オシュに移動
今日はパミール山脈の玄関口となるキルギス第二の都市であるオシュ(とぃっても私の住んでいる杉並区の半分ほどの人口しかないが)に移動する。乗合タクシーだと丸1日近くかかるが、飛行機だと小一時間の移動で済んでしまう。標高はビシュケクをやや上回る程度なのでやはり暑い。ビシュケクがキルギス族主体なのに対して同じモンゴル系ではあるが、ウズベク族主体であり、両者は争いが絶えないらしい。それならばウズベキスタンに編入されてしまえばいいように思うが、そうもいかない事情もあるに違いない。
ホテルに荷物を置いて昼食に出かける。地元の人がそこそこ大勢入っている店があったので、うまい店に違いないと入ってみる。ところがメニューがロシア語のキリル文字でしか書いてないので、さっぱりわからない。弱ってしまったが、しばらくして名案が浮かんだ。スマホに入っている翻訳ソフトがカメラで取り込んだ文字の翻訳もしてくれることを思い出した。英語の外、いくつかの言語はオフラインでも使えるが、ロシア語もその中に入っているのはラッキーだった。
さっそく使ってみると、ラグマンと翻訳される料理があった。中国シルクロードの新疆ウィグルと呼ばれる地方を旅行したときに良く食べた料理である。焼きウドンのような感じで日本人の口に合い、どこの店でも食べられたので、「困ったときのラグマン」と名付けていた。ここオシュは中国シルクロードとの国境線も近いだけに料理にもその影響があるのだろう。
昼食後に少し寄り道して、オシュゲストハウスに行ってみる。キルギスを訪問するバックパッカーが必ずお世話になる所で、去年レーニン峰を計画した時には、登山終了後にそこに荷物を置いて、隣国タジキスタンにも足を伸ばすつもりだったが、コロナ禍の今は国境越えはハードルが高いので、今回は断念した所である。ところが、その標識までは辿りつけたのだか、公団住宅のような建物には入口が四つあり、どこがゲストハウスの入り口なのかはわからず仕舞いであった。帰りは路地裏を通ってきたが、お店にはシルクロードらしく果物が満載である。スイカのように見えるのは瓜だそうである。街中からはオシュの景観として名高いスレイマー山も見えるが、この暑さでは登る気も起きない。
夕食には昨日行き損ねた中華料理店に入る。麻婆豆腐を注文したが、出来ないというのでチンジャオロースに変えたものの、物凄い量で食べきらずに残してしまった。
前回のブログでドバイに入国せずに済むので、帰国後の隔離が緩和されるかもしれないと書いたが、これは間違いで、キルギス自体がデルタ株流行地に指定されていて、しかもドバイよりも重い十日間の施設隔離(及びその後の四日間の自宅隔離)となっていることが判明した。マスクをしている人が少ないために感染が抑えられているかのように錯覚してしまいがちであるが、キルギス全体でも東京都の人口の半分以下であるにもかかわらず、東京都とほぼ同じ人数の感染者数があるのはたしかにすごいことである。ワクチン接種済みの自分の感染リスクはほとんどないと思われるが、用心をこしたことにはない。もっとも十日間の施設隔離はそんなこともおるうかと、仕事用のノートパソコンまで持参してきているので全く影響はない。強いて云えば、その間は酒が買えないのが痛いだけであるが、キルギスで購入して荷物の一部として運んでくる方法はある。二週間の登山期間中は高山病予防のために禁酒となるので飲酒の習慣はなくなってしまうかもしれないが
明日からはネット環境はないようなので、2週間程度は投稿はできなくなる見込みです。
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