とても100万とは言えないかなりショボイ眺めである。その代わりと言うか、富士山、南アルプス、八ヶ岳、奥秩父と山の眺めはすばらしい。前回は秋だったので、今度は雪をいただいた峰々を眺めてみたいという願いを実現することになった。

ついでに山梨百名山の千頭星山(90座目)と日向山(91座目)の登頂も行うことにしたので、私一人だけで始発で韮崎に向かう。途中何回か乗り換えがあり、特に大月駅では乗り換え時間が3分しかないので、乗り換えには注意をしているつもりだった。ところが不覚にも大月到着直前で睡魔に襲われて大月駅では寝過ごして乗り換えに失敗!次の電車に乗ったため30分弱の遅れとなってしまった。この時は30分くらいの遅れはどうにでもなると思ったのだが・・・

千頭星野の手前には甘利山という同じく山梨百名山の山があり、南アルプス前衛の山として有名だったので数年前に登ったのだが、当時は山梨百名山には関心が無かったため、奥まったところにある千頭星山まで足を伸ばそうという気は起こらなかったのは今にして思えば惜しいことをしたものである。

甘利山の頂上直下にある駐車場までは舗装道路が伸びているが、標高差にして千メートル近くを自転車で登るとなると大変な労力を要することになり、少し傾斜がきつくなると自転車を降りて歩きだすものだから、滅茶苦茶時間がかかってしまった。前回はどうだったかはブログを読めはわかると思うのだが、体力低下の事実を知るのが怖いので読まないことにしておこう。

甘利山の頂上からは千頭星山の雄大な山容が間近に望めるのだが、遠近感が取りにくく簡単に登れるのではないかと錯覚してしまった。たた実際に登ってみると一向に近づかずに時間ばかりが空費していく。さらには、雪が次第に深くなり、膝までズボズボと埋まってしまい、遅々として行程が捗らなくなる。そのため一度は途中で引返すことも考えたが、ここで悪魔の誘惑に乗ってしまった。それは同じ道を引き返すのだから、下りは踏み跡を辿ってくれば、潜ることもなく短時間で降りられるだろうというものである。

雪が降り出して展望のない頂上に着くと証拠写真だけを撮ってすぐに下山を開始する。ところが、登りの時につけた踏み跡がすぐに見失ってしまう。どうも風に飛ばされて踏み跡が消えてしまったらしい。広い斜面を下って行くので、踏み跡なしでは登りの時のルートが全くわからない。そこでやむをえず、正しいと思われる方向に向かって降りていくのだが、登りとは違う所を下って行くので、登りの時ほどではないが潜ってしまい、思ったような速さでは降りられなかなってしまった。

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1時間ほど格闘して6時頃に甘利山まで降り立つことができた。これで帰りの時間もある程度読めるようになったので、妻に電話して夕食の時間には間に合わないので先に食べてもらうよう伝えた。
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後はわかっている道を進むだけなので気は楽だが、宿まではなかなか遠かった。ようやく宿まで辿り着いて妻に電話すると、感染予防のために手配しておいた部屋食が後10数分で片付けに来るという。急いで部屋に向かい、10分程度であらかたの料理を食べて片付けにはなんとか間に合う。朝の寝過ごしによるタイムロスの付けを思わぬところで払わされる羽目になった。

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翌日は日向山に向かうので、チェックアウトまで宿でゆっくりする妻と別れて竜王駅に向かう。中央線で日野春駅まで行き、ここから登山口のある駒ケ岳神社に向かう。ところか、神社の手前で林道が分岐していて、その終点から登るのが今は普通になっているようなので、標高差は400メートルほどあるが頑張って登ってみる。終点には何台か車が停まっていて人気のある山のようである。

昼食を食べていると数パーティーが下山してくる。だいぶ出遅れてしまったことになるが、標高差600メートル弱の登りなので、ゆっくり登っても1時間半もあれば登れるだろうと見当をつけて登りだす。途中には1から10までの番号がふってあるし、樹間からは鳳凰三山や甲斐駒ヶ岳が眺められるので、退屈せずに頂上に着くことができた。

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頂上は樹木に覆われているので、360度の展望というわけにはいかないが、樹間から甲斐駒ヶ岳が間近に見れるのは嬉しい。急登を重荷に喘いだ黒戸尾根や赤石沢奥壁、摩利支天中央壁、黄蓮谷と言ったバリエーションルートも懐かしい。特に真正面に見える黄蓮谷は実際に登ったのは雪のない時期だけであるが、冬のアイスクライミングも何度か計画しながら、登らず終いだったことは残念であった。
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展望を楽しんだ後、下山に移るが、登山口まではすぐであった。そこからは自転車で釜無川まで一気に下降する。日野春駅よりも長坂駅の方が近そうなので、そちらに向かうことにするが、数百メートルの標高差を登らされるのにはまいった。それでも6時前には駅に着き、無事に目標達成を祝ってビールで喉を潤した。。

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2021年3月19日 (金)

棚横手山・源次郎岳

山梨百名山も未踏峰は残り少なくなったので、1日で三座を登ってしまって90の大台に乗せるつもりで出かけたのだが、甲斐大和駅に着いてバス停の時刻表を見ると、何たることかバスの運行は4月からと表示されている。ホームページにはそんなことは書いてなかったぞと文句をつけたかったが、文句を言う相手もいないので善後策を考える。その結果、登る順序を逆にして下山予定駅であった勝沼ぶどう郷駅から棚横手山に登り、そこから北上して源次郎岳を目指し、源次郎岳からはまた勝沼ぶどう郷駅に戻ることにした。三座目の高川山は次回に回すことになるが、やむを得ないと考えた。

 

棚横手山は歩いて行くとなると長い林道歩きを余儀なくされる。一番大きく迂回する箇所はショートカットできないかと思ったら、沢を横断する箇所で沢沿いに踏み跡があり赤テープも続いていたので、ショートカットをすることにした。しばらく登ると、左側のかなり上部にガードレールが見えたので、このまま沢沿いに行くよりも林道に這い上がった方が早いのではないかと考えたため、沢を離れて林道を目指すことにした。登るにつれて足場が悪くなってきたため慎重に登って林道に這い上がる。このショートカットは距離的にはともかく時間的にもショートカットとなったのかどうかはなんとも言えない気がした。

 

林道をしばらく進むと登山道の分岐点があり、そこをしばらく登ると稜線に出て棚横手山は眼の前であった。棚横手山は富士山を正面にした展望の良い山で山梨百名山に選ばれているのも納得できる。残念ながら逆光のため富士山の写真は撮れなかったが、登頂の証拠写真だけを撮って源次郎岳を目指して北上する。

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大滝山までは稜線通しに行くが、その先をしばらく下降すると舗装道路に出て、源次郎岳直下まては緩い登りが続く。やがて嵯峨塩温泉から登ってくる道と合流するが、その道は当初の計画では午前中にバス降車後に登ってくる予定の道であった。ここまで来ると源次郎岳までは目と鼻の距離なのだが、結構アップダウンがあって思いの外時間がかかってしまった。
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源次郎岳から勝沼ぶどう郷駅までは8キロ近い距離かあるが、まだ3時前なので、久々に明るい時間に下山できそうである。途中で5万図では尾根道と沢沿いの道に分かれるようになっており、距離的には後者の方が短いのでそちらを選択するつもりであったが、沢沿いの道と思われる所にはテープも明瞭な踏跡もないので廃道になってしまったのかもしれない。ただよく観察すると、所々に踏跡らしきものはあり、地図で判断する限りは悪場もなさそうだったので下ることにした。比較的順調には下れたものの思った以上に時間がかかってしまい、朝方と同様に尾根道を行くよりも早かったかどうかは?のままであった。

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2021年3月11日 (木)

石巻追悼式

今日は10年前に地震が発生した2時40分過ぎに慰霊のセレモニーがあるはずなので、それまでは時間の余裕があるため、牡鹿半島先端近くの鮎川港まで行ってくることにした。実は牡鹿半島先端付近までは過去にもトライしたが、時間不足で途中リタイアしたことがあったので、今回はそのリベンジということになる。前回トライしたのは、日本列島海岸線踏破というプロジェクト達成のためには半島先端まで到達しなければならないために行ったのだが、半島周遊の道のアップダウンを過小評価して時間設計を誤ったために断念したものである。もっとも、他の半島でも先端まで行っていない所はたくさんあるが、伊能忠敬のように地図作りという使命があるわけではないので、そのあたりはさほど厳密には考えてはいないのである。

 

朝のバスで鮎川港行きのバスに乗車するが、途中の古積浜で下車して歩き始める。実は前回はこのあたりまで自転車で来て引き返したので、ここから鮎川港まで約15キロを歩いてしまおうという計画である。昨日の歩きの疲れもあってゆっくりと歩いていたが、これでは間に合わなくなるとベースをあげたため、なんとか帰りのバスの発車20分前には鮎川港に着く。鮎川港の先はさらに道は続いているので、できれば金華山が見えるあたりまで行きたかったが、登り下りで1時間近くはかかりそうなので断念して石巻に戻ることにした。
鮎川港

追悼式が開かれる日和山公園は石巻駅から徒歩20分ほどの小高い丘の上にある。公園に着くとかなりの人が集まっている。この日和山のふもとには当時は小学校かあって避難場所に指定されていたため大勢の人が集まったが、次第に危険を感じて日和山をゾロゾロと登って難を逃れたそうである。ボランティアの際にも何度か来たことかあるが、その時は眼下には壊滅した廃墟か眺められたが、今はすっかり整地されてはいるものの、もう人は住めない場所になってしまったようである。

Img_20210311_144911_copy_349x261日和山公園

やがて2時46分になると市内全体にサイレンが鳴り響いて黙祷が行われ、その後は参加者は三々五々山を降りて追悼式は終わる。駅に戻る途中、記憶を頼りにボランティアで訪れた家の前を通ったり、活動の拠点となったセンターまで行って思い出にふけったりした後に石巻を後にした。

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2021年3月10日 (水)

常磐線沿線

今日3月10日は東京大空襲から76年目、明日3月11日は東日本大震災から10年目のそれぞれ記念すべき日である。東京大空襲は歴史上の一事件として風化させてはならないことであるが、東日本大震災は過去の出来事というにはあまりにも生なましい記憶が蘇る災害である。震災発生時は、日本列島徒歩縦断として冬の北海道を「最果ての地」宗谷岬を目指して歩いている最中だったが、この非常時にこんなことをしてていいのかという思いから、帰京後は石巻を皮切りに半年間で延べ1ヶ月以上を現地の災害ボランティアに従事したことが、その後のボランティア活動や市民運動参加に繫がったという意味で、自分にとっては原点ともいえるものなので、10年目の節目の際にはまた現地を訪れてみようと前々から思っていた。   

 

石巻に向かうには新幹線で仙台まで行けば早いのであるが、昨年春に常磐線が全線復旧したのに伴い立入禁止が解除された双葉周辺の状況を見ておこうと18切符を利用して行くことにした。水戸、いわきで乗り換えて原町田行きに乗車する。昨春よりも前は富岡から先は代行バスに乗り換えたものだが、オリンピック開催を控えて復興が進んだ印象を与えたいがために駅周辺だけの除染を行って、なんとか全線復旧の形だけは実現させたようである。とは言っても、原発から数キロしか離れていない途中駅では、駅のまわり以外は全て立入禁止区域なので、乗降客は皆無で駅の存在意義は全く無いといってよい。

 

双葉駅から先は海沿いに行けば立入禁止区域を通らずに歩けそうなので、双葉駅で下車することにした。現在、大詰めに差し掛かっている日本列島海岸線踏破のうち、太平洋側は福島第一原発周辺だけが未踏となつていて、山側を大回りしてなんとか繋げてはいるのだが、海岸線近くの未踏区間も可能な限り踏破しておこうと双葉駅から北上することにした。

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双葉駅では他に数人が下車したが、いずれも私と同様に立入禁止が解除された双葉の町を見に来た人のようである。双葉駅で放射線量を測定すると安全基準内の数値が示されるが、駅から少し離れると数値は安全基準(年間1ミリシーベル)をオーバーしてどんどん上がっていく。幹線道路も車の往来は可能だが、南へ向かう道は歩行者は立入禁止となっている。駅から1時間程度海側へ行くとなんと安全基準の10倍近くまでになってしまう。これでも立入禁止が解除されているのは、国が従来の安全基準の20倍の数値を住民帰還の安全基準としてしまったからであるが、この20倍の安全基準というのは原発作業員に適用されるもので、これを子供を含めた住民に適用するというのは無茶苦茶な話である。福島県では子供の甲状腺ガンが異常に高い割合で発生しているらしいが、こんな線量の高い地域に住民を帰還させるというのはとんでもないことである。もっとも、双葉町へ帰還した住民は皆無に近いらしいく、作業員以外には全く人影は見当たらず、目に入るのは、除染した汚染残土の山だけである。地元への執着の強い高齢者はともかくとして、若い人にとっては双葉は残念ながら帰るべき土地ではないように思う。補償も含めた対価で土地を東電が買い取り、そこに太陽光や風力といった一大再生エネルギー発電の供給地域を作るのが現実的ではないだろうか。

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前回、到達している磐城太田駅までは20キロ以上あるが、ジョギングも交えて進んでなんとか予定の電車に間に合った。今回の行動によって原発周辺の未踏部分は15キロだけを残すだけになったが、私の元気なうちに立ち入りが可能となる可能性は限りなく小さいであろう。石巻に向かう途中、乗り換えのために下車した仙台で名物の牛タン料理を食べるが、時間がなかったので初日の目標達成を祝う乾杯は石巻のホテルまでお預けとなった。
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2021年3月 6日 (土)

白鳥山・實ケ岳

緊急事態宣言が出ている間は大人しくステイホームしているつもりだったか、2週間も延長されるということで、我慢できずに山にいってしまう。もっとも私の行く山は誰も登らない不遇の山ばかりなので、感染リスクは皆無に近いのだが・・・。

今回は昨年末に山梨百名山を登りに行った際に登り損ねた白鳥山(86座目)と實ケ岳(87座目)を登ることにした。天気予報は下り坂であったが、いずれも千メートルに満たない山であり、ネットで調べると両方の山を繋げて登っても6時間程度と出ていたので、気軽なハイキング気分で出かけてしまい、後になって苦労することになった。

18切符を利用して出かけたので、始発で出かけても登山口の芝川駅に着いたのは10時近くになってしまった。5万図では芝川駅から白鳥山に登る道は書いてないが、ネットには記録はあったので多分道はあるのだろうと思ったのだが、案の定しっかりした道はついていた。ただかなり急な登りにもかかわらず、そこをマウンテンバイクで降りてくる人がいたのには驚いた。

頂上まではネットの記録では50分とあったが、かなり頑張って登ったにもかかわらず1時間半もかかってしまい、この記録は信用しないほうがいいかなという気がしてきた。頂上から反対側に降りるとすぐ舗装道路に出たので、さきほどマウンテンバイクで降りてくる人がいたことも納得できた。道はゴルフ場の間を縫って進んで行き、實ケ岳登山口まで延々と舗装道路が続く。

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實ケ岳登山口の標識には頂上まで2時間半と書いてあるが、ネットの記録は1時間10分であり、完全にトレランペースである。自分はその中間くらいの時間で行ければいいやと思ったが、こちらも白鳥山以上の急登の連続である。途中から雨も降り出したが、1時間40分休まずに登って頂上に着く。展望のない頂上は証拠写真だけとってすぐに下山に移る。結局、3時間弱で往復できたので、まずまずであった。

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各駅乗り継ぎの最終までは1時間半あるが、ネットの記録では50分で下っているので楽勝かなと思った。ところが距離を調べてみると、8キロ近くあるではないか。いくら下りとはいえ8キロを50分だなんて、ランニングペースである。私の持ち時間1時間半でもギリギリであり、とんでもない記録を参考にしてしまったものである。

急ぎ足で下り、駅近くまで降りてきた時に道が2つに分かれていてどちらに行けばよいのかわからなくなってしまった。そこでグーグルマップで調べようとスマホを取り出したところ、雨で画面が濡れてしまったせいで、画面にタッチしても反応しないのでグーグルマップを見ることが出来なくなってしまった。そこでやむを得ずカンで右の道を進んだのだが、しばらく進むとどんどん道が右の方に曲がって行くので、これはおかしいと思い引き返すことにし、もう一度グーグルマップを取り出すと、今度は作動して左の道が正しいことがわかった。この間違いで10分ほど時間をロスしてしまったが、これが命取りとなって予定していた電車に乗り損ねてしまった。まあ三島から新幹線に乗れば最終では帰れるのだが、18切符がありながら新幹線を利用するのは悔しいと思っていたところ、小田原から小田急を利用すれば新幹線を利用しなくても今日中に帰れることがわかり、新幹線に乗るよりはましかなと、こちらを選択することにした。どうも最終電車の時刻が繰り上げられたことの影響はいろいろとあるようた。



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