白峰南嶺の空白部分を埋める
湯の島温泉は今春の桜(タイミングが合わず)に続いて紅葉を狙ってやってきた。ただそれは表向きの理由で、本当の目的は日本アルプスを日本海に突き出た山稜から太平洋に落ち込む山稜の末端まで縦走する計画の仕上げとしてやってきたのである。
明るくなってから、「正しい」道があるはずの稜線上を探すが踏跡さえ見当たらない。これはやはり、マーキングされた道が正しい道で、何らかの理由で地図上の道とは異なってしまったのだろうと考えたが確信が持てないので、とりあえず稜線上を進んでみて、マーキングされた道と合流するのを待つことにした。しばらく稜線上を進むと案の定マーキングされた道と合流したので、無駄な時間をかけてしまったが問題は解決されたことになった。
南アルプス第二位の高峰である間ノ岳から南に延びる稜線は白峰南嶺と呼ばれているが、赤石山脈という名前の起源ともなっている赤石岳を盟主として多数の三千メートル峰を連ねる南アルプス主稜と比べると訪れる人も少なく地味な存在である。しかし、南アルプス主稜は太平洋に近づく前に山稜の形が失われてしまうのに対して、白嶺南嶺は海岸線ちまで山稜の形を保っている貴重な存在である。
白峰南嶺は山伏より北は踏破してあるが、南側は踏破したところと未踏破がまだら模様となっているので、今回は青笹山より北側を全て踏破することを目的としている。先ずは山梨百名山ともなっている山伏と八紘嶺を結ぶ稜線については今春に片付けるつもりが、山伏の手前で時間切れとなってしまったため、その部分だけをトレースするために、わざわざ山伏を登る羽目となってしまった。
後半の食料等は登山口付近にデポしておくことにした。結果的にはその時間帯だけだったのだが、結構下山者が通ったので、万一デポ品を持ち去られたら大変なので、葉っぱや木の枝でカムフラージュしておいた。もっとも自分自身がわからなくなっては困るので、現場は写真を撮っておくのも忘れなかった。
デポして担ぐ荷物が軽くなったので、明るいうちには避難小屋に着けると思ったのだが、思ったほどにはペースは上がらず、小屋に着いた時は真っ暗になってしまった。最近は簡易テント(ストックシェルター)のことが多いが、やはり居住性は小屋が断然いい。ただ一人で無人小屋に泊まると薄気味悪いのも事実だ。出口の開き戸が固くて開け閉めに苦労していたことが記憶に残っていたのか、扉が独りでに開いてしまいゾッとしたら夢だった。そんなわけで熟睡はなかなかできなかった。
翌朝は3時半に小屋を出発、山伏山頂を経て未踏の尾根に足を踏み入れると問題が起きた。ネットからダウンロードした地図でも紙の地図でも稜線上に登山道が通っているのに、テープや布によるマーキングを辿っていく道をGPSで確認すると稜線を離れて支尾根に迷いこんでいるように見えるのである。山頂まで戻って「正しい」道を探すも発見できず、明るくなるまで待機することにした。
明るくなってから、「正しい」道があるはずの稜線上を探すが踏跡さえ見当たらない。これはやはり、マーキングされた道が正しい道で、何らかの理由で地図上の道とは異なってしまったのだろうと考えたが確信が持てないので、とりあえず稜線上を進んでみて、マーキングされた道と合流するのを待つことにした。しばらく稜線上を進むと案の定マーキングされた道と合流したので、無駄な時間をかけてしまったが問題は解決されたことになった。
前回の到達地点までは間もなく到着したので、そこから引き返し山伏を経て来た道を戻り、デポ品も無事回収でき、予定したバスにも乗れて、湯の島温泉で妻と合流することとなった。

翌日は朝は雨模様であったが午後には晴れるという予報なので、予定どおり安倍峠から南下する稜線歩きに向かう。雨のために出発を遅らせて様子を見るが、一向に止みそうもないので、予定より1時間遅れの9時半に宿を出発する。
安倍峠までの自動車道は崩壊のため通行止めだが(4年前から通行止めのままで復旧するつもりがないのかしら)、八紘嶺方面への登山道は登れるので、途中から安倍峠に向かうことにする。傘をさしながらストックを突いて登るが、どうも調子が上がらず、安倍峠手前までのコースタイム1時間20分のところを2時間もかかってしまう。こんなことては宿の夕食時間に間に合わなくなるのでぺースを上げることにした。
林道から安倍峠に降り立つといよいよ本格的な登りがあ始まる。雨もほとんど上がり傘も必要なくなったので、ペースも上がってきてコースタイムの7~8割で歩くことができ、下降点である奥大光山の手前には3時に着いたので、宿には5時頃には着くかなと思えた。ところが気が緩んだわけでもないのにベースが上がらず、宿に着いたのは予定よりも1時間遅れの6時となってしまい妻からお目玉をくらう羽目となってしまった。
翌日は午前中のバスで妻と一緒に宿を後にする。今日中に帰京するため静岡まで行く妻と別れて、六郎木で下車し十枚山に向かう。昨日と異なり天気は良いし時間にしばられることもなく、のんびりと景色を眺めながら登っていく。だか、呑気な気分は長続きはしなかった。肝心の登山口が見つからないのである。紙の地図上で登山口と書いてある付近まで行って見るがそれらしきものは見当たらない。そこで手前に林道と交差していたのを思いだして戻って見る。だが林道の入り口には登山道についてのことが何も書かれてない。おかしいとは思ったが、登る尾根はわかっているので、林道の適当なところで尾根に取り付けば正しい道と合流するだろうと進んで行くと、案の定、正しい道と合流した。登山口は地図に書かれている地点よりももう少し奥の方にあったらしい。
一件落着と言いたいところだが、次の難題が待ち構えていた。尾根の途中で山腹を巻き気味に登る道が分岐しているが、そちらの方は沢を横切る所で水を補給できるようなので、炊事用の水は持たずにきていた。ところが、巻き道の方は崩壊箇所があるということで通行止めになっているでさないか、どうすべきか思案した結果、通行止めとなっていると言っても、今までの経験上では全く通れないという可能性は低いし、仮に通れそうもないと判断した時は、崩壊箇所は沢を横切る所だろうから、そこで水を補給してから戻って尾根コースを歩けば言いだろうということになった。
巻き道コースに入ると直ぐに一ノ沢の出合で、上流からの土石流が登山道を押し流したようで、あたりは岩が散乱していた。ただ下の方まで続く巻き道が作られていて、ローブも張り巡らされていたので通過は特に問題はなかった。「自己責任でご利用ください」との注意書きはあったが。巻き道からも水を汲むことは可能であったが、まだ時間は早かったし、次の沢で汲めばいいやと素通りする。
一ノ沢を過ぎるとジグザグの道が続いて高度を上げていき、なかなか二ノ沢に着かない。薄暗くなった頃にようやく二ノ沢に着いたが、そこには予期せぬサプライズで避難小屋があった。地図には記載されてなかったので、簡易テントを張るつもりだったのだが、いい意味での想定外だあった。
最終日は暗いうちに小屋を出る。夜道だとどうしてもベースが上がらず、コースタイムをだいぶオーバーして十枚峠に着く。重い荷物は峠に置いて軽装で十枚山の山頂を目指し、標高差200メートル弱の緩やかな登りで99座目の山梨百名山に登頂する。前二回は時間不足等から登れなかった山にようやく念願が叶って登ることができた。だが、前回は十枚山手前の所で引き返したので、そこまで行かないと白嶺南嶺の縦走はつながらないのである。
前回の到達点の記憶は定かではないが、このあたりだろうという所で引き返し、十枚山を再び越えて峠を目指す。途中で軽装のパーティーとすれ違い、こんな早い時間にどこから来たのだろうと思って地図を見たら、これから向かう地蔵峠のすぐ下まで林道が延びていて、小一時間の登りで稜線に達することができるので、十分日帰り可能な山になるようだ。
十枚山のすぐ南には下十枚山という山があって、こちらの方が十枚山よりも20メートルほど高い上、地蔵峠からの眺めも雄大で立派な山容なのだが、なぜか山梨百名山には十枚山が選ばれてしまい、山名もおまけのような名前となってしまった不遇な山である。下十枚山から先は下り気味にアップダウンを繰り返して岩岳まで下りると、後は地蔵峠までは急降下が続く。その間にも二人の単独行者とすれ違った。
地蔵峠から南下して青笹山に達するまでは以前に歩いているので安倍川方面に下山する。30分ほどの下りで林道に降り立つが、バス停まではまだ2時間近く歩かなければならない。バス停近くにわさび飯で評判となっている店があるとのことでぜひ行ってみたかったが、営業が3時までということでのんびりとはしていられない。途中、近道をしようと思ったら行き止まりとなっていて引き返すというアクシデントもあったが、なんとか閉店30分前に間に合い、看板メニューのサビ飯定食を注文し、
| 固定リンク
「歩き」カテゴリの記事
- 神奈川県百名山(ミツバ岳、大野山)(2025.04.21)
- 関東百名山(帳付山。天丸山)(2025.04.17)
- 神奈川県百名山 鎌倉近辺の低山(2025.04.14)
- 神奈川県百名山(同角の頭他)(2025.04.11)
- 神奈川県百名山(畔が丸と周辺の山)(2025.04.06)
「旅行」カテゴリの記事
- ベトナム旅行記(後半)(2025.01.22)
- ベトナム旅行記(前半)(2025.01.18)
- 小樽からの帰京(2024.07.16)
- 釧路から旭川への移動(2024.07.15)
- ひたち海浜公園 はとバスツアー(2024.04.25)
コメント