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2021年8月10日 (火)

パミールの山 前半

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7月24日
いよいよレーニン峰に向けて出発の日である。と言っても今日はベースキャンプ(以下、BCと略)まで行くだけであるが。7、8人のグループが乗っている車に便乗してホテルを10時頃に出発する。なかなか騒々しい連中で、コロナ対策という意識はないようである。もっとも私は最前列に座ったので、ソーシャル・ディスタンスは取れていたが。

 

車はタジキスタンとの国境を目指して一路南下する。峠に着いて見晴らしのいい所でトイレタイムとなる。遠くの方には雪山も見えてくる。それからしばらく進むと、国境への道と別れて西に向かう。左側にはレーニン峰に連なる国境の山々が屏風のように聳えてなかなかの迫力である。道はなおも舗装路を進むが、どこで南に進路を変えるのかと思ったら、突然左折して踏跡のような完全なダート道を進んで行く。次第に高度を上げて3000メートルを越えるようになると、レーニン峰が目前に迫ってくるが、頂上付近は雲に覆われれて望むことはできない。

 

3時近くなってテント村が見えてくると待望のBCである。いくつかの会社があちこちにテント村を作っているようで、とあるテント村で私だけ降ろされてガイドと落ち合う。ガイドの名はアンドリーという30代のバリバリという感じである。遅いランチを食べてからガイドと装備やタクティックスの打合せをする。私の海外登山歴のリストも出したので、ある程度は私の力量も分かってくれたようである。ただし、体力は落ちてることも伝えておいたが。

 

BCでは背の高い広いテントが私専用に用意されていた。辺りは広い草原で、正面にはレーニン峰が聳えているという素晴らしい立地条件である。ネットこそ繋がらないが、電源もあり、サウナまで用意されているという至れり尽くせりの環境である。これから二週間の登山生活が始まることになる。

 

7月25日
今日は前進ベースキャンプ(以下、ABCと略。なおそこをキャンプ1として、以下キャンプの番号をひとつづつ多く表記しているものもあるが、ここではそれは採用しない)まで標高差800メートルの登りであるが、重い荷物は馬に運んでもらうし、最初の比較的平坦な所は車をチャーターしたので、実際に登る標高差は600メートルに過ぎない。

 

ガイドは非常にゆっくり歩いてくれるので助かるが、他のパーティーには次々と抜かれていく。結構重そうな荷物を担いでいる人がスイスイと抜き去っていくのは心中穏やかではないが、自分は年なんだし、ゆっくりと登るのが高度順化の秘訣なんだと言い聞かせる。その代わり、ほとんど休まずに登ったので行動時間自体はそれほどは多くかからなかったかもしれない。

 

ABCの手前で、かなり流れの激しい沢を横切るところがあった。この程度の沢は国内でも渡ったことはあるので、靴を脱いで渡るつもりだったのだが、ガイドは私を背負って渡るという。断りたい気持ちもあったが、郷に入りては郷に従えという諺もあることだし、大人しく従うことにした。他の登山者はどうするのかと思ったら、少し上流に馬を引いて待っている人がいて、渡し船ならぬ渡し馬で渡っていた(もちろん有料だろうけど)。

 

最後の急登を越えるとABCのテント村が見えてきて、今まで隠れていたレーニン峰も間近に現れてくる。やれやれテント村についたぞと気がゆるんだが、ガイドはテント村を素通りして先に進む。遠くの方に別のテント村が見えてきたので、ガイドの所属する会社のテント村はあちらの方なのだろうと思って進むと、今度は正解であった。こちらも個人専用の大きなテントが用意されていて、ユルタという遊牧民の移動式住居のなかで食事が食べられるのはBCと同じであるが、電源サービスはなく、テレビも見れないのは異なっている。まあオリンピックボイコットのつもりで、この時期に来たのだから、その方が好都合でもあるのだが。明日はいよいよ雪山装備をつけての本格的な登山がスタートすることになる。

 

7月26日
今日からレーニン峰に向けての登山が始まると思いきや、ガイドは裏山に登るという。まあ日程的には充分余裕はあるんだけと・・・。

 

ガイドは相変わらずゆっくりととしたベースて登っていく。昨日の登りで私の力量はわかっているはずなのにペースを落としたままなのは、私の年齢に配慮してのことたろうか。おかげで今日も他のパーティーに次々と抜かれていく。富士山でも使用したくたびれたランニングシューズに変えて高所靴を履いていくようにガイドが言うもんだから、滑りやすいザレ道を足首を固定された高所靴で登るのは非常に苦労した

 

1時間ほどの登りで裏山の頂上に着いた。300メートルほどの
登りでモンブランとほぼ同じ高さまで登ったことになる。ここはパノラマピークと名付けられているだけあって、正面にレーニン峰の大パノラマが望めるほか、後ろには稜線には雪のついている5000メートル級の裏山も見える。ここでガイドから信じられない言葉を聞かされる。明日は5000メートル級の裏山に一泊してからABCに戻ってレストすると言うではないか。一応、日程的には可能だが、予備日がほとんどなくなってしまうので、登頂の確率が減ることになってしまう。

 

30分ほど休んで下山に移る。登りは歩きにくかったが、下りはそれほどでもなく、ほどなくABCに着き、自分のテントに入ろうとした時だった。背中に違和感を感じて腰痛が悪化したようである。今まで山から下りてきて腰痛が悪化したことなどは一度もないが、これも高所の影響であろうか。とにかく背中の前後への屈伸を繰り返して改善を試みるが、もし明日になっても改善しなければ明日は休養として、その後に改善が見られれば、裏山登山は止めてレーニン峰に向けての登り下りという本来の高所順化を行うことを提案したいと思う。

 

7月27日
腰の調子は快方には向かっているが、まだ完調ではないのて本日は休養とする。ただガイドに対しては腰の調子が悪いと言うと心配するだろうから、日本出発以来休みなしで行動してきたから休養を取りたいと言い訳をする。ただテントの中で一日じっとしていることは、腰のためにも高所順化のためにも良くないので、テントの周りをぶらついたりする。もっともテントの中は暑くて長くはいられないので、涼しいユルタの中にいることが多かった。
 
午後になって日が陰ってきたのでテントに戻る。今はKINDLEの本が何冊分かと、ビデオ録画を転送したものが何本か入っているので退屈することはない。昨日は「日本沈没」、今日は「ラストエンペラー」を見た。タブレットを長時間つけっぱなしにすることはタブレットの電力消耗を早めることになるが、ここABCでもコンセント数は少ないながら充電サービスがあることを発見したので、争奪戦となる時間を外せば、電力の心配はしなくてすむのはありがたい。

7月28日
今日もまた裏山に高所順化トレーニングである。昨日登った山よりも更に裏手の山であるが、高度は5100メートルあるユーヒン峰とかいう山である。

 

昨日登ったパノラマピークの頂上直下までは同じ道を行く。腰の痛みを心配したが、ストレッチを充分やったせいか大丈夫のようである。昨日は歩きにくいと感じた道だったが、慣れてきたのか昨日ほどは歩きにくくはなかった。

 

パノラマピーク頂上への道と別れてしばらくは平坦な道を行くが、ユーヒン峰への登りにさしかかると、傾斜が増すだけでなく道も崩れやすくて極端に悪くなってくる。今日は誰も登って来ないのかと思ったら、下の方に小さく見えた人影がどんどん近づいてきて、頂上の手前で抜かれてしまう。こんな悪い道をよくもこれほどのスピードで登ってくるものである。まるでトレランランナーのようである。ウサギと亀の昔話にあるように自分は亀の歩みで行こう。

 

頂上に着くと高所順化のためにしばらく滞在してから下降に移るが、登りでも悪く感じた道が更に悪く感じる。今にも崩れるのではないかという道を慎重に下る。パノラマピークとの鞍部の平坦地まで下りるとホッとする。パノラマピークからの下りは昨日は
悪く感じたものが、今日はいい道に思えてくる。

 

ABCまで下りついて、ガイドから明日はレーニン峰登山道のC1で一泊することが告げられる。ようやく仮免まで辿り着いたと言えるのだろうか。

 

7月29日
朝2時起床とのことだったが、12時過ぎから目が覚めてしまう。予定時刻となってガイドと落ち合うと、テーブルにはチーズやハムが並べられているが、早朝から食べるにはつらいものがあったので、少しつまんだだけで出発したが、これが大失敗であった。

 

暗闇の中をガイドとロープをつないで登って行くがペースは遅々として進まず、後続パーティーに次々と抜かれていく。ガイドからはベースアップを再三迫られるが、まったく体に力が入らない。どうも出発以来何も食べていないので(行動食はガイドが持っているため)、いわゆるシャリバテ状態になったようである。そしてそれが誘因となって高度障害も引き起こしたようである。カザフの時もそうだったが、どうも狩猟民族系の人たちは、農耕民族と違って食いだめが出来るらしく、一食くらい抜かしても平気らしい。

 

高度障害が次第にひどくなって何度も吐いたり(何も食べていないので胃液しかでてこないが)、歩みもますます遅くなって標準時間を大幅にオーバーしてキャンプ1に到着した。頭痛こそなかったものの、酸素飽和度は危険水域の76まで下がり、ほとんど食べられない状態であった。

 

7月30日
症状は多少改善されたものの高度障害は治りきっておらず、高度を下げてもさほど変わりはなかった。今日も後続パーティーに抜かれっぱなしで時間をかけて下っていくが、足下に見えるABCが少しずつではあるが近づいてくるのが慰めではある。やがてABCの一角には降り立ったが、我々のABCはもうひとつ氷河を渡った先である。そこまで達するのも実に長かった。その晩も疲れきっていて夕食はほとんど食べられなかった。

 

このような状態になってしまった以上はレーニン峰に向かうことは論外であるが、手前の6千メートル峰であるラズデルナヤ峰ならば登頂の可能性はなきにしもあらずである。C1までのあの苦しみをまた味わうのかと思うとウンザリしてしまうのも事実であるか

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