« 2021年5月 | トップページ | 2021年8月 »

2021年7月

2021年7月24日 (土)

オシュに移動

今日はパミール山脈の玄関口となるキルギス第二の都市であるオシュ(とぃっても私の住んでいる杉並区の半分ほどの人口しかないが)に移動する。乗合タクシーだと丸1日近くかかるが、飛行機だと小一時間の移動で済んでしまう。標高はビシュケクをやや上回る程度なのでやはり暑い。ビシュケクがキルギス族主体なのに対して同じモンゴル系ではあるが、ウズベク族主体であり、両者は争いが絶えないらしい。それならばウズベキスタンに編入されてしまえばいいように思うが、そうもいかない事情もあるに違いない。

 

ホテルに荷物を置いて昼食に出かける。地元の人がそこそこ大勢入っている店があったので、うまい店に違いないと入ってみる。ところがメニューがロシア語のキリル文字でしか書いてないので、さっぱりわからない。弱ってしまったが、しばらくして名案が浮かんだ。スマホに入っている翻訳ソフトがカメラで取り込んだ文字の翻訳もしてくれることを思い出した。英語の外、いくつかの言語はオフラインでも使えるが、ロシア語もその中に入っているのはラッキーだった。

 

さっそく使ってみると、ラグマンと翻訳される料理があった。中国シルクロードの新疆ウィグルと呼ばれる地方を旅行したときに良く食べた料理である。焼きウドンのような感じで日本人の口に合い、どこの店でも食べられたので、「困ったときのラグマン」と名付けていた。ここオシュは中国シルクロードとの国境線も近いだけに料理にもその影響があるのだろう。

Img_20210723_144448_copy_400x300

昼食後に少し寄り道して、オシュゲストハウスに行ってみる。キルギスを訪問するバックパッカーが必ずお世話になる所で、去年レーニン峰を計画した時には、登山終了後にそこに荷物を置いて、隣国タジキスタンにも足を伸ばすつもりだったが、コロナ禍の今は国境越えはハードルが高いので、今回は断念した所である。ところが、その標識までは辿りつけたのだか、公団住宅のような建物には入口が四つあり、どこがゲストハウスの入り口なのかはわからず仕舞いであった。帰りは路地裏を通ってきたが、お店にはシルクロードらしく果物が満載である。スイカのように見えるのは瓜だそうである。街中からはオシュの景観として名高いスレイマー山も見えるが、この暑さでは登る気も起きない。

Img_20210723_153617_copy_375x281

Img_20210723_151539_copy_281x375

Img_20210723_155749_copy_375x281

夕食には昨日行き損ねた中華料理店に入る。麻婆豆腐を注文したが、出来ないというのでチンジャオロースに変えたものの、物凄い量で食べきらずに残してしまった。

Img_20210723_205107_copy_375x281

前回のブログでドバイに入国せずに済むので、帰国後の隔離が緩和されるかもしれないと書いたが、これは間違いで、キルギス自体がデルタ株流行地に指定されていて、しかもドバイよりも重い十日間の施設隔離(及びその後の四日間の自宅隔離)となっていることが判明した。マスクをしている人が少ないために感染が抑えられているかのように錯覚してしまいがちであるが、キルギス全体でも東京都の人口の半分以下であるにもかかわらず、東京都とほぼ同じ人数の感染者数があるのはたしかにすごいことである。ワクチン接種済みの自分の感染リスクはほとんどないと思われるが、用心をこしたことにはない。もっとも十日間の施設隔離はそんなこともおるうかと、仕事用のノートパソコンまで持参してきているので全く影響はない。強いて云えば、その間は酒が買えないのが痛いだけであるが、キルギスで購入して荷物の一部として運んでくる方法はある。二週間の登山期間中は高山病予防のために禁酒となるので飲酒の習慣はなくなってしまうかもしれないが

明日からはネット環境はないようなので、2週間程度は投稿はできなくなる見込みです。

| | コメント (0)

2021年7月23日 (金)

キルギス入国

 

久々の海外であるが、コロナの影響で成田エクスプレスはガラガラ、空港も閑散としていて日本人客も少ない。オリンピック自国開催時であり、緊急事態宣言もでているというのに海外に行こうというのは非国民か!?いやいやこんな時にオリンピックを開催しようとする奴らこそ、国民の命を危険にさらす国賊といってよいだろう。それはともかくとして、チェックイン後にレストランのフロアに行ったら軒並み閉店でマックしかなく、最後の日本食を楽しもうという目論みは崩れ去った。それどころか、バーガーを食べてる途中でシャッターが降ろされて通路のベンチに追い出された。チェックインに手間取っていたら食事にもありつけないところであった。もっともチェックイン自体はスムーズにいったものの、キルギスからドバイへの帰国便がキャンセルになったとのメールが今朝届き、代替便については不明だったため調べてもらうのに多少は時間がかかったのだが。結果は代替便は翌日の早朝便であることがわかり一安心する。

 

ドバイ行きの飛行機もがら空きで、混雑してたら食事は抜こうかとも思ったがその心配はなかった。出発まもなくの夜食はとらなかったが、ドバイ到着前の朝食はしっかりと食べられた。また一人で2~3席を確保できるのでビジネスクラス並ではないにしてもそこそこは快適に眠ることもできた。

 

ドバイ空港に到着したのは夜明け前であったが、成田空港と違って人出が多くお店も活気があった。ドバイ空港にはプライオリティパスがあれば無料で使用できるラウンジがいくつかあるが、今回利用したターミナルにあるラウンジは1時閉店の札がぶらささがっている。他のターミナルまで足を伸ばすと乗り継ぎ時間に間に合わなくなる恐れがあるため諦める。去年プライオリティパスを取得直後にコロナが流行して一年以上使う機会がなかったが、今回も使い損ねてしまった。もっとも帰りの乗り継ぎ時には丸一日近く時間があるのでラウンジのハシゴもできそうだ。実は当初の帰国便のドバイ乗り継ぎ時間は10時間ほどだったのだが、成田行きの便がキャンセルされて翌日の便となってしまったためにドバイ宿泊を余儀なくされたところ、キルギス発の便も翌日に変更されたためにドバイ宿泊が不要になることになった。デルタ株流行地とされるドバイ入国がなくなったので、成田帰国後の施設隔離は免除されるかもしれないが、状況は流動的なのでなんとも言えない。

 

ターミナルはずれにあるキルギス行きの搭乗口まで行って出発を待つが、不覚にも眠りに落ちてしまった。気がつくと周りには誰もいなくなっている。その時、頭をよぎったのは井上靖の小説で居眠りしたために科挙の試験が受けられずに運命が一変した主人公のことである。すぐに我に返って時計を見ると、出発30分前であった。20分前に締切だから危ないところであった。階段を駆け下ると連絡バスはまだ発車しておらずなんとか間に合った。

 

キルギス行きの飛行機もがら空きで一人で三つの座席を使い、後ろは誰も座っていないので目いっばい席を倒すという贅沢な使い方である。密の心配がないので当然機内食もいただくが、同じエミレーツ航空でもローカル線扱いなのか、食事の質は少々落ちるようであった。

 

砂漠に囲まれた荒涼とした大地にポツンとある飛行場におりたったが、キルギスの首都ビシュケクの表玄関としては少々淋しいところである。パスポートチェックの前に陰性証明書のチェックがあり無事通過してキルギスの大地を踏み締めるこどができた。時間は2時頃ということもあり、かなり暑い。キルギスは山国なので涼しいというイメージがあるが、ビシュケクは標高700メートル程度なので暑いのもやむをえない。ただ湿度が低いのには救われる。

Img_20210722_111052_copy_462x346

迎えの車で市内に向かうが、マスクをしている人がほとんどいないのには驚いた。そこそこの感染者数とは聞いていたが、改善されつつあるのか、それとも無頓着であるのか・・・。車はエージェントの事務所に寄って打合せをしてからホテルに入る。少々疲れ気味だったので体を休め、気温も下がり始めてから町に食事に出かける。

Img_20210722_205152_copy_343x458

街の風景は半世紀前の日本を思わせるようであり、モンゴル系の人が多いようで日本人に似た人たちとすれ違っていると、外国にいることを忘れそうである。ガイドブックに載っていた人気レストランに行くつもりだったが、15年近く前の資料だったため、今はお目当ての店はなく、行き当たりばったりで入ったお店はメニューの料理はないものばかりで、やっと注文できたシャシリクは写真のように特大の物で、食べるには食べたが、しばらくはシャシリクは結構という感じであった。
Img_20210722_221233_copy_416x311

| | コメント (0)

2021年7月18日 (日)

高所順化

レーニン峰(7035m)の高所順化を目的として富士山登頂と頂上付近で一夜を明かすことは6月からほぼ毎週続けてきたが、最終回となる六回目はキルギスへの出発直前に富士宮コースから行うことになった。
妻がネットで評判を聞き付けて行きたがっていた富士宮北方にある船山温泉に宿泊してから富士山に向かうことにしたが、ここである計画を思いつく。それは数年前に富士山に登った時に利用した村山古道のうち、まだ歩いていない吉原から村山浅間神社を踏破しておくことである。村山古道というのは、江戸時代に東海道から富士山を登る際に利用されたもので。交通機関の発達とともに村山浅間神社から上は廃道化したものを、近年になって整備されて再び歩けるようになったものである(といっても利用する人は稀であるが)。

 

前回は、村山浅間神社までは富士宮からタクシーを利用したが、吉原から歩くとなると17キロ近くとなる。距離的にはたいしたことはないが、炎暑のなかを歩くのはつらいので涼しい夜間に歩くことにした。吉原をスタートしてしばらくは市街地の道を進むので古道を忠実に辿るのは難しいが、古道のGPS軌跡をネットからダウンロードしたものを読み込んだGPSに対応した地図をタブレットに保存してあるので迷う心配もない。

 

最初しばらくは東海道を西に進むが、名所となっている「左富士」の碑の横を通る。これは東海道を西に進むと、富士山を右手に眺めながら行くことになるが、富士山との距離が近い吉原付近では道がやや東側にカーブすると左手に見えるというものである。夜道では関係ないと思ったが、山小屋の明かりで富士山の位置が確認できるこの時期ならではのお陰で「左富士」を体験できた。

 

やがて市街地を抜けると上り坂となり、村山古道の指導標も要所々々に表れてくる。村山浅間神社に着いたのは夜明け前だったので、神社のベンチでしばらく仮眠を取り、明るくなってから行動を開始する。神社付近にはパス停はないが、13キロほど離れた白糸の滝からは富士宮行きのバスが出ているので、途中でバスが通っている道と合流すれば、そこから白糸の滝まではバスに乗って行けばいいやと歩き出す。

Img_20210716_044352_copy_343x457

やがてバスが通っている道とは合流したが、始発バスまでは1時間待たなければならないようだったので、もうしばらくは歩くことにする。終点まで2キロ近くまで来たところで始発バスに乗り、白糸の滝に向かう。富士山の伏流水が横一面に流れ出る景観は他では見られないもので一見の価値はあるといえるだろう。
その後は富士宮経由で内船駅で妻と落ち合い、その夜の泊まり場の船山温泉に向かう。

Img_20210716_082024_copy_1600x1200

船山温泉でのんびりと一晩を過ごした後、11時のチェックアウトまで宿に滞在する妻と別れて、9時に宿を出て富士宮からバスで富士宮口五合目に向かう。今年の富士山は吉田口ばかりだったので(前回は須走口だったが、上部では吉田口と合流)、多少は目新しい気がしないでもない。もっとも過去には何度も登っていいるコースではあるが、いずれも雪が残っている時期だったと記憶しているので、真夏に登るのは初めてかもしれない。来年の夏に小学2年生になる孫を連れて富士宮口から登るつもりなので、今回はその予行練習を兼ねることにした。

 

今回は荷物が軽いこともあり、コースタイムどおりに4時間で頂上に着くことができた。山小屋に泊まるのは久しぶりであるが、コロナの影響によるのか宿泊者も多くなく、娘が小学生の時に富士山に連れて行った時のようなすし詰め状態を味わうことがなかったのはラッキーだった。ただ7時消灯というのは普段と生活パターンが違い過ぎていて、かえって安眠ができなかった。

 

翌日は今年の富士山では初めてとなる経験をいくつかすることができた。まずはご来光である。今までは梅雨空で縁がなかったが、梅雨明け直後だったせいか久々のご来光を見ることができた。次はお鉢巡りである。これも過去5回は天候が悪かったせいもあるが、下りを考えると時間を割けなかったというのが本当のところである。そしてお鉢巡りの副産物とも言えるが、富士山の最高地点となっている旧測候所にも足を伸ばすことができた。

Img_20210718_043515_copy_1200x1600

Img_20210718_051211_copy_1600x1200
下りは富士宮をそのまま下るのは能がないし、早く下りすぎてしまうので、宝永山経由とすることにした。宝永山は江戸時代に大災害をもたらした噴火の名残で、御殿場口から富士山を往復していた時から気になっていた山である。ただそうでなくても長いコースの御殿場口では宝永山に寄り道するのは難しいため登らず仕舞いとなっていたのだが、御殿場口を七合目まで下ってから宝永山方面に分岐し、山頂から富士宮口へつながる道があることを知って、行ってみることにした。

Img_20210718_095315_copy_1200x1600

ほぼ順調に行動でき、圧倒的な火口壁も眺めることができたが、唯一の誤算は七合目から宝永山への分岐点までの道が前回の須走口同様に小石混じりの砂道だったために靴の中に砂と小石がたくさん入ってしまったことである。須走口の時はそれに備えてスパッツという靴覆いを用意していったのだが、今回は想定外とななってしまったのは調査不足のためであった。それでも午前中には五合目に下りられ、各駅停車でも明るいうちに帰宅することができた。

 

今回を含めた六回の富士山頂上付近での宿泊により、四千メートルくらいまでの順化は終わっていると考えられるが、従来は三浦雄一郎さんの低酸素室で六千メートルまでの順化を行っていたのが、コロナによる需要減で休業となって利用できなくなってしまったのは痛い。そのため、従来は利用してこなかった高山病の薬を処方してもらえる医療機関を探し出したので、出発前に行ってみることにした。

| | コメント (0)

« 2021年5月 | トップページ | 2021年8月 »