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2022年4月

2022年4月18日 (月)

東海自然歩道番外編 武奈ヶ岳

ホテルで良く寝たら疲れも取れたので、予定どおり200名山 武奈ヶ岳を登りに行くこときにする。琵琶湖側から武奈ヶ岳に登る場合の最寄駅となる比良駅に向かうために山科駅で乗り換えるが、その際に駅構内にあるコインロッカーにキャンプ用品等の不用な荷物をしまって身軽な出で立ちとなる。

 

比良駅で下車して林道をしばらく行くと自動車道と合流し、その上の駐車場には近畿各府県の車が10台ばかり停まっている。さすが200名山だけあって平日であっても結構登られているようである。

 

登山口からは急登が続き、しばらく登ったので半分くらいは登ったかなと現在地を確認すると、まだほとんど登っていないことがわかりがっかりする、最近はこんなことでとも勘が鈍ってきたのかと寂しくなる。半分ほど登ったところで中学生くらいのグループがすごい勢いでかけおりてくる。若い連中は元気でいいなあと羨ましくなる。

 

じっと辛抱して登り続け、頂上の一角に着いたと思ったら、まだ北比良峠で頂上まではあと300メートル以上の標高差を登らなければならない。写真では見えないが、指導標のはるかかなたに武奈ヶ岳の優美な姿が望めて、もうひと頑張りを余儀なくされる。
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さらにもうひと登りして、今度こそ頂上だと確信した。というのは、ガスッていて遠くまでは見渡せないが、見える限りではここより高い地点らないからである。ただ頂上の標識が見当たらないので不審に思ってGPS対応地図で調べると、頂上は一度降りてから登り返さなければならないことがわかり、ガクーンである。

 

間もなくして本当の頂上に着くと、何人かの登山者が休憩していた、天気が良ければ琵琶湖を眼下に置いての素晴らしい眺望が得られるのだろうが、ガスに覆われて何も見えないのは残念である。とまれ通算76座目の(100名山を除く)200名山登頂である。
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帰りは頂上直下の八雲平に降りる道が登りの時と違って沢ルートに迷いこんでしまい、しばらくは踏み跡もマーキングもしっかりしていたのだが、雪に覆われて判然としなくなってきた。そこで途中から尾根コースに変更したのだが、そのために頂上に私よりも後に残っていた人たちにも抜かれてしまったようだが、それでも登り 5時間20分のところを下りは3時感40分とまずまずで予定よりも早い電車で帰ることができた。

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2022年4月17日 (日)

東海自然歩道 滋賀県踏破を達成

今朝は久しぶりの寒さで早くから目覚めてしまった。公園に人が来ないうちにテントをたたみ町を下る。今日は一日中町中を行くので気楽な半面、気合いが入らないためか、かえって疲れがでてしまった。

 

今日のコースは岩間寺、石山寺、三井寺といった名所を通るが、これらは西国三十三札所をめぐったときに訪れているので、今日は近くを通っても寄らずに先を急ぐ。

 

比叡山登山口まで行けば後は比叡山から京都大原の下り口までは歩いているので、滋賀県踏破を達成することになるが、連日の疲れかメタメタとなってしまった。明日は余力があれば、200名山の武奈ヶ岳を登るつもりだが、明日の元気次第である。
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2022年4月16日 (土)

東海自然歩道 滋賀県踏破にリーチ

彦根でリフレッシュして後半戦に移る。一昨日の終了点である紫香楽宮跡駅までは二時間ほどかかる上、列車本数も少ないので、接続がうまくいかないと時間のロスが大きくなるが、乗継駅の手前の駅で近江鉄道が停電のためしばらくストッてしまい、6分遅れで乗継駅に着いたので焦ったが、ギリギリで乗継はできた。。

 

下車した紫香楽宮跡駅は奈良時代、聖武天皇の御代に大仏を建立するためき一時遷都されたが、大仏は奈良に建立擦ることに変更となったため、奈良に都は戻されたため、短命の都の跡が発掘された地である。
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記念碑の写真を撮っていると、二人の女性がやってきたが、大阪方面から私と反対方向に自然歩道を歩いているとのことである。東京から歩きだして初めての同好の士である。お互いに情報を交換して別れる。

 

彼女らと別れてすぐに道が分かれている。右の道は急カーブでなりの登りとなっているが、真っ直ぐの道は、動物避けの柵で遮られているが開閉できる扉がついている。標識はなかったが、今までの経験から躊躇なく、真っ直ぐの道を選んだ。

 

歩きだしてしばらくはマーキングもあり、踏み跡も比較的しっかりしていたので、なんの疑いもなく前進を続けたが、マーキングも踏み跡も消えてきたので、GPS対応の地図で調べると、正しい道は少し北側を平行して延びているではないか!先程の急カーブしている道が正しい道だったんだ。セオリーは来た道を戻ることだが、このまま西に向かえば正しい道につながることを確信したので、そのまま進むと予想どおり正しい道にでられた。

 

その後は順調に進めて、予定どおり山を越えて暗くなる前に麓に降りることができ、公園の一角にテントを張ることができた。思いの外順調に進めたので、明日中に滋賀県踏破を達成できる目処がたった。

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2022年4月15日 (金)

東海自然歩道 番外編 城めぐりと近江鉄道

3日間歩き続けたので今日は休養日ということで、彦根近辺の観光をすることにた。まずは彦根城に向かう。彦根の町は以前にも中山道歩きや琵琶湖一周自転車走の時にも訪れたのだが、時間がなくて行かずじまいとなっていたものである。

 

東海自然歩道を歩いている際も、愛知県から西では城に立ち寄ることも何度かあったが、いつも時間の余裕がなくてゆっくり見学することがでしなかったので、今日は時間無制限で天守閣だけでなく、資料館その他の施設も見学できるセット件を購入した。

 

ちょうど修学旅行生と鉢合わせたので、彼らの見学が終わるまで外でゆっくり待ち、静かになってからじっくり見学した。観光客がほとんど行かない大手門の方にも足を伸ばした。
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見学後は城下町を散策し、近江牛のステーキならぬ牛丼を食べた。値段は吉野家の倍以上するが、味も倍とはいかないものの、まあ旨かった。
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午後は彦根の東側にある佐和山城跡に出かけることにした。関ヶ原の戦いで西軍を実質的に率いた石田三成の居城だったが、関ヶ原の戦いで石田三成が敗れた後は彦根城が完成するまでは井伊直政の居城となり、彦根城に移転後は取り壊されてしまった。

 

彦根城が近世の幕開けとなる典型的な平城なのに対して佐和山城は中世最後の山城である。標高差200メートル近くを一気に登るので、彦根城と違って観光客はまず行かないところだ。途中でおばさんたちを追い抜いたのだが、下りの時には出会うことがなかったので、諦めてしまったようだ。
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本丸があった頂上からは彦根の街と彦根城が眺められ、背後に は琵琶湖がひろがっていた。4時半前にには彦根駅に戻れたので、ついでにもうひとつ城めぐりをするつもりだった。それは、三成が絶対的な忠誠心を捧げた豊臣秀吉の最初の居城となった長浜城である。だが、ネットで調べると、隣接する資料館が5時に閉館することがわかったので、 他日を期すことにした。

 

その後は 二時間少々をかけて、近江鉄道の本支線を完乗して一日の観光をしめくくった。
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2022年4月14日 (木)

東海自然歩道 三重県とおさらば

明け方に雨が降りだしたが、東屋に張っていたために濡れずに済んでラッキーだった。雨は一日中降ったりやんだりしたが、昨日と違い山深い所には行かなかったので、さほど影響はなかった。

 

出発早々に失敗してしまった。公園前の道を西に進んで、踏切を渡ってから右折するところを渡る前に右折してしまったため、かなりの大回りをさせられて、一時間ほど時間をロスしてしまった。おまけに、歩道のない片道一車線の道を大型トラックと次々とすれ違うので神経がすり減ってしまった。

 

三重県最後の名所の神社を過ぎていよいよ滋賀県側に入って三重県とはおさらばするのだが、滋賀県最初の名所であるお寺までは、最短経路としては舗装道路経由ということになるが、それでは自然歩道上の県境を通ることにはならないかもしれないので、多少時間はかかるが自然歩道経由で県境越えすることにした。

 

自然歩道は細い道が続いているが、動物避けの柵と鉄条網で仕切られた方にも道があり、何ヵ所扉が開閉できて向こうにも移れるようになっており、どちらが自然歩道かの標識もないため、柵の外の方の道をしばらく歩いた。ところが、しばらく行くと、その道は下の方に下っていってしまうので、道なりに辿っていくと、また登りとなって、柵の開閉部の所で終わっており、開閉可能と書いてあるにもかかわらず、きつく施錠されていて開かない。そこでさきほどの開閉部の所まで戻って柵の内側に入ってそちらの道を進んでみる。

 

しばらくして、自然歩道と書かれた標識を見つけたので安心したが、なにか迷路を進んでいるようで、これでは自然歩道が廃れてしまうのもやむを得ないか。結局、山中の自然歩道には県境を示す標識はなかったが、自動車道に降り立ったところに県境の標識はあった。三重県側が伊賀市、滋賀県側が甲賀市で隣り合っているのが面白い。これで、三重県とはおさらばとなることになった。
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滋賀県側の最初の名所の寺には、自然歩道は途中で自動車道と分かれているが、そちらに進むと、なんと動物撃退用の電気柵で封鎖されているので、仕方なく自動車道に戻ることにした。どうも自然歩道 は地元では歓迎されないようである。

 

今日の目的地の紫香楽宮跡駅までの間には何ヵ所かの名所があるが、全部回っていると時間がかかりすぎるし、通行止めとなっているところもあると聞いていたので、全部ショートカットして、紫香楽宮跡駅まで自動車道を通っていくことにした。

 

午前中と同様に歩道はなく、時たま歩道が現れたかと思うと、その企業の敷地の前だけで終わっているので、大型車との対面すれ違いが続くことになる。滋賀県には歩道を歩くという文化?がないのだろうか?ただ慣れてしまったのか、それほど神経を使わなくても済むようになった。

 

四時間ちょっとの歩きで紫香楽宮跡駅に着く。あたりには遺跡関係の見るべきものが多数あるようだが、今日は時間がないので、後日としよう。連日の行動で疲労がたまってきているので、明日は彦根方面で観光がてらに体を休めることとしよう。

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2022年4月13日 (水)

東海自然歩道 また三重県に逆戻り

5時に出発して鈴鹿峠を目指す。13年前に東海道53次を歩いた時には、峠道がわからず、トンネルを通ってしまったので、今回はそのリベンジも兼ねている。歩いてみてわかったことは、東京から京都に向かう下り車線を進むと峠道は通らないので、峠道を目指す場合は上り車線を選択しなければいけなかったのである。
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今回は無事にと峠に行くことができたが、峠から降りると上り車線の横に出て、更に旧東海道の土山宿も通ることができた。前回は1号線の下り車線の歩道を歩いたために、峠だけでなく土山宿もパスしてしまったため、今回はいずれもリベンジしておいた。

 

土山から関、亀山方面にバスが出ているので、関駅まで往復して飲食物をコンビニで買ってきた。一時間半のロスにはなるが、昨日二日分の食料を担いであるいていたら大変だったので、賢明な選択であった。それに30分以上乗車したのに、65歳以上は一律100円という安さである。

 

昨日は予想以上に前進できたので、今日は予定を前倒しにして、当初予定では三日目の宿泊予定である余野公園を目的地としたが、そのためにはかなりの頑張りが必要だ。

 

午前中は比較的順調に進んで、この分なら余野公園までは楽勝かなと思ったら、そうは問屋が卸さなかった。というのは、途中で余野公園までの距をGPS対応の地図で調べていたら、標識に出ている余野公園までの距離とかなりの差があるのである。何故かなと思ったら、自然歩道は不動滝というのが経由地に入っていて、かなりの寄り道をするからであった。

 

仕方ないので標識どおり歩いたら、肝心の不動滝が写真にあるように岩影に隠れてみえないのである。
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滝壺に入れば見えるのかもしれないが、たかだか10メートルほどの滝を見るためにそんなことをする気にはならず、そのまま前進したのだか、滝に寄り道するために降りた分の登り返しが目茶苦茶大変で、峠に着いたのは日没過ぎであった。後は暗くなるのと競争で下ったが、なんとかライトを着けずに余野公園まで降りることができた。

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2022年4月12日 (火)

東海自然歩道 三重~滋賀県 初日

前回の終点となった椿大神社(「おおかみやしろ」と読むらしい)に着いたのは11時頃で、参拝は前回済んでいるので直ぐに歩き始める。途中、何回か迷って時間を無駄にする。どうでもいいところにやたらと標識があるのに、迷いやすいところにないのはどういうわけか

 

最初は石水渓のキャンプ場に泊まることも考えていたが、団体向けのようで、10人までは一律六千円ということだったし、まだ4時前でしばらくは歩けそうなので、水を補給して前進する。

 

6時に安楽峠に着き滋賀県に入る。
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もっとも明日は鈴鹿峠を越えてまた三重県に戻るのだが。一時間半ほど歩いて、鈴鹿峠の登り口付近の広場にテントを張る。東海道のすぐ近くだが、最寄りのコンビニまでは往復で二時間以上かかるようなので、手持ちの飲食物だけで我慢する。

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